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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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【遠足シリーズ第10弾】東北各地を旅して楽しむ中央区史跡

[Hanes] 2019年1月16日 14:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
東北地方と聞いて、皆さんは何か中央区との関連性を思い浮かべますか?
やはり、友好都市の山形県東根市を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか
今回は東根市とは別に、東北地方を訪れた際に見つけた中央区の史跡に関する場所をご紹介します。

【宮城県仙台市×佃】海水館
明治・大正の文化人が滞在した割烹旅館「海水館」。
関東大震災で焼失し、今では佃に案内板が残るのみですが、
実はこの旅館の建物、仙台市から移築したものなのです
当時は東京湾が一望できる風光明媚で閑静な場所であり、
島崎藤村、小山内薫、木下杢太郎、三木露風、吉井勇、久保田万次郎、竹久夢二、日夏耿之介らも訪れたといいます。

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(夜の写真で失礼いたします。)

【山形県×日本橋本町】羽黒山
江戸時代のはじめに、大伝馬町の佐久間家の下女となった慈悲深いお竹は、
ある日出羽国の羽黒山の行者から大日如来の化身であると告げられました。
後に、その話を聞き付けた市中の多くの人が拝みに来るようになったといいます。

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現在彼女が使用した井戸の跡には、「於竹大日如来井戸跡」という石碑が設けられています。

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【関連記事】CAMさん「歴史豊かな建造物をめぐるコース(3)」

【福島県いわき市勿来×日本橋兜町】源義家
平安時代、奥州攻めに向かう源義家は、現在の鎧橋辺りで暴風雨に遭い、
鎧一領を海中に投げ込み龍神に祈ったところ、無事に渡ることができました。

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(現在は、鎧の渡し跡の案内板あり。)

ここで出てくる義家の姿は、福島県いわき市にある勿来の関および勿来駅に見ることができます。

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(勿来の関にて撮影。再び夜の写真で失礼いたします。)

勿来の関にある碑には、「平安時代も終わりに近い後三年の役のとき陸奥守源義家が その平定のため奥州に下向する途中ここにさしかかる」と刻まれています。
そして、ちょうど勿来にさしかかった頃、行く春をおしむかのように、武将の鉄衣に舞いかかる桜の花に、義家は駒をとめてこのような句を詠みました。
「吹く風を 勿来の関と 思へども 道もせに散る 山桜かな」『千載和歌集
通釈:「来る勿(なか)れ」という名の勿来の関なのだから、吹く風も来ないでくれと思うのだが、道を塞ぐほどに山桜の花が散っているよ。

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(勿来駅にて撮影。)

中央区内にある史跡の中には、このように東北、いや全国各地と結びつくものがあり、
旅先でも史跡同士を結び付けて歴史に思いを馳せることができます。
そして、出身県との関連性が見つかると、史跡を見るのがますます楽しくなるのはきっと私だけではないはずです

中にはあまり目立たず、過ごしてしまいがちな案内板もありますが、
まち歩きの際にはぜひこういった史跡の案内板もチェックしてみてくださいね

 

 

会津で見つけた「銀座九丁目」

[wienerhorn] 2019年1月16日 09:00

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連休を使って、東武特急「リバティ会津」に乗って福島県会津若松市まで小旅行に行ってきました。夕方、駅近くを歩いていたら「銀座」の文字が目に入り、迷わず入店。お話を伺うと、以前銀座八丁目でお店を経営されていたことから、地元会津に戻るにあたり名称を「銀座九丁目」にされたとのことです。
数えきれないほど多くの種類がある会津の地酒をカクテルグラス(70mlくらい?)でいただけるので、少量ずつさまざまな種類のお酒を楽しむことができます。ことごとくウマイ。会津は水も米も美味しいので、いいお酒がたくさんあるのです。
それから、隣の店舗で同じ経営の「こんべぇ」では、毎週豊洲市場から(以前は築地市場から)直接仕入れてくる美味しい魚介類の数々をいただけます!なんと毎週夜行バスで東京に仕入れに通っているとのことで、その行動力にも脱帽です。
これだけの美味しい酒と魚を堪能できるお店は、貴重だと思います。シメには、注文してから打つ十割蕎麦まで!
会津と東京(中央区)の良さを同時に味わえるお店。週末ふらっと旅に出てみませんか?
私はリピーターになります。次はいつにしようかな^^
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スタンドバー「銀座九丁目」 & 魚と煮もの「こんべぇ」
福島県会津若松市大町2-6-2
tel.0242-24-2015
営業時間 17:00-23:00

