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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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【中央区大好き!になります】84.0MHz ハローラジオシティ(中央エフエム)

[お染] 2017年8月31日 09:00

もう9月だなんて...早いですね。
中央区観光協会の特派員になって三年半。赤ん坊だった息子ももうすぐ4歳です。

    

    

先日は、特派員の活動の一つである ラジオ収録 に行って参りました。
中央エフエム 「Hello! RADIO CITY」 という番組内の1コーナーで、特派員ブログの内容を紹介するのです(`・ω・´)!

    

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中央エフエム。京橋スクエアガーデンの地下1階スタジオ。
外から見えます^^

    

    
収録、実はもう5回目なんですよね。

    

初めての収録のとき、まさか自分がラジオでしゃべることになると思っていなかったので、マイクの前でドキドキしすぎて、何を話したかあまり覚えていません。(今もそうか...笑)

    

でも、毎回 ナビゲーターのJUMIさん が明るく導いてくださって、思ったよりもペラペラ話せたり、ゲラゲラ笑ったり、普段は人前で話すのが得意ではないのですが、ここでは話すことが楽しく感じます

    
ただ、最後に言う決め台詞 「大好き、中央区!」 はなぜだかどうしても照れてしまって、妙なローテンションになってしまいます(>_<)
本当に大好きなのに!!!笑

    

    

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ナビゲーターのJUMIさん
働くママとしても先輩で、憧れの女性です。

    

    
また、特派員同士が顔を合わせる機会があまりないので、収録の際にご一緒できるのも楽しみの一つです。顔を合わせてお話を伺うと「おぉ~、この方がブログネーム○○さん!」とグッと親近感が増します

     
今回は 「隅田の花火」さん とご一緒させていただきました。
「隅田の花火」さんのブログは、お写真が特にオシャレでかっこいいなぁと思っていたので、
ブログを書くときの写真の撮り方やカメラのお話ができて、嬉しかったです(*^^*)

    

    
そんなこんなで、特派員は中央区のことについてブログを書いたりラジオでしゃべったりしています。

    

中央エフエム 「Hello! RADIO CITY」
ブログの裏話など、耳で聞くことで新たな発見もあり、おススメです☆
中央区の魅力 をますます感じることができますよ。

     

    
◆中央エフエム(84.0MHz)
HP:http://fm840.jp/
 ◆「Hello!RADIO CITY」:月曜~金曜 12:00~13:00 (再18:00~19:00)
   http://fm840.jp/blog/hello/

   

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築地場外市場の底力

[下町トム] 2017年8月30日 14:00

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先日〔場外市場〕で発生した火災は一時周辺が大混乱になる大事件でしたが、幸いにも人的被害がなくホッとしました。古い木造建築が密集している地域なので本当にどうなることかと心配していました。皆さんも驚かれたことでしょう。

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火事でお店が倒壊したり破損して営業できなくなった店がいくつかあり、心を痛めていましたが、火災現場にはいくつもの手書きの注意書きが掲げてあり、「別のところで仮営業しています」という文字が目に留まります。ブルーシートの切なさもなんのその、決してめげない力強さに触れてこちらも勇気づけられます。

 

IMG_5176 (2).JPGある八百屋さんは近くのガソリンスタンドの脇で朝のうちだけの青空営業を続けていらっしゃいます。常連さんが多く、次々と野菜が売れていきます。その都度「頑張って下さいね」とか「営業してもらってよかった」というような励ましや親しみの声が交わされています。

 

築地には人情があふれるだけではなく、逆境に負けない強い心の人たちがしっかりと食文化を支えています。どうか築地〔場外市場〕の発展と巻き返しを応援してあげてください。そしてお近くに来られた際には是非足を運んでいただけたらと思います。よろしくお願いします。

 

 

人形町に行ってきました!

[株式会社 彦晴] 2017年8月30日 09:00

人形町に行ってきました!

