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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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第33代中央区観光大使・ミス中央本選会 拝見報告 

[銀造] 2014年9月16日 09:00

 2014年9月13日(土)、日本橋三越本店にて、第33回中央区観光大使・ミス中央選考 本選会が開催されました。

檀上に皆さんお揃いになりました。 流石に、予選会を勝ち抜いてきた美女、淑女です。

「いずれ菖蒲か 杜若」,「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」

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参加者の皆さんは、現役大学生、有名専門店、百貨店、商社などにご勤務の才媛揃いです。

ご趣味もお茶、お花に限らず、スポーツインストラクターとか元気な方々が出場されていました。

ご出身も中央区に限らず、国際的で、台北出身で中央区在住とか、大阪出身、福島県出身とか地方色も豊かですが

現在在住の方、生まれついての中央区というかたも、地元を愛する気持ちが強く伝わってきました。

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勝ち残った3名のお嬢様方の、第33代中央区観光大使・ミス中央の誕生です。Congratulations ! Para bems !

第33代中央区観光大使・ミス中央のお名前は、中央区観光協会のHPでご確認下さい。

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今後 一年間のご健勝とご活躍を祈念しております。

(日焼けしないように予防して下さいね。

PS.今回は、第28代中央区観光大使・ミス中央を務められた澤田知美さんが審査員としていらっしゃいました。

  私は2009年9月に、澤田知美さん、三上真奈さん、高城あずささんが第28代中央区観光大使・ミス中央に選ばれた時からのファンです。

  元観光大使・ミス中央の方々のご活躍をも祈念しています。 銀造

 

 

 

「伊能忠敬 居住200年中央区まつり」 、「第27回 完全復元伊能図全国巡回フロア展」 見学報告

[銀造] 2014年9月13日 14:00

 8月28日から31日まで、「伊能忠敬 居住200年中央区まつり実行委員会」主催の催しがありました。

「第27回 完全復元伊能図全国巡回フロア展」です。 中央区立総合スポーツセンターの2階会場を一杯に使っての大展示でした。

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伊能忠敬さんは、1745年、九十九里浜のほぼ中央の小関村に、小関貞恒、ミネの子として、三人兄弟の末っ子として生まれました。その後、母親との死別で、入り婿だった父親は忠敬(幼名、三治郎)の兄、姉だけを連れて、実家に戻ります。

忠敬が10歳の時に父親、神保貞恒が迎えに来て、17歳まで父親の元で暮らします。この時、佐原の酒造家、伊能三郎右衛門家では当主がなくなり、未亡人が婿を求めていたのを、神保家、伊能両家の親戚である平山家のあっせんで婿入りします。

その後、伊能家で商才を発揮し、49歳まで家業の酒造業を盛り立てました。 49歳で隠居し、家督を息子・景敬に譲り、江戸に出て天文・暦学を志し、19歳年下の幕府天文方・高橋至時に入門します。

 資力があったとはいえ、チャレンジ精神旺盛な伊能忠敬がここから本領発揮です。

深川八幡宮近くの黒江町に住み、浅草の蔵前にあった暦局の高橋至時のもとに通学し、自宅にも観測所を設けて熱心に観測したとのことです。

暦学者の間で、地球の大きさが話題になっていると、浅草と黒江町の緯度の差が1分半ということを知っていたので、「それでは、私が両地点間の距離を測って、緯度一分の距離を決めてやろう」と思い立ちますが、師匠の至時から、「浅草と深川の距離を測って、地球の大きさを決めるのは、ちと乱暴ではないか」といわれ、それではと、日本全国を行脚し、日本地図を作成するのを思い立ったのではないかと言われています。

 

 55歳になって、緯度一度の長さを測ることを目的とする蝦夷地測量に踏み出します。寛政十二年四月十九日、深川八幡宮に参詣し、千住宿を経由して蝦夷地へ向けて旅立ちました。

第二次測量は、伊豆から本州東岸を測りました。 この第一次、第二次測量の実績が認められ、次の第三次測量からは、幕府から旅行のための人馬を無賃で利用できるお触れが出され、数量も大幅に増やされて、村村からは格段に手厚い援助が得られる様になりました。 第三次測量は羽越地方、第四次測量は東海、北陸の沿岸を測量し、東日本全図の制作を目指しました。

 下記する参考文献から、このとき使用した測量機器は、「中象限儀」というものであったことが紹介されています。会場では、その他の測量器具も展示されていました。 

 

第一次から第四次までの四回の測量結果は、「日本東半部沿海地図」としてまとめられ、幕閣で好評を博し、第11代将軍徳川家斉の上覧を受けています。

第四次測量ルート図によると、この時は東海道を沼津まで再測し、沼津で伊豆半島の測量線に接続させて東海道沿いの沿岸測量を始め、江尻、三保松原、御前崎、渥美半島、知多半島と進み、熱田から名古屋城下に入って、岐阜、大垣、関ヶ原、木之元を抜け、敦賀から日本海を北上して福井、石川、今浜、能登半島を一周し、七尾、親不知、糸魚川、出雲埼、佐渡島に渡った後、寺泊、長岡、三国峠、高崎、熊谷、江戸へと帰還しています。この時、1803年10月7日ですから、58歳でした。