 

 

中央区観光検定試験に向けて

[みど] 2019年1月12日 18:00

第11回(2月3日開催)中央区観光検定試験に向けて勉強されている 方に、これまでの私の経験から効果的な学習方法をご案内させて いただきます。

 

当然ですが、公式テキスト『歩いてわかる中央区ものしリ百科』と 過去問題集は必ずご用意してください。 まずはテキストを斜め読みして概要をインプットします。ここでは 詳細は覚えようとしなくて良いので、全体のイメージを把握します。 次に過去問題集を集中的にトライしてみてください。おそらく50% くらいしかできないかも知れませんが、さほど気にしなくても良いです。 過去問題を3ケ年分、解くことでだいたいの「出題傾向」がわかって くると思います。

 

たとえば、「●●●の由来」「■■■と関係する人物」「■■■の作者」 「...の前身、旧名、別名、現在の名前」はよく出題されています。 「数」も問題にしやすいので数字に関わる箇所は覚えておきましょう。 このようにおおよその出題傾向がわかってきたら、今度はテキストを じっくりと読み返します。ここは出そうだと思える箇所にはマークして 繰り返しテキストを読みこなします。 自分なりに穴埋め問題を想定しながら読み込むと良いと思います。 テキストに掲載されている写真や地図もしっかりイメージできるように しておきましょう。

 

 またこの1~2年間にあったイベント、ニュース等を覚えておくとベターです。 第11回試験のテーマ「平成の中央区」ということなので、平成に関連する 問題が予想されるので、ヤマをかけてみるのも楽しいかも知れません。

 

このほど観光協会のホームページに「中央区観光検定 de タイムアタック」 という過去問をWEB上で解けるサイトが開設されていますので、これを 活用されると良いかと思います。

http://www.chuo-kanko.or.jp/#we-page-quiz

 

 合格ラインは75点なので、100点は目指さず、80点をターゲットにします。 つまり20点はできなくても良いという心の余裕が生まれます。 落ち着いて頑張ってください。

 

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下水道のインフラ見学ツアー

[メニイブックス] 2018年12月18日 18:00

先日中央区観光協会から「下水道のインフラ見学ツアー」募集のお知らせがあり、当選したので12月14日妻と参加しました。当日立川駅に集合。21名の参加者と都下水道局の広報担当の方々もご一緒にバスで移動。まづ国立市にある北多摩二号水再生センターへ行きエレベーターで11mほど下り連絡管が敷設されているトンネル(約1km)を歩き浅川水再生センターを見学。センターでいただいたパンフレットと当日のトンネルの写真を添付します。地下鉄工事やトンネルの掘削に使用される機械を用いて工事し直径は3.5mあるそうです。

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説明してくださったセンター長さんです。 

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トンネルは多摩川の下を通っています。トンネルの左右にある配管は両方の水再生センターをつないでいて相互に汚水等を送れるようにしてあります(片方がダメージを受けたときのバックアップ)。浅川水再生センターで下水処理の説明を受け実際の処理設備を見ました。施設内は悪臭も感じられず、汚水が澄んだ状態の水になるのを確認。本当にきれいになっていました。その状態で川へ放流されます。

汚水のマンホールのふたの写真です。実物は色付けされていませんが、ピンクの桜、黄色のイチョウの葉、その周りは黒色のゆりかもめがつながった状態であらわされています。(皆、都のシンボル?)

