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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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「夏越の大祓」 ー小網神社ー

[クラさん] 2017年6月30日 14:00

小網神社では、神社の境内につくられた「茅の輪」をくぐって罪や穢れを落とすため毎年6月15日から月末まで、鳥居に「茅の輪」が設置されます。別名、「茅の輪くぐり」と呼ばれています。

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半年に一度の厄落としである6月の「夏越しの祓(なごしのはらえ)」。さらに半年後12月には、同様の厄除けをする「年越の祓」があります。「大祓」は、日常生活のなかで知らず知らずに犯してしまう罪や穢れを6月30日と12月31日の年2回、お祓いする伝統行事です。

 

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今日(6/30)は、今年前半の穢れを祓って無事に過ごせたことを感謝すると共に、後半も元気に過ごせるよう祈念してきました。また、自宅の玄関先に設ける茅も持ち帰りました。

 

 

GINZA SIXと「商法講習所碑」

[滅紫] 2017年6月29日 12:00

日経新聞の「私の履歴書」を現在GINZA SIXの外観デザインを担当された建築家の谷口吉生氏が執筆中で、毎日楽しみにしているのですが、今朝27回目を読んでいたら「!!」な記述を見つけ、早速「確認」に出かけてきました。

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開業から2ヶ月が過ぎましたが、この6丁目辺りの人の流れは以前とは随分変わった印象を受けます。皆様はこのビルの中央通りに面した正面の植え込みの中に「商法講習所碑」があるのをご存知でしょうか。小さな長方形なのでちょっと見過ごしてしまいそうですが、赤い石の上に黒い石の屋根がのった「一橋大学発祥の地」です。「明治8年(1895)森有礼が私塾として開講した商法講習所が改称・改編を繰り返して昭和24年(1949)一橋大学が発足」(中央区ものしり百科)したのはご存知の方も多いことでしょう。正面には「商法講習所碑」とあり道路に面した側には「一橋大学発祥の地」とあるのは知っていましたが、今回確認したのは側面です。ありました!

「設計 谷口吉郎」です。ご紹介するまでもありませんが「谷口吉郎」氏は東工大教授で東宮御所や東京近代美術館、明治村などの設計で有名な建築家で谷口吉生氏の父上です。谷口吉生氏は次のように書かれています。「GINZA SIXの設計にかかわり始めた10年ほど前、中央通りを歩いていてあるものに目が留まった。中略 何と父の名前が碑の設計者として刻まれていた。 設計を始めた銀座最大の建築の前で銀座最小の建築を発見した時は心底驚いた」中国人観光客の家族が、碑の前で記念撮影をしていました。「建築家の父と子の大小作品が通りに並んでいる」というのもちょっと楽しいですね。

 

「商法講習所碑」 銀座6-10 中央通に面しています。

 

 

日本橋税務署がまもなく完成

[柴犬] 2017年6月28日 14:00


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長らく工事中だった日本橋税務署ですが、今はこんな様子です!程よく近代的で和の趣を感じる建物に。八月中に完成し、業務開始は9月19日の予定です。一階は利用者のための駐車場になります。近隣住民がほんのり期待していた建物内の売店などは...特にありません!残念です!

銀座には次々と新しい商業ビルが建ち、秋が始まる頃には上野御徒町近辺街の景色も変わります。オリンピックに向けて地下鉄駅構内の整備など街の再開発は続きますが、中央区内の住宅地もそれとなく変化しています。平成の今の中央区の光景を、できるだけこちらのブログに残していきたいと思います。

 

 

だから「大根役者」って云うのか?

[朱房の十手] 2017年6月24日 18:00

DSCN0784 (2).JPG江戸歌舞伎発祥の地、京橋大根河岸青物市場跡

 

ここは、中央区京橋3-4です。

二つの石碑は同じ場所にあります。

歌舞伎発祥の地として昭和32年に建立されました。

 

中村座が、中橋南地に太鼓櫓を許されたのは1624年です。以来、明治26年まで270年続きました。当時は人形操り座、浄瑠璃座などの小屋があり大変賑やかな場所でした。その後江戸城に近い理由で興業物は撤廃され、日本橋堀留町に移りました。

 

青物市場跡の石碑は、昭和34年に市場開設280年を回顧して建立されました。

 

市場は、水運の良い京橋川北詰にありました。大根の名称は大根の入荷が多かった為につけられましたく。「歌舞伎発祥の地」とは、全関係ありません。くれぐれもお間違いないように

 

その後、昭和10年に築地中央卸売市場と合併する事になり、に移転しました。

銀座でお買い物ついでに、ご覧ください。

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赤穂義士 間新六供養塔が本願寺に?

[朱房の十手] 2017年6月23日 09:00

間 新六供養塔

 

DSCN0722 (2).JPG毎年暮れになると必ず放映される「忠臣蔵」

主君 浅野内匠頭の仇討ちに父、兄(吉良上野介に一番槍を付けたと云われています)と共に加わりました。

 

吉良邸討ち入りでは裏門隊に所属し、同士と共に毛利邸で切腹しました。

遺骸は姉婿 中堂又助の手によって、自分の菩提寺 築地本願寺に埋葬されました。

 

当然ながら「一人ぼっちの本願寺」と「同士とともに眠る泉岳寺」に異なる墓碑があります。

 

DSCN0723 (2).JPG伝承ですが討ち入り後、引き揚げ時に自分の槍と供養料の金子を結び付け境内に投げ入れた話が伝わっています。

今も「新六の赤槍」が寺宝として残っているそうです。(見学不可)

築地市場のすぐそばです。買い物帰りにお立ち寄りください。

 

 

一石橋

[O'age] 2017年6月23日 09:00

一石橋 (八重洲1丁目11番先)

 

現地の中央区教育委員会の説明板(中央区民文化財・下左写真)によると、橋名由来は橋の北の本両替町に幕府金座御用の後藤正三郎、橋の南の呉服町には、幕府御用呉服所の後藤縫殿助の屋敷があり、後藤をもじって五斗、五斗+五斗で一石と名付けたとしている。これには異説もあると、「中央区ものしり百科」にも次のように紹介されている。江戸初期、使用禁止となった永楽銭一貫文に付き、米一石と取りかえた場所がこの橋であったことに由来する。

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また、南橋詰には「一石橋迷子しらせ石標(東京都指定文化財)」が有りこの付近は、江戸時代には大勢の人々で賑わう場所であったようだ。迷子になると親子が一生離れて暮らすこともあったとか。この石標は唯一江戸時代からのものと記載され貴重な歴史資料とされている。
また、この西側には2020年以降に日本一の超高層ビルが計画されていて、既存ビルの解体等が進められている。多くの人の注目を集める地域になっていくのではないか。

IMG_9205.JPG上部を高速道路が通り、一石橋の下部は水面からの高さが低い。

 

一石橋はまたの名を八見橋として、江戸名所図会などにも紹介されている。この橋上から自身を含めて八つの橋が見えたからだという。今は道三堀や外堀が埋められて、残っているのは常磐橋(解体改修工事中)、一石橋、江戸橋、日本橋の四つになっている。道三橋、銭瓶橋、鍛冶橋、呉服橋の四つは、現物の橋はないが、説明板が設置されているところもある。

 

下左の写真、北側常磐橋方向。改修工事中の旧い常磐橋は常盤橋に隠れて見えない。右の写真は日本橋方向、高速道路の橋げた等で、江戸橋は見えないが日本橋はほんの少しそれらしいものが見えた。

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下左は、道三橋跡、下右写真は呉服橋跡説明板。

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下写真は鍛冶橋跡説明板。

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