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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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「中央区ぐるり旅」 江戸バス(北循環)乗車日記

[小江戸板橋] 2010年7月23日 13:30

梅雨明けあとの、午後の昼下がり、「江戸バス(中央区コミュニティバス)」に乗車しました。

中央区役所の玄関前に、南循環、北循環と2台の小型バスが前後に並んでいました。

鮮やかな赤のボディが、かわいらしさを際立たせます。

コミュニティバス運行開始式.jpg 

 

始発の地の利を活かして、まだお客さまが誰も乗っていない車内へ、100円玉をコインボックスに入れて乗車。

目指す座席は、一番後ろの進行左端の席です。最後部の席は、ノンステップの車内の中で2段ほど高いため、外の見晴らしが良いことと、肘置きの部分がふっくらしていて、ささやかな「お得感」があります。

 

座席は11席。つり革が8本。太目の握り棒も掴みやすく配置されています。

 

ほとんど無意識に乗った北循環は、東京駅、新日本橋駅、浜町駅、水天宮前駅などの28箇所に停車します。

 

「発車します。」、「左に曲がります。」

『わーい。何てソフトな声の運転士さんなのでしょう。』

お客さまの姿をしっかり確認してのやさしい声かけ。

この丁寧な心配りならば、通院に利用しているお年寄りも安心です。

 

なんせ、炎天下の平日の午後ですから、外の暑さを逃れたOLさんが、仕事疲れのためか、つかの間の眠りについています。

 

浜町周辺を通ると、反射的に「絶対、和服姿の女性が歩いているはず」と妄想するのですが、期待にたがわず、歩く姿もキリッとしたお姉さんが、姿を見せてくれました。

 

わたくし的に、一番印象に残ったシーンは、右折した交差点の中ほどの位置から見えた清洲橋です。ほんの一瞬なのですが、橋がグッと迫ってくるようで、オオッと目を見張りました。

 

途中の東京駅、区民センター、病院、取引先の会社・・・。乗ること自体が目的だった私には、お客様に移動手段として定着している江戸バスが、何か貴重な存在に感じられました。

 

小さな車体で、狭い道路にもするりと入り込め、デブ猫マーク、・・いやいや福招き猫がキュート。

アニメの猫バスのやさしいイメージが漂っていました。

 

一周約65分。JR山手線一周の時間とほぼ一緒。

「中央区のぐるり旅」はいかがでしょうか。

 

 

 

谷崎潤一郎 『幼少時代』を歩く

[与太朗] 2010年7月13日 15:00

 7月になりました。7月に生まれ死んだ谷崎潤一郎は、小説家として自分が成し遂げた仕事は幼少時代の環境に負うところが多大だと書いています。そこで文豪70才時の著『幼少時代』を片手に、幼年期・少年期を過した蠣殻町・茅場町界隈を歩いてみました。

  IMG_0108.JPG 

 

生誕の地 谷崎活版所

   谷崎は明治19年(1886)7月24日、日本橋区蠣殻町二丁目十四番地、谷崎家の繁栄を一代で築いた「偉いお祖父さん」久右衛門の家で生まれました。(7月24日といえば奇しくも同じ中央区生まれの文豪芥川龍之介の命日、河童忌ですね。) 「谷崎活版所」という巌谷一六(小波の父で明治の三筆といわれた)の隷書の看板が掲げられた黒漆喰土蔵造りの家の蔵座敷、この年は記録的な暑さで、そのまた暑いさかりの誕生でした。現在の住所でいうと日本橋人形町1-7-  10、人形町通りを西に折れた「玉ひで」の並びに「生誕の地」碑があ  るのでご存知の方も多いでしょう。 [写真 上]

 当時、人形町通りの角は絵草紙屋の清水屋で、潤一郎少年は年方・月耕・清親など毎日のように眼を輝かして見惚れていた。生家の斜向いの東側一帯には矢場(楊弓店)が並んでいる。玉秀(現玉ひで)のかしわは「いかにも東京風にあっさりした、柔かで旨い鶏」で始終取り寄せていた。水天宮と大観音が子どもの恰好の遊び場になっていました。

