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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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【遠足シリーズ第7弾】煉瓦が語る物語

[Hanes] 2018年11月19日 12:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
先月、先輩特派員いのちゃんさんが「ちょっとニューヨク・タイムズ―銭湯と愉しむまち歩き―」にて、10月10日銭湯の日であると紹介しておりました

そんな10月10日...明治15年(1882年)には、日本の歴史に残る出来事がありました。
それが、日本銀行の業務開始です!
日本橋箱崎町には、「日本銀行創業の地」を示す碑があり、そこには以下のように刻まれています。

明治十五年十月十日日本銀行はこの地で開業した
明治二十九年四月日本橋本石町の現在地に移転した
創業百周年を記念してこの碑を建てる
昭和五十七年十月
日本銀行総裁 前川春雄

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当時の日本銀行ですが、立派な煉瓦造りの建物だったと記録されています。
そのことは知っていても、いつの間にか「その煉瓦ってどこから来たんだろう...?」と疑問に思うようになり、
しばらく前にそれを解決してくれるであろう場所へ行ってきました。
それが、この駅がある場所です!

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一見東京駅の丸の内側のようですが、実はこちら埼玉県深谷市にある深谷駅なんです。
深谷市というと、深谷ねぎやかわいいゆるキャラのイメージが強いかもしれませんが、
かつては煉瓦の製造地としても名をはせていました。
創業当時の日本銀行もまた、深谷市の日本煉瓦製造株式会社で製造された煉瓦でできていたといいます

遡ること1886年、明治政府が欧米列強に対抗することを目的に、
日比谷周辺を近代的建築による官公庁街とする「官公集中計画」を立ち上げてから、
西洋風の煉瓦造りの建物にするため、大量の煉瓦が必要となりました。
その際に、以下の2つの理由から、渋沢栄一が実家近くの上敷免村を工場建設地に推薦しました。
①煉瓦作りに最適な良質の粘土が採れること。
(従来、瓦生産が盛んな場所でした。)
②舟運が見込めたから。
(山川→利根川→江戸川→隅田川というルートを経て東京に運べます。)

ということで、一般公開している日本銀行の煉瓦製造地である旧煉瓦製造施設を訪問しました
奥に見える旧事務所(煉瓦史料館)にて、当時たくさんあった窯のジオラマや煉瓦、
中央停車場(現・東京駅)向けの煉瓦の請求書(明治40年8月21日付/こちらから構造用煉瓦8,332,000個を納入)等
興味深い資料を一通り見せていただいてから向かったのが、

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国重要文化財に指定されているホフマン輪窯6号窯
このホフマン輪窯は、全国でこちらを含めて4基しか残っていないという非常に貴重な文化財なのです

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ガイドさんに案内していただき、ヘルメットをかぶっていざ窯の中へ

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この写真を見て分かる通り、壁は非常に厚みのあるものになっています。
その理由は、煉瓦を焼く際に熱が逃げないようにするためだそうです
厚みは3mもあるというのだから驚きです!

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内部はこのようになっており、18の窯がありました。
1つの窯に36個の穴があり、その穴を通して2階から石炭を投げ込んでいたそうです

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煉瓦の焼き上がりには2日を要し、焼き加減は2階から針金を入れて確認したそうです
ここで日本銀行に加え、東京駅丸ノ内本屋、旧東宮御所(現・迎賓館赤坂離宮)に使用された煉瓦が製造されたと考えると、
近代化する日本を物理的に支えた陰の立役者を見ているようで、なんだか感慨深くなりますね

たかが煉瓦、されど煉瓦。
建材の一つである煉瓦も、このように面白い物語を語ってくれます
煉瓦を通じて見えてきた中央区と深谷市の関係性については、
遠足シリーズ第8弾でも取り上げます。

■旧事務所(煉瓦史料館)・ホフマン輪窯6号窯
住所:埼玉県深谷市上敷免28-10
開館時間:9:00~16:00(最終入館15:30)
開館日:土、日(年末年始をのぞく)
入場料:無料
ウェブサイト:深谷市ホームページ「旧煉瓦製造施設」渋沢栄一デジタルミュージアム「旧煉瓦製造施設」

※文化財内外のお写真につきましては、深谷市文化振興課のご担当者様より掲載許可をいただいております。

 

 

