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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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放鷹術実演 (浜離宮恩賜庭園 その1)

[GPP] 2018年1月 8日 09:00

 初夢で演技の良いものといえば「一富士、二鷹、三茄子」ですが、

 晴天の浜離宮にて、新春恒例のイベント「放鷹術(ほうようじゅつ)の実演」が行われました

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 鷹匠(たかしょう)さんの伝統の技が披露されました。

  1月2日 11時~/14時~、 1月3日 11時~/14時~

 鷹狩(野生の鳥獣を鷹で狩る猟法)の鷹を、飼育・訓練する方が鷹匠(たかしょう)さんです。

 写真は、鷹を水平に飛び立たせた直後の鷹匠さん。体重移動がダイナミックです...

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 渡り(樹上にいる鷹を拳に呼び戻す)、振替(別の鷹匠の拳へ鷹を飛び移らせる)など、数々の技など。

 

 鷹匠さん達の正装。格好よいです...

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太田圓三の生涯

[yaz] 2018年1月 7日 18:00

2017年11月のブログで『木下杢太郎記念館(伊東市)を訪問したこと、木下杢太郎の人となり』を紹介した。

http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2017/12/post-4762.html

 

今回は"永代橋"の架橋を担当したことで有名な木下杢太郎の4歳年上の実兄、「太田圓三」を紹介する。

学生時代には東京で同居もしていた仲の良い兄弟であった。

木下杢太郎_家系図.jpg 太田圓三_顔写真.jpg

 

太田家の次男「圓三」は、東京帝国大学土木工学科を卒業後、逓信省鉄道作業局に入局し、橋梁設計を振り出しに、房総線工事や上越清水トンネル工事などを担当した。工事の機械化や路線の図上選定法の導入など、幅広く鉄道技術の向上に貢献し、「鉄道始まって以来の天才技術者」と呼ばれた。

 

大正12年(1923年)、関東大震災によって壊滅的な被害を受けた東京を復興するため帝都復興院が設置されると、土木局長に任命され当初は未経験の分野のため辞退したが、親友十河信二(戦後、東海道新幹線建設起工時の国鉄総裁)の強い勧めにより就任した。交通網や衛生設備、安全性、景観などを備えた「文明的都市・東京」を目指した。

*車社会の到来を目越した道路などの拡張

*土地区画整理

*永代橋・清洲橋など震災で焼け落ちたものや新設など約150もの橋梁について、

 弟・杢太郎や芥川龍之介・木村荘八などの芸術家の意見を聞き景観に配慮した架橋を

 行った。

 

以下の図は、永代橋・清洲橋などの橋デザインを示している。全て奇抜なデザインのため採用されなかった。

隅田川復興橋デザイン群.jpg

 

*高速鉄道(地下鉄9の必要性を説き、鉄道網の具体化に尽力した。

(下図の鉄道網図は小さくて駅名が見えないかもしれませんが、都電・省線(JR山手線・中央線など)と共にメトロ銀座線・丸の内線など高速鉄道(地下鉄)など将来を見据えた鉄道網を示す。東西線・日比谷線らしきものも描かれている。)

高速鉄道網図.jpg

 

圓三は現代まで続く近代都市・東京をデザインし、その礎を築いたのである。

 

帝都復興に心血を注いだ圓三であったが、大正15年(1926年)3月21日、志半ばにして自殺した。区画整理に対する無理解・復興局疑獄事件(土地買収にからんだ汚職事件)の発覚などによる心労が積み重なり、突発的な事件であったと言われる。

45歳の若さでこの世を去った。

 

昭和6年(1931年)隅田川相生橋畔中之島公園に肖像レリーフが設置された。しかし震災で破壊されたため昭和30年(1955年)現在の神田橋公園に移築された。

「(圓三が)万難を排して立案計画せられたる復興事業は、どこを切っても故人の血が流れ魂が生き続けてゆくだろう」(元鉄道大臣 井上匡三郎)

太田圓三記念碑.jpg

 

兄圓三の死を悼む杢太郎の詩が雑誌「明星」第8巻4号(大正15年(1926年)6月)に掲載されている。

 

