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中央区×スペイン(2)~ロドリゴの見た日本橋~

[Hanes] 2018年11月12日 09:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
先日「中央区×スペイン(1)~食と建築~」にて、中央区内にみられるスペインとの関係性を取り上げましたが、
今回は約400年前におけるスペイン人との交流をご紹介します。

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時は慶長4年(1609年)旧暦9月30日の夜。
フィリピンのマニラからメキシコへ向かっていたスペイン船サン・フランシスコ号が上総国岩和田村田尻浜(現在の千葉県御宿町)で遭難しました...
この船には373名が乗船しており、その中にはスペイン人のドン・ロドリゴ(フィリピン臨時総督府長官、後のヌエバ・エスパーニャ副王領の子爵と伯爵)もいました。
そのことを知った江戸幕府が彼らを丁重に応接した結果、373名中317名が生存!

ロドリゴは浦賀からメキシコへ出発するまでに、大多喜、江戸、駿府、京都、豊後(大分県)臼杵等に立ち寄り、
この道中の見聞と家康とのやり取りを書記官マヌエル・デ・モラがに書きとめさせ、
「報告書」としてスペイン国王フェリペに上申しました
その報告書には日本の習俗等が細かに記されており、約400年前の日本の姿が分かる貴重な資料となっています。

お子様でも読みやすい『ドン・ロドリゴの日本見聞録―スペイン人の見た400年前の日本の姿』を読んでみると、
興味深い記述がありましたので、今回はその一部を書籍より引用してご紹介します。

■意外と似ていた?日本とスペインの習慣
【礼・挨拶】(p. 18)
「大多喜の領主は、イスパニアの首都マドリッド市の宮中の礼のような素晴らしい応対をしました。」
「私は、殿を迎えに出ましたが、彼は私を見ると立ち止まって、スペインと同じような形で手と頭を使って敬礼をしました。殿は、私の手を取ってキスをしたのです。」

【席次】(pp. 18-19)
「(...)殿と私は、どちらが上席に着くべきかと言うことでしばらく譲り合いました。イスパニアの人の間では、右側を上席としますが、日本では左側の剣をさしている方を上席とするのです。それは、剣を抜いて切りかかるには、相手を右側に置いた方がよいからです。左側には、信頼する親しい者を置くのです。殿は、私を無理に左側の上席にすすめ」ました。

似たような礼や上席を譲り合う謙虚さは、両国とも持っていたようですね。
海外との交流がまだまだ少なかった当時の日本だけに、予想だにしなかった意外な発見となりました

■大多喜城(p. 19)
「第1門と第2門の間には、壕と菜園、稲田、庭園があり、もし敵に囲まれ兵糧攻めにあっても、数か月は持ちこたえられ」るというのに加え、
案内された座敷の部屋はすべて木造建築であり、日本では地震を恐れて、身分の高い人たちが居住する部屋に石材は使わないという記述も見られます

私自身、ここ数年で日本のお城にも興味を持つようになってきましたが、
まさか日本のお城の構造が海外からも称賛されるほどだとは思っていませんでした。
そして、木造建築にこだわる理由と、当時の人たちも少なからず地震を意識した生活をしていたということを知ることができました。
こうしてみると、歴史の面白さが再確認できますね。

■江戸のまち(p. 29)

「まちには門(木戸)があって、職業や人によって区画されています。(...)みな別々に住み分けていて、雑居していることはありません。」
「(...)魚市場と言う一区画があるそうなので私は案内してもらいました。ここには、海と川のいろいろな鮮魚や干魚、塩漬けの魚、それにいくつもの大きな生簀には満々と水が張られていて、生魚が売られていました。魚売りが多いので、売れ行きの悪いときは街路にまで出て行って売っています。」

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ここで紹介されている「魚市場」というのが、1935年に築地に移転するまでの約300年間、日本橋にあった魚市場「魚河岸」のことで、
現在では、日本橋の北東の橋詰「乙姫の広場」「日本橋魚市場発祥之地」の碑があります。

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当時の日本橋周辺は、早朝から多くの買い物客でにぎわい、昼の芝居小屋夜の吉原と並び、
朝の魚河岸「一日で千両がおちるところ」と言われるほどの大繁盛だったと言われています
築地市場が海外の方に大いに人気であったように、
当時の魚河岸の活気もスペイン人ロドリゴの目には目新しく、非常に印象的に映ったのかもしれません

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(乙姫の像は裏側には、竜宮城に住む魚たちが描かれています

その他、日本の政治の特徴、女性の位置づけに加え、
日本との友好の利点(マニラ発ヌエバ・エスパーニャ向けの船が、寒い土地日本に寄港し、新鮮で上等な食料品を船に積み込めれば、長く保存でき、乗船者の死亡の主な原因である食料の腐敗を避けられる 等々)についても記録されています。

