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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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ちょっとニューヨク・タイムズ ―銭湯と愉しむ まち歩き―

[いのちゃん] 2018年10月 8日 12:00

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10月10日銭湯の日。

東京都の浴場組合の公式サイト「1010」と検索するだけで簡単に探せます。

 

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10月7日には「銭湯検定」も実施されました。

この検定、かつては11月26日(いい風呂の日)前後に行われていたというのは

ちょっとしたトリヴィアでしょうか。

 

中央区には現在、9つの銭湯があります。

この特派員ブログでもときどき銭湯の話題が登場しています。

 

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風呂好きの私は都内だけで百軒以上の銭湯をまわりました。

まち歩きと組み合わせて東京にいながら旅行気分を愉しむのが醍醐味です。

 

中にはもうなくなってしまった銭湯もあり、跡地に建つ現代的なビルディングを

見ると淋しいような気持ちもなくはないのですが、それは時代とともに街が生ま

れ変わってきた証拠。今では懐かしい思い出です。

 

さて、「銭湯検定」を受検された方はあとは結果を待つばかりですが、

われらが「中央区観光検定」は今月から申込みが始まったばかり。

 

秋も深まり行楽日和が続きます。

『歩いてわかる 中央区ものしり百科』 を片手に、ぜひ まち歩き湯めぐり

お出かけください。

 

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中央区内の銭湯一覧はこちら

中央浴場組合公式サイト ふれあいの湯 http://www.268chuou.com/

 

 

※当記事は米国第3位の発行部数を誇る高級日刊紙とは何ら関係ありません。

 

 

 

 

河童 東京150年特別企画

[あすなろ] 2018年10月 4日 09:00

東京150年を記念して復刻したカッパバッジの恩恵を受け、

プレミアムツアーに参加しました。

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当選者は、都庁舎に集合。

東京のインフラ、東京2020大会会場見学ツアーです。

この機会でないと体験できない特別な内容。

撮影・掲載許可のあるツアーの様子をご紹介します。

 

①古川地下調節池(港区)

 水害から人々を守る地下トンネルが約40mの地下にあります。

 階段で昇降しました。

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 ライトの明かりが届かないスペースが続いていました。
 25mプールで450杯分の貯水量があるそうです。
 
 監視制御は中央区明石町からも行っているとのこと。

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②ゆりかもめ車両基地(江東区)

 安全運行を支える車両基地(掲載NGです)

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 河童企画のつながりで、洗車車両特別体験の粋な計らいがありました。

 

③カヌー・スラローム会場(江戸川区)

 水路に人工的に流れを作り出し競技を実施することができる、

 国内初のカヌー・スラローム会場です。

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 200mのコースには拡幅で流れを作る工夫がありました。観覧車には

 定点撮影用のカメラが設置してあります。※東京都ページ

 細かな内容は機密ということで、ご紹介はここまでとしておきます。

 とても貴重な体験ができました。今後も、このような楽しい企画は大歓迎です。

 

東京150年祭
 会場は浜離宮恩賜庭園です。

東京都公式動画チャンネル
 カヌー・スラローム会場

 

 

【遠足シリーズ第5弾】十返舎一九の生涯をたどって...

[Hanes] 2018年10月 3日 09:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
遠足シリーズ第3、4弾の続きで、今回も静岡で見つけた中央区とのつながりをご紹介します!
 