 その後、西日本測量の命令を受けて、第5次、第6次測量が続きました。第5次では、街並みの整った京都も測量しています。

 現代の時刻表に使われている地図と大差ないように感じます。

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第6次では、厳島の測量も手掛けています。

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 このイベントでご紹介頂いた全てをこの小さなブログでは表現できないのが残念です。

「伊能忠敬」大先生の旺盛な好奇心、チャレンジ精神を見習って、これからの人生を楽しく生きなければと思いました。

主催者、ご協力の皆様方に深い敬意を表します。 有難うございました。

 

参考文献:「伊能忠敬の全国測量」編集者:渡辺一郎様、発行者:伊能忠敬研究会、制作、問い合わせ先:日本写真印刷株式会社、電話:075-823-5151

追伸:伊能忠敬さんが、お住まいになったのは、現在の中央区で言えば、亀島橋あたりです。そこには、案内の掲示板があります。中央区の街歩きもお楽しみください。

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深川八幡祭りの水掛けスポット「新川」

[TAKK...] 2014年8月31日 09:00

 少し前の話になりますが、深川八幡祭りの御鳳輦が氏子町内を渡御する神幸祭が8月16日土曜日に、各町の神輿53基が一斉に渡御する神輿連合渡御が8月17日日曜日に行われました。

 富岡八幡宮(江東区)の祭ですが、中央区の新川、箱崎も神輿連合渡御順路の一部となっていました。

 

 

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 いつもは、サラリーマンや車が行きかう道路も神輿や担ぎ手さん、警備の方でいっぱいです。

  

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 新川から永代橋を渡り、富岡八幡宮に戻ることとなりますが、永代橋前は水かけスポット。

  

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 「水かけ」とは、沿道の方から神輿の担ぎ手さんへ清めの水をかける習慣のことなのです。

 しかし、ここでは消防団が消防車を使って「放水」を行うので、ものすごい迫力、必見です。

   

  

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 猛暑の中なので、水かけはありがたいのでしょうね。

   

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 ワンちゃんも駆けつけました。

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 オフィス街に神輿が舞う様子は、とても不思議な感じがします。

 街の姿が変わっても、伝統がしっかり守られているのだなあ、と思いました。

 お祭りを支える数多くの方がいるということであり、とてもありがたいことだと感じました。 

  

 

 

 

 

 

中央エフエム ラジオ番組84.0 とパソコン視聴のご案内

[銀造] 2014年7月18日 14:00

皆さん、こんにちは。

特派員ブログを見て頂いて、ありがとうございます。

 

そのブログと連動したラジオ番組が、

中央エフエムの「大好き中央区!」で、

毎週月曜日の12:28頃から10分間ほど放送されます。

その放送を聴き逃したには、同日の18:30頃から再放送があります。

番組の周波数は、短波の 84.0

 

生憎、中央区外で短波の届かない場所にいらっしゃる時には、何と

PCでも視聴できます。 URLを開いて頂き、アクセスしてください。

  

ちょうど、7月21日は銀造が、7月28日はミルさんが登場です。

http://fm840.jp/

 

そのラジオ番組が終わった後には、

央エフエムの方のブログ記事も掲載されますので、こちらもご覧ください

http://fm840.jp/blog/hello/

 

 

 

6月25日・浜離宮恩賜庭園「江戸からかみワークショップ」

[江戸旅太郎] 2014年6月28日 09:00

■6月25日(水)の午前と午後の二回、浜離宮恩賜庭園・芳梅亭で「江戸からかみワークショップ」が行われました(公益財団法人東京都公園協会 協力・株式会社東京松屋(創業元禄3年(1690))。

この催しに応募し、午後の部に参加しました。

■講師:小泉幸雄氏。昭和22年生まれ。江戸の名工といわれた初代・小泉七五郎から数えて5代目の「江戸からかみ」の数少ない木版摺りの職人「唐紙師」。国・東京都指定の伝統工芸士であり、東京都優秀技能者「東京マイスター」受賞。浜離宮恩賜庭園「松の御茶屋」復元時には襖と貼り付け壁の復元を担当した。(告知印刷物より)

 

■江戸からかみ:「からかみ」は、文様を彫刻した版木に、主として雲母(白雲母の粉末)や胡粉(貝殻の粉末)などの絵具をつけ、手摺りで和紙に文様を写しとっていく技法。平安時代に中国(唐)から渡来した「紋唐紙」を京都を中心に日本で模造したのが始まり。徳川幕府による江戸の街づくりが進み、人口増加とともに増大した多様な需要に応えるべく、「江戸からかみ」として江戸で独自の発展を遂げました。(告知印刷物より)

