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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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子連れで、日本橋高島屋

[ぺんぺん] 2018年2月13日 14:00

高島屋の記事が多いぺんぺんです。今日は、とある日のぺんぺん家族の遊び方のご紹介です

 

まずは、キッズスペースです。
以前、ブログに、KID'S CLUBと赤ちゃん休憩室の記事を載せましたが、キッズスペースも、同じく5階にあります。
特徴は、0歳から2歳までのスペースとそれ以上の子供達のスペースに区切られていることです。1歳になったばかりの小さな息子が安全に遊べる作りなので、私は気に入っています。スペース自体は広くありませんが、息子は楽しく遊んでくれます。絵本やブロック、おもちゃが用意されています。
自由に持ち帰ることができる、マタニティ向けフリー冊子やミキハウス英会話教室の案内、ハッピーノートなども置いてあります。
 
1日ショッピングを楽しんだ後は、4階の千疋屋フルーツパーラーへGO!実はこちらの千疋屋フルーツパーラーの記事も書いたことがあります。お気に入りのフルーツサンドと千疋屋スペシャルを注文。
 
 
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こんはふうに子連れデパートを満喫しています
 
 

 

和紙とともに200年 【歴史編】②  ~ 和紙舗 榛原 ~

[rosemary sea] 2018年2月 9日 18:00

『ギフト、そして自分も楽しむ』をルック オーバーして取材します、rosemary seaです。

 

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日本橋の老舗和紙舗(わがみほ)、榛原(はいばら)さんの前々回記事はこちらです。

⇒ http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2017/10/post-4699.html

前回、歴史編①はこちらです。

⇒ http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2018/02/post-4946.html

 

1505_059a店舗内観3.jpg

今回は2回に分けた歴史編の②です。

今回も株式会社 榛原 広報担当の中村陽子さんにお世話になりました。

それでは・・・

  

大正時代に入りますと、産業の発展とともに新しく計測器が外国より輸入され、それに使用する計測用紙の開発の必要性が叫ばれるようになりました。

これを受け、榛原さんでは創業以来の印刷技術を駆使して、大正8年(1919年)に、日本で初めて計測記録紙の製造に成功しました。

その後、関東大震災や第二次世界大戦で事業も大きな打撃を受けられましたが、それを凌いで事業の安定化に成功。

昭和39年(1964年)、計測記録紙の印刷工場を設立。

品質の高さからアメリカのアポロ計画にその計測記録紙が採用され、昭和44年(1969年)、アポロ11号に乗り月面へと出向き、月面調査にも大きな役目を果たしました。

また、心電図や土地測量など多岐にわたる用途に、計測記録紙は活用されています。

オフィスサプライ用品などの取り扱いもされ、IT時代に対応する体制も築きました。

平成27年(2015年)、再開発完了に伴い、中央通り沿いに新店舗を建設し移転・開店となりました。

 

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上:河鍋暁斎 「鶏図」・下:酒井抱一 木版団扇絵

 

「はい原の 団扇(うちわ)を送る たより哉(かな)」

「鶏(とり)が鳴く あつまの江戸の はい原の 焼きじるしある 絹団扇かも」

それぞれ明治31年に、榛原さんについて正岡子規が詠んでいます。

文化文政の頃より、木版摺りのうちわは雁皮紙(がんぴし)とともに榛原さんの人気商品でした。

榛原さんでは毎年4月14日が「うちわ初め」の日。

新作のうちわを求めて、多くの人々が来店され、初夏の風物詩となっていたほどだそうです。

榛原さんのうちわを浴衣の帯に差したり、蛍を払ったり。

ファッション感覚で使われていたようです。

また正岡子規が詠んだように、代表的な江戸のお土産として知名度が高かったようです。

前回申し上げましたとおり、榛原さんのうちわの原画は当代一流の画家たち。

人々が身近に使ううちわに、各時代を象徴するような美術家の作品を取り入れられ、「生活の中で芸術を愉しむ」喜びを、榛原さんはお客様と共有し続けております。

 

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上:竹久夢二 一筆箋・下:木版手摺絵はがき「夢二の旅」

 

