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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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神茂さんの歴史について語ります ①  ~ 神茂 ~

[rosemary sea] 2017年3月 4日 09:00

『ギフト、そして自分も楽しむ』をコアとして取材します、 rosemary sea です。

DSC02027a.jpg日本橋神茂(かんも)さんの創業は元禄元年(1688年)、というのは前回述べさせていただきました。

今回はその歴史について詳しくご紹介させていただきます。

今回も有限会社 神茂 井上卓(たかし)社長直々にお伺いしました。

始祖とされる神崎屋長次郎さんは大坂の神崎というところの出身。ここから江戸へ出て漁業に従事しました。

それで江戸時代には「神崎屋(かんざきや)」という屋号を用いていました。

代々、「神崎屋茂三郎(もさぶろう)」を襲名するようになり、市場では縮めて「神茂」と符丁で呼ばれるようになりました。

それに伴い明治になって屋号も「神茂」と改めました。

DSC01971a.jpg昔から、半ぺんや蒲鉾ひとすじに精進されてきた伝統の味わいはとても評判でした。

明治29年発刊の東京自慢名物会の錦絵(木版画)にも「魚市場神茂」となって詠われています。

「名物と世にめでられて 昔より

          変わらぬ味の 月の蒲鉾」

江戸でも明治でも、そして現在も、神茂さんの半ぺん・蒲鉾は"名物"です。

神茂さんには先人の言葉として以下のような意味の教えが遺され、受け継がれています。

「商売はあまり大きくしてはいけない。大きくするとどうしても目が行き届かなくなる。

食べ物は一度まずいものを売って評判を落としたら、二番が続かない。

また買いに来ていただけるように、ていねいにいい品を造ることがいちばん大事。」

珠玉の名言、ですね。勉強になります。

神茂さん、丁寧に心を込めて製品を造り続けております。

多くの方にごひいきにされている所以です。

DSC01978a.jpg日本橋にお店を出した当初は蒲鉾専門でした。

後に半ぺん製造も手掛けることに。

ここから半ぺんのお話です。

江戸時代、鮫のヒレ(ふかひれ)は、中国などへの幕府の重要な輸出品のひとつでした。

品川沖や浦安沖には鮫場と云われる漁場がありました。

幕府への献上品となるふかひれとなるヒレを取った残りの鮫の身が、日本橋の魚河岸で取引されていました。

今、市場に出回る「はんぺん」のほとんどは鱈(たら)のすり身を混ぜています。

しかし神茂さんの半ぺんは今も鮫だけを使って造っています。

大隈重信さん、家では節句には必ず神茂さんの半ぺんが供されたそうです。

有名人のファンは他にもいっぱいいらっしゃったようです。

DSC02015a.jpg「あの野郎、ちょいと"かんも"だねえ」・・・

歌舞伎の世界では【若手でちょっと筋のいい役者】が出てくるとこう言うのだそうです。

歌舞伎に造詣の深い、尊敬する先輩特派員の滅紫さん、ご存知・・・ですよね。失礼しました。

そうです、かんも=神茂さん。ここからのおでん種の"すじ"=素質があるという意味の"筋"。なかなか粋な隠語です。

このようなところにも登場する神茂さん、昔から名の通ったお店、という証ですね。

神茂さんでは半ぺん、蒲鉾の他に"すじ"も商品としてあります。

決して主力商品ではありませんが、なかなか美味しいと評判です。

半ぺんはサメを主原料としています。

製造工程で大量に出るのが、軟骨や身のついた"すじ"。

これをミンチにし、少量の食塩とつなぎのでんぷんを加え、すり、すだれで巻いて茹でて出来上がります。

おでん種としてこれはこれで立派な役者さん。

DSC02028a.jpg神茂 本店

日本橋室町1-11-8

東京メトロ銀座線 三越前駅が至近

日本橋三越前 中央通りの大和屋さんとブリッジにいがたの間のむろまち小路を150m、右手前角

03-3241-3988

営業時間  平日 10:00~18:00

      土曜 10:00~17:00

定休日   日曜・祝日

神茂さんのホームページはこちら ⇒ https:www.hanpen.co.jp/

 

