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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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人形町『下町おもしろ工芸館』

[みど] 2017年5月13日 14:00

『下町おもしろ工芸館』は人形町通りの東側の細い路地にある

 手作り工芸品とリサイクル着物のお店です。

 博物館の類かと思い、中に入ったところ、工芸品等を販売して

 いる お店で下町らしい遊び心と粋な精神を感じ取ることができました。

  

『下町おもしろ工芸館』のホームページによると、 日本の伝統工芸技術

 を継承し現代に活かすことを目的に、平成6年 に設立されたリサイクル

 着物と手作り工芸品を扱っているとのこと。 和小物・ 和飾りや小粋な

 江戸の情緒が楽しめて、おもしろ小物や 伝統工芸品を中心に「心温まる」

 商品が中心だそうです。

具体的には 手ぬぐい、風呂敷、七宝焼き、のれん、組紐、木版画 アクセサリー、

 袋物、ピエロ人形、ねこグッズ、和紙細工、古紙細工 など多彩です。

 また 個人のグループの手作り品の発表の場としても 利用可能で、

 手作りの伝統工芸品の販売や、タンスの中で眠ったまま の着物や帯を

 再販売しているようです。

  

さらに興味深いのは独自の講習会を行っている点で、 例えば自分だけの

 オリジナル帯締めが作れる「組紐」講習会。 教材費は3,675円、講習料は2,000円

毎月2回の開催で、現在のところ以下が空いています。 (講習会は予約が必要)

 

 6月13日(火) 午前10時30分~午後0時30分  

        午後1時30分~午後3時30分

 7月1日(土)  午後1時30分~午後3時30分 

 7月18日(火) 午前10時30分~午後0時30分 

         午後1時30分~午後3時30分 

 8月5日(土) 午前10時30分~午後0時30分 

         午後1時30分~午後3時30分 

 

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下町おもしろ工芸館

  http://www.matae.com/

 中央区日本橋人形町2-2-6

 電話 / 03-3664-3780

 営業時間 10:00 ~ 19:00

 定休日 第2、第4木曜日、年末年始、お盆

 

 

 

 

日本橋の旧町名と神田祭!

[柴犬] 2017年5月11日 09:00


現在、都営新宿線の馬喰横山駅ギャラリーコーナーにて「神田明神御祭禮 東日本橋三丁目橘町会」の展示が開催中です。橘町会と神田祭の歴史が紹介されています。


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現在の東日本橋三丁目は、元は橘町という地名でした。その橘町会が企画開催している展示です。場所は都営新宿線馬喰横山駅からJR馬喰町に向かう地下通路(改札外)です。5/15まで展示されています。お神輿の巡回路や詳細な時間なども掲示されており、大変充実した面白い内容ですので通勤通学の途中にでも、是非!



さて、ここで「神田祭って千代田区でしょ?中央区関係なくない?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。確かに神田明神は千代田区にありますが、中央区の日本橋は地域的に氏子に当たるのです。


江戸三大祭りは神田祭・山王祭・深川祭。神田祭と山王祭は一年交代で行われますが、江戸の昔から「山王祭の巡行路は江戸城より南、神田祭の巡行路は江戸城より北」でした。今でいうと、東京駅より南の地域は山王祭、北は神田祭ということです。つまり日本橋はがっつり神田祭のど真ん中なのです。


ですので、もう一ヶ月前から街はこの状態です。


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中央区は昭和22年(1947年)に発足後、区内の町名・住居表示を整理してきました。殆どが江戸からの町名を引き継ぐ中、橘町は昭和46年に「東日本橋3丁目」と改められ、古くからの町名が表示から消えてしまいました。これを惜しむ地域の方々が「橘町の地名を残そう」と活動し続け、上記の馬喰横山駅の展示に繋がったのです(馬喰横山駅は旧橘町の隣町、横山町にあります)。橘町会のお神輿は、大人神輿も子供神輿も素敵です。


_1020250.jpg通りにも、このように現在の住居表示と「橘町」の表示、両方出ています。


江戸時代、この辺りは西本願寺の別院があり、門前町として立花を売る家が多かったため、橘町という名前になりました。この西本願寺別院は、のちの築地本願寺ですね。明暦の大火で、日本橋から築地に移転したのです(1679年)。



現在の区画や住居表示は震災や戦災を経て江戸時代とは大きく変わりましたが、何百年と続いた「祭り」と町名の関わりや誇りは街を歩いているだけも感じることができます。これから秋まで、中央区だけでなく東京全体がお祭りシーズンになります!