タイトル「永代橋工事」

過ぎし日の永代の木橋はまだ少年であったわたくしにどれほどの感激を与えたらう。

人生は悲しい、またなつかしい、面白いと、親、兄弟には隠した 酒あとのすずろ心で、伝奇的な江戸の幻想に足許危く眺めもし、佇みもした。

それを、ああ、あの大地震、いたましい諦念、帰らぬ愚痴。

それから前頭の白髪を気にしながら 橋に近い旗亭の窓から あの轟轟たる新橋建設の工事を うち眺め、考えた。

これも仕方がない、時勢は移る。

基礎はなるべく近世的科学的にして、建築様式には出来るだけ古典的な 荘重の趣味を取り入れて貰いたい。

などと空想して得心した。

それだのに同じ工事を見ながら 今は希望もなく、感激もなく、うはの空にあの轟轟たる響を聴き、ゆくりなくもさんさん涙ながれる。

あんなに好きであった東京、そして漫漫たる墨田のながれ。

人生は悲しい、ここは三界の火宅だと 

-ああ恐ろしい遺傳-多分江戸の時代に この橋の上で誰かが考えたに相違ない、それと同じ心持が今の私に湧く。

水はとこしへに動き、橋もまた百年の齢を重ねるだろう。

私の今の心持は ただ水の面にうつる雲の影だ。

 

行く水におくれて佇む木屑かな (大正15年5月)

 

 

いつの時代にも「基礎はなるべく近世的科学的にして、建築様式には出来るだけ古典的な 荘重の趣味を取り入れて貰いたい。」という意見が出るのは普遍的なものですね。同感です。

 

 

 

年の瀬から新年へ!日本橋『小舟町』

[達磨] 2017年12月31日 09:00

三越日本橋本店から堀留交差点に向って昭和通りを越えると・・・新しさの中に歴史を包み込んだ日本橋『小舟町』です。江戸~明治期には日本橋川に入り込む東堀留川沿いに土蔵か並び、繊維問屋、団扇問屋や鰹節問屋等がひしめく街だったといいます。余談ですが、浅草宝蔵門には小舟町内からの奉納提灯大提灯が掛っています...今は老舗会社、有力会社の新しいビルが立ち並ぶ小舟町です。飲食店やホテルも出来て、きれいになりました。大通りは昔から名無しでしたが、ネーミングを検討中とのことです。この通りの左右には、重厚感のあるビルに建替えられた【小倉ビル】【長瀬産業ビル】が目立ちます。 

長瀬産業ok10.jpg 小倉ビル新10.jpg

新しい年の飾付け!小舟町にある老舗の佇まいです。

 

【伊場仙】 なんと400年以上の歴史を持つ「団扇、扇子屋」です。店内は浮世絵柄の商品が豊富に陳列されています。犬の絵柄のかわいい飾り扇を購入しました。

伊場仙1.JPG 伊場仙22.jpg 伊場仙飾り扇11.jpg

 

【高嶋家】 創業明治8年の「うなぎ専門店」です。140数年間を守り続けた味、さらに若女将のおもてなしに感激しました。

高嶋屋0k1.jpg高嶋屋ok10.jpg

 

【日月堂】創業明治10年、昔からの「上生菓子」「栗どらやき」「切山椒」「鏡餅」「紅白饅頭」など老舗の味を守っています。

日月堂ok1.jpg日月堂2.JPG

 

 【小舟町八雲神社天王祭】 

平成30年9月、4年に1度の大祭が開催されます。

小舟町.jpg

小舟町八雲神社は、神田明神の境内にある摂社の一つで、

祭礼を小舟町が施行するようになったのは江戸時代初期~、

大祭の際には堀留児童公園にお仮屋が建てられ、神輿が渡御されます。

戦前と思われます神輿渡御の写真(亡き親父の晴れ姿?)です。⇒⇒⇒⇒

  

天王祭は庶民による荒々しい神輿祭りで、現在は小舟町だけが同祭りを受け継いでいるといいます。

 

 

市川團十郎の外郎売

[yaz] 2017年10月14日 16:00

「外郎(ういろう)」とは何でしょうか。関東の人は、小田原の「ういろう」が歴史的には知られているものの、「羊羹(ようかん)のような食べ物?」「何かの薬の名前?」という具合で、いまだに漠然としています。  それもそのはずで、小田原の外郎家(ういろうけ)は、代々同じ名前をもつお菓子と薬を今も作り続けています。外郎は商品名であり、姓でもありました。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』のなかでは、弥次喜多は薬の外郎を菓子の外郎と勘違いして食べ、苦い顔をする場面がある。この外郎こそ、小田原の外郎である。『外郎は、菓子か、それとも妙薬か』──両方とも正解である。

 

