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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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「霊岸島検潮所・量水標跡」と「日本水準原点」

[O'age] 2017年5月28日 09:00

「霊岸島検潮所・量水標跡」(中央区新川2-32-1号先)
明治6年(1873)に霊岸島検潮所が設置され、観測開始され、ここの平均潮位を東京湾の平均潮位と定義し(1884年)、標高ゼロの基準として使用した。近くに一等水準点「交無号」を設置し、その後、明治24年、千代田区永田町に創設された「日本水準原点」の標高は、交無号からの測量で決定された。現在では基準となる検潮所は相模湾の油壷検潮所に変わっているが、日本における近代測量技術史上、重要な史跡である。

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「日本水準原点」(千代田区)の見学
6月3日は測量の日(測量法が昭和24年6月3日に公布)に関連するイベントの一つ、日本水準原点・一般公開に行ってきました。普段は扉が閉まり中を見ることは出来ませんが、初めて見てきました。大変興味深いイベント・レクチャーでした。

 

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明治初期にはイギリス式の水準点を設置し、不の文字に似た几号(きごう)を不朽物に刻んで、高低の測量を行った。ヨーロッパでは石畳が多く路面に穴を掘って水準点を設けるのではなく壁面に記号を刻み、水平のライン(の溝)に器具をセットして使ったとのお話を伺いました。その後、日本では測量方法が変わり、几号水準点は使われなくなり、以後は災害や戦災あるいは埋没などで、残っている不の文字形の几号は少なくなっているようです。中央区では「一石橋迷子しらせ石標」の下部に水準几号が鮮明に現存しています。(水準点としての役目は終えています)

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尚、関連の「日本経緯度原点」は港区に有ります。こちらも重要な原点です。

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シェフのこだわり満載の京橋スイーツ  ~ Toshi Yoroizuka TOKYO ~

[rosemary sea] 2017年5月27日 14:00

『ギフト、そして自分も楽しむ』につきフロンティアスピリットを発揮して取材します、 rosemary sea です。

 

昨年11月25日に京橋エドグランにオープンしました Toshi Yoroizuka TOKYO(トシヨロイヅカ東京)さん、ご存知のとおり、超有名・人気パティシエ、鎧塚俊彦シェフのお店です。

 

シェフのこだわりがいっぱい詰まった京橋のお店。

こちらのお店がオープンしましてからはや半年が経とうとしますところ、1階のパティスリーをご紹介させていただきます。

 

Toshi Yoroizuka TOKYO 販売責任者の宮城さんにお世話になりました。

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ケーキのショーケースはとても華やか。

取材時刻は午後1時でしたからこの品揃えですが、ほとんどの商品が毎日完売に近いそうです。商品の追加をしましても午後7時頃にはとても少なくなっている様子です。

 

DSC02387a.jpgここでの一番人気はジャン・ピエール

鎧塚シェフ、このケーキに師匠の名前を冠しています。

チョコレートムースのなかにピスタチオのクレームブリュレが入っています。

画像は4号ホールサイズです。さすが一番人気、この時刻で小さいサイズのものは売り切れとなっておりました。

 

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ショーケースに並んだ数々のケーキ、そのうち5つをご披露。

画像の右から順にご紹介します。

 

アプリコ

京橋限定のケーキです。

あんずのムースのなかにキャラメルのムースなどが入っています。

甘酸っぱい中にもちょっとほろ苦さも。

 

カシス

カシスのムースとイチジクの生地を入れた大人向けのケーキ。

 

苺のタルト・フレーズ

苺の期間限定のケーキ。

なかにはカスタードクリームと苺のソースを入れた苺のタルトとなっております。

 

エルデベーレンケーゼ

ケーゼとはドイツ語で「チーズ」のこと。ここではチーズケーキを示します。

スフレタイプのケーゼに、生クリームが入っています。

 

シューペイザンヌ

ペイザンヌとはフランス語で「田舎風の」という意味。

使用している香ばしいナッツが素朴な感じを醸し出しているから、のネーミングです。

カスタードクリームとナッツのクリームを半分づつ入れ合わせ、最後にナッツをふんだんに使い入れたシュークリームです。

とても贅沢な一品です。

 

最後に今話題のToshi HEALTHY SWEETS(トシ ヘルシースイーツ)

