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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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浮世絵がエモい!・・・って何だ? [日本橋茅場町]

[GPP] 2017年4月 3日 14:00

かつて中央区京橋1丁目には、人気浮世絵師「歌川広重」の住居がありました。歌川広重の代表作「名所江戸百景」等からは、江戸の名所や街の様子、および、当時の人々の暮らしを知ることができます。浮世絵は、美術品としてだけではなく、時代を物語る資料としての価値もあるということです。

 

先日訪れた「スーバー浮世絵 江戸の秘密展」(2017年1月28日~5月21日 日本橋茅場町)は、一風変わっていました。デジタル加工され、アニメーションのように動く浮世絵を、片岡愛之助さんのナレーションや効果音付きで楽しむものでした。

 

参照: スーパー浮世絵 江戸の秘密展 https://superukiyoe.com/

 

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京橋大根河岸おもてなしの庭 大賞受賞

[銀造] 2017年4月 3日 12:00

 「京橋大根河岸青物市場跡碑」のある一帯が整備されました。

その碑の前には、一対のお祝いの生花が供えられていました。

そして奥まったところに、和風庭園の趣のある鹿威し風の設えも出来ました。

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京橋川の護岸も出現しました。

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 「天正18年(1590)、徳川家康が江戸に入った後に開削された京橋川は、両岸に河岸があり城下町の物流に重要な河川でした。その後、現代に入り、その役目を終え、昭和38~40年に埋め立てられました。護岸の一部は近代以降に積み直されたもので、埋め立て当時の形状のまま地中に残されています。」との説明があります。

 この様に、東京都中央区京橋の一角を整備し管理することは大変な事です。そこで、2017年3月に、

『緑の環境デザイン賞「おもてなしの庭」大賞』が、『京橋大根河岸おもてなしの庭』に贈られました。

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香りの老舗  ~ 銀座香十 ~  ②

[rosemary sea] 2017年4月 2日 09:00

『ギフト、そして自分も楽しむ』をレギュレーションとして取材します、 rosemary sea です。

 

DSC02118a.jpg御香所 香十(こうじゅう)さんは創業が天正年間、ということは前回述べさせていただきました。

今回は香十さんの歴史について触れたいと思います。

今回も銀座香十 東京店 北澤店長に取材のお許しをいただきました。

 

香十さんの初代:安田又右衛門源光弘さんという方は鎌倉幕府成立時の遠江国守護(とおとうみのくにしゅご):清和源氏安田義定の十二代末裔。

御所御用を務めていたとされます。

そして第二代:政清さんは太閤豊臣秀吉公に、第四代:政長さんは徳川家康公に召されたとのこと。

 

江戸時代には第八代:高井十右衛門さんが多くの銘香を創り、名人と言われました。

この方、お香の世界ではとても有名な人物。

ここから先は香十さんの主人は「十右衛門」を継承するようになります。

そして光格天皇献上香「千歳」はじめ、表千家へ「九重」、茶道薮内に「若草」の銘香を家元へ納められたと記録されています。

ここのおいて香十練香(ねりこう 後述)の名声が高まりました。

※ 練香=薫物(たきもの)とも言います。粉末状の香木などを蜂蜜等で練って固形状にしたもの。

十右衛門さん、「香十 十右衛門家傳薫物覚書(じゅうえもんかでんたきものおぼえがき)」を書き遺しました。

 

明治・大正・昭和では京都の室町下長者町に「御香所」ののれんを掲げて営業されていました。

 

香十さんはその後、現代に生きる香専門企業として東京で「銀座香十」の名で香に携わってきました。

半世紀を経て香十さん、平成28年4月に京都に里帰りしまして、二寧坂にお店を出しました。

生まれた地に戻ることができました。

 