今回2本立てでお送りした中央区とスペインの関係性...
知る人ぞ知る歴史ではありますが、江戸幕府より禁教令が発布される数年前にも、
このように国交にも影響するような深い交流あったなんて面白いですよね
中央区は今も昔も海外との交流が盛んな場所です。
スペイン料理を堪能した後は、しばし約400年前の交流に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

【関連記事】
みのりさん「日本橋魚市場発祥之地(日本橋・乙姫の広場)」

【中央区内の海外がテーマの過去記事】
飛行機不要?ギリシャ・イタリア小旅行
【日本におけるロシア年】中央区で楽しむロシア文化
東京2020に向けて:ブラジルってどんな国?

【参考文献】
安藤操(意訳・解説)『ドン・ロドリゴの日本見聞録―スペイン人の見た400年前の日本の姿』(2009年、たにぐち書店).
※こちらは、中央区京橋図書館の地域資料室で借りることができます。
中央区観光検定委員会(監修)「歩いてわかる 中央区ものしり百科」(2018年、株式会社JTBコミュニケーションデザイン).

【関連ウェブサイト】
毎日新聞「江戸時代初めに日本に漂着したスペイン人ロドリゴは...」(2018年10月12日東京朝刊).

 

 

越前堀跡を歩く!

[株式会社 彦晴] 2018年11月11日 14:00


越前堀は福井藩松平越前守中屋敷を取り囲んでいた堀で、廻漕橋、栄橋などの橋が架かっていた。今回はこの越前堀跡を歩いてみようという企画です。現在の住所では隅田川沿いの新川1丁目からスタートして越前堀児童公園横切りを通り明正小学校を斜めに横断し、新川2丁目付近で八重洲通りを佃方面に進み再び隅田川に合流するコースとなります。

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前回の企画の新川右岸付近からのスタートとなります。今でも越前堀の地名が残されているマンションがありました。おそらくこのマンションの敷地内を越前堀は通っていたみたいです。

 

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そして、鍜治橋通りを横断すると、左手に越前堀児童公園が見えてきます。

 

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越前堀はこの公園で方向を南に変え、明正小学校へと向かいます。

越前堀児童公園の中には、越前堀跡の案内板や実際に出土した石垣

 

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及び霊岸島ノ石碑、霊岸島の由来についての説明板などがあります。

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そして、明正小学校校庭内を斜めに折れて進み、八重洲通を佃方面に進みます。

 

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新川2丁目の交差点には『越前堀』を名乗っている越前堀薬局がありました。

こちらの越前堀薬局は大正12年(1923)から売薬店を始めた歴史のある薬局です。

そのお店の前の植え込みには「越前堀の間知石」の説明板がありました。

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前方には中央大橋とリバーシティ21のマンション群が見えてきました。

もう、佃は目の前です。

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前回同様、越前堀の痕跡は発見できませんでした。

そして現在「越前堀」という住所表示はなくなってしまいましたが公園名、マンション名、店名でかろうじて残っていてそれを発見できました。

それにしても、江戸時代の大名屋敷は大きかったんだな!と感じた街歩きでした。

 

 

新川跡を歩く!

[株式会社 彦晴] 2018年11月10日 14:00

今回の企画は、1659年に河村瑞賢によって開削された新川跡を歩いてみようという企画です。

亀島川と新川の合流地点(新川一丁目3番付近)より隅田川と新川の合流地点の新川公園の「新川之跡」の石碑までを歩いてみました。

新川は現在の新川一丁目内を流れていました。新川には西より一ノ橋、二ノ橋、三ノ橋と三つの橋が架けられていました。江戸期より、両岸には酒屋や酒蔵が並び、明治・大正期まで下り酒問屋、地廻酒問屋、回船問屋などが多く集まっていました。しかし関東大震災、さらに東京大空襲で東京の酒類卸業の中心地、新川は全滅してしまいました。

そして、新川は昭和23年(1948)に埋め立て工事がはじまり翌24年に工事が完了しました。

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スタートは霊岸橋からです。霊岸橋のたもとにある自転車置き場から対岸を見ると緑の濃い場所が確認できます。こちらが新川と亀島川の合流地点です。護岸を注視してみましたがそれらしき痕跡は発見できませんでした。

 

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上の写真は一ノ橋付近です。そして永代通りに少し戻ると河村瑞賢屋敷跡の説明板があります。

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そして新川左岸には新川大神宮があります。

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新川大神宮については少し調べてみました。

"新川大神宮 霊岸島四日市町にあって、この地産土神である。大神宮とも神明宮ともいった寛永年間、伊勢内宮の社僧慶光院比丘尼が江戸に参府した際、ここに屋敷を拝領して旅亭とし、伊勢内外両皇太神宮を勧請し、遥拝所としたのがその草創とされている。文政・天保の間、江戸市中でも最も盛んに富突の行われた場所の一つである。"

