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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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11月4日(日)は「中央区まるごとミュージアム」

[杏葉牡丹] 2012年10月24日 08:30

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毎年とても楽しみにしている、このイベント。

 

何しろそのタイトルどおり、中央区の様々な場所で文化的なイベントが行われて、まさに区全体がまるごと、ミュージアムになってしまうのです!


江戸の昔から現在まで、常に日本の中心であり続け、伝統を大切に守りながらも、時代の最先端を担っている中央区だからこそ、できることなんですね。


当日は主なものだけでも、銀座・日本橋・築地などの街歩きツアー、日銀本店見学ツアー、銀座の画廊巡りツアー。
コンサートに人力車体験、晴海フラワーフェスティバルに区内の産業を紹介する「へそ展」、薬研堀講談の会などなど盛りだくさん。


おまけに中央区をたっぷり楽しんでもらおうと、この日は、無料のバスと船が運行、コミュニティバスの江戸バスも無料になります。
よっ中央区太っ腹!と思わず叫んでしまいそうです。
銀座や日本橋のイベントにも参加したいけど、晴海にも行きたいという人には、もってこいですね。


特にお勧めなのが、3コースある無料の船ship

明石町水辺ライン周遊ルートと箱崎・晴海ルートでは、レインボーブリッジやスカイツリーを絶好の場所から眺めることができ、お天気が良ければ最高!
日本橋周遊ルートでは、普段は歩いている道や橋を水の上から見ることのできる絶好のチャンス。
江戸時代には、実際に重要な水運として使われていたので、その時代に思いを馳せるのも良いかもしれません。


まだまだ沢山あるイベントは、そのほとんどは無料(一部有料のもの有り)ですが、事前に予約が必要なものもあり、バスや船などは運行の時間もありますので、「まるごとミュージアム2012」のホームページや10月21日付けの区のお知らせ、区の施設等で配布している詳細なパンフレットなどを是非ご覧下さい。


パンフレットを見ながら、どこに行こうか考えていると、今からワクワクしてしまいますね!happy02

 

 

 

宝探し~第60回中央区観光商業まつり~

[杏葉牡丹] 2012年10月18日 13:00

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いよいよ始まりました、中央区観光商業まつり!

10月1日(月)~11月20日(火)までの期間中に、パレードにライブにスタンプラリー、様々なイベントと、盛りだくさんの催しがたくさんあって、毎年この時期がくるのが待ち遠しくて堪らないくらい!


中でも私が楽しみにしているのが『宝探しゲーム』です。


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中央区の店舗や施設等で問題用紙が配布されていて、そこに書かれているヒントをもとに、宝箱の置かれている場所を探します。

いつも江戸にちなんだストーリーがあって、今回は、徳川家康が入手してヤン・ヨーステンを守護者とした「八徳の宝珠」を探す手掛かりが、東京駅八重洲口の改修工事中にみつかったので、それをもとに「宝珠」を探せ!というもので、中央区の歴史や名所・旧跡を知っていないと、なかなか隠し場所にたどり着けません。



昨年は、宝箱を探すだけでなく、そこに書いてあったキーワードをもとに暗号を解き、さらにはブラフや偽の宝箱があったりして、途中で諦めようかと思ったくらい難しかったのですが、ヒント提供店をしらみ潰しに探して区内の地理に詳しくなったり、目星をつけた場所で同じように探している人たちと出会って仲良くなったりして、何とか正解に辿り着くことができました。


今年もなんと賞金&賞品総額500万円!!という大盤振る舞いなので、さぞかし難しいだろうと思っていたら、単純にキーワードを8個探すだけでOK!
1日ではまわりきれないので、3回に分けて、ミッションは完了!

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どうせあちこち歩くのならと、ついでに各地のアンテナショップのスタンプラリーにも参加。

全部で17店舗あるうちの、12店舗分のスタンプで応募資格があるのですが、意地で17店舗全てクリア。
ちょうど新米の時期だったので、各地のお米のネーミングを見るのが楽しかったです。


アンテナショップのスタンプラリーは10月18日(木)で締切ですが、宝探しの方は11月4日(日)までやっています。

お時間と興味のある方、是非ご参加ください。

 

 

 

人形町 てんてん祭

[ムーミン] 2012年10月12日 08:30

 10月8日 秋日和の一日 第24回 てんてん祭が 人形町大通りで行われました。
てんてん祭とは、毎年10月10日前後に開催している人形町の秋のイベント。
出産までの「とつき(10月)とおか「10日)」にちなみ、安産を願って、この名が付けられました。

当日は 人形町大通りで マーチングバンドの行進や セラピードッグのショー、わんぱく大相撲、沼津や宇都宮の物産品コーナー、富くじの配布と抽選会がありました。
去年は 富くじをもらいそこねましたが 今年は ゲット。
 おまけに 電気 ホットカーペットがあたりました。 今から 冬が楽しみです。

セラピードッグ
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会場の一角に RINNAのレモネードスタンドがありました。このスタンドは 小児がんと闘う子供と家族のためのボランチィアのお店で レモネードを含むジュースを販売し、収益を全額 小児がんの子供たちのためのNPO法人、団体等に寄付をしています。
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私は 産地直売の野菜やお米、焼き鳥,鮎の塩焼き、レモネードを購入しました。荒汐部屋の力士達がつくったちゃんこ鍋もおいしくいただきました。富くじで賞品もあたり 良い一日でした。

 

 