ローカーブ = 低糖質。世間ではローカーボ、ロカボと言う人もいます。

Toshi Yoroizuka TOKYOさん、"美味しいローカーブ"にこだわり、美味しさを追求しました。
 

羅漢果から抽出した天然由来の甘味成分を使用したラカントを使い、どなたにも安心してお召し上がりいただける、身体にやさしいスイーツ、2品。

京橋限定で出されています。

 

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低糖質ティラミス

北海道マスカルポーネチーズを使用した、低糖質のティラミスです。

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低糖質ベリーロール

苺と木苺のふんわり柔らかい低糖質のロールケーキとなっております。

 

ここでお知らせ1つ。

Toshi Yoroizuka TOKYOさん、お店の前にテラス席を設けました。

ご購入いただいたスイーツやパンなども、美味しいままでその場でいただくこと、できるようになりました。

 

次回、「まだまだあります、こだわりの逸品」と題しまして、焼菓子とパンをご紹介する予定です。乞うご期待、です。

 

DSC02399a.jpgToshi Yoroizuka TOKYO

京橋2-2-1 京橋エドグラン1階

東京メトロ京橋駅に直結しております。

営業時間 パティスリー 11:00~20:00

1階カフェ・2階サロン 11:00~20:00

           (ラストオーダー 19:00)

定休日 2階サロンは火曜日がお休みです。

Toshi Yoroizuka さんのホームページはこちら

⇒ http://www.grand-patissier.info/ToshiYoroizuka/

 

 

能面展〔ギャラリー八重洲・東京〕

[ジミニー☆クリケット] 2017年5月26日 12:00

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八重洲地下街中1号にある画廊、ギャラリー八重洲・東京で、能面の展覧会が開催されています(下の地図、赤口)。

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鈴木芳正 能面展」です

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小面こおもて

鈴木氏は、定年間近の58歳()の時に能面教室へ入会()され、念願だった面打ちに精進されてきたそうです

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大飛出おおとびで

20数年間の間に、面の数も増えて、今回そのすべてを展示されるということで、中央区で個展を開催されたそうです

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大べしみ

驚くべきバイタリティー60歳近くから始められても、これほどのものが作れるようになるのかと感動しました

ご本人にお聞きすると、もともと絵や彫刻がお好きだったとのことですが、始められてからのご自身の研鑽真摯さ、面打ちにかける情熱が、展示されている面からあふれ出ているようでした

現在、鈴木氏は、北区で能面彫刻の指導にもあたられているそうです

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三光尉さんこうじょう

白いひげは、馬の鬣たてがみ)だそうです

展示されている面は、極めてリアル

この世のモノではないものも、本当にいそうな面構えです

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泥蛇でいじゃ

面の横には、それぞれ詳しい説明がついていて、初心者の私にもとてもわかりやすかったです

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生成なまなり

開催期間は、5月22日()から28日()までです。

開廊時間は、10時から19時までで、最終日16時までとなります。

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童子どうじ

なお、ギャラリー内での写真撮影、取材については、ギャラリーとご本人にご了解をいただきました。

ありがとうございます

ギャラリー八重洲・東京のHPはこちら ⇒

http://www.yaechika.com/gallery.php

 

 

ピカピカの白バイ隊員に変身!!

[小江戸板橋] 2017年5月23日 09:00

交通機動隊のヘルメット、制服、ライダーブーツ。

どれもピカピカに輝いています。

びしっと着替えて白バイに跨れば、気分はもう立派な子供隊員です。

ハンドルにほぼぶら下がっているような態勢なのですが、

口でブルブル、ブルルンとエンジン音を響かせて、

緊急出動していきます。

 

パパもママも「うちの子最高」と、スマホで連写を繰り返します。

制服は、ほかに女性隊員や警察官のものがあります。

着替えスペースが完備しているので、快適に変身できます。

 

 

今年4月29日に、ポリスミュージアム(警察博物館)がリニューアル・オープンしました。

場所は、京橋3丁目5番1号。

中央通りに面して、東京スクエアガーデンの向かい側。高速道路の手前。

 

建物の外観に、POLICE MUSEUMという文字と、警察のシンボルマールである旭日章が浮かび上がっています。

展示内容がどのように変わったのか興味がありました。

1階から5階までの展示フロアーは、とても明るくなりました。

 

1階には実際に使われていた警察車両が展示されています。

子供の制服試着コーナーもこの階にあり、「ピーポくんホール」と名付けられていました。

 