 

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 南茅場町の最初の家

     明治24年、一家は浜町に移るが、そこには長くおらず、さらに南茅 場町の四十五番地(現在の日本橋茅場町1-4あたり) [写真 右上]へ移転、日枝神社や薬師堂から一丁と離れていないところでした。ここから霊岸橋を渡った蒟蒻島の小岸幼稚園に短期間通い、IMG_0213.JPG翌明治25年の9月に阪本小学校[写真 右中]に入学します。      「薬師  の地内」には南から天満宮、翁稲荷、  浅間神社、 神楽堂、     日枝神  社、薬師堂、  閻魔堂、大師堂などがあり、     (これらの寺社は現在ずっと狭くなったり、  跡形もなかったりしている)飴屋、駄菓子屋、糝粉屋などの露天商が出て、いつも子供たちが集まっていました。     日枝神社は「お旅所だったから一年置きの六月十五日に盛大な祭礼がある外はひっそりとして」いましたが、   先月執り行われた神幸祭のにぎわい[写真 右下] IMG_0193.JPG  は昔と変わっていないようですね。    また、薬師堂に今も残る釜七の天水鉢は天保の作ですから潤一郎少年も当時目にしていたことでしょう。

 

 

 

 阪本小学校

IMG_0211.JPG 幼時から「人形町界隈に特に親しみを感じていたので、小学校といえば・・・有馬学校のことしか考えていなかった」谷崎ですが、24才の作『少年』でも作者と思しき主人公は蠣殻町二丁目の家から有馬学校へ通っています。(東華小は明治34年創立でまだない。)ところが南茅場町の家からは阪本小が「なるほど」「ずっと近い所」にありました。二学期から入学の一年生は甘えん坊の意気地なしで落第となりましたが、その後は先生にも恵まれ才能がどんどん開花していきます。阪本小では終生の友、笹沼源之助と同級になります。彼は東京における中華料理の元祖、偕楽園の跡取りでした。(偕楽園は現在

IMG_0212.JPGの日本橋茅場町2-10あたりらしい。 [写真 左上] ) 阪本小正門前の新場橋( [写真 左中]当時の橋は今よりもっと北寄りだった)で、美少年趣味の薩摩軍人に馬場先門まで拉致されてしまったのも、やり直し一年級のころでした。 [蛇足ながら、生誕の地の説明板では、阪本小入学後に住所を転々としたとあるので、蠣殻町生家から入学したと誤解されるかもしれませんね。]

 

 南茅場町の二度目の家

 商才のない父親の事業不振で、一家は蠣殻町一丁目米屋町裏通 IMG_0184.JPGりの父の店に移り、さらに没落して南茅場町五十六番地、明徳稲荷(現在の場所と違う)の路地奥に引っ込むことになります。明治27年でした。ここは幼少時代最も多くの年月を過ごす場所で、後に「電車道になってしまった。」と慨嘆していますが、現在の茅場町一丁目の交差点付近と思われます。( [写真 左下]は現在の明徳稲荷)

 明徳稲荷のお神楽堂では、毎月八日の晩に茶番狂言が行われ、熱気のこもった詳細な思い出話からは歌舞伎などとともに谷崎文学に深く大きな影響を与えたことが感じ取れます。

 

 鎧橋

 南茅場町へ来てからも、母やばあやに連れられて毎日のように鎧橋を渡り、本家(活版所)に遊びに行ったり、風呂を貰いに行ったりしていました。

 鎧橋は明治5年に木橋が架けられて鎧の渡しがなくなり、明治21年には鋼製トラス橋に替わります。「その頃市中にそう多くはない鉄橋の一つで」「往き復りに橋の途中で立ち止まって、日本橋川の水の流れを眺め」「上流の兜町の岸にある渋沢邸のお伽噺のような建物を、いつも不思議な心持で飽かず見入ったもの」でした。現在の橋は昭和32年に架け替えられたもの。 [写真 下] 井上安治の版画にもある渋沢邸の場所は現在日証館ビルが建っています。(なお、茅場橋は昭和4年の創架です。)

