中央区観光協会オフィシャルブログ

中央区観光協会特派員ブログ

中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

執筆者一覧

>>このブログについて

最近のブログ記事


鐵砲洲稲荷神社の獅子舞

[ひまわりウサギ] 2017年1月13日 09:00

1月8日、鐵砲洲稲荷神社の「寒中水浴大会(寒中禊)」が終わった頃、

同じ会場で獅子舞が始まりました。

 

SR17015.JPG SR17016.JPG SR17017.JPG

 

しばらくすると、

獅子は周りにいるたくさんの観客の頭を

次々と噛みはじめました。

ちょっとびっくりして泣いてしまった子も・・・

 

SR17014.JPG

 

獅子が、その人についた邪気を食べてくれて、

その年は無病息災で元気で過ごせるといわれています。

写真は撮れなかったのですが、私もかんでもらいましたよ

 

よい一年になればいいな、と思います。

みなさま、今年もよろしくお願い申し上げます

 


※鐵砲洲稲荷神社の「寒中水浴大会(寒中禊)」については

  [サム]さんの記事(2017年1月11日14:00)

  に詳しく書かれています

 

 

ひむがしの・・・〔賀茂真淵県居の跡〕

[ジミニー☆クリケット] 2017年1月10日 16:00

東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ

これは、万葉集 巻一(四十八)に収められている柿本人麻呂の有名な歌ですが、最近、この歌に関しておもしろい記述を発見したので、ご紹介します

それは、「この歌を詠んだのはか?」と聞かれたら、普通「そりゃ、柿本人麻呂でしょ」となるはずなのですが、実はそうとも言えないということなのです

 

どういうことか

kamono001.JPG

万葉集は、万葉仮名で書かれており、この歌も、「東野炎立所見而反見為者月西渡」と漢字14字で記されているだけで、これを日本語で何と読むのか万葉集には何の手がかりもありません

 

これを、「ひむがしの・・・」と読んだのは賀茂真淵であり、それまでは、「アヅマノノケブリノタテルトコロミテカヘリミスレバツキカタブキヌ」と読まれていたそうなのです。最古の記録に平安時代の最末期、元暦元年(1184年)の書写本があるそうです

 

結局、柿本人麻呂がこういう歌(ひむがしの・・・)を詠んだということにした()のは、人麻呂より千年以上ものちの人、江戸時代中期賀茂真淵ということなのだそうですへぇ~

kamono003.JPG

この賀茂真淵の読み方については、「大胆」だとか「無謀」だとか言われているそうなのですが、そう言われながらも真淵の読みが定着しているのは、それだけ影響力のある方だったからなのでしょう。

 

実際、「ひむがしの・・・」の方が力強く、いかにもこれぞ万葉集って感じがしますし

 

ちなみに、上記の出典は、高島俊男著「漢字雑談」(講談社現代新書)であり、高島先生が引用しているのは、白石良夫著「古語の謎」(中公新書)です。

kamono002.JPG

賀茂真淵は、万葉集を中心とする古典を研究した国学者で、「万葉考」「歌意考」「国意考」「祝詞考」などが主な著書として知られています

 

その真淵の住まいは、中央区の久松町にあったそうです。現在、清洲橋通りに面して、久松町交差点の近くにあるジョナサン日本橋浜町店の壁面に賀茂真淵県居の跡を示すプレートがあります

そのプレートの説明文によると、本当の住所は、ここから北東約100メートルのあたりだそうです

kamono004.JPG

近くの通りから東京スカイツリーがきれいに見えました

 

 

江戸歌舞伎三百九十年

[ジミニー☆クリケット] 2017年1月 6日 09:00

1月2日は、歌舞伎座1月興行壽 初春大歌舞伎」の初日ですが、来月歌舞伎座は、「江戸歌舞伎三百九十年 猿若祭二月大歌舞伎」が予定されています

kadonde001.JPG

これは、寛永元年1624)、猿若勘三郎初代中村勘三郎)が、中橋南地(現在の京橋1丁目周辺)で猿若座(のちの中村座)のをあげたのが江戸歌舞伎のはじまりとされていることによるものです(中央区ものしり百科42ページ)。