『中央区史』より

 

奉納板をみてみましょう。今でも酒類に関係する企業名が確認できます。

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2018年の例大祭10月17日に執り行われた後だったので、境内北西部には清酒積樽が飾られていました。

 

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現在でも新川大神宮の隣には酒フーズ健康保険組合のビルが建っていました。新川跡付近に酒類の企業名が若干ではありますが、今でも確認できます。

そしてこの先が、新川公園となります。新川公園内に「新川の跡」の石碑及び新川の跡の説明板が立っています。

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そして、蔦に覆われた水門も確認できました。

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この隅田川との合流地点、左岸に以前から気になっていた渡海稲荷神社があります。

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この渡海稲荷神社の表示はあるものの中はどうなっているのかわかりません。

このシャッターの中には鳥居や祠があるのでしょうか?まずは『渡海』稲荷神社の名前が海を渡ると書き、また場所が新川入口というのが個人的にすごく興味があり少し調べてみました。

「渡海稲荷神社 祭神 宇賀魂命 創建宝永元年 明治初年上地、市部共有地となり改め二二坪を無料借地。戦後連合軍に接収され、解除後再建に着手した。崇敬者二千人。」

『中央区史』より

 

宝永元年は西暦1704年であるから新川が開削された後の創建となる。また、昭和20年代の火保図をチェックするとその付近は『 U.S.N.COMMANDER NAVAL FORCES FAR EASTMOTOR POOL 』と記載されており、進駐軍の集中配車場として利用されていたみたいです。今現在、この渡海稲荷神社の中はどうなっているのか気になりますね。

そして最後に、隅田川テラスへ出てみました。なんと、そこには「鷺」らしい鳥が出迎えてくれました。これには『びっくり』しました。

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今回この新川跡を歩いてみて、戦災復興のため埋め立てられてしまった新川の直接的な痕跡は発見できなかったが、新川に酒類業者が集まり繁栄していたこと、敗戦国として一時期占領されていたことなど多くのことを再認識する街歩きとなりました。

 

 

日本橋発祥のもの

[みど] 2018年11月 9日 09:00

慶長9年(1604年)、日本橋が五街道の起点となってから、様々な産業 や文化がこの街に誕生したことは言うまでもありません。 そしてこの日本橋から誕生した"日本橋生まれ"もたくさんあります。

 

(1)商品券  1830年<にんべん>

鰹節と引き換えるために銀製の薄板が発行されたのが商品券の発祥です。 にんべんの六代目が考案したもので、現在なら3,500円くらいの価値が ある銀製の薄板を徳川時代末期に発行されたとのこと。

 

(2)銀行  1873年<現 みずほ銀行>

初の銀行(第一国立銀行)が兜町で開業しました。 江戸時代に金融経済を統一する目的で、三井組と小野組を中核にした 初の国立銀行が日本橋に設立されました。渋沢栄一が総監役を務めたとのこと。 現在、ここには みずほ銀行兜町支店があり、「銀行発祥の地」の案内板が 設置されています。

 

(3)人力車  1870年

明治3年に人力車の営業許可を受けた和泉要助らが日本橋に初めて 人力車を走らせました。小回りが利き手軽だったために普及しました。 今では全国の観光地でよく見かけ、日本らしさを醸し出しています。

 

(4)郵便制度  1871年

郵便制度を確立したのは、"近代郵便の父"として知られる前島密です。 交通の利便性がある日本橋に駅逓司(後の郵政省)と郵便役所(現在 の東京中央郵便局)が置かれ、郵便事業が開始しました。 現在この地には「日本橋郵便局」があります。

 

