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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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京橋 満津金  ~1周年おめでとうございます~

[東京ダンボ] 2017年11月20日 09:00

今年の4月に京橋 満津金さんで御朱印張を誂えたのですが、既に一杯になってしまったため、新たに作成していただきました。墨の裏写りもなく、ちょっと大判でとても気に入っています。

 

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今回は江戸伝統の鮫小紋です。鮫小紋は細かい霰地の文様のように染めた小紋のことで、細かい丸文が、鮫の皮のように、全面に細かい点をすきまなく染め抜いた、鮫皮状の文様です。整然と並んだものを行儀鮫、そうでないのを乱れ鮫というそうで、東京ダンボのは行儀鮫になります。

 

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製作をお願いして約2週間、受け取りに行くと「1周年おめでとうございます」と書かれた胡蝶蘭が飾られていました。京橋 満津金としての営業は1年ですが、金陽社印刷所としては90年近い歴史と伝統を有しています。

 

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1周年記念を送られたBUNGUBOX 山岸薫さんは浜松のペンショップさんで、表参道に東京店もあるそうです。その山岸さんとのコラボで東京メトロカラーの付録につく東京メトロ塗り絵をデザイン・開発されたそうです。いいですね!

 

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また、七つの「福」を一冊に納められる満津金の七福神御朱印帳。描かれている七福神は江戸町火消錦絵師 岡田 親 画によるものです。

 

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日本の伝統にスポットを当てた新たな展開の数々、目を離せませんね。 

 

日本に来られる外国の方々にも是非お勧めしたい日本を感じられるお店が京橋にあること、素晴らしいと思います。

  

 

 笑顔が素敵な京橋 満津金ご主人です。

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京橋 満津金:中央区京橋二丁目6-5 TEL 080-3543-2668

営業時間:12:00~18:00 定休日:毎週日曜日・月曜日・祝日年末年始

http://www.kin-yosha.co.jp/matsukin.html

 

 

 

歌舞伎座_1

[皐月の鯉の吹き流し] 2017年11月17日 18:00

歌舞伎座は、昭和通りと晴海通りの三原橋交差点そばに位置しています。

 

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<<<< かつてはここに三原橋がありました >>>>

 

 

この交差点を右(北東方向)に曲がると江戸橋。銀座通り(東海道)との交差点を左(南西方向)に曲がると 新橋、右(北東方向)に曲がると京橋・日本橋。日比谷方面に行くと数寄屋橋。かつては橋がありましたが 今は、ほとんど橋は無くなり地名のみとなりました。(今工事中ですが、三原橋は橋があったことの記憶があります)。 昭和30年の初めまではこの周辺や築地・明石町にかけては橋や川が多くありました。 また京橋は江戸歌舞伎発祥の地です。

 

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<<<<< 江戸歌舞伎発祥の地碑 >>>>>

 

 

晴海通りを隅田川まで進むと勝鬨橋があります。当時の日本の技術のみで1940年に完成されました。 この橋の特徴は中央部が跳ね上がるように開き、大きな船が隅田川を往来しました。 1970年を最後に開閉は停止となりました。

 

さて、歌舞伎座に目を移すとその特徴は破風と正面の破風の上にある櫓です。 破風は私の知る限りほとんどの日本の城にあります。

 

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<<<< 正面の破風の上にある櫓 >>>>>

 

 

また正面には歌舞伎座の座紋「鳳凰丸」があります。 この「鳳凰丸」瓦や提灯などにあしらわれていますが右を向いています。 一つだけ逆の左を向いている鳳凰があるそうで、「逆さ鳳凰」と言いこれを見つけると"幸せになれる" とのこと。

歌舞伎座右手に歌舞伎稲荷神社があります。先代の歌舞伎座以前は建物の中にあったそうです。 (先代歌舞伎座時代に観劇しましたがどこにあったか記憶がありません) 今は何時でも誰でも御参りができます。

 

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<<<<< 歌舞伎座右手にある歌舞伎稲荷神社 >>>>>

 

 

歌舞伎座の演目は毎月変わります。「昼の部」・「夜の部」というくくりで 切符が発売されているのですが、お値段は「4千円~2万円」です。 また好きな幕だけを気軽に鑑賞できる一幕見席(ひとまくみせき)(「幕見席」)があります。