人形町の芝居町跡

[北遊人] 2012年10月11日 09:00

 人形町交差点西側歩道を北へ少し歩くと、植え込みの中に"堺町・葺屋町芝居町跡"の説明板が見えます。

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 説明文を紹介します

  堺町・葺屋町芝居町跡

 所在地 中央区日本橋人形町三丁目二~七番地域


 堺町は慶長年間(1596~1615)に沼地を埋め立てて起立されたといわれ、明暦二年(1656)のころには西半分の上堺町が葺屋町として分かれ、東半分の下堺町は堺町として残りました。

 江戸時代、この辺りには芝居小屋やそれらを取り巻く茶屋などが集まっており、大変賑っていました。芝居小屋のなかには、江戸三座と呼ばれた官許の芝居のうち、歌舞伎を興行した中村座と市村座(ほかに現銀座六丁目あたりの森田座)があり、このほかにも人形浄瑠璃の芝居小屋も多数ありました。江戸三座筆頭である中村座は、京より江戸に移り住んだ猿若勘三郎が、寛永元年(1624)に猿若座(後の中村座)を中橋南地(現京橋一丁目辺り)に創設し、これが現在につながる江戸歌舞伎の発祥となりました。寛永九年には禰宜町(現日本橋堀留町一丁目辺り)に、慶安四年(1651)には下堺町へと移転し、二代勘三郎のとき本姓の中村を名乗り「中村座」と改称しました。この間、堺町では、上堺町において寛永十年に都座が、寛永十一年には村山座(後の市村座)が創設されました。

 歌舞伎に先んじて京より下ってきたのが人形浄瑠璃でした。猿若座と同じ中橋の地において、元和三年(1617)には興行が始まっていたようです。やはり寛永九年禰宜町移転を経て、慶安四年下堺町に移されました。人形浄瑠璃の芝居小屋は、江戸、薩摩、丹波、天満、土佐、虎屋、肥前など、数多くありました。

 堺町・葺屋町の芝居小屋は、天保の改革により天保十三年(1842)から翌十四年にかけて、猿若一丁目から三丁目(現台東区浅草六丁目辺り)を起立してそこに移されるまで、二百年前後この地にありました。

 近年、日本橋人形町三丁目において発掘調査が行われ、茶屋や芝居に関する遺物も出土しています。

平成二十三年三月  中央区教育委員会


東都名所図が載っていますので紹介します。

手前が東堀留川、通り奥が中村座でしょうか。

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 路地を歩いてみましたが170年も経た今日、すっかり変わってしまいました。

しかし、残された痕跡を二つ紹介します。

この説明板の通りの反対側に、"三光稲荷神社"があります。

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人形町通り側路地入り口に"三光稲荷神社 御由来"の説明板が見えます。

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紹介します、

 三光稲荷神社  御由来

 祭神  三光稲荷大神

      田所稲荷大明神

      大正十三年区画整理にて旧長谷川町と旧田所町が合併して現在の堀留町二丁目

      になっていますので、田所大明神さまも当神社に奉祀されています。

 創建  中村座に出演していた大阪の歌舞伎役者 関三十郎 が伏見より勧請したと

      伝わる当神社は「江戸惣鹿子」元禄二年(1689年)には記録があるところから、

      それ以前と推測される。

 拝殿  右上の額「日本橋区長谷川町守護神 三光稲荷神社」は神田神社社司 平田盛胤

      氏の揮毫である。

 江戸時代

      近隣には吉原や歌舞伎小屋の中村座、市村座、更には操り人形や人形浄瑠璃

      の小屋等があり、それを背景とした(江戸落語)に「三光新道」や「三光神社」が

      登場するところとなった。

      古くから娘、子供、芸妓等の参詣するものが多く、ことに猫を見失ったとき立願す

      れば霊験ありと云う。「三光稲荷神社参道」と銘ある石碑や境内にある猫の置物

      は猫が無事に帰ったお礼に建立、奉納された。

  この文言から嘗ての芝居町の様子が偲ばれます。

 

  次は"出世稲荷"です。

 こちらは、旧芝居町側人形町三丁目から外れ堀留一丁目に入ったお店の壁に見つけました。

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紹介します、


   出世稲荷の由来

 江戸時代は当稲荷敷地は新材木町十六、十七、十八番地稲荷です。

 その昔徳川家康入城天正八年(1590)頃此の付近は芝原宿という村落でした。

 杉の森林の多い所です。

 江戸城拡張以来江戸町割当地慶長九年(1604)頃材木置場が多い所から新材木町と

 町名が出来た由。 尚元和三年(1617)親爺と呼ばれた北条家浪人庄司甚右衛他数名の仮屋敷内に有り 京都伏見稲荷より祭神を戴き守護神として祭りし後当地世話人一同が現在迄守護致して居ります

 当社は明暦三年(1657)江戸大火振袖火事、安政(1854)大地震、明治六年(1873)大火、関東大震災大正十二年(1923)、近くは昭和の太平洋戦争まで本尊災禍を免れました。

 関東大震災の時社殿焼失致し現在堀留町一丁目十番地椙森神社の拝殿取壊し材料(杉の木)削り直し昭和六年(1874)に落成し現在まで数多くお信仰者があります。

 江戸時代初代市川団十郎が日参し名をあげた由、尚当地より出世致した商店、芸能関係、各個人等数多く出ております。

 初午毎年三月岩代稲荷と合同で堀留町一丁目町会応援にて執行いたします。

 応長見聞集寛永図経、先祖の言い伝えとの事

   昭和五十六年五月吉日(1981)

出世稲荷世話人一同


 初代市川団十郎ほか多くの方がこのお稲荷さんを信仰し出世していったようです。

 此の路地を少し進むと幟と標示が見えます。

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本殿はこの奥にあります。

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"岩代稲荷神社"と"出世稲荷大明神"とあります。

お参りされる場合は、集合住宅の奥に祀られていますので気配りの程を。   

 

 
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