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今まで気が付きませんでしたが、注意して歩いていると至るところでこのマンホール見ることができます。

その後バスで移動し、現在工事中の巨大貯水池の工事を見学しました。「第二田柄川幹線その2工事」。18m歩いて下り工事中の巨大トンネルを見学。大雨の時にここに雨水をためて家屋への浸水を防ぐそうで4万立方米(25mプール何杯分?)の貯水容量があるとのことです。これも写真をご覧ください。コンクリート製のセグメントと鋼鉄製のセグメントは使い分けしており、カーブなどのところは鋼鉄製を用いあとからコンクリートで仕上げをするそうです。このトンネルの先で掘削作業が行われている最中です。レールは掘削した土砂を搬出するトロッコ用。

 

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水再生センターも田柄川幹線工事も大土木工事です。でもこのようにしてあまりなじみのない下水処理や洪水対策の施設を見学するとなかなか勉強になります。参加者のどなたかがおしゃっていましたが、「大人の社会科見学」でした。皆様も機会があればぜひ一度参加されたらよいと思います。なお次回は1月12日ですが応募数は4倍になっているそうです。今回は2倍だったそうです。

 

 

Discover Chuo City : カトリック築地教会の敷地に住んだ億万長者

[Hanes] 2018年12月11日 14:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
もし、「カトリック築地教会の敷地に億万長者となった人物が住んでいたことがある」と言ったら、皆さんは信じますか?
私は初めてこの話を聞いた時、手放しで信じることができませんでした

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その人物は信徒ではなく、なおかつ関東大震災前の話なので、
教会にその人物についての資料は残っておらず、「やはりそんな事実はなかったのか...」と思いかけたその時、
茨城県のとある資料館にて、偶然にもそれが事実だったと知ることになりました。
今回はそのような嘘のような本当の話を通じて、
これまでほとんど知られてこなかった築地の歴史のワンシーンをご紹介します

時は戦後。日本には「戦後の三長者」と呼ばれる3人の億万長者がいました。
元力士でホテル・ニューオータニ創業者である大谷米太郎
大阪造船所社長である南俊二
そして、今回の主人公となる炭鉱経営者菊池寛実です。

お隣の港区には、「菊池寛実記念 智美術館」があるので、
彼の名前を聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれません

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栃木県の馬頭町出身の彼は、炭鉱で成功していた叔父の山崎藤太郎を頼って上京し、
入船町の運河に面した場所にあった山崎商店にて、隅田川で石炭の荷下ろしをする見習いとなりました。
当時内風呂のある家は少なかったので、一町内にひとつは銭湯があり、
彼も石炭や粉炭の汚れを洗い流しに銭湯に行っていたようです

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(もしかしたら入船湯のことかもしれませんね!)

そんな彼もやがて結婚し、アメリカ大使館やホテルオークラの近くである赤坂霊南坂に住み始めます
そしてその後、築地明石町に引っ越すことになるのです。

「大正十年、一家は霊南坂の家から築地明石町に移った。この家は、昔の居留地のまんなかにあったカトリック教会に隣接する教会付属の建物で、ローマ法王所有の家であった。明治十年以前の建築で、古くはあったがレンガ建ての立派な洋館で、二階を住居とし階下を辰ノ口炭砿の事務所に使った。新興成金の住居にふさわしい、というより身分不相応なくらいの堂々たるものであった。」
立石任夫『菊池寛実伝』(大心塾、1979年)、p. 180.※非売品

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(菊池寛実記念高萩炭礦資料館(茨城県高萩市)にて撮影。)