 

 

時の鐘と予報音  Tokinokane Hour Bell and Three Pips

[HK] 2017年5月10日 18:00

 

小伝馬町 十思公園内の時の鐘は初めは江戸城内に造られ、その後徳川秀忠の時代に本石三丁目(現在の日本橋室町四丁目)に移され、明治時代に現在地に設置されました。 

 

Tokinokane Hour Bell in Jisshi Park was initially built in Edo Castle and was transferred to 3 chome Honkoku (Currently 4 chome Nihombashi) during General Tokugawa Hidetada's regime, and was relocated to current position in Meiji era. 

 

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江戸時代に庶民が時刻を知る方法は時の鐘を聞くことでした。 

江戸には9ヵ所(①本石町 ②上野寛永寺 ③芝切通し ④市ヶ谷八幡 ⑤赤坂円通寺 ⑥目黒不動尊 ⑦浅草寺 ⑧本所横堀 ⑨四谷天龍寺)の時の鐘が設置されていた時期があり、基準の本石町の時の鐘の三つの捨て鐘が鳴り始まると、他の鐘がリレー方式で鳴らして行ったと伝えられています。

そこら中で鐘の音が聞こえ、賑やかでしたでしょうね。 

 

During Edo era, local people were able to know the time by listennng to Tokinokane Hour Bell.

Once in Edo era, there used to be 9 Tokinokane Bells in the city (①Honkoku ②Ueno Kaneiji Temple ③Shiba ④Ichigaya Hachiman ⑤Akasaka Entsuji Temple ⑥Megurofudoson ⑦Sensoji Temple ⑧Honjoyokobori ⑨Yotsuya Tenryuji Temple) and when the leading Bell, which is told to be Honkoku Bell, started to make 3 prediction gong like 3 pips, the other Bells began to gong one after anther like a relay.

People must have heard bells from all over the place. 

 

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捨て鐘は短く3回打たれ、その後長い間隔をあけて時刻数の鐘が鳴り響きました。

当時の3回の捨て鐘は現在も時報の予報音「ピ・ピ・ピ・ピー」として継承されていると伝えられています。

江戸文化が今も生活の中に溶け込んでいるようです。

 

After short 3 pips, the long gongs for the number of actual time were heard. 

The 3 pips are told to be taken over to current time prediction system sound "Pip, pip, pip, peeep".

Even now, Edo culture seems to be in our everyday life. 

   

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鳳凰 昭和の味が看板

[あすなろ] 2017年5月 6日 12:00

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隅田川に流れ込む神田川にかかる左衛門橋のたもとに
昭和10年創業以来、庶民の味を守るお店があります。

鳳凰軒。「ほうおう」とかいて「おおとり」と読みます。


年季の入った木の扉から、店内は異国情緒ある造作。

この空間が不思議と落ち着きます。

これぞ日本の中華。中華丼と半ラーメン。

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昔ながらの料理を堪能しました。

麺類、ご飯物などハーフサイズがありますので
いろいろな料理を楽しむのもオススメです。


◆鳳凰軒
東京都中央区日本橋馬喰町2-5-7

 

 

神田川の長さは510メートル

[健さん] 2017年5月 5日 16:00

1柳橋.JPG 少し高めの所から柳橋を写して見ました。春がすぎ、初夏を迎える隅田川に合流する神田川の最後に掛かる橋が柳橋です。

 

井の頭公園で湧き出た水が24.6km東に流れて神田川は墨田川に合流します。かっては「神田上水」を取水し。江戸の水道として大切に利用されました。

 

長さ24.6kmの神田川ですが、中央区に流れる距離は浅草橋の隣の左衛門橋から隅田川の合流点まで510m、亀島川の長さ460mについで短い距離です。ちなみに中央区を流れる隅田川が東京湾に合流する延長距離は2,580mです。比較するとかなり短いですね。

 

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  左奥に見えるのが、浅草橋です。そろそろ屋形船に乗って隅田川、東京湾に出かけるには最高の季節になる時期ですね。

 

江戸時代、旧暦でいえば5月に隅田川の川開きが始まったそうです。今では季節に関係なく屋形船も営業していますが、やはり隅田川の花火大会をピークとする夏が趣があるように思えます。

 

神田川には140の橋が掛かっていて左衛門橋、浅草橋、柳橋の3つの橋が中央区の橋になります。(区の界ですので千代田区、台東区にもなりますが・・)、橋の管理者は左衛門橋が千代田区、浅草橋が国土交通省、柳橋が中央区です。

 

神田川の話ではないですが、依然ある会社のアンケート調査で「嫁と舅」の仲良く出来る距離は25kmと神田川の距離と同じでしたが、最近の調査では69kmでした。(このアンケートで一人の人が10,000kmと答えた為、だいぶ距離が伸びました。) 何故か10,000kmと書きたかったのでしょう。中央区の人はとても仲がいいので・・・短いでしょう。

 

※今年の隅田川の花火大会は7月29日(土)、屋形船を予約する人はお早めに。

 

 

 

「吉田松陰」がここにいる理由。@箱崎公園

[えだまめ] 2017年5月 4日 12:00

先日、ロイヤルパークホテルのランチビュッフェに行った帰りのこと。

(その時の記事はこちら → http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2017/04/post-4276.html

一緒に行った友人とおしゃべりしながら彼女の勤務先の近くまでおさんぽ。

せっかくなので、いつもは行かないその近くの公園で

娘・あずきを遊ばせていこう・・・と思って

「箱崎公園」までやってきました。

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こいのぼりがいっぱい飾ってあって、季節を感じますね。

時間帯もちょうど小さい子はお昼寝タイム?だったからか

同年代の子たちはあまりいなくて滑り台で遊び放題のあずきでした。
 
 

・・・ふと見つけたのが

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こちら。「吉田松陰像」です。

一瞬頭の中には「?」が。

「松陰先生ゆかりの地、っていうと小伝馬町の十思公園だよね?」って思ったので。

小伝馬町の牢屋敷が最期の地ということで

その跡地の十思公園には記念碑がいくつか建っていますよね。

http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2016/06/post-3419.html

(↑過去の先輩特派員さんの記事にも取り上げられています)

 

どうしてここに??と思っていたら傍に説明板、ちゃんとありました。

それによりますと・・・

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昭和12年(1937年)の末、この地にあった箱崎尋常小学校の6年生

岩井光子さんが病気で亡くなりました。

成績優秀な光子さんは特に吉田松陰の生き方に感銘を受けており

亡くなる前に自分の貯金で学校内に吉田松陰の銅像を建ててくれるように両親に遺言をしたのだそう。

(・・・そういう時代、だったのかもしれませんが

 今時の子どもではなかなか出てこない発想かもしれませんね。)

両親は生活が苦しい中でもこの願いを実現し、昭和13年(1938年)3月22日に

盛大に除幕式が行われました。

当時、この話は「教育美談」として東京日日新聞に表彰され

除幕式には当時の文部大臣や東京市の関係者などが多数参列しました。

像は竹山蘭山が制作、「松陰先生」の文字はこの話に感銘を受けた

海軍大臣高橋三吉が揮毫したものです。
 

昭和19年に小学校は戦火を逃れるため疎開した後に廃校となりました。

しかしこの像はずっとこの地で箱崎町を見守り続けています。
 

母となった身としては

「光子ちゃん、悔しかったろうな。お母さんもつらかったろうな。」

という感想が先に立ってしまうのですが。

彼女の想いがこの地域の子どもたちを守ってくれますように、と

願わずにはいられないのでした。