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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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屋号 長寿庵、江戸前蕎麦

[あすなろ] 2017年1月23日 14:00

全国に数多くあるお蕎麦屋さんの屋号、「長寿庵」。

こちら茅場町 長寿庵は、創業明治40年。

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これぞ江戸前蕎麦。

こしがしっかりと効いており、喉越し良く、甘辛のたれ。

香り高い柚子切せいろをいただきました。

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店内は、数寄屋造りの照明で、

しっくいの壁が二枚の錦絵を際立たせます。

老舗らしい落ち着いた雰囲気で居心地もいいです。


 長寿庵入口.jpg

◆茅場町 長寿庵
東京都中央区日本橋茅場町1-9-4
定休日:日曜・祝日

 

 

着物で散歩 築地・明石町

[銀造] 2017年1月21日 14:00

 素敵な着物姿の女性5名を、、「ぷらっと築地」で待ち合わせ、

鳩屋さんでアーモンドを試食+購入、香り高い海苔を使った温かい味噌汁を頂き、

松露では、美味しい卵焼を購入し、

水神社、浴恩園跡、旗山(海軍発祥の地)、波除稲荷神社、軍艦操練所跡碑、

 途中、築地に残る看板建築、

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 希少にして貴重な木造住宅、お着物で歩かれると、大変風情がありますね。

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かちどき橋の資料館、勝鬨橋、あかつき公園、治作、聖路加タワー、

蘭学事始地碑、慶応義塾発祥の地、聖路加看護大学内のトイスラー記念館、

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浅野内匠頭邸跡、築地本願寺をご案内する機会がありました。

本願寺様では、TVで「伊藤忠太博士が集めた世界の動物意匠」の紹介があったばかりなので、皆様興味深々でした。パイプオルガンの説明にも耳を傾けて頂けました。

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寒い中でしたが、皆様楽しそうに話しかけて頂けたので、ガイド冥利でした。

お美しいお顔をご紹介したいのですが、肖像権の問題があり、艶やかな後ろ姿をご覧ください。 これからも、着物姿の女性をガイドしたいと熱望している銀造です。(今回は、私の自画像の出番はありません。)

 この後、皆様は本願寺敷地内の「日本料理・紫水」の隣の、ティーラウンジで、美味しいコーヒーを召し上がられたと推測しています。

 築地、銀座などを歩く「中央区ふれあい街歩きマップ」は、京橋のエドグランで入手できます。 どうぞ、ご利用下さい。

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ピースサインと指紋研究発祥の地

[ジミニー☆クリケット] 2017年1月19日 18:00

『「カメラに何げなくピースのサインをするだけで、指紋が出回ってしまう」。指紋の盗撮防止技術を開発した国立情報学研究所越前功教授は、こう警鐘を鳴らす。

を一緒に撮影した写真をネットに掲示すると、個人指紋を特定される恐れがある。

(中略)

国立情報学研究所の実験では3メートルの距離で撮影した画像でも読み取れることが判明しており、「自撮り」のピース写真をネットに掲示すると、簡単に盗まれてしまう・・・』(産経ニュース

 

すごい時代になってしまったなあと驚きつつ、そういえば、そもそも指紋個人を特定するために利用できるという研究は、中央区が発祥だったことを思い出しました

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明石町に、「指紋研究発祥の地」の記念碑があります

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ここは、もと外国人居留地で、宣教師であり医師でもあった英国人ヘンリー・フォールズ居住していた跡地です。明治7年1874年)から明治19年1886年)まで居住したとのことです

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フォールズは、日本における指印の習慣に興味を持ち、指紋によって個人の識別ができることを発表して、多くの関心を集めました

彼は、指紋を、弓状紋蹄状紋渦状紋など5つの基本パターンに分類し、後に犯罪捜査に利用されることになったそうです

 

今後、この報道をきっかけとして、ピースサインではない写真撮影のポーズがでてくるのでしょうか

 

 

築地本願寺 参拝記念の「カード」 諦は、あるがままに見るという意味

[銀造] 2017年1月16日 09:00

 1月12日、築地本願寺に参詣に行ってまいりました。

昨年頂いた参拝記念カードは、次の通り発行されました。

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築地本願寺の歴史を改めて勉強させていただきました。(残念ながら、全部は集められませんでした)

 そして、平成29年1月のカードは、 「諦」という文字が墨痕鮮やかに書かれています。

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しおりの裏面には、「諦」という文字が持つ意味を解説して頂いています。 その意味するところは

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本来は、あきらめることではなく、あきらかに見る、あるがままに見る、心理という意味。 自身や他者、物事や出来事をあるがままに見るという視点を持つことで、私たちの人生をより心豊かなものにできるか、新年を期して今一度かみしめたいものです。 築地本願寺宗務長 安永雄玄 」とあります。

酉年の今年は、世界の政治、経済の変動が大きくなるとの予測が多いのですが、大政治家の発言の本質や物事の本質をあるがままに見て、冷静に対処したいものです。

頂いたカードを手帳に挟み、座右の銘としようと思います。

 

 