「不景気のあとの不況の波が押し寄せてきた大正十(一九二一)年、寛実は転居している。新婚生活五年目であった。赤坂霊南坂から、築地明石町へ移転した。新居は新築ではなく、カトリック教会に付属した洋館で、ローマ法王庁所有の家だった。築四十五年というから古いが、赤レンガ建ての洋館で、当時まだめずらしい。どうしてこの家が手に入ったのか。娘の智によれば、ローマ法王庁の大司教座が霊南坂に移ったのにあわせて、寛実が譲り受けたらしい。二つの西洋館のうち、一軒は会社が使用し、もう一軒は住まいになっていた。この明石町は隅田川の河口に近く、川沿いで眺望も悪くない。数十年前まで、川に望んだ料亭など、なかなか風趣があったものだ。もともと、明治初年の、いわゆる築地居留地のあとだけに、大正時代にはまだ、居留地の名残が新東京風景としても知られているところだった。」
早乙女貢『怒涛のごとく:菊池寛実の不屈の生涯』(2008年、原書房)、p. 119.

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(菊池寛実記念高萩炭礦資料館(茨城県高萩市)にて撮影。)

寛実は、関東大震災で家が消失したのを機に引っ越すことになりましたが、
その当時の教会の様子は、以下のように記録されています

「ローマ法皇庁の力も、贅を尽くした西洋建築もこの地震の前には、抗する術もなかった。地震は火災を引き起こし、火は風を呼び、烈風が火災を煽って、東京を焼き尽くしたのだ。(...)余震のつづく三日目には、早くも入船町の焼け跡の敷地に杭を打ち縄張りして、バラックを立てた。(...)寛実はそのバラックで早くも仕事を再開始し、ついで、ふたたび明石町の旧居跡にも、バラックを建てた。ここは敷地が広いので、空地を貯炭場に利用できる。教会が荘厳な雰囲気で蟠踞しているときはとても言い出せなかったことが、震災がもたらした幸いといえようか。教会のあった敷地が石炭置場になるなどと、だれが想像し得ようか。この明石町は隅田川と掘割に囲まれているために、水運に便利なことが石炭の運搬に最適だったのだ。」(早乙女、pp. 124-126)

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(菊池寛実記念高萩炭礦資料館(茨城県高萩市)にて撮影。)

信じられないかもしれませんが、先日同期特派員の湊っ子ちゃんさんもご紹介していた教会敷地内の建物は、
かつて炭鉱事務所として使用され、石炭置場になったこともあるのです
そしてまた、後に億万長者となる菊池寛実の若き日を見届けた場所でもあるのです

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(高萩炭礦の事務所の遺構)

黒いダイヤモンドで日本の発展を支えた男の築地での一時は、
既存の文献にはほとんど残っておらず、忘れられつつあります。
しかし、外国人居留地としての印象の強い築地明石町に、それも教会の敷地に、
そのような人物が住んでいたことは非常に意外で、興味深い話ではないでしょうか?

このように、中央区内には興味深い人物伝がまだまだ眠っています。
今後も石炭を掘るがごとく、人物伝を「採掘」していきたいと思います

 

 

笠間稲荷神社

[wienerhorn] 2018年12月 5日 14:00

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写真:笠間稲荷神社(茨城県笠間市)

「日本橋七福神」は、東京メトロの水天宮前駅、人形町駅、小伝馬町駅、都営地下鉄の浜町駅の界隈にあり、頑張れば1時間で七福神を巡ることができます。その中に「笠間稲荷神社東京別社」があります。中央区観光検定の勉強をなされた方はよくご存じですね。10文字もある長い名前なので印象的です。江戸末期の1859年に笠間稲荷神社(茨城県笠間市)の分社として現在の位置につくられました。
先日、たまたま茨城県内をドライブしていると、カーナビに「笠間稲荷神社」が表示されたので、これはアレだ!と思い、急遽立ち寄ってきました。651年の創建で、日本三大稲荷に数えられる神社です。荘厳な雰囲気の境内、大きな社、仲見世など、とても印象的な空間でした。もうすぐ初詣を迎えますが、多くの参拝客が訪れるのでしょうね。

 

 
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