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明治に地域の熱い思いで創立された中央区の公立幼稚園ー明治22年京橋朝海幼稚園・明治28年常盤幼稚園

[桜やよい] 2018年8月30日 12:00

明治に入って急務を要する事業にの一つに、国民に対する教育があり、それにより国力を上げるという目的がありました。

中央区は明治から教育に力を入れてきた区である。江戸時代から徳川将軍の御膝元にあり、商業が盛んであったため、読み書き算盤は必須なことであり、何よりも寺小屋や商店で教えてもらってきた下地があった。学制が明治5年に制定され、すでに日本橋地域では、商業地に明治6年阪本小学校・常盤小学校が、旧藩に関わりのある久松小学校・有馬小学校が創立された。

幼稚園はといえば、小学校の種類として「幼児小学」を挙げ、「幼児小学ハ男女ノ子弟六歳迄ノモノ小学ニ入ル前ノ端緒ヲ教ルナリ」(第22章)と定められた。日本初の幼稚園しとて、現お茶の水小学校付属幼稚園(東京女子師範学校付属幼稚園)が明治9年11月に創立された。草創期の幼稚園はすべてドイツのフレーベルの幼稚園を模範とした。

中央区では、どのように幼稚園が発展していったのであろうか。中央区の教育に対する明治からのビジョンの高さに驚かされる。 

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明治期に創設された京橋朝海幼稚園と常盤幼稚園をご紹介します。

京橋朝海幼稚園

中央区の幼児教育の歴史は古く、大正15年4月「幼稚園令」が公布される以前に、明治22年京橋区幼稚園」」(現在の日本橋幼稚園)、明治28年常盤幼稚園-休園」「阪本幼稚園-休園」「日本橋城東幼稚園」(現在の昭和幼稚園-休園)、明治36年「日本橋第一幼稚園」(現在の日本橋幼稚園)と、明治期に5園も創立されていたのである。

明治21年に幼稚園の必要性を認め、西本願寺内の一建物に参詣に来た善男善女の子女を寺の一室に預かっていたという古老の話がある。

明治22年5月、京橋区役所より公立幼稚園としての申請が出され、明治23年7月京橋区幼稚園が認可された。園舎を京橋郵便局付近に新築した。

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明治34年4月朝海尋常小学校付属幼稚園と改めた。明治42年2月、隣家からの火災により小学校校舎とともに園舎も全焼、近隣の印刷工場で保育を継続した。明治42年11月京橋小学校が設立され朝海小学校・幼稚園が指定替えとなった。

明治40年には園児110名弱

明治43年築地女子尋常小学校内(築地2丁目12番地、松竹本社付近)に園舎があった。

明治44年2月朝海小学校が現在地(築地2-13-2)に再築され、4月築地尋常小学校として開校された。

明治44年3月園児の増加からと保育上の必要から、小学校から独立、東京市朝海幼稚園として改名した。園舎は従前どおり、旧築地女子尋常小学校の校舎を使用。千葉ひで専任園長が任命された。京橋区内唯一の公立幼稚園として、また市内でも数少ない独立園として充実した保育が行われていたこと、アメリカからの遊具の購入や、園児が東京市内各地から通園していたことでもうかがえる。

大正3年9月28日新園舎落成。この日を開園記念日する。大正10年12月東京市立京橋朝海幼稚園と改称。大正12年9月関東大震災により園舎全焼、10月小学校跡の震災者収容所の1室で保育再開

大正13年9月現在の小学校プール付近(築地2丁目18番地)に仮園舎落成

昭和3年6月30日鉄筋コンクリート建の園舎落成

昭和8年千葉ひで園長退職。以後築地小学校長が園長を兼任するようになった。独立園の伝統に立って、併設園としての充実した経営が続けられた。

昭和18年7月東京都京橋朝海幼稚園と改称する。

昭和19年5月戦時非常措置により休園

昭和21年9月再開

昭和22年4月中央区立京橋朝海幼稚園と改称

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常盤幼稚園

明治28年4月東京市常磐尋常小学校付属幼稚園として、現三井2号館敷地内(日本橋区本革町5番地)に平屋60坪の園舎を小学校敷地内に建設し開園した。その費用総額は1,915円で、幼児教育の必要を認める有志の寄付によって建設 

当時の幼稚園の保育・設備の状況は、明治27年12月に日本橋区長から東京府知事に提出された市立常磐尋常小学校付属幼稚園設置願によると、6歳以下と5歳以下の2組であり、保育時間は1日4時間以内、幼児数70名で3名の保母、保育内容は遊戯・会話・開誘、園舎は2階建て60坪で3部屋の保育室であった。