銀座の柳

[にゃんボク] 2018年11月18日 18:00

 今朝、出勤前に10キロほどジョギングをしたのですが、ふと、「あれ?こんなところに!」と気づいてしまいました。そう、銀座の柳三世です。場所は、皇居の桜田門の近く。何度も通っているのに、これまで気づかないなったので如何に周りを見ていないか、ですね・・・

20181116_064647.jpg看板にはこう記されています。「昭和43年銀座通りから姿を消した銀座の柳の3世。銀座の柳の枝を挿し木として二世柳を育て、さらにこれを挿し木として三世柳を椎葉一二氏・勝又康雄氏が心を込めて育てた。」そのお二人からの寄贈とのことです。

20181116_064631.jpg 銀座と言えば柳、とはある世代以上の方はイメージされるかもしれませんが、銀座通り(中央通り)から最後の柳が撤去されたのは1968年のこと。柳の後は低木のシャリンバイが植えられ、今は人の背丈を上回る高さのイチイが植えられています。

 国土交通省と銀座通り連合会は2020年までに街路樹をカツラに植え替えることを発表しているので、銀座通りも夏に日陰がこれまで以上に増え、より過ごしやすい空間になりそうです。(これからの暑い夏に日陰は必須ですね)

*********

さて、現在の銀座通り(中央通り)には柳はなくても、「銀座柳通り」はその名の通り、路地に植木が植えられ、柳が道路を覆っています。

この銀座柳通りの幅は現在16メートル。で、この幅は、なんと江戸時代の銀座通りと同じ道幅なんだとか。となると、江戸時代の道幅をイメージし、体感しながら、現在の銀座柳通りを歩くと、少し当時の喧騒を感じられそうな気がして、気持ちだけでもタイムスリップそんな散歩の仕方も一つの楽しみ方かもしれませんね

 

 

「中央区まるごとミュージアム」巡回バスの車窓から

[Hanes] 2018年11月16日 18:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
先輩特派員の皆さんがお書きになっていたように、
私も11月4日に行われた中央区まるごとミュージアム巡回バスにて、ボランティアバスガイドを務めました
今回初挑戦ということもあり初めはがちがちでしたが、何度か同じ道を走るうちに、
タイミングが把握でき、アドリブが効くようになってきました。
何事も実践あるのみですね

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今回は、巡回バスにご乗車の方の反応が良かった中央区情報を3つピックアップし、
11月のイベントと合わせてご紹介します

■八重洲二丁目の人口は、区内で最も少ない24人(※11月2日に更新する前の情報)
中央区役所が公表している「中央区の人口・世帯数(平成30年11月1日現在)」によると、現在の人口は31人
世帯数が28のところ、男17人、女14人という内訳です。

八重洲では現在市街地再開発事業が進んでおり、工事現場が多く目につきます。
ブルガリホテルや城東小学校の入る新しいオフィスビルが完成した暁には、
この辺りの人口にも多少変動が見られるのでしょうか?
そういった意味でも、今後注目していきたい面白い街区です

■日本橋七福神
七福神の信仰は室町時代に始まったと言われています。
日本橋地域にある七福神に関連する神社8社には、商売繁盛の恵比寿神を祀っているところが2社あることから、
現在でも七福神巡りが人気となっています。

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(恵比寿神を祀る椙森神社)

8社のうちの1社であり、伊勢神宮を本宗とする小網神社(福禄寿、弁財天)では、
新穀豊作に感謝する新嘗祭に由来するどぶろく祭11月28日(水)に行います。
午前9時からは、秋の七草を代表するすすきでできたお守り「下町のみみずく」の授与が行われます。
強運厄除、営業繁栄の御利益が自らの「み」(身)と
家族の「み」(身)に「つく」ことにちなんでみみずくなんだそうです

また、午後からは、国の重要無形民俗文化財である里神楽舞が奉納されるので、
お時間のある方は見に行ってみてはいかがでしょうか

小網神社
住所:東京都中央区日本橋小網町16-23
ウェブサイト:http://www.koamijinja.or.jp/
アクセス:東京メトロ日比谷線「人形町」駅A2出口より徒歩5分
     都営浅草線「人形町」駅A5出口より徒歩7分
     東京メトロ半蔵門線「水天宮前」駅8出口より徒歩10分
     東京メトロ東西線「茅場町」駅10出口より徒歩15分

■隅田川花火大会のルーツ
今では娯楽となった花火大会ですが、実は初めからそうだったわけではないのです!
1732年の凶作と疫病の流行によって多くの方が命を落とし、
それを憂慮した8代将軍徳川吉宗が、翌年悪病退散死者の慰霊祈願としての水神祭を隅田川で行いました。
その際に、両国橋のたもとの舟宿や料亭が費用を出し、幕府の許しを得たうえで、
死者の霊を供養する花火を打ち上げたといいます。
海外観光メディアでは、そういったルーツを含めて紹介されることもあります。
海外の方にこの花火大会について聞かれた際に、ルーツも含めて日本文化を紹介できたら格好いいですよね

中央区内から花火が楽しめる穴場スポットについては、
【隅田川花火大会】中央区の穴場からの見え方は?をご覧ください。

反応の良かった中央区情報3選は以上となりますが、
この日の昼食に、「晴海オータムフェスティバル」の屋台村選手権にエントリーしていた
トルコ料理の屋台「ルビーズケバブ」のチキンケバブをいただきました。

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辛さが選べてコスパのよいケバブは、食べ応えがあり、美味しかったです

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そして、巡回バスの始発および終点である晴海埠頭はなんと、トリップアドバイザーの
「人気のデートスポット2018」19位にランクインしているんです
銀座や築地といったショッピングやグルメで人気のエリアがあるにも関わらず、
それらを凌ぎ、中央区から唯一のトップ20入りを果たしました!

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夜になるとレインボーブリッジのライトアップが楽しめ、
波の音を聞きながらゆっくりできるので、
人の多い場所が苦手な方にはオススメの穴場スポットです

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興味深い歴史や文化、夜景がきれいなスポットを兼ね備えた中央区では、
来るたびにきっと新たな発見があるはずです!
近くにお越しの際には、ぜひ遊びに来てください

 

 

◆ 日本橋のアンテナショップで旅の余韻に浸る

[隅田の花火] 2018年11月16日 12:00

中央区の秋のイベントの「まるごとミュージアム」や「日本橋・京橋まつり」が終わり、いよいよ街の風景もクリスマスや歳末向けての装いに変わっていきます。冬に向かう街の風景を眺めていると、自然と今年一年の自分自身を振り返ってしまうものです。

 

ご存知のように中央区には、全国各地のアンテナショップが数多くあります。その中でも最近訪ねた旅先のお店は、その土地の記憶が新しいせいなのか、つい覗いてみたくなってしまいます。

 

仕事帰りに夜の日本橋を歩いて、いくつかお店を巡ってみましたので、旅の余韻に浸りながらご紹介してみることにします。

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日本橋にあるアンテナショップで一番神田寄りにあるのが、「日本橋ふくしま館-MIDETTE」。今秋に浅草から出ている東武電車に乗って、のんびりな「会津」の旅を満喫してきたのですが、その福島県のお店です。

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今年は「明治150年」ということで、東京では祝祭イベントも行われましたが、会津では「戊辰150周年」という呼び方をしていました。ご存知のように会津は、150年前の「戊辰戦争」で悲しい戦いが繰り広げられた場所です。そういう歴史があったことを改めて思い出させてくれた旅でもありました。

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そんな旅先での楽しみのひとつは、その土地の郷土料理。会津には「こづゆ」という料理があります。お正月や祝いの席で出される料理だそうで、乾物や根菜類の具がたくさん入った「ご馳走」。その素朴な味わいにとても癒されてしまいました。
このお店で探してみたところ、棚に並んでいたので買って帰りました。 

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食べたお土産があまりにも美味しくて、「もっと買ってくればよかった」と後悔した時に活用できるのがアンテナショップです。もしそのようなお土産があるようでしたら、お店に入って探してみてください。きっと見つけられることと思います。 

 

 

日本橋を渡って、今年新装された髙島屋の前に来ました。この辺りの街の風景も最近ガラリと変わってきて、散策する楽しみも増してきました。

s_hanabi66-5.jpgこの近くにある山口県のアンテナショップが「おいでませ山口館」。山口県は中国地方の最西にある県ですが、中国地方には魅力的な橋が多いので、橋好きな私にとってとてもうらやましい場所です。 