IMG_0222.JPG 

 谷崎は後年、変貌していく東京を慨嘆し、もはや自分の故郷とは思っていない、むしろ京都・大阪の旧市街に忘れていた故郷を見つけた気がする、と言っていますが、彼の文学の素となった幼少年期を70才になって『幼少時代』で情熱的に再現しました。さらにそれから50数年もの歳月が流れ、そのままに残るものはほとんどありませんが、明治20~30年代、昔の江戸のおもかげを残していた明治の東京を著者の興奮に導かれて歩き、しばし楽しい夢が見られました。

 [またまた蛇足ですが、芥川龍之介の墓は染井の慈眼寺にあります。ここは谷崎家の菩提寺でもあり、京都法然院に墓のある潤一郎も分骨されています。時には二人、生前の文学論争の続きを楽しんでいるのでしょうか。]

 

 

◆観光協会「まち歩きツアー2010」はじまる。文化コース 「『新参者』の舞台・人形町コース」

[巻渕彰/写楽さい] 2010年7月10日 20:55

7月10日(土)、中央区観光協会主催「まち歩きツアー2010」がいよいよ始まった。文化コースの幕開けは「『新参者』の舞台・人形町コース」。TBS系列テレビドラマ『新参者』(2010/4-6放送)で登場した日本橋人形町商店街をめぐり、ロケの場所や下町情緒が漂う町並みを探訪する。コース案内は中央区のボランティアガイド「中央区文化財サポーター協会」が実施した。この日は、梅雨時ながら束の間の晴れで気温は30℃、日差しも強かったが、緑陰のそよ風は暑さを和らげてくれる。 

 

0913_100710ningyo_cho.jpg定刻の午後2時、抽選で選ばれた参加者15人は集合地の水天宮社務所前から出発する。行列をなす名物の人形焼き店を横目に、甘酒横丁へ歩を進めた。「たい焼き店」「和菓子店」「煎餅店」など、ドラマの舞台となった店舗が軒をならべる中心地だ。テレビの影響か、相変わらず人出は多い。「この店があの場面だったのか」と、参加者から納得の会話が聞こえる。旧浜町川(浜町河岸)の緑道を渡り、浜町公園の「清正公寺」を参詣。明治座を眺めつつ、清洲橋通りを「久松警察署」へ。ドラマでは「日本橋警察署」の設定となった場所である。

 

ここから南に戻り、「末広神社」(写真上左)へ寄る。この辺りは江戸前期に元吉原があったところ。やがて歩くと、戦災で焼け残った家並みが懐かしい一帯となる。人形町通りでは歌舞伎で知られる「玄冶店跡」、寄席「人形町末広跡」、老舗の「刃物店」を見てまわる。「大観音寺」からはしっとりとした路地へ。手押しポンプの井戸水につぎつぎと手を濯ぐ参加者の姿があった(写真上右)。料亭が軒を連ねる路地は人形町ならでは粋な風情だ(写真下左)。「西郷隆盛屋敷跡」を経て、「小網神社」へ。中央区民文化財となっている社殿には歴史が刻まれている(写真下右)。最終地は「谷崎潤一郎生誕地跡」、中央区が誇る文豪の足跡を顧みる。ここで約2時間のまち歩きを終えた。

 

実施後の参加者の感想は、「楽しくて、あっという間の2時間だった」「人形町で毎日買い物しているが、この地域のことがよく分かり、勉強になった」「分かりやすい説明が良かった」「谷崎潤一郎のことがよく理解できた」などで、全体的には「楽しく、面白かった」との声が寄せられる。"新参者"も"古参"も、人形町歴史散歩を楽しんだ一日で、全員が「まち歩きツアーに、また参加したい」と、うれしい反響だった。

 

◇11月まで開催される、中央区観光協会主催「まち歩きツアー2010」の詳しい情報は、中央区観光協会HPをご覧ください。

 http://www.chuo-kanko.or.jp/machiaruki/index.html?itemid=5867


 

 

 
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