kadonde002.JPG

これを記念して、「江戸歌舞伎発祥の地記念碑が、京橋3丁目中央通り際に建てられています

kadonde003.JPG

記念碑の中央、を模したところににあるのは、中村屋定紋角切銀杏」です

kadonde004.JPG

来月の猿若祭では、夜の部の最初の狂言「門出二人桃太郎かどんでふたりももたろう)」で、三代目中村勘太郎二代目中村長三郎初舞台を踏みます

kadonde005.JPG

二人の父、中村勘九郎丈と叔父にあたる中村七之助丈も、30年前に同じ狂言で初舞台を踏みました

昭和62年1月の「江戸歌舞伎三百六十年 猿若祭初春大歌舞伎」です

お二人の初舞台歌舞伎座で観た私としては、あれから30年たったのかと感無量です

kadonde006.JPG

初舞台を盛り立てる幹部俳優さんの顔ぶれも変わりました

かっこ内は、30年前に演じた役者さんです(なつかしぃ~)。

お爺さん芝翫十七世中村勘三郎)、

お婆さん時蔵七世中村芝翫)、

息子勘作鬼の総大将勘九郎十八世中村勘三郎)、

その妻お鶴お栄)に七之助福助)、

庄屋梅玉十三世片岡仁左衛門)、

その妻お京お歌)に雀右衛門六世中村歌右衛門)、

吉備津神社神主巫女音羽菊五郎七世尾上梅幸)、

吉備津神社巫女お春魁春--)、

犬彦染五郎幸四郎)、

猿彦松緑梅玉)、

雉彦菊之助澤村藤十郎

歌舞伎って、本当にすばらしく楽しい伝統芸能だと思います

猿若祭二月大歌舞伎は、2月2日初日で、26日)が千穐楽となります。

歌舞伎座のHPはこちら ⇒

http://www.kabuki-za.co.jp/

 

 

◆ 築地の歴史と未来

[隅田の花火] 2017年1月 5日 16:00

2017年、良い初夢は見られましたでしょうか。今回はお正月らしいものをご紹介してみようかと思います。

 

一昨年の秋に、築地場内市場を歩いていたら本屋で「お魚かるた」というかるたを見つけたのですが、このかるたが面白い。

s_hanabi42-1.jpg

築地市場は1935(昭和10)年に開場しましたが、このかるたは市場の開場当時の時代に作られました。その後散失してしまったようなのですが、20年くらい前に見つけ出されて、復刻版として販売された「80年前に子どもたちが遊んだかるた」です。

s_hanabi42-2.jpg

(発売元は千代田区神田神保町の奥野かるた店)。

 

札をみると、その当時の世相が反映されている札もあったりしてたいへん興味深いです。

「ノ」:上る征途に勝男武士
「へ」:兵隊さんに上げたい太刀魚

 

日常に戦争が見え隠れする時代に築地市場は開場したことがわかったりする、ある意味、築地の歴史を知ることができる文化的遺産?です。

 

汽車が描かれている札がありますが、当時は汽車が市場に乗り付けて魚を運んでいました。今の場内市場の建物が扇形をしているのは、プラットホームをなるべく長くとる必要があった、という名残です。

 

 

 

そんな時代から80年。昨年は市場の移転問題という騒ぎとなったわけですが、その傍らで場外市場には昨年の秋に「築地魚河岸」がプレオープンしました。

 

年末に築地魚河岸に行ってみました。この建物の上から眺める築地場外の街はなかなかイイかも。大好きスポットになる予感です。

s_hanabi42-3.jpg

いつもの年と同じく、築地の年末は大賑わい。市場移転後も「場外市場」はここ築地で賑わい続けていきます。

 

この築地魚河岸のとなりに建つ建物は歴史ある「看板建築」。新旧の建築が隣り合うことになりました。

s_hanabi42-4.jpg

「看板建築」は、建物の正面が真っ平らな看板のようにデザインされた木造商店建築、とでも言いましょうか。関東大震災後頃から建てられ始めた建築です。
築地の街はその後の太平洋戦争の戦災を乗り越えたため、こういう看板建築が多く残っているのですが、いつの間にか壊される、というようなカンジで次第にその数も少なくなってきてしまいました。

 

この「看板建築」の名付け親は建築家・建築史家の藤森照信先生。

 

昨年の春に行われた先生の講演会「築地の歴史と未来」。この講演会では、築地界隈の昔の街並みの写真が映し出されたり、今まで何十年も築地の街を歩き見てきた先生のお話しもとても印象的で、築地の歴史を知る上でとても勉強になりました。

s_hanabi42-5.jpg

先生は昨年夏に墨田区にある江戸東京博物館の館長に就任されたのですが、先生はこの看板建築の建物の保存にも尽力され、小金井市の「江戸東京たてもの園」に行くと、いくつかの看板建築を見ることが出来ます。

 

ジブリアニメの「千と千尋の神隠し」のモチーフとなった建物があるという有名なエリアに、かつて中央区新富町にあった銅板張りの看板建築「植村邸」が移築保存されています。

s_hanabi42-6.jpg 

この江戸東京たてもの園には看板建築の詳しい解説もあるので、ここで建物を見て少し勉強したあとに築地の街を巡ってみると、築地の街が少し違った風景に見えてきます。

s_hanabi42-7.jpg

(築地にある宮川食鳥鶏卵の建物)

