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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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千代田神社 小伝馬町の鎮守様

[銀造] 2017年12月 8日 12:00

 東京メトロ小伝馬町駅から直ぐ近くに千代田神社があるのは、全然知りませんでした。

「日本橋北 内神田 両国濱町 明細絵図」を入手して、小伝馬町から江戸通り、郡代屋敷跡への道筋を見ていると、「千代田イナリ」の字が見えました。「中央区 観光ガイドマップ」を片手に歩いてみました。 千代田とあるのだから、千代田区の神社かと思っていましたが、東京メトロ小伝馬町の駅から江戸通りを歩いて3分、住所は日本橋小伝馬町9-1。小伝馬町郵便局の近くです。

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 記されたご由緒を読んでみますと、次の通りです。

千代田神社は 長禄年間神靈に依り 太田持資道灌が御靈を千代田の御城に祭り鎭守とす   

德川綱吉の時 太田の旧臣長野亦四郎氏詞を奉じて小傳馬町に遷座す

是後奉仕せる社人窮困して他に社地を讓る 時に屢々異變あり  

神慮なりと畏れ 天明年間旧地に建立し現在に至る 

大正十二年九月震災にて燒失す 昭和二年區劃整理に依り 當所に替地を得て安鎭す然るに

昭和二十年二月戦禍にて再度燒失す 漸次再建せしも 今度諸人の力を致し浄財を受け 更に新殿を造立せり

茲に沿革を記す

 昭和三十三年十一月吉日

 小傳馬町 二丁目町会

まだまだ奥が深い日本橋です。楽しい探検はまだまだ続きます。

 

 

◆中央区 ここに歴史あり(68) 吉良上野介義央を治療した栗崎道有

[巻渕彰/写楽さい] 2017年12月 8日 09:00

年末になると元禄忠臣蔵に話題が集まる。江戸城内での刃傷事件(赤穂事件)で、浅野内匠頭長矩に斬りつけられた高家の吉良上野介義央を治療したのは外科医の栗崎道有といわれている。翌年、吉良義央は赤穂浪士らに討ち取られた。いま、この二人は同じ寺に葬られている。道有の屋敷は八丁堀にあったのだろうか。

   

0913_68_1712051yasiki.jpg栗崎道有(くりさき・どうう=万治3年(1660)~享保11年(1726))は、江戸中期の外科医。長崎系栗崎流の医家。伯父・正勝(2代道喜)の高弟鳥飼道節について栗崎流外科を全うし、幕府に召されて官医となる。道有を襲名、以後子孫は代々この名を襲名し、栗崎流は楢林、吉雄の両家と共に長崎外科の三家と称された。元禄14年(1701)、吉良上野介義央の殿中刃傷事件の際、応急の手当てをしたことで知られる。(『朝日日本歴史人物事典』から)

    

代々栗崎道有を襲名した拝領屋敷は八丁堀長沢町にあったとされる。江戸後期の切絵図復元図(添付図)には「外科医栗崎道有」とある。現在地は八丁堀3丁目で、新大橋通りと鍛冶橋通りの交差点付近である。


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吉良上野介義央墓(写真左)と栗崎道有墓(写真右)は、おなじ曹洞宗萬昌院功運寺(中野区上高田4-14-1)にある。同寺はもともと永田町にあり、市谷を経て、大正2年(1913)現在地に移った。吉良家の菩提寺で4代にわたる墓石がある。墓前には「吉良邸討死忠臣墓誌」があり、吉良義央とともに亡くなった家臣たちの死は「元禄15年12月15日討死」と刻まれている。@巻渕彰

 

 

医学・薬学と中央区

[五月雨ジョージ] 2017年12月 7日 14:00

 日本医療の転換期となった江戸時代から現代にいたるまで、現在の中央区地域には様々な医療・医学・薬学の起点となった人や施設の痕跡を見ることができます。

 そして現代においても、中央区には医学・薬学に関連する多くの企業や施設が存在しています。

 主なところを写真に収めてきましたのでご紹介します。


(1)史跡


●玄冶店跡:三代将軍家光の痘瘡を全開させた幕府お抱えの名医・岡本玄冶の屋敷跡。(日本橋人形町)

n01_玄冶店跡01.JPG

●桂川甫周の屋敷跡:杉田玄白らとともに『解体新書』の翻訳作業に参加した蘭方医の屋敷跡。(築地)