大正から昭和初期の榛原さんには竹久夢二を語らずにはいられません。

抒情あふれる美人画で名高い夢二は、榛原さんの便箋、絵封筒、絵はがき、千代紙、うちわ、広告などの図案を数多く手掛けました。

夢二は榛原さんのデザイナーという立ち位置の他、作品制作に必要な和紙を購入する顧客でもありました。

また、榛原さんの四代目、榛原直次郎氏と親交が深く、夢二がヨーロッパに旅立つときに援助をされた、という逸話も残っているとのことです。

haibara_logo2.jpg 

 

榛原さんの歴史はお客様の歴史でもあります。

新しい商品を積極的に考案する一方、変わらぬデザインで永くお客様に愛される商品も大切にされています。

 

「のれんを磨き、育てる」

 ・・・日々の努力を重ねておられます。

 

1505_016-21b店舗外観.jpg

榛原

日本橋2-7-1 東京日本橋タワー

東京メトロ銀座線・東西線 / 都営地下鉄浅草線 日本橋駅  B6出口直上です。

駅上のCOREDO日本橋のななめ前になります。

03-3272-3801

営業時間  月曜日~金曜日 10:00~18:30

      土曜日・日曜日 10:00~17:30

休業日  祝日・年末年始・お盆

※ 詳しい営業日はホームページをご覧ください。

榛原さんのホームページはこちら

⇒ http://www.haibara.co.jp/

 

 

 

木下杢太郎とカフェー

[yaz] 2018年2月 8日 09:00

木下杢太郎シリーズ第一回「木下杢太郎と八重洲橋」で、鎧橋の脇に開かれた「メゾン 鴻ノ巣」にパンの会メンバーと共に足しげく通っていたことを書きました。

http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2017/12/post-4762.html

 

パンの会は明治末期の耽美主義文芸運動の拠点となった談話会です。 1908年 12月(明治41年)に発足、メンバーとしては』系の木下杢太郎、北原白秋、吉井勇らの詩歌人,美術雑誌『方寸』出身の木村荘八などの美術家,自由劇場の小山内薫,市川左団次らから構成されます。永井荷風なども出席し,東京をパリに,隅田川をセーヌ川になぞらえた青春放埒の宴を続けました。日本橋川をセーヌ川になぞったという説もあり、「メゾン 鴻ノ巣」も重宝がられました。(日本橋小網町には「メゾン鴻ノ巣」について説明する看板が設置されています)

パンの会.jpg 

この絵は木下杢太郎記念館(伊東市)に飾られているものを撮影したものです。絵は杢太郎の作です。

 

「鴻之巣」の名は、「メゾン 鴻ノ巣」のオーナー奥田駒蔵のふるさと"久世郡寺田村(京都府城陽市)近くの丘「鴻ノ巣山」"(埼玉県の鴻ノ巣市は無関係)に因んでいます。「メゾン 鴻ノ巣」開店時の駒蔵は若干三十六歳でした。

大正四年ごろ、「メイゾン鴻之巣」は日本橋木原店(きわらだな・かつての白木屋の横町、いまも「木原店跡」の札がかかっている)に移転します。
一階は庇のような狭いバア。煉瓦のあらわに出た壁が地下室を思わせる感じでした。二階の食堂はかなり広く、さまざまな文芸団体の集会場として、小網町時代よりも一層利用されるようになりました。芥川龍之介の『羅生門』の出版記念会の写真が残されていて、鴻之巣の店内の様子が判ります。

芥川龍之介_羅生門_出版記念会(日本橋の鴻ノ巣).jpg 

 大正九年の末ごろになると、店は再度移転します。こんどはフランス料理「鴻乃巣」として、本格的なレストランを名乗ります。場所は京橋の南伝馬町二丁目12、現在地下鉄京橋駅上の明治屋の位置です。もと田村帽子店のあった四階建てのビルとのこと。
一階は天井の高いホールのような造りで、曲木細工の椅子に円いテーブルが数組。冬にはだるまストーヴが赤々と燃え、カウンター背後の棚には洋酒の瓶がズラッと並び、鼻をくすぐるコーヒーの香りが店先にまで漂い、客を誘います。二・三階には大小の宴会場が数間あり、四階は従業員の休憩所や家族の住居になっていたようです。
大正十二年九月一日、関東大震災で店は倒壊してしまいますが、駒蔵一家は無事でした。
 