 

山口県では錦帯橋という歴史ある橋や関門海峡に架かる関門橋が有名ですが、一番思い出深いのは一昨年に訪れた「角島大橋」。まるで沖縄の海にいるかのような絶景は、今でも忘れることができません。

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さて、このお店に立ち寄ってみたのは、前回書いたブログ記事で吉田松陰について取り上げたこともあり、興味が生まれたからです。

 

    前回のブログ記事⇒ 十思公園で何を思う

 

今の中央区の小伝馬町にあった牢屋敷の中で、吉田松陰は「留魂録」という弟子宛の遺書を書き、翌日に処刑されました(安政の大獄)。弟子に渡った留魂録は、幕末の志士たちの心の礎となり、明治維新の原動力にもなりましたが、萩の松陰神社発行の留魂録の解説冊子がこのお店に置いてあったので、試しに買って読んでみました。

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幕末の安政の大獄で、福井藩士の橋本左内も松陰処刑の20日前にこの牢屋敷で処刑されています。松陰と左内が出会うことは叶わなかったようなのですが、松陰はこの留魂録にその左内のことを書いています。

 

左内は謹慎中も「歴史に学ぶ」姿勢を崩さず、中国の歴史書「資治通鑑」を読んで注釈をつけていたそうです。松陰は獄中でそのことを知って、その学ぶ姿勢に感銘を受け、左内に会えなかったことを嘆いています。

 

前回のブログ記事にも書きましたが、この「資治通鑑」は、小伝馬町牢屋敷の跡地に建てられた「十思小学校」の名前の由来にもなった書物。私の勝手な想像ですが、明治になってこの小学校の名前を考えた人は、この地にゆかりのある留魂録に書かれている「学ぶ姿勢」を、学び舎である小学校の名前に託したかったのではないでしょうか。

 

そう思うと、「十思小学校」という名前はとても奥深い名前なのだと感じてしまいました。

 

山口県は、金子みすゞや中原中也といった詩人を輩出した場所でもあります。アンテナショップにはその土地の歴史や文学に触れることのできるお店もあるようで、旅先でしか手に入れることのできない本もあるかもしれません。その方面がお好きな方は、お店に入って探されてみるのもよいかと思います。

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さて最後は、東京駅八重洲口の八重洲地下街にあるアンテナショップ「北海道フーディスト」です。北海道は広いので名産品も多く、店内でも様々な品が並んでいますが、その中でも有名なのは「昆布」ではないでしょうか。

 

今年の夏休みの旅先は、北海道の利尻島でした。

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そこで干されていた昆布は、旅で見た思い出の風景のひとつです。北海道の昆布は生産地域によって、羅臼昆布・日高昆布・利尻昆布などと呼ばれていたりしますが、それぞれ特長があるので、用途によって使い分けるのが良いらしいです。11月15日は「昆布の日」で、お店でもコーナーが設けられていましたが、アンテナショップは、その土地の名産品に触れられるのが最大の魅力です。

 

今年の夏には、天皇皇后両陛下が平成の世でおそらく最後の「離島への訪問」ということで利尻を訪ねられました。この利尻は島ではありますが、島全体が大きな山。北海道銘菓の「白い恋人」のパッケージにも描かれているその勇壮な姿は、多くの登山家を引き寄せます。

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今年私は、富士山を三十何年かぶりに登ることになり、練習としてこの利尻を登ってみたのですが、初心者登山なのでかなり過酷な道程。ですが今年一番の思い出となりました。

 

富士登山では、「プリンスルート」という登山道で頂上を目指すも、何故か東から西に向かう台風が接近し、残念ながら7合目で引き返しました。下山の道程はとても恐ろしく、山の天候の怖さをまざまざと体験してしまいました。

 

この「プリンスルート」は、登山好きで有名な皇太子殿下が登られた道ということで名付けられた、新しく築かれた登山道です。「平成」という一つの時代が終わり、いよいよ新しい時代への道が築かれていくことになりますが、その来年は災害のない平穏な年であってほしいものです。

s_hanabi66-11.jpgこれから街の風景もきらびやかになり、平成最後のクリスマス、そして歳末を迎える中央区。アンテナショップの多いこの街で、今年一年を振り返りながら、お店を巡ってみるのも楽しいもの。皆様、いかがでしょう。

 

  ●関連HP⇒  東京 中央区観光ガイド・アンテナショップ 

 

 

 

(三浦)按針メモリアルパーク(伊東市)

[yaz] 2018年11月14日 18:00

2018年11月10日、中央区観光協会特派員仲間と私が所属しているボランティアガイド団体「東京シティガイドクラブ」の仲間計8人で、江戸城石垣採石場「宇佐美のナコウ山」を登ってきました。(こちらは第三弾として、1月に報告の予定です。)

下山後、伊東駅近くの三浦按針(ウィリアム・アダムズ)が洋式船を建造したと言われる「按針メモリアルパーク」を訪問してきましたので報告します。

按針は、江戸日本橋に屋敷を貰い日本橋大伝馬町の名主馬込勘解由(まごめかげゆ)の娘を妻とし、ジョセフとスザンナの一男一女をもうけ、日本橋とは強い繋がりを見せています。1598年にヤンヨーステンと共にリーフデ号で東洋に向かい、乗員24名と共に大分県臼杵市に漂着しました。徳川家康は三浦按針の能力を高評価し、政治・外交顧問として徴用し日本橋の屋敷の他、三浦半島逸見村に二百五十石の領地を与えて厚遇しました。按針の名は、水先案内人を当時按針と称していたことによります。

慶長9年から11年の頃、家康の命令で浦賀水軍の総帥・向井将監と船大工一行とアダムスは、伊東の船大工を使い松川河口(唐人川合流地点)で日本初の洋式帆船80トンを建造し、この船で沿岸測量をしました。

造船所と考えられる場所は、「按針メモリアルパーク」のそばです。

 

按針メモリアルパーク指標.jpg

 

按針メモリアlパーク_地図.jpg

   

造船所と推定される場所に仲間と立ってみました。「想像より小さいな」というのが率直な印象です。

三浦按針造船所(2).JPGのサムネイル画像 PB100138.JPGのサムネイル画像

 

その後再び家康の命令を受け、外洋に出られる大型船120トンを建造し、慶長15年にこの120トンの船をイスパニア(スペイン)の提督ビベロに貸与して、アメリカを経てアカプルコ(メキシコ)に太平洋を横断して安着しました。     

         

三浦按針が制作した最初の洋式船.JPG

 

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伊東市では洋式帆船建造進水を記念して毎年8月10日に按針祭を開催し、大花火大会を開催しています。私も昨年は見に行きましたが、すごい人出でした。

 

 

中央区×スペイン(2)~ロドリゴの見た日本橋~

[Hanes] 2018年11月12日 09:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
先日「中央区×スペイン(1)~食と建築~」にて、中央区内にみられるスペインとの関係性を取り上げましたが、
今回は約400年前におけるスペイン人との交流をご紹介します。

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時は慶長4年(1609年)旧暦9月30日の夜。
フィリピンのマニラからメキシコへ向かっていたスペイン船サン・フランシスコ号が上総国岩和田村田尻浜(現在の千葉県御宿町)で遭難しました...
この船には373名が乗船しており、その中にはスペイン人のドン・ロドリゴ(フィリピン臨時総督府長官、後のヌエバ・エスパーニャ副王領の子爵と伯爵)もいました。
そのことを知った江戸幕府が彼らを丁重に応接した結果、373名中317名が生存!

ロドリゴは浦賀からメキシコへ出発するまでに、大多喜、江戸、駿府、京都、豊後(大分県)臼杵等に立ち寄り、
この道中の見聞と家康とのやり取りを書記官マヌエル・デ・モラがに書きとめさせ、
「報告書」としてスペイン国王フェリペに上申しました
その報告書には日本の習俗等が細かに記されており、約400年前の日本の姿が分かる貴重な資料となっています。

お子様でも読みやすい『ドン・ロドリゴの日本見聞録―スペイン人の見た400年前の日本の姿』を読んでみると、
興味深い記述がありましたので、今回はその一部を書籍より引用してご紹介します。

■意外と似ていた?日本とスペインの習慣
【礼・挨拶】(p. 18)
「大多喜の領主は、イスパニアの首都マドリッド市の宮中の礼のような素晴らしい応対をしました。」
「私は、殿を迎えに出ましたが、彼は私を見ると立ち止まって、スペインと同じような形で手と頭を使って敬礼をしました。殿は、私の手を取ってキスをしたのです。」

