中央区観光協会オフィシャルブログ

中央区観光協会特派員ブログ

中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

執筆者一覧

>>このブログについて

最近のブログ記事


縹色 閑寂な四葩の花

[あすなろ] 2018年6月 6日 09:00


人形町の紫陽花も見頃ですね。

日本紫陽花の在来種、額(萼)紫陽花です。

 末廣神社_450.jpg

ガクアジサイは、よく見かける華やかな品種と比べると

少し地味な感じですが、

控えめに咲く花は、雅な趣がありますね。

鑑賞花として改良され、

日本に逆輸入された西洋紫陽花も

梅雨の季節に、鬱陶しい気分を晴らしてくれます。

 人形町_450.jpg


「紫陽花や はなだにかはる きのふけふ」/子規 


 時の移ろいと重ねて、観るのもいいですね。

レトロな街並みに縹色の紫陽花がよく似合います。


◆末廣神社と人形町界隈(
東京都中央区日本橋人形町2-25-20

 

 

江戸の粋を伝える染め物技術

[下町トム] 2018年5月29日 14:00

中央区にはいくつもの「まちかど展示館」が制定されていますが、その中のひとつ「ゆかた博物館」は人形町駅からもほど近い路地にあります。ある日、事前に電話で予約してからお訪ねしました。

三勝ゆかた_20180518(2)_R.jpg


この施設は、三勝株式会社の社屋の一部を展示館として開放して下さっています。館長の清水敬三郎さんはとても穏やかな語り口で、江戸の染め物の歴史や伝統技術について丁寧に語っていただきました。特別に撮影も許可していただきました。

 

三勝ゆかた_20180518(1)_R.jpg飾られている浴衣生地の中には明治のころの古い技術が生かされた見事な一品もあります。「中型染」という大変手間のかかる技法を確かな腕で残したのは、三勝の専属職人だった清水幸太郎さんです。後に人間国宝となった方ですが、今の館長のお父様です。
 
「三勝」という名前の由来を館長にお尋ねしたところ、創業者の名前が天野半七というところから、浄瑠璃の「三勝半七」にあやかって名付けたということです。この作品は実際に江戸時代の大坂であった心中事件をもとに浄瑠璃作品に仕立てたもので、明治時代のころまでは誰でも知っている人気狂言だったようです。
現代でも文楽でたまに演じられる「艶姿女舞衣」 。酒屋の段で出てくる有名な台詞が あります。「今頃は半七さん どこでどうしてござろうぞ」。
昔から人形浄瑠璃や歌舞伎の街として栄えた人形町界隈で、そんな名前が残っていることも風趣を感じる一日でした。

 

 

 

旧日光街道本通り 歴史散策の道標

[銀造] 2018年5月28日 14:00

大伝馬本町本通りは、かっての日光・奥州街道です。 名橋・日本橋からなら、YUITOのビルを右折します。

1527159328898.jpg

この説明の石碑は、江戸屋さんの向かいの駐車場の隅に設置されていましたが、通りに面して移設されました。

1527159339493.jpg

 木綿店など、通りの賑わいの声が聞こえてきそうです。

周辺の宝田恵比寿稲荷神社、小伝馬町牢屋敷跡(囚獄跡)、椙森神社などへ行かれる時、 また、近辺の老舗でのお買い物をお勧めします。

小津和紙さんでの和紙製品購入、http://www.ozuwashi.net/

江戸屋さんで刷毛・ブラシなどのお買い物、http://www.nihonbashi-edoya.co.jp/

これからの暑い季節の必需品の扇子のお求めに伊場仙さん、http://www.ibasen.co.jp/sensu.html

 に行かれる際にもお立ち寄りください。 

お食事処としては、「日本橋 舟寿し」も近くにあって、美味しいお鮨を堪能できます。http://www.funazushi.info/

 そして、和菓子の老舗巡りもお楽しみ下さい。中央区の和菓子店のご案内は、こちらです。

http://www.wagashi.or.jp/tokyo_link/area/chuo.htm 

 

 