DSC02117a.jpg「香十」の名前の由来ですが、「香十徳」というものがあります。香の有用性や優れた特性を漢字四字十項で書き表したものです。元は中国の漢詩。

この香十徳を有名にしたのは室町時代の臨済宗の僧・一休宗純、その人の書によります。

あのとんちのモデルになった「一休さん」ですね。

学者、詩人という面もあり、また香の愛好家でもあったそうです。後小松天皇のご落胤ということも云われております。

後小松天皇も香を愛し、「後小松院宸翰薫物方(ごこまついんしんかんたきものがた)」という薫物調合・研究書を書き遺しました。

※ 宸翰・・・天皇自筆の文書

その写しの古文献が香十さんに現存するそうです。

 

天正年間、この有名な香十徳の、香の十の徳を広める名として香十さんの初代:安田又右衛門源光弘さんが「香十」を名乗ったとされています。

四百余年の年月を経て香十さんは、伝統の香十練香「黒方(くろぼう)」をはじめ、名人十右衛門の名を冠したお香など、価値ある香製品の数々をお届けされています。

 

DSC02116a.jpg銀座香十 東京店

八重洲2-1 八重洲地下1番通り中2号

詳しくは八重洲地下街へ入り、店舗配置図にて「八重洲1番通り」をご覧ください。

03-3274-4006

営業時間  10:00~20:00

香十さんのホームページはこちら ⇒ http://www.koju.co.jp/

八重洲地下街さんのホームページはこちら ⇒ http://www.yaechika.com/

なお、この記事掲載につきまして八重洲地下街株式会社 小澤様にご了解をいただきました。

 

 

グリル銀座スイス 70年の歴史 天皇の料理番とともに 築地店のご紹介

[銀造] 2017年4月 1日 14:00

 「グリル銀座スイス」のレストランは、 銀座ガス灯通りの他に、 築地にもレストランがあります。お店の佇まい、スイス風です。 

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 元、読売巨人軍の大スター『千葉 茂さんの、「カレーにカツをのせてくれ」の一言で、名物のカツカレーが誕生した事』は、大変有名ですが、

こちらの歴史を知り、そしてフレンチのアラカルトを食べてみると、思い込みは吹っ飛んでしまいます。 コロッケは、小ぶりですが、大変美味しくて、アラカルトで注文したくなる一品です。

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次に、 創業者が「天皇の料理番」と言われた方と一緒にお仕事をした「宝亭」についての記述、

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そういう過程を経て、創業者、岡田進之助さんの息子さんの「岡田義人さん」は、帝国ホテルで修行をつんだ後、の昭和22年、銀座7丁目に「グリルスイス」に開店しました。

昭和23年に、元、読売巨人軍の大スター千葉 茂さんの、「カレーにカツをのせてくれ」の一言で、名物のカツカレーが誕生した事』のです。

 こちらの築地店、宵闇が迫ってくる少し前には、Happy Hour のサービスがあります。

メニューの一部を看板で紹介しましょう。

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そして、 今日は独りなので、「晩酌セット¥980」を頂きました。

コロッケが、フレンチです。(元々、フランス生まれですが・・・。)

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 二階は、25人程がパーティをするにはちょうど良い広さです。 静かにDinner を楽しめる雰囲気です。

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 これからの新入社員の歓迎会などで御利用をお勧めします。 感じの良いシェフとイケメンのソムリエが丁寧に応対してくれます。

住所:中央区築地2-8-1、電話:03-3545-3933 、店名:バー&グリル 銀座スイス です。

 

 

銘菓を日本全国から  ~ 日本橋三越 菓遊庵 ~ ②

[rosemary sea] 2017年3月29日 14:00

『ギフト、そして自分も楽しむ』をリストアップして取材します、rosemary sea です。

 

DSC02103a.jpg日本全国の銘菓を一堂に取り揃えた菓遊庵(かゆうあん)さん。

前回は商品のご案内を中心に述べました。

今回は歴史編です。

日本橋三越本店の地下1階のお店にお伺いしました。

今回も三越日本橋本店 菓遊庵 ショップリーダーの伊勢本(いせもと)様にお世話になりました。

 