【席次】(pp. 18-19)
「(...)殿と私は、どちらが上席に着くべきかと言うことでしばらく譲り合いました。イスパニアの人の間では、右側を上席としますが、日本では左側の剣をさしている方を上席とするのです。それは、剣を抜いて切りかかるには、相手を右側に置いた方がよいからです。左側には、信頼する親しい者を置くのです。殿は、私を無理に左側の上席にすすめ」ました。

似たような礼や上席を譲り合う謙虚さは、両国とも持っていたようですね。
海外との交流がまだまだ少なかった当時の日本だけに、予想だにしなかった意外な発見となりました

■大多喜城(p. 19)
「第1門と第2門の間には、壕と菜園、稲田、庭園があり、もし敵に囲まれ兵糧攻めにあっても、数か月は持ちこたえられ」るというのに加え、
案内された座敷の部屋はすべて木造建築であり、日本では地震を恐れて、身分の高い人たちが居住する部屋に石材は使わないという記述も見られます

私自身、ここ数年で日本のお城にも興味を持つようになってきましたが、
まさか日本のお城の構造が海外からも称賛されるほどだとは思っていませんでした。
そして、木造建築にこだわる理由と、当時の人たちも少なからず地震を意識した生活をしていたということを知ることができました。
こうしてみると、歴史の面白さが再確認できますね。

■江戸のまち(p. 29)

「まちには門(木戸)があって、職業や人によって区画されています。(...)みな別々に住み分けていて、雑居していることはありません。」
「(...)魚市場と言う一区画があるそうなので私は案内してもらいました。ここには、海と川のいろいろな鮮魚や干魚、塩漬けの魚、それにいくつもの大きな生簀には満々と水が張られていて、生魚が売られていました。魚売りが多いので、売れ行きの悪いときは街路にまで出て行って売っています。」

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ここで紹介されている「魚市場」というのが、1935年に築地に移転するまでの約300年間、日本橋にあった魚市場「魚河岸」のことで、
現在では、日本橋の北東の橋詰「乙姫の広場」「日本橋魚市場発祥之地」の碑があります。

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当時の日本橋周辺は、早朝から多くの買い物客でにぎわい、昼の芝居小屋夜の吉原と並び、
朝の魚河岸「一日で千両がおちるところ」と言われるほどの大繁盛だったと言われています
築地市場が海外の方に大いに人気であったように、
当時の魚河岸の活気もスペイン人ロドリゴの目には目新しく、非常に印象的に映ったのかもしれません

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(乙姫の像は裏側には、竜宮城に住む魚たちが描かれています

その他、日本の政治の特徴、女性の位置づけに加え、
日本との友好の利点(マニラ発ヌエバ・エスパーニャ向けの船が、寒い土地日本に寄港し、新鮮で上等な食料品を船に積み込めれば、長く保存でき、乗船者の死亡の主な原因である食料の腐敗を避けられる 等々)についても記録されています。

今回2本立てでお送りした中央区とスペインの関係性...
知る人ぞ知る歴史ではありますが、江戸幕府より禁教令が発布される数年前にも、
このように国交にも影響するような深い交流あったなんて面白いですよね
中央区は今も昔も海外との交流が盛んな場所です。
スペイン料理を堪能した後は、しばし約400年前の交流に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

【関連記事】
みのりさん「日本橋魚市場発祥之地(日本橋・乙姫の広場)」

【中央区内の海外がテーマの過去記事】
飛行機不要?ギリシャ・イタリア小旅行
【日本におけるロシア年】中央区で楽しむロシア文化
東京2020に向けて:ブラジルってどんな国?

【参考文献】
安藤操(意訳・解説)『ドン・ロドリゴの日本見聞録―スペイン人の見た400年前の日本の姿』(2009年、たにぐち書店).
※こちらは、中央区京橋図書館の地域資料室で借りることができます。
中央区観光検定委員会(監修)「歩いてわかる 中央区ものしり百科」(2018年、株式会社JTBコミュニケーションデザイン).

【関連ウェブサイト】
毎日新聞「江戸時代初めに日本に漂着したスペイン人ロドリゴは...」(2018年10月12日東京朝刊).