中央区の「川と掘割」の歴史がよくわかる本

[ジミニー☆クリケット] 2018年5月27日 18:00

中央区の「川と掘割」の歴史がよくわかる本に出会いました

hori201807.JPG

PHP新書の「川と掘割"20の跡"を辿る江戸東京歴史散歩」です

著者は、岡本 哲志氏、昨年の11月に出た本です

hori201805.JPG

銀杏八幡宮、銀杏稲荷神社(日本橋蛎殻町1-7-7、かつての土井堀稲荷堀(とうかんぼり)に囲まれていた)(71ページ)

江戸東京歴史散歩」とありますが、「川と掘割を辿る」となると、内容は、ほぼ中央区内のことになります

hori201804.JPG

明星稲荷神社(日本橋小網町4-9、かつての稲荷堀参道が平行してあった)(73ページ)

ほぼ中央区内のことなので、とても興味深くておもしろく、しかも目からうろこ連続状態で、あっという間に読み切ってしまいました

hori201802.JPG

木挽町仲通り(かつての三十間堀川の近く)(80ページ)

銀座築地日本橋八丁堀人形町・・・明治以降も、もっと言えば太平洋戦争が終わった後においても、中央区は川と掘割が縦横にめぐらされた「東洋のヴェネツィア」だったんですね

hori201801.JPG

新富稲荷神社(新富2-9-4、かつての入船川の近く)(96ページ)

川と掘割にとどまらず、町の来歴通りの由来神社仏閣の縁起、などが、豊富な古地図古写真とともに語られます

古写真と、同じアングルから撮った現在の写真の対比がわかりやすいです

hori201806.JPG

区立あかつき公園(築地7-19-1、かつて三角形をした明石堀のあったところ)(113ページ)

東京メトロや都営地下鉄の最寄駅・出口からの詳細な「街歩きガイド」も付いていて、散歩のお供にもなりますよ

hori201803.JPG

鉄砲洲通り(かつて鉄砲洲川の流れていたところ)(113ページ)

次回の中央区観光検定副読本にしてもいいくらいのものではないかと思っております(あくまで個人的な意見です)

ご一読をお勧めします

 

 

伝統を守り続ける料亭 ②  ~ 玄冶店 濱田家 ~

[rosemary sea] 2018年5月27日 09:00

『ギフト、そして自分も楽しむ』をインテレクチュアルに取材します、rosemary seaです。

 

玄冶店 濱田家(げんやだな はまだや)さんは日本橋人形町にあります、伝統と格式の料亭です。

濱田家ロゴ.jpg

前回は濱田家さんの歴史について語らせていただきました。

前回記事はこちらです。

http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2018/05/post-5282.html

 

今回はお料理・おもてなしなどにつきましてご説明させていただきます。

玄冶店 濱田家 総支配人 伊藤博仁さんにお世話になりました。

それでは・・・

広間(婚礼).jpg

濱田家さんは今年で創業106年です。

昔ながらの有り様に時代の風を取り入れながら、今も大切に料亭の伝統を守り続けています。

一椀、ひと鉢にこころを込めた四季折々のお料理はもちろんのこと、それぞれのお席に合わせたおもてなしや、季節ごとに趣をかえる床の間のしつらえなど、全体の調和が描く日本文化の奥深さもご堪能いただけます。

造り.jpg 椀盛.jpg

お料理は・・・

季節の恵みと彩りを最大限に活かした伝統的な懐石料理がいただけます。

大切にされていますのは美味しさ、そしてひと皿ひと皿に季節感を凝縮させた盛り付けの美しさ、彩りの美しさや手の込んだ繊細な味と技。

その五感に響く日本料理の神髄を、その日お見えになるお客様のためだけに、こころを込めておつくりされているそうです。

前菜.jpg

お料理の器は・・・

お料理は器に盛られて初めて完成します。

もちろんですが濱田家さんでは、献立に合わせて器を選ぶことに大変気を配ります。

そのどれもが美しい名器、どれも名匠の手によるものです。

一幅の画にも似た鮮やかな調和が、お楽しみいただけます。

椀替り.jpg 焼物.jpg

おもてなしは・・・

ご接待でしたらそのご商談が進みますように、ご会食でしたらそのお席が和みますように、女将・女中さんともにお席に合わせてきめ細やかなおもてなしができますようこころを尽くされておられます。