■降り出しそうな天候の中、初めに小泉幸雄氏氏が襖と貼り付け壁を復元した「松の御茶屋」の内部を見学しました。

 

□11代将軍徳川家斉時代の御茶屋を復元した「松の御茶屋」。

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□復元された貼り付け壁の文様を説明する小泉幸雄氏。

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□「松の御茶屋」内部。

この「松の御茶屋」は、毎週木曜の午後1時から内部公開され、見学できます。

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□「松の御茶屋」に続き、11代家斉時代の「燕の御茶屋」を現在復元工事中(来春完成予定)。

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□芳梅亭での小泉幸雄氏の説明と実演。

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□この「小若松」の版木は、天保11年(1840)に作成されたものです。ほうの木(朴の木)で出来ています。

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□参加者は、小泉幸雄氏のご協力のもと三枚の葉書に文様を写しとり、お土産として頂くことがきました。

文様は「小若松」・「瓢箪」・「青海波地鱗鶴」でした。雲母を使用している為、角度を変えると文様がキラキラします。

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■江戸文化に触れる楽しい機会でした。

今秋にもこのワークショップを検討しているようです。ご関心ある方はインターネットなどで情報を継続ご確認下さい。

 

 

 

梅雨の中央区を文学で楽しむ

[之乎者也] 2014年6月27日 09:00

梅雨の季節、ブログ読者の皆さまはいかがお過ごしでしょうか? 今年の梅雨は真夏のような晴れの日があったかと思うと、雹が降ったり、突然の雷雨があったりと異常気象ですね!

 

春先のお出かけに絶好な季節とは異なり天気の急変も心配なこのごろ。今日はいつもとはちょっと趣向を変えて、文学で中央区、それも江戸時代の石川島と佃を探訪してみたいと思います。

 

金曜日の会社の帰り、東京駅前の本屋さんで中央区が舞台になった本 を2冊買ってきました。

中央区の時代物文学といえば、先ずは池波正太郎の『鬼平犯科帳』。18世紀半ばの江戸の火付盗賊改方で、18世紀の後半、寛政の改革の松平定信の下で石川島人足寄場を管理した長谷川平蔵がモデルとして有名なテレビ時代劇・小説ですが、今日はちょっと角度を変えて、人足寄場にフォーカスした小説を紹介したいと思います。

 

一冊目は、松本清張の『無宿人別帳』(文春文庫)。この短編小説集には10のお話が入っていますが、その中の無宿人別帳.jpg『海嘯(つなみ)』が人足寄場のお話になっています。小説では、能登の漁師の出身で江戸に流れ着き無宿の主人公新太は、町を歩いているときに岡っ引きに呼び止められて辻番所に連れて行かれ、そのまま伝馬町の仮牢(留置場)に入れられてしまいます。伝馬町からは佐渡の金山へ送られ、地獄のような坑道の水汲みの仕事をさせられ、そのまま命を失うことも多いのですが、新太は幸い石川島に送られることになります。

日本史の教科書では、「18世紀後半の天明の飢饉などの影響で、農村を捨てて江戸に流入する無宿者が増える中、幕府がこれらの無宿者を石川島の人足寄場に収容して治安の向上を図った」などと書かれていて、このような説明からはなんとなく「牢獄」のようなものではないかと思ってしまいますが、もう少し穏やかなものだったようです。『海嘯(つなみ)』でも「一定の期間が来て成績のよいものは労務の賃金を与えて釈放する」ともあり、また一律に極端な労役を課すでもなく、それぞれ大工、左官、鍛冶屋、百姓などと手に職ある者については石川島でもそれらに関連のある仕事を与えられたようです。

ある秋の日、漁師の倅で気象に詳しい新太は雲を見て、津波が来ることを予言する。石川島、佃島、築地一体はあっという間に津波に襲われ、寄場奉行の「逃げよ、そして高波が収まれば、永代橋際に集まれ」との許しを得て波を潜りながら泳いで深川に逃げる。新太が最終的に永代橋に戻ったかどうかまでは小説では語っていませんが、この小説で我々は当時の人足寄場の様子を知ることができます。

さらには、「無宿人別帳」のその他の9つのお話では、伝馬町の牢屋敷の話、八丈島への島流し、こ140405Ishikawajima.JPGの世の地獄の佐渡島からの脱走話など、当時の『無宿人』たちの中でも、『石川島人足寄場』のような比較的人道的な場所とは大違いの場所での様々な世界を知ることができます。

梅雨のひと時、小説を通して江戸へタイムスリップしてみるのもオツなものです。

次回は、もう一冊本屋さんで買った山本周五郎の「さぶ」をご紹介したいと思います。

  

(右上写真は、桜の季節の4月7日付ブログ『新川公園から中央大橋、佃公園へのお花見散歩』でご紹介した石川島灯台:http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2014/04/post-1956.html

 

 
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