明治30年には園児150名

明治35年4月東京市常盤尋常小学校付属幼稚園と小松宮彰仁親王の揮毛により、園名「常磐」を「常盤」と改称する。

明治37年に小学校と共に、現在の場所(日本橋区本石町1丁目)に移転、そのとき接続地273.24坪の地を購入

明治40年には園児121名

明治41年7月に新園舎落成。

大正12年9月関東大震災により園舎全焼、同地で保育再開。

昭和3年1月改築のため仮園舎(日本橋区室町2丁目)に移転。

昭和4年現在地(日本橋本石町4-2-12)に仮園舎を改築。

昭和9年東京市常盤幼稚園と改称する。

昭和12年現園舎本建築落成。当時の有志による寄付により、建築費4万5千円であったが、完成後、区に移管された。特徴は4部屋からなる31.5畳の日本間(談話室)、壁は刷毛模様、階段も幼児向けに設計されていた。

昭和18年7月東京都常盤幼稚園と改称する。

昭和19年5月戦時非常措置により休園。

昭和21年9月再開

昭和22年4月中央区立常盤幼稚園と改称する。

常盤幼稚園玄関

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1階から2階・屋上階段

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屋上の丸窓・屋上

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2階保育室・廊下

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日本間・掛け軸・炉

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明治からある幼稚園に行く家庭の子女の住まいは、商業地にあったため、古いのれんを誇る商店が多く、「男の子も女の子も、みんなきれいな着物を着て、ばあやさん、女中さんに付き添われて行ったもんだ。まるで市松人形のようでした」と古老の話がある。服装は和服に白いエプロンだった。

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阪本幼稚園は保育時数週23時間以上、保育料1箇月1円であった。有馬小学校内(日本橋高等小学校)も月1円とあるので、小学校と同額であった。

建設費用ー明治28年4月東京市阪本尋常小学校付属幼稚園として、木造平屋84坪2合5勺の園舎を、小学校敷地内に建設し、費用総額は3,130円。

明治31年フレーベル会が文部大臣にあて「幼稚園制度ニ関スル建議書』を提出。明治32年6月「幼稚園保育及び設備規程」公布①幼稚園は満3歳から小学校に就学するまでの幼児を保育するところである。②保育時数は1日5時間以内とする。③保母1人の保育する幼児数は40人以内とする。1幼稚園の幼児数は100人以内とし、特別ノ事情があるときは150人まで増加することができる。④保育事項を遊戯・唱歌・談話・手技とする。⑤建物は平屋造りとし保育室・遊戯室・職員室などを備えること。⑥恩物・絵画・遊戯道具・楽器・黒板・机・腰掛・時計・寒暖計・暖房器具などを備えること、保育の要旨も制定した。-明治23年小学校令公布に基づき、その思考に基づき、その思考に必要な規定を定める形で規定された。-従来は東京女子高等師範学校付属幼稚園園則を範としていたのに対して、初めて詳細な法的規程が設けられた点で重要な意義があった。

明治33年8月小学校令が改正されると「幼稚園に園長を置くことができる」などの若干の修正が加えられ、施行規則に盛り込まれた。公立幼稚園長の資格についても、「施工上の注意事項』に「蓋シ保育ノ事タル決シテ軽易ノ業ニアラス又保育ノ任当ル者ノ人格カ幼児ニ及ボス影響モ決シス鮮少ナラス故ニ園長及び保母ニハ教育者タル相当ノ素養アルコトヲ必要ナル条件トシ前記の資格ヲ定メタルナリ」保母の資格や待遇の向上を望む人々の願いにこたえ、相当の素養のあることを必要なる条件とし、待遇も小学校に準ずるものとした。「保母検定ハ小学校教員検定委員会ニ於テ之ヲ行ヒ」その程度は尋常小学校本科正教員の程度以上の者と定めた。公立幼稚園の園長及び保母の待遇は判任官の待遇とした。