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< < 一幕見席を買うとこのような券を受け取ります。座席番号ではないのでご注意 >>

 

 

お値段は演目や上演時間によって違うようです。最上階なので花道はほとんど見えません。 これは座席指定ではないのでご注意を。

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週末は見ての通り大変多くのひとが幕見席に並びます。時間が取れればぜひ平日に

 

 

歌舞伎の特徴の一つに「大向こう」とよばれる人たちの掛け声があります。 私が幕見席で見ていたとき、そばでこの掛け声があり隣席にいた外人旅行客が驚いていました。

また化粧も特徴があります。もともとは顔の血管や筋をオーバーに表現したものだそうです。 赤は正義・勇気 青(藍)は悪 茶は鬼・妖怪 を表すのに使うそうです。 隈取は筆やはけを使うのではなく指をつかうそうで、そのため「描く」のではなく「取る」 と言うのだそうです。

 

次月につづく。

 

 

待合茶屋: 亀の尾

[yaz] 2017年11月17日 14:00

明治6年作成の沽券図(不動産登記簿)によれば、中央区日本橋の中央通り室町三丁目と本町三丁目の角に最首五郎兵衛という人の家作がありました。土地の大きさは187坪。江戸時代には町年寄「喜多村彦右衛門」の屋敷であったところが、私の中学校の同級生の家になっていました。ここで待合茶屋「亀の尾」を経営していたようです。歌舞伎の演目で「亀の尾」というのがあるそうですから、日本橋芸者(檜原芸者)が来る楽しい場であったと想像されます。

 

1830年当時には喜多村町年寄宅はありますが、明治6年(1873年)には最首宅に変わっていますので町中にも幕末は大きな変化をもたらしたものと想像されます。

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(明治6年の沽券図より抜粋)

 

 

明治時代に行った待合茶屋に関する落語家へのインタビュー記事に「亀の尾」に関わるものが残っていますので紹介します。

 

「其の頃は、駿河町の亀の尾、日本橋の寿、芝では千歳と此三軒けァなかッたものです。外にも在ッったか知りませんが、此三軒が一番名うてでした。女を呼んで酒は飲みましたが、今のように寝泊まりはしません。情人(いろ)でもこさえて出会をするには、向島水神の八百松か植半、それから今は在りませんが、三囲の柏屋と云う意気なお茶屋がありましたが其所へ行ッったもんです。居廻りや近所で会ふのは情夫(いろ)じゃァないと云ッてた位でした」

 

貸席業としての待合は,江戸時代の待合茶屋を起源としています。待合茶屋は,商人の寄合いや旅人の送迎など,本来の待合せに利用する茶屋でありましたが,明治初年以後は花柳街における芸者との遊興場所として急成長しました。

 

現在までの調査では歌舞伎の演目「亀の尾」については情報が一切ありません。最首さんへの聴取・歌舞伎座へのアプローチを行いますので、情報を入手次第皆様にお知らせします。ご期待ください。

 

 

 

清閑 銀杏木が目印

[あすなろ] 2017年11月14日 09:00


蛎殻町と人形町の間に鎮座する、銀杏八幡宮。

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武運の神をご祭神とする八幡系の神社です。

社殿が建てられた当時は、樹齢300~400年の大銀杏が

あり、社名はそれに由来しているそうです。

中央区内では、唯一の八幡神社になります。

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大通りに面していながら、鳥居をくぐると

とても静かな空間。見上げれば梢が黄金に色づき始めて

いました。往時を偲ばせる光景ですね。

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散策する際はぜひお立ち寄りください。

 

◆銀杏八幡宮/銀杏稲荷神社
 東京都日本橋蛎殻町1-7-7

 

 

築地本願寺のインフォメーションセンターが完成 東京メトロ築地駅1番出口と直結

[銀造] 2017年11月13日 14:00

 築地本願寺のインフォメーションセンターが11月8日に完成しました。

連日、沢山の信徒さんがお詣りの前後に立ち寄っていらっしゃいます。

センターからのお帰りに便利な様に、東京メトロ築地駅1番出口と直結されました。 

東京メトロとのコラボレーションで、築地駅改札口を出て、エレベーターで上がり、車椅子でインフォメーションセンターとの行き来が出来るようなご配慮が本当に嬉しいですね。