政財界をはじめ、海外の要人の方々等に愛され続けてきました理由はここにあるようです。

部屋.jpg

しつらえ(調度類を配置し、室内の装飾を整えること)は・・・

季節の移ろいを床の間で描き出す、本物の掛け軸や生け花。

四季折々で表情を変える、手入れが行き届いた日本庭園。

清々しく水が打たれた玄関の敷石。

しつらえ全てにおいて、細部にまで気を配り趣向を凝らされています。

外観(昼).jpg

数寄屋造り・・・

戦後まもなく建て直された玄冶店 濱田家さんは、東京では数少なくなりました数寄屋造りの建物です。

季節ごとに表情を変える庭とあわせ、日本建築の端正な佇まいとなっております。

茶の湯に端を発する数寄屋造りは虚飾を排し、簡素な造形のなかに美しさを見出す建築様式です。

深い陰影を宿す聚楽壁の室内には、木のぬくもりと僅かな畳の香りが漂います。

夏なら簾障子にかわるお座敷は、掘りごたつのお部屋を中心に全8室あります。

芳町芸者衆.JPG

芸者衆・・・

「芳町」は東京六花街のひとつとなります。

濱田家さんは、伝統文化として花柳界の存続にも尽力されております。

 

なお、現在の玄冶店 濱田家さんの代表取締役社長は三田芳裕氏。

創始者の三田五三郎氏の孫にあたります。

株式会社明治座 代表取締役社長でもあられます。

そのお子様には株式会社明治座制作部長の三田光政氏。

以前、明治座さんとしての映画「祈りの幕が下りる時」ロケ地めぐり⑩にてインタビューをさせていただきました。

 

・・・2連続のご紹介はここまでです。

門前.jpg

玄冶店 濱田家

日本橋人形町3-13-5

03-3661-5940     FAX 03-3808-0801

営業時間 <昼> 11:30~15:00 (水曜、木曜、土曜のみ営業)

     <夜> 17:30~22:00

定休日 日曜・祝日

総室数 8室(2~60名様)

お料理単価 <昼> お一人様 15,000円 / 25,000円

          (サービス料15%別、消費税別)

      <夜> お一人様 30,000円 / 40,000円 / 50,000円

          (サービス料20%別、消費税別)

 完全予約制です。

玄冶店 濱田家さんのホームページはこちら

⇒ https://hamadaya.info/

 

 

伝統を守り続ける料亭 ①  ~ 玄冶店 濱田家 ~

[rosemary sea] 2018年5月26日 09:00

『ギフト、そして自分も楽しむ』をスペシャライズ インして取材します、rosemary seaです。

玄関口.jpg

玄冶店 濱田家(げんやだな はまだや)さんは日本橋人形町にあります、伝統と格式の料亭です。

今回は濱田家さんの歴史について語らせていただきます。

 

玄冶店 濱田家 総支配人 伊藤博仁さんにお世話になりました。

それでは・・・

外観(昼).jpg 外観(夜).jpg

玄冶店 濱田家さんの創業は大正元年(1912年)になります。

まず、店名の由来から・・・

「濱田家」の名は江戸時代、花街として知られました芳町(よしちょう:現在の日本橋人形町周辺)の芸者さんの置屋「浜田屋」に由来します。

 

・・・「東京六花街(とうきょうろくかがい)」

以前は柳橋・芳町・新橋・赤坂・神楽坂・浅草を六花街と呼んでおりましたが、柳橋花柳界の消滅後は向島が加えられ、六花街と呼ばれました。

芳町は周辺に歌舞伎の芝居小屋が建ったことで花街の原型ができた、と云われています。

 

川上貞奴.jpgここで登場しますのは「浜田屋」の芸者、貞奴(さだやっこ)さん。

日舞に秀で、才色兼備の誉れが高く、時の総理 伊藤博文や西園寺公望といった名立たる元勲からひいきにされました。

名実ともに日本一の芸者であったと云われています。

また、のちに彼女は「日本初の女優、川上貞奴」として広く知られる人でありました。

 

芸者置屋としての「浜田屋」は明治の末にそのお店を閉めることとなります。

しかし現:「玄冶店 濱田家」創始者であります三田五三郎(みた ごさぶろう)氏は、浜田屋主人の親戚筋でありました関係で、この由緒ある「浜田屋」の名を譲り受けられ大正元年、料亭「濱田家」を開業されました。