(5)日本橋発祥の食べ物

 ・お子様ランチ  日本橋三越が1930年に『御子様洋食』として提供したもの。

  ・はやしライス  丸善の創始者・早矢仕有的が友人たちに振る舞った料理。

 ・天ざる&天もり  室町砂場が夏でも天ぷら蕎麦を美味しく食べるために、つけ麺状にした。

  ・親子丼  人形町の「玉ひで」が軍鶏鍋に残った割下を卵でとじ、ご飯とともに食べるお客を見て考案した。

  ・甘納豆  初代榮太樓が、金時豆を蜜で煮詰めたものを考案した。

 ・いなり寿司  人形町の志乃多寿司の初代店主が創意工夫をこらし、売り出した。

  ・味附海苔  明治天皇の京都行幸のお土産として、山本海苔店二代目が海苔に味をつけることを創案。現在では『おつまみ海苔』として販売している。

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庭園 季節を愉しむ

[あすなろ] 2018年11月 6日 18:00

季節を感じられるところ、浜離宮恩賜庭園。

江戸時代に徳川将軍家の別邸だった大名庭園です。

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早くも、冬支度が始まっていました。

雪の重みで枝が折れないように、縄を張って

補強する「雪吊り」です。降雪の少ない東京では

庭園に趣を添える装飾として採り入れられています。

訪れた日は、年に一度の伝統技能見学会の日。

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雪吊りの工程を見学しました。

正面は、中島の御茶屋を向いているとのことです。

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お花畑では、秋桜が見頃を迎えていました。

高層ビルとのコントラストが美しい景色です。

季節の移り変わりを巡らてはいかがでしょうか。

◆浜離宮恩賜庭園
東京都中央区浜離宮庭園1-1

 

 

中央区×スペイン(1)~食と建築~

[Hanes] 2018年11月 5日 18:00


こんばんは。新人特派員のHanes(ハネス)です
中央区内には、海外の料理を提供するお店が数多くありますが、
皆さんにはお気に入りのお店ってありますか?
個人的には、ホストマザーが時々作ってくれたスペイン料理が懐かしく、
パエリャやタパスを求めてよくスペイン料理店に行きます

先日は、東急プラザ10階にあるLA BODEGAにて、パエリャランチをしてきました

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数あるスペイン料理店の中からこちらのお店を選ぶ決め手となったのが、
銀座店限定「魚介とウニ、イベリコ豚のMIXパエリャ」がいただけるということ!
ウニが入った贅沢パエリャなんて、なかなかなさそうですよね

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休日のお昼時ということもあり、お洒落な店内はほぼ満員状態。
お1人様でも利用しやすいカウンター席もあるのが嬉しいです

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タパスに加えスペインワインも充実しているので、大人のディナーも楽しめます

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今回のランチでいただいたタパスは、向かって左から野菜のテリーヌ、レンズ豆、ジャガイモのトルティージャとなっており、
全てメインのパエリアを引き立てるような控えめな味で、量もちょうど良かったです。

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そして、満を持して出てきたパエリャは贅沢の極み
これでもかというほど色々な魚介類やイベリコ豚が惜しみなく入っており、
そこにウニが加わることで非常に濃厚な仕上がりに...
ご覧の通り食べ応えもあり、大満足のランチとなりました。

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銀座でスペイン料理が食べたいという時に覗いてみてはいかがでしょうか?

その一方で、「銀座で色々なスペイン料理店の味を手軽に楽しめたらなぁ...」と思っている方のご希望を叶えてくれるのが、
銀座で定期的に開催され、スペインの料理とお酒を手頃に楽しめる企画「銀バル」
次回の開催は以下の通りです。

銀バル Vol.4 ~秋・きのこフェス~ 中央通りから始まるスペインの旅
開催日時:2018年11月12日(月)17時 ~ 18日(日)24時まで
ウェブサイト:https://銀バル.tokyo/

お得にスペイン料理が楽しめ、好みのお店を見つけられたら一石二鳥ですよね

そして、そんなスペイン料理以外にも、中央区とスペインの関係性があります。
銀座を歩いていて目を引く、こちらの存在感のあるレンガ色のビルもその1つです。

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そう、資生堂パーラーが入っている資生堂ビルです。
これには少々驚かれた方も多いのではないでしょうか?

こちらは、スペイン出身の建築家リカルド・ボフィル設計で、2001年に東京銀座資生堂ビルとして竣工されました。
彼は東京やその近郊の建物の設計も手がけています。

設計ともなるとスペインならではの影響は表立って見えてきませんが、
中央区には世界の国々との交流がたくさんつまっています飛行機
面白いことに、それは約400年遡った時代にもあてはまります。
そのことは、「中央区×スペイン(2)~ロドリゴの見た日本橋~」でご紹介します。

【店舗情報】
■LA BODEGA(ラ・ボデガ)
住所:東京都中央区銀座5-2-1 東急プラザ銀座10F
営業時間:ランチ 11:00~16:00 / ディナー 16:00~23:00
     ラストオーダー ランチ 15:00 / ディナー 22:00
ウェブサイト:http://www.bar-espanol-labodega.com/ginza/index.html

※本記事は、お店のご担当者様より掲載許可をいただいております。
※記事内容は取材当時(2018年10月中旬)のもので、現状とは異なる場合がございます。予めお含みおきください。

【関連記事】
滅紫(けしむらさき)さん「ゆったりランチは如何ですか?―スペインクラブ銀座」
区内の他のスペイン料理店のご紹介です。

【中央区内の海外がテーマの過去記事】
飛行機不要?ギリシャ・イタリア小旅行
【日本におけるロシア年】中央区で楽しむロシア文化
東京2020に向けて:ブラジルってどんな国?

 

 
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