 

知っている人も多いかと思いますが"人形町"という正式な地名の歴史は浅いです。「人形町は、現在三丁あって、水天宮の電停から北北西の方向に堀留町にいたる都電路線の両側を占めており、正しい町名としては、昭和八年住吉町、堺町、新和泉町、芳町、元大阪町、蛎殻町、松島町の一部をまとめて起立されたのである。しかし水天宮とともに、人形町の呼び名は、ふるくから有名であった」『中央区史』より

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水天宮前交差点よりの水天宮(安産と水難にご利益があるといわれ、戌の日には多くの参拝者で賑わいます)

 

そして、人形町の発展に大きな要因となったのは明治5年に蛎殻町の有馬候中屋敷に芝赤羽橋有馬候上屋敷から水天宮が移ってきたことにある。そして水天宮の門前町として発展していったのである。

 

「毎月一日・五日・十五日・戌の日に月次祭を行うが、初水天宮・例大祭(五月五日)・戌の年戌の日には遠近より来り詣でる人々多く繁華雑踏を呈するが、その繁昌ぶりは他にその比を見ないといわれる。神楽七十五座や地元有志の余興が奉納され、境内外には縁日がところ狭しと立ちならび、参詣者陸続としてつづく盛況は都下の一異観であった」『中央区史』より

 

しかし大正震災の後は各地に新興商店街が誕生し、発展したり百貨店の繁栄が人形町を衰退させていた。戦後においても、一般的に社寺は振るわなかったため、水天宮も同じく現代のような注目されることはなかったのです。

 

さて、時代の移り変わって2017年人形町は素晴らしい街へと変貌しました。

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地下鉄日比谷線のA1・A2出口から地上に上がると人形町通りを挟んで2台のからくり時計が訪問者を迎えてくれます。

 

人形町と言えば、甘酒横丁、蛎殻銀座跡、西郷隆盛屋敷跡、谷崎潤一郎生誕の地、日本橋七福神、玄次店などが有名ですね。今回は水天宮前交差点から甘酒横丁交差点までにスポットを当てて街歩きしてきました。

 

水天宮交差点は三原堂本店と重盛永信堂が人形町通りを挟んで立っております。重盛の人形焼き・ゼイタク煎餅は人形町土産としてとても有名です。三原堂のどら焼き・豆大福もとても人気がありますが、私が個人的にお薦めするのは塩せんべいです。絶妙な味付けで後を引きます。人形町通りをそのまま甘酒横丁方面に進み、右手からニッキの香りが漂ってきたら、寿堂に到着です。ニッキの香りの黄金芋は人形町の名物です。そのまま道なりに進むと右手に玉英堂があります。玉英堂のとらやきが有名ですが、私は"玉饅"をお薦めしたいです。饅頭が5層からできていて見た目も楽しめて程よい甘さがとてもよいのです。また玉英堂の現在立っている地に"尾張屋"という甘酒屋があったことが甘酒横丁に由来することも有名です。

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三原堂本店 重盛永信堂 寿堂 玉英堂

 

その玉英堂を右折すると甘酒横丁です。甘酒横丁を直進すると明治座へと繋がっています。この甘酒横丁には、つづら店や三味線・ばちなどなどを扱う楽器店などの老舗がいくつもあります。また甘酒横丁を右折して少し進んだ右手には

鯛焼きで有名な柳屋もあります。しかし今回は右折しないで左折してみることにしました。

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するとすぐ目に入ってくるのが、"谷崎潤一郎生誕の地"の石碑です。谷崎潤一郎は、明治19年この地にあった祖父の家、谷崎活版所に生まれたそうです。なおこの石碑の書は谷崎潤一郎夫人の松子さんによるとのことです。

 

その先にあるのは日本橋小学校です。現在リノベーション工事中でした。ここは西郷隆盛屋敷跡として有名です。江戸時代にはこの地は姫路藩酒井家の下屋敷となっていました。また、明治6年の沽券図には「蛎殻町一丁目壹番 二千六百三十三坪 金千五百八十六円 西郷隆盛」との記載が残っています。

西郷隆盛はこの地には明治4年より明治6年までの2年間のみの滞在となります。明治六年の政変にて鹿児島へと戻り、明治10年西南戦争を起こして自害をすることになるのです。

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また、人形町にはこんな路地が残っていて下町情緒を感じられます。

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最後に日本橋七福神の二社を紹介して今回のブログを終了しようと思います。

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    茶ノ木神社         松島神社

 

茶ノ木神社 「この地には下総国佐倉藩堀田家の中屋敷があり、その守護神として祭神を祀った。神社の周囲にぐるり植え込まれた茶ノ木が、名称の由来と伝わる」『中央区物知り百科』より(日本橋七福神の布袋尊)

 

松島神社「松島町にあり、創祀の年月は元享以前と伝えられ、神霊は天正十三年吉見兼見の勧請するところであるという。保食神を祀る、住吉この辺が海洲であったころ、海中に松樹ある小島があった。島の祠を俗に松島稲荷と称したのだという。正徳三年この地が町地になった際、とって町名とした」『中央区史』より また松島神社は毎年酉の市が開催されることでも有名であり、社はビル1階部分に組み込まれています。(日本橋七福神の大国神)

 

今回は人形町の一部分にスポットを当てブログを書きましたが、まだまだ人形町の魅力について書ききれておりません。今回触れることができなかった、蛎殻銀座跡や大門通などについても別の回にて記載してみたいと思ってます。

それにしても、人形町は歴史・文化においてとても内容の深い街でした。

 

 

中央区はじめて物語

[にゃんボク] 2017年8月29日 09:00

 お盆休みも終わり、夏休み気分ももうすっかり過ぎ去った過去、といった皆さんも 多いかもしれません。

 

夏休みといえば、私は港区の職場に通っているのですが、 私の席の周りを見ても、青森、秋田、広島、石川、岐阜、奈良、新潟、埼玉・・・ と、東京ではない実家に帰省するメンバーが大半です。いや、下手をすると東京 出身者が一番少ないのではないかというレベルです。

 

東京に全国から人が集まっていることは当然今に始まったわけではなく、 作家の永井荷風氏は、「ぼく東綺譚」(ぼくとうきだん)にて 関東大震災(1923年)後の銀座の飲食店について「今はことごとく関西もしくは 九州から来た人の経営にゆだねられた」と書いており、地元の人が減少し、地方 の人が多くなったと指摘しています。

全国のいいところを吸収し、その良さをさらに発展させて独自の文化を作っている のが東京の良さ・奥深さの一つではないでしょうか。

 

さて、ここで、中央区の観光協会が発行している 「はじめて物語マップ」をもとに、「永井荷風氏が暮らした時代」 (1879年~1959年)の中央区において "はじめて"生み出されたグルメ/食文化を羅列してみたいと思います。

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・フルーツパーラー(1890年)

・親子丼(1891年)

・ポークカツレツ(1899年)

・あんみつ(1930年)

・お子様ランチ(1930年)

・レバーフライ(1932年)

・カツカレー(1948年)

・ハヤシライス(1954年) 等

改めて振り返ってみると、この時代に中央区で生み出されたものが思った以上 にある、と感じました。胃袋を満たしながら中央区のはじめて物語を順にたどるのも面白そうですね

 

 

 

2018正月時代劇の舞台、蘭学事始地はこちら!

[柴犬] 2017年8月23日 14:00


真田丸の熱も未だ冷めやらぬ2017年秋ですが、来年・2018年のNHK正月時代劇が、三谷幸喜さん脚本による「風雲児たち」だとプレスリリースされました!時代は江戸中期、蘭学(ヨーロッパ文化)を志す前野良沢と杉田玄白の「蘭学事始(らんがくことはじめ)」の物語です。出演は片岡愛之助(前野良沢)、新納慎也(杉田玄白)、山本耕史(平賀源内)、草刈正雄(田沼意次) さんら。


正月時代劇「風雲児たち~蘭学革命(れぼりゅうし)篇~」


となれば...


舞台はもちろん江戸のど真ん中、中央区築地です!


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こちらが、まさに杉田・前野の蘭学事始地となった場所。石碑が立っております。のちにこの場所に福沢諭吉が蘭学塾(のちの慶應義塾)を開いたので、「慶應義塾発祥の地」碑と並んで立っています。


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画像が見辛いと思いますが、「解体新書」が刻まれた石碑です。


この場所は中津藩(現在の大分県)奥平家の中屋敷がありました。古地図でも確認できます。中津藩の藩医だった前野良沢は、この場所で杉田玄白らと共に、オランダの医学書「ターヘル・アナトミア」の翻訳に取り組みます。


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石碑の場所は、中央区明石町11。聖路加病院の入り口近くにある小さな広場です。画像の右です。下の地図では、中心下あたりにある三角の区画です。


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ここで、蘭学の風雲児たちが。

この場所は、お隣がプラネタリウムで知られるタイムドーム明石、お向かいがトイスラー記念館


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築地市場や外国人居留地跡、幕末史跡や文豪史跡、昭和の復興小学校、もちろん築地本願寺もある強力な観光スポットです。観光地を知らなくても、ただブラブラお散歩するだけでも楽しい場所です。銀座の中心地までも徒歩15~20分程度。


ぜひ、風雲児たちの舞台を見にいらして下さい!

ちなみに、ドラマにはおそらく長崎屋も登場するのではないかと思うのですが...


長崎屋は日本橋にあった幕府御用達の薬問屋で、旅宿も兼ねていたため、オランダ商館長や専門知識を持った外国人が多数逗留し、彼らの話を聞くため数多くの学者が集まっていました。平賀源内・杉田玄白・前野良沢・中川淳庵・青木昆陽などもその中にいました。長崎屋と学者たちの様子は、葛飾北斎も描いています


場所は、中央区日本橋室町4−4−10 東短ビル、説明板が立っています。コレド室町や三井本館のすぐ近くです。鎖国が厳しかった時代、江戸唯一の西洋文明の窓口だった大切な史跡です。


今からドラマの舞台を見て、気持ちを盛り上げていってはいかがでしょうか!

 

 

 

日本橋本石町 白旗稲荷神社 金曜日に参拝しました

[銀造] 2017年8月22日 14:00

 日本橋本石町と言えば、かつては金座、そして現在は日本銀行のある場所として有名です。 そして、日本橋本石町四丁目5-16に鎮座され、地元の方々の崇敬を集めているのが、「白旗稲荷神社」です。

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8月のある金曜日、参詣に行ってきました。 境内は丁寧に掃き清められており、御手水を使わせて頂き、二礼二拍手。

お社への参道の周りの椿、頭上には厳しい夏の熱射を遮る"棗(ナツメ)"が、優しく迎えてくれました。

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大変清々しい気持ちになりました。 お世話をされている町会の方々に深く敬意を表します。(参拝出来るのは、火、金曜日だけの様です。夜間は施錠している様です。御朱印のお願いは難しいと思います。)

 ご由緒は、沿道からでもご覧になれます。白旗稲荷神社崇敬会、日本橋本石町町会がご掲示の、こちらの御来歴をご覧ください。

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ご興味のある方の為に、御来歴を書き写しました。(一部ひらがなを加えたり、句読点を加えましたのでご了承ください。)

「白旗稲荷神社 来歴

 抑抑 白旗稲荷神社は東京府武蔵国(旧日本橋区本銀町壱丁目拾八番地)官有地白旗橋詰にあり、御祭神は宇迦之御魂神。古来白旗稲荷と称す。享保三戌戌年 当山派修験大寿院元明が別当職たりし以来、神勤す。八世小野秀麿に至り明治六年神勤を免ぜられ、神田神社兼勤社となる。鎮座年代不詳なれども社伝に依れば、源義家が奥州下向の途次、社頭に白旗を樹てしに始まると云ふ。また、「新編江戸誌に三宝院派別当大寿院 和銅4年(711)鎮座」とあり、何れか詳かならずと雖も、本区最古のものなるべきか。 往時、武蔵国福田村の一部にして、江戸開府の頃には神田八丁堀乃ち龍閑川界として以南を江戸とし以西を神田とせり。 町名は江戸時代に銀工の多数居住せしに依り起これりと云ふ。 当社は大正拾二年九月壱日大震火災の際烏有に帰したるも幸いご神体を奉避し以来区画整理にて当町六番地へ換地指定、町会員並に建築委員の努力により再建の準備を整え昭和四年拾月建築に着手す。昭和五年五月拾五日完成。同時に大祭礼を行ふ (昭和五年五月 旧本銀町四丁目会史に依る)

昭和四十九年二月 東北・上越新幹線東京駅乗り入れのための用地買収に応じ、現在地(本石町4-5-16)に移転、現在に至る

昭和四十九年四月六日・七日 新社殿への遷座祭・奉祝祭をとり行う

昭和六十一年十月末日 白旗稲荷神社崇敬会設立

平成六年四月六日遷座二十周年記念祭を行う

   白旗稲荷神社崇敬会

   日本橋本石町町会  」 

 

 
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