 

塩梅 江戸の伝統調味料

[あすなろ] 2017年3月 3日 09:00

塩と梅酢を合わせた調味料の味加減が良いものを「塩梅」

といい、物事の具合を表現するときにも使われる言葉にも

なりました。

 いりざけ1.jpg

さて、元禄年間創業、銀座三河屋さんの

「煎酒(いりざけ)」です。

日本酒に梅干と花がつおを入れ、煮詰めた

江戸時代の食卓には欠かせなかった調味料です。

当時の料理書から再現されました。

かつお節の旨みと梅干の酸味と塩気のバランスが

絶品、良い塩梅で、いろいろな料理に合うと思います。

江戸の食、ヘルシーなスローフードが見直されていますね。

 外観.jpg

金春通りに面してお店があります。

銀座三河屋
東京都中央区銀座8丁目8番18号

 

 

【時を超える親心】一石橋迷子しらせ石標(八重洲一丁目)

[お染] 2017年3月 1日 18:00

先日、歌舞伎「雙子隅田川」という演目を見て涙したお染です(^^;)

  

「雙子隅田川」では幼い梅若丸が人買いにさらわれてしまうのですが、
イヤホンガイドによると江戸時代にはこのようなことが実際にあったそうで...
なんてこと!!!!!(>_<)

    

八重洲一丁目にある一石橋のたもと(日銀じゃない方です)には、

江戸時代の 「一石橋迷子しらせ石標」 が残され、東京都の指定文化財になっています。

    

s39_02.jpg

     

    
石標の正面には 「満よひ子の志るべ」 、左側には 「たづぬる方」 、右側には 「志らす類(しらする)方」 と彫ってあります。
上が窪みになっていて、迷子になった子の特徴などを書いた紙を張るようになっています。

    

s39_04.jpg s39_03.jpg

湯島天神や浅草寺、両国橋橋詰にも同様の物があったそうですが、現存するのはここのみ。

   

    

江戸時代は今ほど情報網が発達していないから迷子が多かったのかなと思っていたのですが、まさかそんなことが横行していたなんて...(>_<)

    

この石標に貼ってもみつからなかったら、人買いの仕業の可能性が高かったんだそうです。
親やはぐれた子供の気持ちを思うとたまらなく、このようなことは世界中どこでもあってはならないと強く思いました。
直視するとブルーになる部分もありますけど、こういった文化財を通じて、忘れずに伝え続けていきたいですね。

     

    
一石橋 は、北に幕府金座御用の後藤庄三郎、 南に幕府御用呉服所の後藤縫殿助の屋敷があり、後藤さんが2人だから、後藤をもじって、五斗+五斗=一石と名付けられたとのこと。

    

s39_05.jpg

江戸っ子の粋なネーミングですね^^

    

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北に日本銀行、南に呉服橋交差点が、今に見られる名残りでしょうか。
五斗は90リットルで一石は180リットルだそうです。

    

     
子連れ狼のオープニング曲で歌われている
「ててご(父御)と ははご(母御)と ごとごとと いっこくば~しでまてばよい♪」

    

「ごとごと」は乳母車のゴトゴトだと思いますが、一石橋の橋名の由来を考えると「五斗と五斗」
なんですかね。
そして、拝一刀かっこよすぎ。。。私も子育て頑張るよ p(`・ω・´)q

    

    

歌舞伎観劇から始まり、いろいろなことを考えました。
中央区には有形・無形、様々な文化財がありますので、皆様も街歩きを味わってみてください^^

    

    
◆一石橋迷子しらせ石標
所在地:中央区八重洲一町目十一番地先

s39_01.jpg

    

 

 