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●蘭学事始地碑:この地にあった中津藩奥平家の中屋敷で『解体新書』出版に取り組んだことに関する記念碑。(明石町)

r蘭学事始地碑.JPG

●土生玄碩の墓と石碑:シーボルトに眼科の治療法を学んだ蘭方医の墓と記念碑。(築地本願寺境内)

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(2)医学関連


●順天堂発祥の地(東日本橋・薬研堀不動院境内)

tf14_薬研堀不動院5_順天堂発祥の地1.JPG

●東京慈恵会医科大学発祥の地(銀座)

gk03_東京慈恵会医科大学発祥の地.JPG


●漢方医学復興の地の石碑:明治後期、当時消滅しそうだった漢方医学の復興に努めた和田啓十郎医師の偉業をたたえる石碑。(日本橋浜町)

k漢方医学復興の地.JPG


●海軍軍医学校跡:明治期、海軍軍医を養成した医学校跡。(築地)

k海軍軍医学校跡.JPG


(3)その他


●シーボルト胸像:日本の蘭学発展に貢献したドイツ人医師の胸像。(築地)

tb13_シーボルト胸像2.JPG


●薬祖神社:大己貴命(おおなむじのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)を御祭神とし、無病健康・病気平癒をご利益とする神社。2016年9月に福徳の森に第三代目の薬祖神社が遷座。

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(4)現在、中央区に本社(本社機能)をおく主な製薬メーカー・団体など

kくすりミュージアム2.JPGt田辺三菱製薬2.jpgzゼリア新薬.jpgeエスエス製薬2.JPGaアステラス製薬1.JPG


・公益社団法人 東京薬事協会(日本橋本町)
・日本製薬株式会社(明石町)
・EAファーマ株式会社(エーザイ+味の素)(入船)
・大日本住友製薬株式会社(東京本社)(京橋)
・昭和薬品化工株式会社(京橋)
・明治製菓株式会社/Meiji Seika ファルマ株式会社(京橋)
・武田薬品工業株式会社(東京本社)(日本橋)
・山田製薬株式会社(日本橋)
・田辺三菱製薬株式会社(東京本社)(日本橋小網町)
・新日本薬業株式会社(日本橋小伝馬町)
・ゼリア新薬工業株式会社(日本橋小舟町)
・有機合成薬品工業株式会社(日本橋人形町)
・エスエス製薬株式会社(日本橋浜町)
・アステラス製薬株式会社(日本橋本町)
・岩城製薬株式会社(日本橋本町)
・興和株式会社(東京支店)・興和創薬株式会社(日本橋本町)
・第一三共株式会社(日本橋本町)
・鳥居薬品株式会社(日本橋本町)
・わかもと製薬株式会社(日本橋本町)
・日本ジェネリック製薬協会(日本橋本町)
・キッセイ薬品工業株式会社(東京本社)(日本橋室町)
・デンカ生研株式会社(日本橋室町)
・中外製薬株式会社(日本橋室町)
・トーアエイヨー株式会社(八丁堀)
・シオノケミカル株式会社(八重洲)

・・・・・

 

 

中央区郷土天文館 「区政70周年記念 中央区のあゆみー戦後の発展とまちの変化」展示 12月10日まで

[銀造] 2017年12月 7日 12:00

 中央区郷土天文館が発行の、「区政70周年記念 中央区のあゆみー戦後の発展とまちの変化」が開催中です。12月10日までです。お早めにどうぞ。

立派な印刷物も頒布して頂けます。 1冊¥200です。

 同時に展示されているのが、平成29年度郷土天文館サポーター ミニパネル展で、

「佃 船入堀の歴史」をパネルと大きな写真20枚以上を使っての展示です。

 ご調査頂いた内容をすべてご案内するのは、失礼とおもいますので、冒頭のさわりの文章と文末のご挨拶だけ下記します。

寛永七年(1630)、小網町の大名、安藤対馬守屋敷に居住していた佃村一行は、石川島南の干潟百間(約180m)四方を幕府から拝領しました。

ーーー中略ーーー

 今年で370余年の歴史を持つ佃入船堀が、装いも新たに親水公園となりました。 船溜まりが役目を終え、潮と戯れる岸辺となる姿を私たちなりに追ってみました。 平成29年10月 中央区立郷土天文館サポーター』