昭和25年(1950年)、全国都道府県の歴史あるお菓子メーカーさんが、のれんと技術育成を目的とした「全国銘産菓子工業協同組合」を発足されました。

そしてその年の11月、ここ日本橋三越本店さんにおいて「全国銘菓復興展示即売会」を開催。これが大変好評でしたので、第二回より「全国銘菓展」と題し、現在まで年一回開催されている次第です。

ところが、年一回だけのこの催事を楽しみにされているお客様があまりにも多かったことから、ご要望へのお応えとして、常設の売場で同様の企画ができないか、と三越さんは考えました。

昭和59年(1984年)11月、やはりここ日本橋三越本店さんの菓子売場に「全国銘菓展」のお菓子を主体とした「伝統銘菓」売場を開設されました。

それから「伝統銘菓」売場は取扱商品を増やしながら大きく成長、昭和63年(1988年)、現在の「菓遊庵」という売場名に改められました。

 

「美味しい」「また食べたい」「これをあの方へ」という味の感動を更に更に高められるよう今後も厳選と品揃えに力を注がれる、とのことでした。

ロズマリ、感激です。是非これからもよろしくお願い致します。

 

DSC02102b.jpg菓遊庵

日本橋室町1-4-1 日本橋三越本店 本館地下1階

03-3241-3311(大代表)

営業時間  10:30~19:30

菓遊庵さんのホームページはこちら ⇒ http://mitsukoshi.mistore.jp/store/common/kayuan/

日本橋三越本店さんのホームページはこちら ⇒ http://mitsukoshi.mistore.jp/store/nihombashi/

 

 

 

長崎屋の場所

[O'age] 2017年3月27日 09:00

オランダ商館長一行の定宿長崎屋跡の説明板は日本橋室町4-4-10 に立っている。鎖国政策をとっていた江戸時代、最新の科学技術や外国語を学ぼうと多くの天文学者、医師、蘭学者などが訪ねて交流した重要な史跡である。(「中央区ものしり百科」より)

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長崎屋の建物は正面が南向きで、裏側(北側)は"カ子ツキタウシンミチ"(鐘撞堂新道または鐘突き唐人道(現・時の鐘通り))で、この道を挟んで時の鐘撞堂があったと推定される。上記説明板の立っている位置付近に正面入口があったのではないか。
「石町の鐘は紅毛(オランダ)まで聞こえ」。

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銅鐘石町の鐘・保存先(十思公園内)

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安政六年(1859)六月十四日に"鉄砲洲船松町二丁目(現・中央区湊町 [現・明石町ではないか?筆者O'age] )"に移転。鉄砲洲は江戸の蘭学発祥の地。明和八年(1771)、杉田玄白・中川淳庵らが前野良沢の居所に会して「ターヘル・アナトミア」に打ち向い、「艪舵(ろかじ)なき船の大海に乗り出だせしが如く、茫洋として寄るべきかたなく、ただあきれにあきれて居たるまでなり」と嘆息した地は同じく鉄砲洲。

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オランダ商館長のおこなった江戸参府旅行は、定例化したのが嘉永十年(1633)から年一回で、寛政二年(1790)からは貿易の半減に伴って五年目毎、四年に一回で、嘉永三年(1850)まで百六十六回。この嘉永三年に旅宿の業務はやめて、鉄砲洲移転後は輸入薬種に代表される輸入品取扱商店から輸入書籍や鉄砲その他の雑貨を扱う商店に変わり、長崎屋は"唐人参座"から"江戸長崎会所"へと転換することになった。長崎屋の第十一代目当主の源右衛門が明治八年(1875)本所で亡くなったという。
(片桐一男著「それでも江戸は鎖国だったのか」吉川弘文館、坂内誠一著「長崎屋物語」流通経済大学出版会 より)