今回の主役は、徳川家康ではなく、『東海道中膝栗毛』で有名な十返舎一九
どんなつながりがあるかと言いますと、静岡に生家、中央区にお墓があります。
第3弾でご紹介した駿府銀座発祥の地の碑からすぐのところに、
十返舎一九生家跡伝承地を示す案内板が設置されています。

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彼は町奉行同心の長男で、武家生まれだということが分かります。
また、彼の生まれた場所が両替町一丁目であることから、
江戸時代に新両替町と呼ばれていた銀座とのつながりを再確認することができます。
 
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約30歳で江戸に出て、38歳で『東海道中膝栗毛』が大ヒット
それ以来文筆一本で生計を立て、日本初の職業作家と称されたそうです!
武芸にも通じる等、多芸多才だった一九は、67歳にてこの世を去りました。
彼が葬られた浅草東陽院は現在中央区の勝どきに移転しています。
 
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東陽院に向かって右側には、徳川夢声が書いた一九の碑と案内板があります。
屋内墓地にある墓石の左側面には、以下の有名な辞世句が刻まれています。
此の世をは とりやお暇に 線香の 煙とともに 灰さようなら
辞世句だというのに、滑稽な物語を書いた一九らしく洒落がきいていますね
 
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中央区観光検定を受験予定の方は、要チェックの一句です!
また、日本橋の耕書堂での一九については、先輩特派員巻渕彰/写楽さいさんの
「◆中央区 ここに歴史あり(64) 十返舎一九生誕250年 ~区内ゆかりの地を訪れる~」をご覧ください。

 

 

江戸城石丁場遺跡「羽柴越中守石場」に登る

[yaz] 2018年10月 1日 18:00

江戸日本橋の小田原町の由来から、江戸城の石垣の石丁場遺跡に続く話を前月報告しました。実際に登ってみなければと考え、伊東市観光協会に連絡してガイドの方々の支援を得て登りました。その奮闘記を記述します。(道なき道、片側谷(注: 当然フェンスなし)の道、ロープを伝って上る道などを上り降りしますので、ガイドなしでの単独登山は非常に危険です)

日時: 2018年6月27日9:00集合

集合場所: 伊東線宇佐美駅

天候: 晴れ、31℃/24℃

予定通りの時刻に出発し、下の地図で示すように石切り場(ナコウ山)コースを通って頂上で「羽柴越中守石場」を見て、石切り場(白波台)コースを下る予定でした。しかし同行者が財布を登りの途中になくす事故があり探索のため同じコースを戻らざるを得ないはめになりました。国史跡を2度(息も絶え絶えでしたが)見る旅となってしまいました。

伊東市宇佐美_石切り場_地図(1).png 

江戸城石垣石丁場跡見学コース.jpg

宇佐美駅を出発した一行は駅脇の石丁場の説明板で全体像をつかんだ後、出発!!!!!!! 洞ノ入地区で発見された石を展示している郷戸(ごうど)公園をまず目指します。

宇佐美駅_石切り場紹介看板.jpg

  

郷戸公園(1).jpg

 

これから目指す「洞の入(どうのいり)」地区には、「石を掘り出す」「石を割る」「石の形を整える」「石に刻印を刻む」「完成した石を集積する」などの一連の工程を示す遺跡が集中しています。上記の築城石は、洞の入地区の砂防ダム付近から見つかったもので、洞の入地区に近い郷戸公園に保管し公開しています。刻印は「折敷(おしき)に三文字」といい、九州臼杵の稲葉家などが大阪城で同じ刻印を使っていることが判っています。

折敷に三文字.jpg

次に中央区立宇佐美学園(静岡県伊東市宇佐美545)に向かいます。以前は宇佐美駅の至近にありましたが、ナコウ山麓に移転しました。この学園前から「江戸城石丁場遺跡ハイキングコース」に向かいます。(まさか道なき道を続くとは知りませんで、元気いっぱい登り始めました)登り始めて後悔しても後の祭り。徳川家18代当主"徳川恒孝氏が揮毫した「江戸城石丁場遺跡」と書かれた石が左側に見えましたが、注目できません。

ハイキングコース看板.jpg

  

徳川恒孝筆_石狩場碑.jpg

ロープを伝って上る道(崖?)、片側が谷になった細い道(落ちたら大変)などが続きます。このような道を歩くときには余裕がありませんので、写真撮影は不可能です。だんだん脚が上がらなくなります。