歌舞伎ファンなら外郎と聞いて、市川団十郎の歌舞伎十八番の一つ、『外郎売』がまっ先に頭に浮かぶでしょう。こちらは薬の外郎で、相州(神奈川県)小田原の名産。江戸時代、この薬を世に知らしめたのは、まさにこの歌舞伎の演目『外郎売』だった。二代目市川団十郎が咳(せき)と痰(たん)の病で台詞(せりふ)を上手く言えず、舞台に立てなくて困っていたときに、外郎を服用して全快し、再び舞台に復帰できたという。こういう良薬を人々に知らせたいと、外郎家の承諾を得て団十郎自作自演の『外郎売』が出来上がり、享保3年(1718)、木挽町(中央区銀座、歌舞伎座裏付近)の森田座で初演された。  この演目は大当たりして、後に七代団十郎が「歌舞伎十八番」に名を連ねることになりました。外郎売の口上は現代のコマーシャルに相当します。

 

『外郎売』が今も有名なのは、その口上にあります。咳や痰の病気を治したということだけあって、すらすらしゃべり立てる早口言葉の連発です。その一部を紹介すると、

 

『...武具馬具ぶぐばぐ三ぶぐばぐ、合わせて武具馬具六ぶぐばぐ。菊栗きくくり三きくくり、合わせて菊栗六きくくり。麦ごみむぎごみ三むぎごみ、合わせてむぎごみ六むぎごみ。あのなげしの長薙刀(ながなぎなた)は誰(た)が長薙刀ぞ。...』。という具合で、誰もがどこかで聞いたことのある台詞です。外郎売の口上は、現在では、俳優・タレント、アナウンサーの養成所などで発声練習の教材として使われています。

 

薬広告.png 八棟造りの「ういろう」本店外観

小田原の外郎本家の屋敷。なかなかの建築です。

 

「外郎」と書いてなぜ「ういろう」と読むのでしょうか。外郎家の祖先に、中国の元の時代に「礼部員外郎(れいぶいんがいろう)」という官職に就いていた陳延祐(ちんえんゆう)という人物がいました。元が明に滅ぼされたのを機に、九州の博多に亡命し、陳外郎(ちんういろう)と名乗ったという。「外」は、元の時代の発音である"唐"音では「うい」であったためで、自然な成り行きとも言えます。これが「ういろう」の由来で、中国の官職の名前が薬や菓子の名前となりました。その子である外郎家二代目の宗奇(そうき)は、足利義満(室町幕府三代将軍)に京都に招かれ、中国(明)から薬を伝えるとともに、接待用の菓子も考案し、朝廷や公家・武家の要望に応えたといいます。薬は「透頂香(とうちんこう)」という名前を時の天皇から賜ったが、外郎家がつくることから、巷では薬も菓子も外郎(ういろう)と呼ばれようになった。  五代目の藤右衛門(とうえもん)は家業を弟に任せ、16世紀初頭関東で勢力を誇った北条早雲に招かれ小田原に移った。その理由は不明であるが、戦国武将たちは携帯できる「外郎」のような常備薬を必要としたのかもしない。京都の外郎家は天正年間(1573?1592)に途絶えたが、小田原の外郎家は残り、現在に続いている。全国にある菓子の外郎の多くは、京都の外郎家に仕えていた職人たちによって広まりました。

 

薬の外郎は銀色をした小さな粒状の丸薬である。痰をきり、口内清涼や消臭によいとされる大衆薬であり、江戸時代の人々にとっては万能薬だったようだ。仁丹に似ている外郎は、東海道・小田原宿の名物として知られ、携帯に便利な道中薬として多くの旅人が買い求めた。土産にも人気の高い、江戸時代に大ヒットした薬であるが、江戸では両国横山町(現中央区日本橋横山町)にあった太和屋加兵衛の店で買えたらしい。江戸の外郎売店として有名であったが残念ながら、今は横山町には店は見えない。

 

団十郎の外郎売の口上をYoutubeで見ることができるので、次のURLにアクセスして是非聞いてみてください。滑らかな"口"さばきをご鑑賞あれ!私にはできない!

https://www.youtube.com/watch?v=zjrZMhRTg78

 

 

 

読書の秋に。

[健さん] 2017年10月 9日 09:00

_20171004_082317.JPG  長崎出身の日系英国人のカズオ・イシグロさんが今年のノーベル文学賞を受賞という嬉しいニュースが入って来ました。スマホの普及で本を読む人が少なくなって来ましたが、資格試験や検定試験の多いこの時期は電車の中で本を読んで勉強している人が見かけられますし、若い人の中でも何かしら本を読んでいる人が沢山います。そういうことで私も読書の秋ということで、人形町の文教堂書店さんで本を買って読み始めました。一冊は「中央区ものしり百科」、もう一冊は東野圭吾の「マスカレード・ナイト」です。