靴業発祥と佐倉藩

[ジミニー☆クリケット] 2017年1月15日 12:00

地下鉄有楽町線、新富町駅から上がってすぐの「入船橋」交差点の東詰めのビルにITOKI東京ショールームが入っており、ショールーム入口脇の植え込みの中に、「靴業発祥の地」碑が建っています。下の地図の赤〇のところです

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碑文では、明治3年(1870年)3月15日西村勝三が、伊勢勝・造靴場を創建したのが旧築地入船町5丁目1番のこの地であったとのこと。勝三は、佐倉藩開明進取の風土に育ち、時の兵部大輔大村益次郎の勧めと、藩主堀田正倫並びに渋澤栄一の支援を得て、靴工業を創成し、これを大成したとのことです

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こうしてこの地が日本における製靴産業の原点となったのも、築地の明石町一帯が、明治初期、外国人居留地に指定され、 多くの外国人が居住することになって靴の需要が高まったことにもよるそうです

現在、3月15日「靴の記念日」となっているのは、この靴工場創業を開始した日にちなむものです

靴の記念日について〕

(前略)1870年(明治3年)3月15日千葉県佐倉藩士西村勝三が大村益次郎から奨められ、日本で始めての西洋式の靴の工場を築地の入船町に創設したのです。この日が「靴の記念日」となっています。(後略)

(日本靴卸団体連合会のHPより)

また、西村は、築地の工場とともに、佐倉(現・千葉県佐倉市)に士族授産の靴工場「相済社」を開き、佐倉藩士伝習生として靴の製造を行ったそうで、相済社は明治30年代に解散しますが、伝習生の一人であった大塚岩次郎は、学んだ製造技術を生かして大塚製靴現・大塚製靴株式会社)を興しました

大塚製靴株式会社のHP上の「オーツカの沿革」には、

1871年(明治4年)佐倉藩士 大塚隊之丞、横浜弁天通に靴の小売店を営む。

1872年(明治5年)隊之丞の子、岩次郎、2月4日東京・新橋の露月町に大塚商店を創業。 手縫による革靴の製造販売を始める。」と記載されています。

 

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一方、伊勢勝・造靴場は、明治17年に「佐倉」から名前をとって桜組製靴と改称し、明治35年日本製靴株式会社現・リーガル・コーポレーション)になりました

株式会社リーガルコーポレーションのHP上の会社の沿革に、

1902年(明治35年)1月、合名会社大倉組皮革製造所、合資会社桜組、福島合名会社及び東京製皮合資会社の各製靴部門を統合、各種靴の製造、販売を目的とし、東京市京橋区鎗屋町(現 東京都中央区銀座)に日本製靴(株)を設立。」と記載されています。

上の写真は、REGAL SHOES八重洲店(紳士靴専門店)単独店舗第1号店です

 

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ちなみに、題字の「靴業発祥の地」を揮毫されたのは、「堀田正久」氏となっており、調べてみると、この方は、佐倉藩主堀田正倫の孫に当たられる方で、昭和34年(1959年)佐倉市長に当選後、昭和50年(1975年)まで4期に亘って、佐倉市の開発に貢献された方だとのこと

滋賀県彦根市長井伊()直愛氏とともに「殿様市長」と言われた方だそうです

 

大塚製靴株式会社のHPはこちら ⇒

http://www.otsuka-shoe.com/

株式会社リーガルコーポレーションのHPはこちら ⇒

http://www.regal.co.jp/shoes/

 

 

「鷹の御茶屋」復元工事着手

[サム] 2017年1月13日 16:00

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DSC_0563RLS (3)SQRSG.jpg 浜離宮恩賜庭園のある場所は、元々は将軍家の鷹狩り場。甲府藩主徳川綱重が兄の4代将軍家綱より拝領して下屋敷として整備したことから歴史が始まり、綱重の子・綱豊が6代将軍家宣になって以降、浜御殿と称される将軍家の別邸となりました。

第11代将軍家斉の時代には、潮入の池の畔に「松の御茶屋」「燕の御茶屋」「鷹の御茶屋」などが建てられるなど、庭園としての機能が強化され、歴史上最も華々しい催しの続いた時代とされます。

御茶屋は、歴代将軍たちが、賓客と庭園の景色を楽しみながら食事をしたり、和歌を詠むなど、優雅な時間を過ごす場で、庭園の景観を構成する上でも重要な存在です。

関東大震災や第二次世界大戦の戦災により、焼失してしまいましたが、近年、これらの建物の再建・復元計画が進められ、昭和58年に「中島の御茶屋」の再建、平成22年に「松の御茶屋」の復元、平成27年に「燕の御茶屋」の復元が完了しました。

昨年12月中旬からは、「鷹の御茶屋」(茅葺きの農家の造りを模し、将軍が鷹狩りをする際の休憩所として使われ、野支度のまま立ち寄れるように広い土間があり、囲炉裏が切ってあったとされます)の復元工事が始まりました。

完成予定は平成30年3月下旬。

多くの歴史資料に基づいて綿密に時代考証を行ない、寸法、材料、工法に至るまで、可能な限り歴史資料通りの再現を目指していると聞きます。

「鷹の御茶屋」が復元され、池・建物・橋などが織りなす大名庭園の往時の景観に更に一歩近づいた姿が今から楽しみです。

 

 
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