あかつき公園・シーボルトの娘いね

[O'age] 2017年2月28日 18:00

公園には、雪まつりの雪が残る肌寒い日に下記写真を撮りました。

 
 シーボルト(1796~1866)
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、オランダの商館医員として文政六年(1823)七月、長崎に到着し、診療の傍ら長崎の鳴滝に塾を開くなどして活躍した。
 同九年正月、商館長と共に江戸へ向かい、三月四日、日本橋の長崎屋に止宿し、四月十二日出発するまでの間、江戸の蘭学者に面接指導し大きな影響を与えた。しかし、同十一年シーボルト事件が発生し、十二月に日本から追放された。後に安政六年(1859)幕府顧問として再来日したが、まもなく帰国しミュンヘンで没した。
 彼の江戸における指導は、江戸蘭学発展のために貢献するところが大きかった。この地が江戸蘭学発祥の地であり、且つ彼が長崎でもうけた娘いねが築地に産院を開業したこともあり、また明治初期から中期にかけてこの一帯に外国人居留地が設けられていたことから、ここに彼の胸像を建て、日本への理解と日蘭の橋渡し役としての功績に報いるものである。
 中央区教育委員会

DSC02437.JPG

上記シーボルトの説明板に、胸像がここにある理由の一つとして、シーボルトが長崎でもうけた娘「いね」が築地に産院を開業したことがあげられている。

 

具体的な住所を探したが、分からなかった。小説を少し読んでみる。「いね」は幕末から明治という激動の時代を医師として、母として生きた人だということが分かる。また、多くの歴史上の著名な人物を登場させたり、作家により、描写が異なったり、興味深いものがある。

 

「いね」は文政10年(1827)長崎生まれ。産科・蘭学を学び、明治3年(1870)築地で産院を開業(明治8年には閉鎖)。明治22年(1889)いねは長崎より再び上京、娘高子と共に麻布に居住。明治36年(1903)いね死去、76歳。

 

 

 

中央区の産業遺産---晴海鉄橋--

[之乎者也] 2017年2月28日 14:00

江戸期以来文化・経済の中心地として発展してきた中央区には国指定重要文化財をはじめとして様々な史跡が残ります。主に商業地域として発展してきた中央区ですが、今回は産業に関わる史跡を訪ねてみたいと思います。2015年に「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に登録されてから、産業に関する施設も世界遺産に登録されることが広く知られるようになりましたが、これまでにも外国(オーストリア、インド、スペインなど)では、現役の鉄道や橋が世界遺産に登録されています。中央区には土木遺産に認定されている永代橋、東洋一の可動橋としてのユニークさを誇る勝鬨橋などがありますが、今回の主役はこちらの橋、晴海鉄橋です。HarumiB7.jpg

晴海のトリトンスクエアから晴海通りを豊洲地区に向かって行くと晴海運河に架かる春海橋を渡ります。その春海橋の南側に寄り添うように掛かっているのが晴海鉄橋です。新しい春海橋や豊洲の高層マンション群とは対照的に錆びたアーチとコンクリート橋がインパクトのある姿を示していますが、こちらは昭和32年(1957年)に東京都港湾局晴海線として作られ、国鉄と臨港鉄道網を通じて結ばれる越中島(貨物)駅から晴海埠頭の間で、晴海埠頭で貨物船から降ろされた新聞巻取紙、輸入小麦、大豆、セメントなどを運ぶ貨物鉄道として活躍した鉄道の一部です(下記地図参照)。HarumiB2.jpg

 

【東京貨物専用鉄道路線網地図】(社)東京都港湾振興協会・東京みなと館提供

 

先に再開発が進んだ豊洲地区も、元々は石川島播磨重工業(IHI)の造船所でしたが、対岸の晴海2丁目地区でも、元々あった専用線、上屋やセメント工場などが徐々に撤去され、現在では高層マンション、晴海臨海公園などに生まれ変わりつつあります。HarumiB5.jpg

貨物輸送のトラックへの転換により平成元年(1989年)、港湾局晴海線はわずか32年の歴史を閉じましたが、その後も晴海鉄橋は、撤去費用の負担のためか、現在まで残っています。HarumiB3.jpg

【東京貨物専用鉄道晴海鉄橋】(社)東京都港湾振興協会・東京みなと館提供

 

もちろん現在では貨物線が廃止されたのでこの橋は使われていませんが、世界的に見ればこのような歴史的な橋が観光名所として生まれ変わっている例も少なくなく、隣接する晴海公園とともに、水の都中央区を象徴し晴海埠頭の歴史を語る遺産として残したい史跡です。対岸の豊洲の石川島造船所跡では、跡地にできた商業施設のららぽーと内で、もともとあった造船用のクレーンがライトアップされ、観光名所となっています(その様子は中央区からもよく見えます)。現在世界遺産に登録されている文化財にもかつては廃虚同然に放置されていたものを地元の努力でその潜在的価値を復活させたものも多く存在します(例:マカオのセントポール寺院跡やフランスのシトー派修道院など)。HarumiB4.jpg

【東京貨物専用鉄道晴海埠頭駅】(社)東京都港湾振興協会・東京みなと館提供

 

以下の写真は、まるごとミュージアムの時に船上から撮影した晴海大橋です。桁下ぎりぎりを通るスリル満点のクルーズでした。HarumiB6.jpg

【晴海鉄橋】

〒104-0053 中央区晴海2丁目春海橋西詰(最寄駅:地下鉄有楽町線・大江戸線月島駅から徒歩15分くらい)

 

 

 

「四千両小判梅葉」と小伝馬町牢屋敷跡

[滅紫] 2017年2月28日 09:00

2月歌舞伎座昼の部に江戸好き仲間を案内することになりました。初めての団体鑑賞ですがお目当ては「四千両」の「伝馬町西大牢の場」です。そのリアルさで初演時から大評判をとっている一場です。

 

安政2年(1855)元小人目付の藤岡藤十郎と野州無宿の富蔵が江戸城の御金蔵から四千両を盗んだという驚愕の事件を歌舞伎化したもので、流石に江戸期の上演は無理、明治に変わったので主人公の名も実名、五代目尾上菊五郎の富蔵、7代目市川團蔵の藤岡藤十郎の配役で明治18年(1865)千歳座(今の明治座)で初演されました。

 

話題を呼んだこの「伝馬町西大牢」の場。黙阿弥の情報源は五代目菊五郎と親交のあった田村成義。田村成義は牢屋同心・鍵役を務めた田村金太郎の養子で、本人も牢獄に勤めた経験があり、囚人たちの姿やしきたりのリアルさはこのお蔭です。田村成義はその後歌舞伎座の相談役を務め大正初めに松竹に経営権が移るまでは実質的に歌舞伎座を支配、「田村将軍」と呼ばれていたそうです。(「歌舞伎座五代」石山俊彦)

 

今回演じるのは当代の菊五郎さんと梅玉さん、牢名主は左團次さんです。

 

序幕第一場で「みそはちくまに限るのう」というせりふに出てくる「ちくま味噌」は今も永代橋のたもとにあり、ご存じのように赤穂浪士の引き揚げ時に「甘酒を振る舞った」という話が残っているお店。

 

観劇後に近くのカフェに席を移し「入牢者を叩くきめ板の使い方、牢法を聞かせる長セリフなど凄いね」と盛り上がり「伝馬町牢屋敷跡」の話になると、流石に江戸好き、全員行ったことあり。日本橋小伝馬町の十思スクエア入り口には精巧な牢屋敷の模型もあり、お芝居を見てから見るか、見た後見るかはお任せするとして牢屋敷跡やこの模型を見るとイメージが膨らみます。人気狂言なので今回見損ねた方は是非次回をお楽しみに。

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「小伝馬町牢屋敷展示館」

日本橋小伝馬町5-1 十思スクエア内

月~金 9時~18時

 

 
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