次の写真は恐らく当時石を曳いた道と思えます。この「石曳き道」は作業場所と思われる区域の脇を通って、周りの地面から掘り下げられたような形状で続いたようです。道なき道の脇や上方や下方に、写真のような石が転がっています。

石曳き道(ナコウ山).png

 

残った石.jpg

 

大名家の印と思われるもの、何の印か判らないものなど、いろいろの印が刻まれた石が無数に残っています。仕事に従事した石工の印ではないかと思われるものもあります。伊東市教育委員会の調査によれば、これまでに30種類以上が見つかっています。今回登ったナコウ山・洞ノ入で見つかった石の刻印の素性を一覧表にしました。「まんじ」「〇に上」「三つ串団子」「矢筈(やはず)」など面白い刻印がありますね。「折敷(おしき)に三文字」も入っています。

洞ノ入地区刻印(1).jpg

洞ノ入地区刻印(2).jpg

 

石を割った「矢穴」のあとが残る「矢穴石」も無数にあります。土中から掘り出した自然石を江戸城の石垣に使う形にするには専門的な技術が必要です。石の性質を利用して思い通りに割っていきます。

ふうふう言いながら登っていくと、12:00頃にやっと頂上に到着しました。「羽柴越中守(細川忠興)」の石切り場です。昼食と休憩を約1時間。風が強く、頂上で立っていることもできません。(コンビニ・売店もないので弁当持参です)

石を割った跡を残した矢穴石.jpg 石切り場の標石.jpg

 ナコウ山の山頂.jpg     ナコウ山_山頂の地図.jpg    

東京からの同行者が「財布を落とした」と言い始めたので、白波台経由で帰る予定を急遽変更し往路をそのまま戻ることになりました。(こんな山の中に人が入ってくることもないので、財布は無事見つかりました。)

往路で疲れているせいもあって、下山もしんどいものでした。4~5回、転がりながら、江戸城石丁場遺跡前に帰還。記念写真撮影。

写真の後列の左右2名が伊東市観光協会のガイド、杖をついている私は前列。ガイドリーダが疲労困憊の様子を見かねて、杖を貸してくれたおかげでどうにか下山できました。伊東市のガイドの方の余裕のあること!

ヘロヘロの東京グループ.jpg

宇佐美駅到着 14:30 解散

  

【反省後記】

このような登山を伴うガイドに行く時には、次の点に注意すべきと感じました:

1) 一眼レフカメラのような重いものは持っていかないこと。リュックサックでも登るときに負担となる。→ 登り下りに集中しないと危険ですから、大型カメラでの撮影は不能ですから、持っていく意味がありません。

2) ジーパンは汗が出る季節には、脚を上げた時にまとわりつくので不適切。一層、疲労が増します。

 

ブログを見て、「江戸城石垣石丁場跡」登山に興味をお持ちいただければ幸いです。

11月初旬に再挑戦する予定ですが、今回のトライアルの結果を考慮し、軟弱な私も参加出来るよう今回ご報告した登山の半分程度のコースとなります。

 

 

銀座二世の柳との出会い

[にゃんボク] 2018年10月 1日 14:00

去る9月23日に、長野県野沢温泉村から木島平村を経由して飯山市まで駆け抜ける「北信州ハーフマラソン」に参加してきました。下り基調とは言え、これだけ激しい下り坂はド平坦の中央区にいては決して味わえないもの。足ががくがくになるような下りの後に訪れるアップダウンはかなりきつく、ハーフマラソンなのにゴール時の達成感はフルマラソン並みのものを味わえます
*****
 さて、ランニングイベントが終わった後は、「地元のうまいもの食べ続けマラソンりんご」や「観光マラソン」が続くため、気が休まる暇はありません色々と美味しいものや温泉を堪能した後は、以前から気になっていた長野県飯山市の「高橋まゆみ人形館」を訪問してきました。
(こういうおばぁちゃん、いらっしゃいますよね~
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その道すがら、私の目に飛び込んできたのは、「銀座の柳2世」の文字。
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あれ?なぜここに?
長野県の安曇野と柳の関わりは直ぐに思いついたのですが、飯山市との関係が思い出せずにいました。