 

・・・「玄冶店」

玄冶店は江戸初期の名医、岡本玄冶(おかもと げんや)に由来します。

初名は宗什、のちに諸品と改めましたが、「玄冶」は通称名です。

天正15年(1587年)、京都に生まれました。

16歳の時、曲直瀬玄朔(まなせ げんさく)の門に入りまして医学を学び、玄朔門下第一の高弟と称されました。

徳川家康に拝謁し、元和元年(1618年)法眼、寛永5年(1628年)には法印に叙せられました。

法眼・法印は本来、僧位(お坊さんの位)の最上位を言うのですが、江戸時代にはお医者様にも及んでいた位です。

元和9年(1623年)、二代将軍秀忠に召されてその侍医となり、続く三代将軍家光にも重用され、家光の病を平癒させたことで名を馳せました。

啓廸院の称号も賜り千石の領地も拝領し、江戸ではここ日本橋人形町に屋敷を構えました。

のちに世人はこの日本橋人形町付近を、岡本玄冶の邸宅跡にちなんで「玄冶店」と呼ぶようになりました。

そしてご隠居さんやお妾さんなど、小金を持っていて働いていない人々が住む、というイメージの地域となりました。

幕末の嘉永6年(1853年)に大当たりをとりました歌舞伎狂言「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)の舞台「源氏店(げんじだな)」のモデルとして玄冶店は有名になりました。

 

ここから更に横道に入りますが、もう少しおつきあい願います。

与話情浮名横櫛.jpg

・・・与話情浮名横櫛【三代目瀬川如皐(じょこう)・作】

いわゆる「切られ与三」です。

三幕、源氏店妾宅の場より

  (与三郎)   え、御新造(ごしんぞ)さんぇ、おかみさんぇ、お富さんぇ、

          いやさ、これ、お富、久しぶりだなぁ。

  (お富)    そういうお前は。

  (与三郎)   与三郎だ。

  (お富)    ええっ。

  (与三郎)   お主(のし)ゃあ、おれを見忘れたか。

  (お富)    えええ。

  (与三郎)   しがねぇ恋の情が仇。・・・ ⇒ (ここから長ぜりふ:略)

 

長唄の四代目芳村伊三郎の体験談が講談となり、更に如皐が舞台化しました。

登場人物も「おまさ」がお富に、「伊三郎」が「与三郎」に替えられ、時代も江戸を鎌倉に、場も「玄冶店」を「源氏店」に替えています。

初演は嘉永6年(1853年)、江戸中村座で、配役は与三郎:八代目市川團十郎、お富:尾上梅幸(のちの四代目菊五郎)でした。

のちに与三郎:十五代目市村羽左衛門(うざえもん)、お富:六代目尾上梅幸、蝙蝠安(こうもりやす):尾上松之助による名演技が評判となりました。

大正から昭和にかけての歌舞伎の代表作です。

なお、ここから派生して小山内薫の戯曲「与三郎」、春日八郎の歌謡曲「お富さん」、市川雷蔵・淡路恵子の映画「切られ与三郎」などが、作品として生み出されました。

濱田家ロゴ.jpg

・・・「蝙蝠安」

強請(ゆすり)のため、お富さんのところへ与三郎を連れてくる人物。

濱田家さんのシンボルマーク「蝙蝠」は、この蝙蝠安にちなんでいます。

DSC03334a.jpg

画像は濱田家さんのマッチ。切られ与三(右)と蝙蝠安(左)。

 

・・・今回はここまでです。次回に続きます。

濱田家(門).jpg

玄冶店 濱田家

日本橋人形町3-13-5

03-3661-5940     FAX 03-3808-0801

営業時間 <昼> 11:30~15:00 (水曜、木曜、土曜のみ営業)

     <夜> 17:30~22:00

定休日 日曜・祝日

総室数 8室(2~60名様)

お料理単価 <昼> お一人様 15,000円 / 25,000円

          (サービス料15%別、消費税別)

      <夜> お一人様 30,000円 / 40,000円 / 50,000円

          (サービス料20%別、消費税別)

 完全予約制です。

玄冶店 濱田家さんのホームページはこちら

⇒ https://hamadaya.info/