2階には街のジオラマが設けてあり、防犯に関する体験ができます。

ゲーム感覚で参加でき、夢中になってしまいます。

 

3階、4階、5階と回ると、警察の歴史から、未来を見据えた活動に至るまで知ることができます。

指紋採取のコーナーでは、刑事ドラマの鑑識官の仕事が体験できます。

器具を使って丁寧に作業をする姿は、まるで化学実験のようです。

 

5階の警察の歩みコーナーには、近代警察制度を構築し「日本警察の父」と呼ばれる、川路利良(かわじとしよし)大警視に関する資料が展示されていました。

司馬遼太郎や山田風太郎の小説を通して知る程度なのですが、各種の資料から明治初期の息吹が伝わってきます。

 

 

ところで、ピーポくんって単なるゆるキャラと思っていましたが、ちゃんと職業に就いているんです。

5階に警視庁に関連する歌を集めた「ミュージックBOX」があるのですが、その中の「ピーポくんの歌」をヘッドホンで聞きました。

「ピーポ、ピーポ、ピーポくん、警察官だよ。」

??! ちょっと、こわいな。

 

 

 

「人形アニメーション作家 持永只仁」展〔東京国立近代美術館フィルムセンター〕

[ジミニー☆クリケット] 2017年5月22日 12:00

京橋3丁目にある東京国立近代美術館フィルムセンター7階展示室では、現在、人形アニメーションという分野を切り拓いた持永只仁氏(1919-1999)の事績を紹介する企画展が開催されています

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開催期間は5月13日)から9月10日)までです。

開館時間は、11時から18時30分まで(入室は18時まで)で、毎週月曜日休室日です。

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日本に国産アニメーション映画が誕生して一世紀だそうです

持永氏は、日本における人形アニメーション創始者であると同時に、中国においてもアニメーションの製作を指導され、後の中国動画界をリードする多くの人材を育てられました

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この企画展では、実際にアニメーション映画製作に使われた人形や、持永氏創作ノート作業記録ノート絵コンテ脚本等が展示されており、人形アニメーション映画草創期の大変さや先駆者たちの映画製作にかけた情熱を感じることができます

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1秒間24コマの撮影が必要とされ、それを人形や風景を少しずつ動かしながら行い、15~20分の映画の製作に、撮影だけで40日間を要する()など、根気と集中力の持続を要求される作業を、製作者たちが黙々と続けられたことを知り、本当に頭が下がる思いでした

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会場では、持永氏製作の作品映像も流されていて、現代のCGとは違った、優しく温かみのあるアニメを楽しむことができます

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この展覧会期間中のイベントとしては、持永氏に関するトークイベント特別上映会が予定されています。詳しくは、同センターのHPでご確認ください。

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なお、このブログで紹介させていただいた人形の画像、持永氏の創作ノート、ちらし等の画像につきましては、同センターからお借りいたしました。

ご協力ありがとうございます

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日本アニメーション映画製作の草創期を知るよいチャンスです

撮影に使われた、保存状態のよい人形を見ると、なつかしい記憶がよみがえる方もいらっしゃると思います

是非この機会に、京橋のフィルムセンターにご越しください

東京国立近代美術館フィルムセンターのHPはこちら ⇒

http://www.momat.go.jp/fc/

 

 

大火と長崎屋

[yaz] 2017年5月20日 14:00

江戸時代には1798回の火事があり、そのうち49回は大火であったといわれています。

その中で多大な被害が出た火事としては、

1657年の明暦の大火(振袖火事)→ この火事を契機に、人形町周辺にあった吉原は浅草方面に移転を余儀なくされました。

天和(八百屋お七の火事)の大火(1683年)

宝暦の大火(1760年)

明和の大火(行人坂の火事)(1772年)

文化大火(1806年)・文政の大火(1829年)などがあります。

 

火事の原因は、調理や照明用の火の不始末に起因する失火の他に、放火がありました。特に江戸末期になると幕府の権威失墜のために政情不安となり、放火が増えました。

 

長崎屋も多くの被害を受け、火事の度に建て直しを余儀なくされました。明暦の大火を経験したカピタン ザハリアス・ワーヘナールは、正月15日に将軍家綱に謁見し18日には井上筑後守誠重を訪問している最中に、本郷の本妙寺本堂からの出火を告げられました。急遽長崎屋に戻ったワーