中央区観光協会オフィシャルブログ

中央区観光協会特派員ブログ

中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

執筆者一覧

>>このブログについて

最近のブログ記事

 京華スクエア 〜地域の発展のために〜

[東京ダンボ] 2018年2月14日 14:00

八丁堀すずらん通りの南端、八丁堀3丁目にある京華スクエアは、1901(明治34)年に創立された京華小学校が形を変えて地域に貢献して生き続けている施設です。

 

IMG_2548.jpgIMG_2547.jpg

 

現在の建物は関東大震災後、耐震性に力を入れた「復興小学校」として1929(昭和4)年に建てられた旧京華小学校・幼稚園の建物を再利用して使い続けています。

 

IMG_2550.jpg

 

京華小学校は中央区が人口減の時代であった1993(平成5)年に、鉄砲洲小学校とともに中央小学校に統合されたため閉校となっていましたが、2001(平成13)年に京華スクエアとして中央区立ハイテクセンター(研修室・会議室・展示場・ロビー)、京華コミュニティルーム、中央区シルバー人材センター、早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校などが入り蘇ったものです。

 

IMG_2558.jpgIMG_2559.jpg

 

校庭ではあの二宮金次郎が勉強を続けていました。

 
IMG_2553.jpgIMG_2552.jpg
 

早稲田大学エクステンションセンター"Extension"(=拡張、開放)の意味するとおり、早稲田大学の研究・教育機能を広く社会に開放するための機関で、八丁堀校では「早稲田大学オープンカレッジ」として、教養・ビジネス・語学・スポーツ等、春・夏・秋・冬の学期ごとに講座を多数設置し、昼夜合わせて年間約550講座を提供しているそうです。

 
こんな近くに大学として日本最大の生涯学習機関「早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校」が設置されているのですから、利用しない手はないですね。
 
東京ダンボも今年から学習を開始しました。
幾つになっても勉強はできるものですね。
 
スクリーンショット 2018-02-11 21.53.16.png
 

 

みゆき通り

[CAM] 2018年2月11日 12:00

 銀座5丁目と6丁目の間の通りは「みゆき通り」と呼ばれ、この名称は、明治天皇が皇居から、当時築地にあった海軍兵学校、海軍大学校における式典への行幸(みゆき)や浜離宮へのお成りの際に、この通りを行幸路とされたことに由来するということは、比較的よく知られていると思います。しかし、これが何時から始まった名称かという点については、私も知りませんでしたが、この点について、2月7日の朝日新聞「ことばの広場」で取り上げられているので、紹介します。

 

 この記事によると、1940年の東京五輪招致(1940年には万国博覧会の開催も計画されていたが、戦争激化のために、両者ともに中止となった)が決まった1936年前後、東京を世界に通用する美しい街にしたいと考えた人たちがいました。画家の藤田嗣治、詩人の西条八十らフランス帰りの文化人らが、銀座を拠点に巴里会というグループをつくり、山下橋通りの美化、街燈や通りの整備を推奨し、名称も世界に通用するものにと呼びかけました。

 

 そして、選考の末に、行幸路とされた「由緒を記念するために、謹んで『みゆき通り』と命名」したことが、巴里会発行の雑誌『あみ・ど・ぱり』1936年6月号に記されているということです。

 

 

 

明治150年展〔タイムドーム明石〕

[ジミニー☆クリケット] 2018年2月11日 09:00

bunmeo201801.JPG

明石町12番1号、聖ルカ通りに面した中央区保健所等複合施設6階郷土天文館タイムドーム明石で、企画展明治150年 文明開化と中央区の遺跡」が開催されています

下の地図赤〇の場所です

bunmei201800.jpg

期間は、2月3日)から3月21日祝日)までです。

bunmei201802.JPG

時間は、通常、午前10時から午後7時までですが、祝日については、午前10時から午後5時までとなります。

休館日は、毎週月曜日祝日の場合は開館翌日休館)です。

入場は無料です。

bunmei201803.JPG

展示されている物で、文明開化前後の人々の生活が想像できるおもしろい企画です

bunmei201804.JPG

中央区内の遺跡から発見された食器類生ごみ玩具などの実物が展示されています

会場は「」「」「」のコーナーに分かれていて、当時の人々の生活で使われていた物が紹介されており、とても見やすいです

bunmei201805.JPG

丁寧な説明文もついており、百数十年前にこういう物を実際に使って生活をしていたんだという驚き発見があります

bunmei201806.JPG

当時の人が何を食べていたのか、なんてことまでわかります

文明開化の影響を日本で一番受けたと思われる中央区と、一方で江戸庶民の生活も残っていた中央区のことがよくわかる企画展です

なお、会場での写真撮影については、特別にご了解をいただきました。

bunmei201807.JPG

この企画展を紹介した中央区のHPはこちら ⇒

http://www.city.chuo.lg.jp/event/culture/29minikikaku.html

 

 

初音森神社 むさしあぶみ 浅草御門

[銀造] 2018年2月10日 09:00

 初音森神社は、両国郵便局のすぐ傍に御鎮座なされています。両国郵便局の場所が、東京都中央区東日本橋2-27-12。 初音森神社の場所は、東京都中央区東日本橋2-27-9です。

1517530036710.jpg

 今日は久々に2階のご本殿にお参りしました。 「名馬 三日月」の銅像が置かれています。銅像は、敬宮愛子内親王殿下御誕生記念で制作した物ですが、実は、この名馬にまつわる歴史の説明があります。

1517530095891.jpg

それが、「名井三日月の井戸由緒」です。

 慶長五年(1600年)関が原の戦起るや徳川家康は下野国の小山にいたが急遽引返し初音の馬場に勢揃し木村常陸之介を代参として初音森神社に戦勝祈願。神井の水にて一息、乗馬にもその水を呑ませて出発、大勝してかえった。後その縁故を以て神井に三日月(みかづき)と命名したと伝えられている。以下、割愛。

さて、こちらを通るたびに、1階の「むさしあぶみ」についての記事を拝見しております。明暦の大火の様子を詳細に記述しております。

1517530105591.jpg

 また、同じ1階には、浅草御門の柱が展示されています。

1517530122500.jpg

 「この門柱は、昭和36年総武線快速工事の際、両国郵便局横の緑地帯の土中より発見されました。明暦の大火から凡そ400年が経過し、門柱として使用されていた当時は、既に樹齢500年以上であったと思われます。」とのご説明です。

初音森神社のHPは、こちらです。 http://hatsunemori.shin-to.com/about.php

 

 

和紙とともに200年 【歴史編】②  ~ 和紙舗 榛原 ~

[rosemary sea] 2018年2月 9日 18:00

『ギフト、そして自分も楽しむ』をルック オーバーして取材します、rosemary seaです。

 

1505_053a店舗内観2.jpg

日本橋の老舗和紙舗(わがみほ)、榛原(はいばら)さんの前々回記事はこちらです。

⇒ /archive/2017/10/post-4699.html

前回、歴史編①はこちらです。

⇒ /archive/2018/02/post-4946.html

 

1505_059a店舗内観3.jpg

今回は2回に分けた歴史編の②です。

今回も株式会社 榛原 広報担当の中村陽子さんにお世話になりました。

それでは・・・

  

大正時代に入りますと、産業の発展とともに新しく計測器が外国より輸入され、それに使用する計測用紙の開発の必要性が叫ばれるようになりました。

これを受け、榛原さんでは創業以来の印刷技術を駆使して、大正8年(1919年)に、日本で初めて計測記録紙の製造に成功しました。

その後、関東大震災や第二次世界大戦で事業も大きな打撃を受けられましたが、それを凌いで事業の安定化に成功。

昭和39年(1964年)、計測記録紙の印刷工場を設立。

品質の高さからアメリカのアポロ計画にその計測記録紙が採用され、昭和44年(1969年)、アポロ11号に乗り月面へと出向き、月面調査にも大きな役目を果たしました。

また、心電図や土地測量など多岐にわたる用途に、計測記録紙は活用されています。

オフィスサプライ用品などの取り扱いもされ、IT時代に対応する体制も築きました。

平成27年(2015年)、再開発完了に伴い、中央通り沿いに新店舗を建設し移転・開店となりました。

 

11_233a河鍋暁斎「鶏図」.jpg

11_242a酒井抱一 木版団扇絵.jpg

上:河鍋暁斎 「鶏図」・下:酒井抱一 木版団扇絵

 

「はい原の 団扇(うちわ)を送る たより哉(かな)」

「鶏(とり)が鳴く あつまの江戸の はい原の 焼きじるしある 絹団扇かも」

それぞれ明治31年に、榛原さんについて正岡子規が詠んでいます。

文化文政の頃より、木版摺りのうちわは雁皮紙(がんぴし)とともに榛原さんの人気商品でした。

榛原さんでは毎年4月14日が「うちわ初め」の日。

新作のうちわを求めて、多くの人々が来店され、初夏の風物詩となっていたほどだそうです。

榛原さんのうちわを浴衣の帯に差したり、蛍を払ったり。

ファッション感覚で使われていたようです。

また正岡子規が詠んだように、代表的な江戸のお土産として知名度が高かったようです。

前回申し上げましたとおり、榛原さんのうちわの原画は当代一流の画家たち。

人々が身近に使ううちわに、各時代を象徴するような美術家の作品を取り入れられ、「生活の中で芸術を愉しむ」喜びを、榛原さんはお客様と共有し続けております。

 

1511_04627竹久夢二一筆箋a.jpg

1511_05431木版手摺絵はがき「夢二の旅」a.jpg

上:竹久夢二 一筆箋・下:木版手摺絵はがき「夢二の旅」

 

大正から昭和初期の榛原さんには竹久夢二を語らずにはいられません。

抒情あふれる美人画で名高い夢二は、榛原さんの便箋、絵封筒、絵はがき、千代紙、うちわ、広告などの図案を数多く手掛けました。

夢二は榛原さんのデザイナーという立ち位置の他、作品制作に必要な和紙を購入する顧客でもありました。

また、榛原さんの四代目、榛原直次郎氏と親交が深く、夢二がヨーロッパに旅立つときに援助をされた、という逸話も残っているとのことです。

haibara_logo2.jpg 

 

榛原さんの歴史はお客様の歴史でもあります。

新しい商品を積極的に考案する一方、変わらぬデザインで永くお客様に愛される商品も大切にされています。

 

「のれんを磨き、育てる」

 ・・・日々の努力を重ねておられます。

 

1505_016-21b店舗外観.jpg

榛原

日本橋2-7-1 東京日本橋タワー

東京メトロ銀座線・東西線 / 都営地下鉄浅草線 日本橋駅  B6出口直上です。

駅上のCOREDO日本橋のななめ前になります。

03-3272-3801

営業時間  月曜日~金曜日 10:00~18:30

      土曜日・日曜日 10:00~17:30

休業日  祝日・年末年始・お盆

※ 詳しい営業日はホームページをご覧ください。

榛原さんのホームページはこちら

⇒ http://www.haibara.co.jp/

 

 

 

清香 古刹の梅ほころぶ

[あすなろ] 2018年2月 9日 16:00

梅の花が咲く時季になりました。

 梅.jpg

厳しい冬の寒さにじっと耐え続けたからこそ、
凛とした美しい花をつけ、良き香りを放ちます。

 

浜町公園の一角にある清正公寺の境内で
梅の花が一輪咲きました。

 

この地は、江戸時代、熊本藩主細川家の下屋敷が
あったところです。加藤清正公の分霊を勧請し創建した
熊本本妙寺の別院です。

 

当時から一般庶民の参拝も許されたと伝えられています。

 清正公寺.jpg

 

立春が過ぎ、これから春の気配を感じられるように
なるでしょう。梅の別名を「春告草」とも呼ぶ先人たちの
感性がすばらしいですね。
「花よし、香りよし、果実よし」と三拍子揃った梅の花を
観賞されてみてはいかがでしょう。

 
◆日蓮宗清正公寺
東京都中央区日本橋浜町2-59-2