 

私が先生を初めて知ったのは、以前に聖路加礼拝堂の記事を書いた時に読んだ本「建築探偵の冒険・東京篇」の著者であったこと。1986年に書かれたの本なのですが、賞も受賞されている本で、江戸東京たてもの園では山積みで売られていたりします。

s_hanabi42-8.jpg 

この本にはいろいろな建物に関わる話が書かれていて、中央区でいうと、渋沢栄一の兜町の夢の街の話と聖路加国際病院旧館・礼拝堂の建物の話が書かれています。建築に関しては殆ど無知な私でも読めた本ですので、建築初心者でも楽しめる本です。

s_hanabi42-9.jpg

(築地魚河岸の建物から遠くに見える聖路加国際病院)

 

 

築地の市場にはこれからもたくさんの方がいらっしゃると思います。

ですが築地は市場だけではなく、建物の歴史の詰まった街でもあったりします。「市場で楽しんだ後は建物巡り」なんていうのも違った楽しみ方です。 

 

市場から築地本願寺の建物を見に行ってみるのも良いですし、

s_hanabi42-10.jpg

(築地本願寺・1934年築の重要文化財)

 

築地六丁目あたりの街を看板建築を探しながら散策して、聖路加国際病院のある明石町まで足を延ばしてみる、なんていうのも面白いかと思います。

 

この建物は1933年築の聖路加国際病院旧館(聖路加国際大学)の建物です。

s_hanabi42-11.jpg

1990年代に、聖路加のタワービルや新館が新たに建てられましたが、そちらへの病院の機能の移転もあり、その時にこの建物も一部改築がされました。

 

建物の正面から入ると、奥の2階にある礼拝堂(チャペル)へと続く廊下があります。

s_hanabi42-12.jpg

奥にあるチャペルは1936年築でたいへん荘厳で素晴らしいのですが、この旧館1階も面白い。

 

この廊下には何故か、チャペルだというのに大黒様や恵比寿様といったお正月っぽい立派な額が掲げられています。

s_hanabi42-13.jpg

それはこの建物の歴史に理由があったりするのですが、答えを書いてしまうのはちょっともったいない。

先程の本はこの建物の改築前の時代に書かれていますので、本の中に答えが書いてあります。

 

ご興味のある方は是非読んでみてください。

 

この旧館1階は聖路加国際病院の理念みたいなものが凝縮されている場所となっており、本を読んでから行くと結構見ごたえがある所だと思っています。

 

 

さて、2017年の築地市場。移転時期はまだ未定なので、もしかしたら来年のお正月も市場は移転していないかも知れません。

移転してしまうことは少し寂しいですが、楽しみにしていることもあります。

s_hanabi42-14.jpg


今年は隅田川の「築地大橋」、渡ることができるようになるのでしょうか。東京の未来に繋がる橋。早く渡ってみたいです。

 

 

 

開運 日本橋七福神めぐり

[あすなろ] 2017年1月 4日 08:00

 貼り紙.jpg

1月7日までに恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天
福禄寿、布袋尊、寿老人の幸福を招くとされる
七柱の神をお参りして巡る風習です。

日本橋七福神めぐりは、距離が短く日本で一番参拝が
短時間に出来るといわれています。

 七福神.jpg

元旦から~3日は、大変混み合いますが

お正月の4日以降や、通常の日にお散歩として散策する場合は、

1時間半~2時間もあればまわれてしまいます。

 幟.jpg

神社が集う日本橋人形町界隈は、名菓を扱う老舗やお土産屋

飲食店が数多く軒を連ねていますので

老舗の味や風情を堪能いただくのも楽しみと思います。

日本橋の縁起のよい名所をこの機会にいかがですか。

新しい年が素晴らしい1年になりますように!

第32回 日本橋七福神めぐり

 三越.jpg

 

 

美徳 日本の文化、風呂敷

[あすなろ] 2017年1月 3日 14:00

お祝事や季節のご挨拶などに持参する手土産の品は、
風呂敷に包まれると気が利いていますね。

 風呂敷.jpg

たった一枚の布が、結ぶ、覆う、敷くとさまざまな方法で
万能性を発揮する「風呂敷」。

柄や色には、贈る場面にふさわしいものを選ぶと、
贈る側、贈られた側それぞれの気持ちも
良いのではないでしょうか。

昔ながらの良さを残しつつも、デザインが豊富に増えており、
エコ時代の新たな視点からも世界中の人々から注目されています。

バックの中に一枚入れておくと便利かもしれません。


中央区観光情報センター グッズ販売コーナー

 書籍「ふろしき包み」280円(税抜)
 ふろしきの扱い方が丁寧に紹介されています。

 

 
<<前のページへ 4567891011121314