 

 インフォメーションセンターには、屋上にテラスができて、良い眺めを楽しむことが出来ます。

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まさに、私たちに明るい進路を"照らす"様です。 

 

「本願寺江戸御坊400年のあゆみ」展では、貴重な数々の写真で、江戸時代の明暦の大火から明治、大正大震災を経て、現在のご本堂が建設された歴史を学ぶことが出来ます。

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 一階の "cafe solare Tsumugi" は、美味しい茶菓だけでなく、お食事も頂けます。 OFFICAL SHOPでは、築地本願寺ならではのオリジナル・グッヅを入手できます。

 

 第一伝道会館の"日本料理 紫水"、TEA LOUNGE、宿泊施設は従来通りご利用できます。 築地本願寺さんにお参りするのが、益々楽しくなりましたね。

 

 

 

久安橋 工事中のパネルが興味深い お散歩の足休め

[銀造] 2017年11月 9日 12:00

 東京駅八重洲口から散歩。 八重津通りを300㍍も東進すると、おなじみのキリンさんの銅像、

横断歩道を南に渡って、よく目立つ "平和都市宣言一周年を記念して設置された「平和の鐘」、ヤン・ヨーステンの記念碑を見て、工事中のブリヂストン美術館前を進むと、ほどなく久安橋に至ります。

 

 久安橋は、江戸時代に松平越中守の屋敷前に架けられ「越中橋」と呼ばれていましたが、明治元年(1868)に江戸幕府の名残りである「越中」の名が取られ「久安橋」と改称されました。「久安橋」の名は、昔この付近に御坊主久安の拝領地があったことに因むといいます。 現在の橋は関東大震災の復興事業で建設は昭和53月に八重洲通りの造成とともに、架け替えられました。 

 「越中橋」の名前の基になった「松平越中守上屋敷」について説明します。 

松平越中守というのは、幕末の桑名藩松平家のことです。 桑名藩の最後の藩主は、松平定敬(さだあき)で、京都守護職会津藩主松平容保(かたもり)の実弟です。(高須四兄弟の一人) 

 

 さて、その久安橋の袂のビルが工事中ですが、その周囲を覆うパネルが中々秀逸だと感じ入りました。パネルは全部で12枚ほどありますが、江戸時代に日本橋、京橋地区は匠の生きる町でした。

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 江戸時代、この地域には職人が多く住んでおり、職人の仕事から町名が付けられたとあります。現在の八重洲・京橋付近は建設資材を扱う大鋸町・本材木町・南大工町などの職人町から、武士や庶民の生活品を扱う桶町、畳町、具足町などまで多様なモノ造り職人が集う「匠の生きる町」であった。」との説明です。 ちなみに、現在の京橋エドグランのあるところは、江戸時代には、畳町だと、中央区観光情報センターの方に確認して頂きました。

 

ここから、八丁堀方面にお散歩する方には、八丁堀同心に関する説明のパネルが面白いでしょう。

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 与力は「旦那様」、妻は「奥様」と称されていたとか。

旦那様、奥様とご一緒にお散歩は如何ですか? すずらん通りには、和菓子のお店が二軒あり、美味しいお土産もご購入できます。

京華スクエアの前では、八丁堀の与力・同心組屋敷に関する説明碑がご覧になれます。

 

 さて、亀島橋まで行くと、芭蕉の句碑、伊能忠敬さん、東洲斎写楽さんに関する説明碑があります。 橋の向かい側には、堀部安兵衛が住んでいたという説明碑があります。

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実物は、

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これらの説明碑や石碑は是非、亀島橋でご覧下さい。

 

 また、おもてなしの作法についての説明が面白かったです。

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 精進料理のタクアンは、一切れ(人切れ)しか出さず、三切れ(身切れ)、四切れ(世切れ)は出さず、おもてなしの心は、二切れが作法との説明がありました。 験を担ぐことと併せて、面白いですね。

 

 どうぞ、秋晴れの清々しい気候ですので、楽しくお散歩なさって下さい。