そう、「新人特派員のHanes(ハネス)」さんがいみじくも最近書かれていた「全国のいろいろな場所に植えられている」二世柳の一つ、だったのです。
http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2018/09/4-10.html

「高橋まゆみ人形館」の近くには別の二世柳の木とその説明文が設置されていました。
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曰く
・明治5年の横浜新橋間の鉄道開始に尽力した外国人のエドモンド・モレルさんが客死
・モレルさんの夫人のキノ夫人(日本人)も後を追うように不帰の人に
・銀座二世を育ててきた椎葉一二さん(銀座御門通り会長)と勝又康雄さん(銀座金春通り会長)
 にモレルさんの貢献について話を繋いだのが東工大教授の渡辺貴介さん
・その渡辺さんにキノ夫人について詳しく教えたのが飯山市の古田十一郎先生
といったことが縁で飯山市に西暦2000年の春に銀座二世柳が贈られたとのこと。
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・・・なかなか複雑に感じたのは私だけでしょうか
なお、東京国道事務所のホームページによると、
・平成6年「明治の鉄道の開設に尽力し、銀座を発展へと導いた横浜市外人墓地内の
 英国人エドモンド・モレル夫妻の墓前に二世・三世柳8本を植樹。 」
・平成11年「長野県飯山市に二世・三世8本寄贈。」と記載されています。
ここに繋がっていたのですね。
マラソン大会への参加から思わぬところで中央区つながりを発見しました。これも一つの楽しみ方ですね
 

 

【遠足シリーズ第4弾】銀座の柳二世がとりもつ縁

[Hanes] 2018年9月29日 14:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
今回は、「【遠足シリーズ第3弾】銀座のルーツをたどって...」に引き続き、
静岡と中央区(特に銀座)の関係に焦点を当ててみたいと思います!

9月のある雨の日、駿府城公園で偶然見かけたこちらの柳ですが、
案内板をよく見てみると...銀座の柳二世とあります!

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気になったので詳細を読んでみると、前回紹介した銀座の話に加えこんなことが書かれていました。

「明治十七年、銀座の街路樹は柳に統一されたが、大正十二年の関東大震災や昭和二十年の東京大空襲の被害に遭いながらも市民の保存への熱意が実り、立派な並木がよみがえった。しかしながら、高度成長期の昭和四十二年(一九六七年)頃より、銀座の柳が姿を消した。これに心を痛めた地元の有志が保存運動に心血を注ぎ、挿木で苗木を殖し、銀座はもとより全国へ寄贈されている。本市も銀座のとりもつ縁により駿府城趾の一隅に銀座の柳二世を植え、後世に伝えるものである。」

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つまり、銀座の柳二世は全国の色々な場所に植えられているのですね
肝心の銀座では、銀座ナインの近くに2本の銀座の柳二世が植えられてます。

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そして、片方の柳の隣には「銀座柳の碑」があり、
『銀座柳の歌』(作詞:西條八十、作曲:中山晋平)の歌詞と譜面が刻まれています

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♪) 植えてうれしい 銀座の柳
  江戸の名残の うすみどり
  吹けよ春風 紅傘日傘
  今日もくるくる 人通り
 
  巴里のマロニエ 銀座の柳
  西と東の 恋の宿
  誰を待つやら あの子の肩を
  撫でてやさしい 糸柳
 
  恋はくれない 柳は緑
  染める都の 春模様
  銀座うれしや 柳が招く
  まねく昭和の 人通り
 
この歌は先日詳細が解禁になった中央区観光検定でも出題されることがあります!
せっかくなのでこの機会に1番だけでも覚えてみてくださいね
銀座の柳二世がとりもつ縁を見つけた際には、またブログで紹介します

 

 
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