幼稚園保育事項改正明治44年ー①1日の保育時間5時間以内⇒5時間以上幼稚園の園児数「100人以下」⇒約120人以下、特別の場合は140人以下保母1人の幼児数40人以下⇒約40人以下となり、「幼稚園ニ於ける保育事項等ヲ小学校ニ於ける教則其ノ他ノ如ク画一ニ規定スルハ却テ保育ノ新保発達ヲ促ス所以ニアラサルノミナラス往々ニシテ保育ノ本旨ヲ誤ルノ虜ナキヲ保セス又従来ノ如ク保育時数ヲ制限スルハ実際上不便ナルヲ以テ適宜之ヲ伸縮スルヲ得シムルノ要アリ尚従来ノ実験上幼児ノ定員ヲ増加シテ実際ノ施設ヲ便ならシムルノ必要ヲ認メタリ是レ幼稚園ニ関スル規定ヲ改正シタル所以ナリ」この改正により、幼稚園設置が容易になったばかりではなく、保育内容においても保母の創意が発揮されるようになった。

保育内容の変遷ー明治末期の幼稚園は、ドイツ人フレーベル式の恩物中心で流動性に乏しい保育を行っていた。フレーベルの保育は、幼児の創造性を重視し、尊重し、信頼したものであったが、恩物があまりにも整然と体系づけられていたため、その形態のみをそのままうけついだためである。やがて米国保育界から恩物批判が紹介され、大正期にはいって幼児自身の活動を中心におく保育へと進んでいった。すなわち教える幼稚園から生活させる幼稚園となったのである。

明治・大正時代は尋常小学校6年生になったことや公立小学校の充実が優先されたために、公立幼稚園の設置が遅れる原因となった。しかも明治44年4月の小学校令・小学校思考規則の改正により、幼稚園園児数に関する制限規定が緩和され、私立幼稚園の設立が容易になりその数が急増し、私立幼稚園の独断場になった。日本橋地区では、公立幼稚園4園に対して、私立幼稚園が7園となっていたが、昭和時代に入ると公立幼稚園設立が増加し私立幼稚園が1園も無くなってしまっていた。

大正15年4月22日幼稚園令が指定され、中央区では「幼稚園ハ小学校ニ附設スルコトナリ得」とから、独立園舎や小学校の空教室を使用して幼稚園を設置して今日に至ったいる。現在は独立園舎月島幼稚園を除いて、小学校と幼稚園は併設している。

現在中央区には、東京都でも珍しく公立幼稚園のみが存在し、私立幼稚園は1園もありません。このような全国的にみても珍しい状況は、中央区の教育に対する強い姿勢の表れではないかと思われます。

「中央区教育百年のあゆみ』昭和49年3月30日中央区教育委員会発行を参考文献にしました。

(中央区立京橋朝海幼稚園長 竹谷直史様、中央区立常盤幼稚園長 斉藤 優様より、写真記載の承諾をいただきました)

 

 

住吉神社大幟(おおのぼり)の柱

[佃のうさこ] 2018年8月29日 18:00

本年8月3日から6日までの4日間住吉神社の3年に1度の大祭が催されました。安政4(1857)年刊、歌川広重による江戸名所百景にも祭りの様子が描かれ、中央の大幟は大変印象的です。

 

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この大幟を支える柱は、7月1日に佃堀から掘り出されました。午前中から始まった作業は、「ダキ」と呼ばれる柱を支える組み木、計6か所分も掘り出すために、柱がクレーン車によってつり上がったのは午後4時も過ぎ、炎天下の中で長時間におよぶ作業でした。

 

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柱は、一旦、2本は佃堀の近くに、4本は佃まちかど展示館近くに菰を巻かれ乾かされていました。

 

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この柱、形が違う?地元の世話役の方によると、丸い柱は江戸のもの、四角い柱は昭和のものとのことでした。

後日、「住吉神社例大祭の歴史」資料によると、支柱6本のうち4本は、昭和62(1987)年に新調とあるのを見つけました。

 

大祭での役目を終えた柱は、8月12日に堀の中に移動されました。

 

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そして本日8月26日、3年後の大祭に向けて柱、ダキの埋設作業が行われました。

 

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柱の新調のきっかけが気になっていたのですが、地元の方から、「深夜に車がロープを引っ掛けてしまい損傷した」と伺えました。新しい4本も、江戸の柱同様に歴史を刻んでいって欲しいですね。  

地元の方の心意気がこもった大幟が夏の青い空に江戸時代からはためいているということが、堀からの掘り出し、埋設作業を知ることで良くわかりました。 

 

 

 

 

 

神輿のメインテナンス

[下町トム] 2018年8月28日 14:00

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中央区の多くの地域で夏祭りが行われ、伝統と交流のページェントが繰り広げれらました。このようなイベントがしっかりと根付いているのもこの地域の魅力の一つだと思います。

 