 大変興味深いご説明と写真展です。是非、お出かけ下さい。

利用案内とアクセスは、こちらをご覧くださいhttp://www.city.chuo.lg.jp/bunka/timedomeakashi/index.html

 

 

観世能楽堂で能を楽しむ

[達磨] 2017年12月 6日 14:00

東大能正.JPG

12月2日(土)、「二十五世観世左近記念 観世能楽堂」(GINZA SIX 地下3階)での「東大観世会・東大観世OB会合同自演会」を楽しく観てきました。東大観世OB会は戦前戦後を通じて活動されて、昭和24年(1949)には「東大観世会」を新発足、世界に誇る「能」に息の長い取り組みをされています。(ホームページご覧ください)

能3点2ok.jpg東大能ok.jpg能3点ok.jpg

江戸の文化の中心であった中央区、今、この真ん中で、能を鑑賞できることは嬉しいことです。来年度の東大合同自演会は2018年12月23日(日)「観世能楽堂」に於いて開催予定。

※観世能楽堂のHP;http://kanze.net/

※東大観世OB会のHP ; http://todaikanzeob.main.jp/

 

 

 

江戸落語の舞台(富くじ興行編)

[達磨] 2017年12月 5日 12:00

富くじ(富突・突富・富)は文化文政期(1804~30)に大流行。中央区内では白旗稲荷(本石町)・福徳稲荷(室町)・椙森稲荷(堀留町)・薬研堀不動院(東日本橋)・茅場町薬師・新川大神宮などでも興行されたようです。(中央区内文化財HP、福徳神社富籤HP参照)。富札の値段は、1枚1分から2朱ほどだったとか。1両を10万円位に仮定すると、1枚は1~3万程度でかなりの高さです。人心や内部不正のため,天保の改革(1842)によって富くじ興行は禁止されましたが、落語の中では、「湯島天神」と「椙森神社」が主な舞台となって、富くじでの人々の動きが、平成の寄席、ホール...落語会の高座に引き継がれています。

 

↓〈知泉院茅場町薬師〉    ↓〈新川大神宮〉      ↓〈白幡神社〉

智泉院ok.jpg 新川大神宮ok.jpg 白旗ok.jpg

 

↓〈薬研堀不動院〉      ↓〈福徳神社〉家康公も参拝
薬研掘okok.jpg 福徳okokok.jpg

  

↓〈椙森神社-べったら市前日-〉  ↓富落語2席のあらすじです。

椙の森ok.jpg三代目小さん(1857-1930)が大阪から持ち帰りの落語「宿屋の富」・・・馬喰町の汚い旅籠に貧乏くさい男が泊まった。「副業でやっている椙森神社の富札が一枚売れ残っている。」「これ以上金を増やしたくはないが、まぁいいだろう。」千両富が当たった!・・・貧乏宿の主人が祝いをしようと客の布団をはぐと下駄を履いていた...と。(笑い)

初代圓朝(1839-1900)が実話から落語化したものと伝えられる落語「富久」・・・酒でしくじってばかりの幇間の久蔵、なけなしの一分で椙森神社の札を買って、大神宮さまの神棚にしまいこんだ。――中略―――火事で久蔵の家は丸焦げ。椙森神社を通ると「一番、鶴の1500番」の声。「あ、当たった!」久蔵、卒倒した。当たり札がなければダメだ!帰る途中、鳶の頭「さすがに芸人だ。立派な大神宮様のお宮だな。家にあるよ。」「ど、泥棒!と半狂乱」「運のいい男だな~。」「へえ~、これも大神宮様のおかげです。近所にお払いをいたします。」...人情味豊かな噺です。//幕

 

 

 
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