 

「中央区ものしり百科」は中央区観光検定テキストにもなっています。昨年も買いましたが、今年ももう一度読んでみようと思います。昨年はこの本を自転車のカゴに入れて実際の場所にあっちこっちと行って来ました。(事件は現場で起きている!という言葉もあるので・)、昨年の本はクルクルまいたりしたり、ボールペンで文章もぐちゃぐちゃになって汚くなったので、もう一度新品でおさらいということで読みます。

 

もう一冊の「マスカレード・ナイト」は人形町大好き作家の東野圭吾さんの「マスカレードホテル」シリーズの第三番目の作品です。ホテルのモデルは水天宮にあるロイヤルパークホテルです。8月末にある週刊誌から「マスカレードホテル」の映画化が進んでいるという情報が流れ、主演に木村拓哉、長澤まさみ、脚本は「HERO」の福田靖という話ですが、本当であれば阿部寛主演の新参者シリーズ「祈りの幕が下りる時」、そして来年の大河ドラマ「西郷どん」(西郷隆盛の屋敷が今の日本橋小学校の所にあったので観光地期待。)と来年は人形町、水天宮周辺が映画やテレビドラマの波及効果で賑やかになりそうです。

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写真は文教堂さんのお店の外に貼られていた中央区観光検定のポスターです。文教堂さんに行けば中央区や日本橋周辺に関する本が沢山揃っています。もちろん「中央区ものしり百科」も沢山積まれています。

 

第十回 中央区観光検定は平成30年1月27日(土) 検定会場は【銀座会場】はコートヤード・マリオット銀座東武ホテル、【日本橋会場】はロイヤルパークホテルです。申し込みはすでに10月1日から始まっていますので詳しくは・・・・・

 

中央区観光検定のホームページ http://www.chuoku-kentei.jp/ をご覧ください。

 

もしかしたら検定会場のホテルのフロントに「キムタク」と「長澤まさみ」がいるかも?

 

 

 

Hello! TOKYO WATER TAXI

[王冠とあざみ] 2017年10月 8日 09:00

築地が市場を中心に動いているのは
言うまでもありませんが、
遡ることおよそ360年前、
江戸時代からすでに
築地はウオーターフロントの
先駆け中の先駆けであったわけで
現在では、何しろ
そのロケーションの良さに
多くのCMドラマのロケ地として登場していますから、
少し散歩をすると、きっと
「あれ? ここは何処かで見た景色...」と
想われるはず。

 

地元の人々は、散歩やジョギング、
日向ぼっこ、ランチにはお弁当を広げたりビール片手に夜景を楽しんだり、
トランペットの練習に来る人もいます。

 

徒歩3分の距離に在住しているわたしは
自宅の延長のリビングダイニングと捉え、
訪ねて来る人とは、狭いお部屋よりも
隅田川沿いのビルと水辺が織り成すパノラマの風景の心地良さを共有したくて
勝鬨橋のたもとのベンチで、よくよくピクニックをしています。

 

さて、先日もベンチでバゲットとチーズを楽しんでいると
行き交う屋形船とは趣きの違う黄色い船が目の前の船着場に横付けされました。

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特派員の血が騒ぎ直ぐに取材の申し込みをすると、
お客様が乗り込むまでの10分、OKをもらいました。

 

その船は
オリンピック・パラリンピックに向けて
2年前に運用する試みが始まった水上タクシーでした。


去年から、本格始動となり、
羽田京浜運河と隅田川メインに
『タクシープラン』
『定期運航プラン』
『チャータープラン』
で運行しているそう。
詳しくはhttp://water-taxi.tokyo/#blog

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船は小型船で、8人乗りですが
船長と船頭の2名が同行するので
6名で貸切乗船し、観光・パーティー使いするのに適しているそう。

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実際、乗船させていただきましたが
小型なぶん、海面が近くジャングルクルーズに出掛けるようなワクワク感が湧いて来ます。
小回りが利くので「結構、細い川も入って行けるんですよ」とのこと。
トイレとエアコン完備です。

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川や運河から眺める東京は、いつもとは180度違った表情を見せることでしょう。

 

さあ、予約の客様が乗りんで接岸の縄が解かれました。
大きく手を振ってお見送りすると、返礼の汽笛を威勢よく鳴らしてビューンと出発して行きました。

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