メゾン鴻ノ巣(京橋).jpg 田村帽子店(京橋).jpg

レストラン_鴻ノ巣(京橋).jpg 

しかし、震災からわずか二年後の大正十四年十月一日、駒蔵は四十三歳の若さで急死します。

 

パンの会はいろいろの店を使って集会を続けますが、「メゾン 鴻ノ巣」以外で馴染みにしたカフェーが銀座のプランタンです。東京美術学校(現 東京芸術大学美術学部)出身の松山省三が、パリのカフェーのような、文人や画家達が集い芸術談義をできる場所を作りたいと、1911年3月にカフェープランタンを開業しました。所在地は京橋区日吉町20番地(現銀座8丁目6番24号、銀座会館付近)で銀座レンガ街の一角。煉瓦の建物を改装し、小山内薫が「プランタン」と命名しました。類似の店は存在していましたが、プランタンの登場によって、洋行帰りの人たちが口にしていたような意味での(サロン形式の店としての)カフェーが登場した訳です。

 

プランタンなのか鴻ノ巣なのかは特定できませんが、木下杢太郎から聞き取って木村荘八が絵筆をとった絵が残っています。楽しそう!

パンの会の様子(木村荘八作).png

銀座のカフェーはその後いろいろの変遷を経て、一つの形として「バー」という形式を生み出し、銀座全体(1丁目から8丁目)で約350軒に上っています。木下杢太郎や太宰治などのカフェー体験の一部でも、銀座のバーを訪ねて感じてみませんか?

 

 

 

和紙とともに200年 【歴史編】①  ~ 和紙舗 榛原 ~

[rosemary sea] 2018年2月 6日 18:00

1505_016-21b店舗外観.jpg『ギフト、そして自分も楽しむ』をルック イントウして取材します、rosemary seaです。

日本橋の老舗和紙舗(わがみほ)、榛原(はいばら)さんの前回記事はこちらです。

⇒ http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2017/10/post-4699.html

和紙、和紙小物から便箋、レターセットに至るまで、広く紙製品を取り扱っておられます。

1505_071店舗内観 便箋a.jpg

今回は榛原さんの歴史について、詳しくご紹介します。

ただ、1回ではお伝えしきれませんので、2回に分けてご紹介させていただきます。

今回も株式会社 榛原 広報担当の中村陽子さんにお世話になりました。

 

それでは・・・

  

榛原さんの創業は江戸初期、1806年(文化3年)。

200年以上に亘り日本橋の地で商いをされてきました。

初代の佐助さん、奉公の後に独立し、紙・墨・薬の商いを始めます。

紙につきましては上質で美しい雁皮紙(がんぴし:前回記事参照)を取り扱うことで、江戸の人々に大好評となりました。

暖簾にも描かれているように「雁皮紙榛原」の誕生です。

1505_062aのれん.jpg

また、和紙に木版摺りで装飾を施した千代紙・団扇(うちわ)・便箋などの小物紙類も、主力商品となりました。

 

幕末から明治時代にはいち早く各種博覧会を通じ、広く和紙を欧米諸国に紹介されました。

     明治6年(1873年)ウイーン万国博覧会

     明治11年(1878年)パリ万国博覧会

     明治12年(1879年)シドニー万国博覧会

     明治21年(1888年)バルセロナ万国博覧会

等、それぞれ褒状を授与され、国際社会に対して日本の文化水準の高さを示します。

ヨーロッパに渡った榛原さんの和紙製品は、

     英国 ビクトリア・アルバート博物館

     同 グラスゴー美術館

     フランス パリ装飾芸術美術館

などに保管されています。

それらは19世紀後半に西欧に広まったジャポニズムに影響を与えた、と云われています。

 

一方、国内では文明開化の時流に早々に取り組まれ、西洋紙を取り扱いました。

明治期の榛原さんの引き札や店頭には「西洋紙品々」という看板が大きく記されています。

 

三代目の榛原直次郎氏は、明治16年(1883年)、日本美術復興を目的として結成された龍池会(りゅうちかい:日本美術協会の前身)に入会します。

そして明治24年(1891年)には日本青年絵画協会(のちの日本美術院)の設立援助をされました。

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上:絵はがき柴田是真「花くらべ」・下:柴田是真 宝船

柴田是真(しばたぜしん)、柴田真哉(しばたしんさい)、綾岡有心(あやおかゆうしん)、川端玉章(かわばたぎょくしょう)、河鍋暁斎(かわなべきょうさい)・・・。

当代一流の画家と交流を深めます。

そして団扇や扇子、木版摺り製品などの榛原さんの製品の原画を、多く依頼しました。

これが現代に続く「榛原デザイン」の礎となっているそうです。

1511_06355a柴田是真「菜の花畑に蝶」.jpg

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上:柴田是真「菜の花畑に蝶」・下:柴田是真「なでしこ」

明治20年(1887年)には明治新宮殿の天井張、壁紙などの内装の御用を務めます。

これにより、日本美術協会の総裁でもあられました有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)殿下より、「榛原の品は玉を聚(あつ)めたるが如し」と、堂号である「聚玉(しゅうぎょく)」の御染筆を賜りました。

 

・・・次回へ続きます。

 

1505_045店舗内観1a.jpg榛原

日本橋2-7-1 東京日本橋タワー

東京メトロ銀座線・東西線 / 都営地下鉄浅草線 日本橋駅  B6出口直上です。

駅上のCOREDO日本橋のななめ前になります。

03-3272-3801

 

営業時間  月曜日~金曜日 10:00~18:30

      土曜日・日曜日 10:00~17:30

休業日  祝日・年末年始・お盆

※ 詳しい営業日はホームページをご覧ください。

 

榛原さんのホームページはこちら

⇒ http://www.haibara.co.jp/

 

 

薬研堀不動尊の講談会

[saru] 2018年1月31日 09:00

DSC_2222x.jpg毎月28日のお不動様のご縁日に、東日本橋の薬研堀不動尊では無料の講談の会を行っています。この地は講談発祥の地ということで記念碑も建っており、その縁で永年この会が催されています。1月はちょうど28日が日曜日で初不動でもあったので行ってきました。

 

2階にある本堂が会場でしたが、あいにくの寒波襲来で少々寒い中での講談となりました。今回の講談師は神田すみれ師匠、演目は「南部坂雪の別れ」でした。zzx.jpg

DSC_2223x.jpg演目を見てもわからなかったのですが、これは忠臣蔵の話でした。

討ち入りの前に大石内蔵助が亡き内匠頭の奥方に暇乞いにいく話で、映画などでもよくあるシーンですが、講談で聞くと、また違った趣があって、大変良かったです。
そういえば、浅野内匠頭の屋敷は明石町だったんですよね。
吉良邸がこの両国橋を渡ってすぐの本所。
討ち入りの後、義士たちは、永代橋を渡って中央区内を歩いて高輪の泉岳寺に向かいました。
また、講談に入る前のつかみというか、解説というか、そんな話も面白いものでした。

さて、今回は1時間ほどの会でしたが2月16(金),17日(土)には有料ですが、より本格的な「第三回やげん堀講談会」も開催されるということです。

 

 

 

日本橋

[銀狸] 2018年1月30日 18:00

自分にとっての日本橋は、高速道路が通って視界の良くない光景である。

 

石川五右衛門が山門に上り、「絶景かな」と感嘆の声を発し、

広重が遠く富士山が見える図を描き

眺望の良さを感じとれたが、

現在の日本橋はかつての良さを全く感じ取ることが不可で、誠に残念に思っていた。

 

しかし、高速道路の撤去が実現されるかもしれない。

 

川面に映る古きビルの姿、

遮断のないビル群の姿が見え、

展望のある風景がみえる初夢を見た。

 

一日も早く活き活きした風景を見たいものである。

 

 

 
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