8月上旬に佃・月島地区を中心に催された「住吉神社例大祭」では、3年に一度の大イベントを盛り上げようと多くの人が集まりました。平成最後の大祭とあって、いつも以上に気合がこもったお祭りになりました。

お祭りの際の求心力を保つのはやはり御神輿ですね。神社の大神輿だけではなく、各町内の自前の御神輿もこの時は大活躍します。台座には戦前の製作時の寄進者の一覧が彫り込まれていることもあります。お祭りに対する思いのこもった御神輿は地域のシンボルです。

 

 

さて、お祭りが終わった後、多くの地域では神輿をメインテナンスにかけます。何といっても、祭礼中は揺られまくったわけですから、軋みや揺るぎがないかチェックし、細かな補修を行うことは次の祭礼に向けた準備でもあります。東京や千葉の神輿専門業者が丁寧に手直ししてくれます。その細やかな作業があるからこそ、祭礼時の華やかな姿が成立します。

今頃、夏祭りを終えた神輿がじっくりと手入れされているのではないかと想像することも風情があると思いませんか。

これを機に御神輿の構造や細かな造作に関心を持っていただけたら、さらにお祭りの興味の幅が広がると思います。

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築地外国人居留地の名残り

[小猿] 2018年8月28日 09:00

明治維新から150年の今年、外国人居留地だった界隈を訪ねてみました。江戸から明治になったときに鉄砲洲に外国人居留地が開設されました。 築地明石町は、文字どおり築いた土地で、種子島に形が似ていることから鉄砲洲と称しました。三方を川に囲まれ、海からも近く、外国船が出入りしていました。築地の原と呼ばれていた荒れ地が数年で整備され新小港に。港底が浅かったために巨艦は入れず、横浜や神戸のような商業港にはならず、宣教師や医師、留学生が多く移住しました。

 

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土地は区画で競り売りされ、運上所が管理していました。回りは塀で囲まれ、教会、学校、病院、住居など西洋建築の洋館が建てられました。そのほとんどが関東大震災で失われてしまったのは残念なことでした。

 

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1900年に来日した宣教医師のトイスラーによって、1902年聖路加病院が発足し、1936年には敷地内に聖路加礼拝堂が建造されました。ネオ・ゴシック形式のこの教会は、日野原先生に「聖路加国際病院の心臓」と呼ばれて、患者や家族、病院職員や学生、地域の人々の祈りの場として親しまれています。現在、毎日礼拝が行われていて、十字架の塔からは、1日3回、鐘で聖歌のメロディ-が流れています。

 

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聖路加国際病院の中庭に、トイスラー博士の住居だった記念館とアメリカ公使館跡に3基の記念碑があります。 また、立教学院、女子学院、明治学院などこの地を発祥とする学校も数多く石碑が置かれています。

 

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聖路加国際病院から居留地通りを挟んで向かいには、居留地時代のレンガとガス灯が置かれています。奥は明石小学校、小学校の向かいは、東京で最古の教会、カトリック築地教会です。この一帯は戦災を免れた地域でもあります。

 

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外国人居留地は、明治32年の条約改正に伴い廃止されましたが、聖路加国際病院を始め、その時代の西洋の精神、知識、文化は日本の文明開化に大きな影響を与え、受け継がれています。街を歩いて、あちらこちらで当時の面影に触れることができました。

 

 

 

隅田川テラス_永代橋

[皐月の鯉の吹き流し] 2018年8月26日 12:00

永代橋架橋は江戸幕府5代将軍徳川綱吉の50歳を祝し架橋されたそうで勝鬨橋が昭和15年に架けられるまで長いこと隅田川の第一橋梁でした。 現在より200mほど川上にその石碑がありますが、現在豊海橋工事の関係で撤去されています。

赤穂浪士の吉良上野介屋敷への討ち入後、隅田川をこの橋を使って渡りました。 江東区側に休憩した場所があります。

現在の永代橋は、関東大震災の復興事業の一つで大正15年に 架けられ国の重要文化財の指定を受けています。また日本銀行創業の地は、現在の日本橋日銀本店本館ではなく永代橋の近く箱崎町で、石碑があります。

中央大橋から永代橋までは新川公園を歩きます。

 

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<<<< 新川公園 隅田川沿いの眺めの良い所のひとつです >>>>

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<<<< 力強い印象を受けます >>>>

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<<<<< 隅田川、船から >>>>>>>>>>

 

 

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<<<< 橋名板ひらがなは 「えいたいはし」 で濁点はありません

 

 

隅田川沿いはどこも景色がよく桜の見所も多くあるのですが、 ここも最も良い所の一つです。桜の時期には多くの人が花見を楽しんでいます。 前回はカワヅザクラを紹介しましたが、永代橋西詰にも一本開花の早い (新川公園沿いの桜より2週間ほど早い)木があり、カワヅザクラの次に咲きます。

 

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<<<<< ここも補強工事がなされています >>>>

 

永代橋も橋の下を通りますが、ここは道が低くなっているので潮が満ちているときは 水浸しになので通る際はご注意を。

 

 

総額約12億円の幻想的世界へ...「Feel the Pearl 感じるパール展」@ミキモト銀座4丁目本店

[Hanes] 2018年8月25日 12:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
日本初の百貨店「三越」や世界初のロボットホテル「変なホテル」をはじめ、
今も昔も中央区内には、日本初、世界初のものがいくつもあります!
 
真珠と言ったら連想するであろうミキモトの創業者御木本幸吉氏もまた、
世界で初めて真珠の養殖に成功したという偉業を成し遂げており、
銀座4丁目にはミキモトの本店を構えています。
 
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その本店では、9月5日(水)まで「Feel the Pearl 感じるパール展」を開催しており、
125年前に御木本氏によって生み出されたパールについて学び、
その神秘を心ゆくまで堪能することのできる貴重な機会となっています

  

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(提供:ミキモト)


 
展示会場となっているホールに入ると、パールができるまでの過程とミキモトのブランドヒストリーが学べるムービーや、
 
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14種類のパールとその母貝(真珠を育む貝)を楽しむことができます。
(左下:ショウジョウガイの仲間とスポンディルスパール、右下:アワビとアバロンパール)
 
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(提供:ミキモト)
 
順々にライトアップされて輝く真珠の美しさに見とれながら、
アワビ、ムール貝、ホタテガイの仲間等、食用として親しまれている貝からも真珠が採れることを初めて知り、勉強になりました
 
その他、MIKIMOTOのパールが養殖されている三重県英虞湾の真珠養殖場の風景や作業の様子、御木本氏の邸宅「真寿閣」からの英虞湾の眺め等、5パターンのVR(バーチャルリアリティ)映像がご覧いただけます。
「海中で真珠を抱くアコヤガイ」では、海に潜った気分で真珠を探してみてください
このVRは音付きで360度楽しめるので、一瞬にして三重の養殖場に来たかのようなリアルさが体感できます!
(※ここで見られる養殖場は、観光施設であるミキモト真珠島と異なり、通常関係者以外立ち入ることのできない場所となっています。)
 
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ミキモトと東京大学の関係を示す貴重なアーカイブ資料も展示されているので、
こちらもお見逃しなく
 
IMG_0292.JPGのサムネイル画像
 
ミキモトの真珠について簡単に学んだ後は、総額約12億円という7点のハイジュエリーが一堂に会したミラールームへ...
 
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(スマホで撮影しましたが、なかなか幻想的な1枚になりました
 
無限に続くジュエリーの世界に迷い込んだようなこちらの不思議な部屋では、
通常のトルソーでの展示と異なり、宙に浮いた状態で展示されたパールジュエリーを様々な角度からご覧いただけます
特に大きな真珠や珍しい真珠を使ったハイジュエリーを選りすぐって展示しているそうで、一見の価値があります!
アコヤ真珠のドレスジュエリーや白蝶真珠のネックレスに加え、
 
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(提供:ミキモト)
 
色とりどりのパールやダイアモンドが豪華にあしらわれたジュエリーは、思わずため息が出る美しさ...
 
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他のことを忘れてミキモトのジュエリーの世界に浸ることができるので、
ジュエリーがお好きな方、まだミキモトの本店に入ったことがないという方は、
この機会に創業者の夢と歴史がつまり、上品に輝くパールを感じてみてはいかがでしょうか
 
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Feel the Pearl 感じるパール展
日時:2018年8月3日(金)~9月5日(水)午前11時~午後7時
   ※8月31日(金)は午後2時から開場
場所:ミキモト銀座4丁目本店 7階ミキモトホール(中央区銀座4-5-5)
入場料:無料
主催:MIKIMOTO
協力:東京大学大学院理学系研究科附属臨海実験所
ウェブサイト:https://www.mikimoto.com/jp/news/feelthepearl.htm
 
※本記事は、ミキモト広報宣伝課のご担当者様より掲載許可をいただいております。
 

 

 
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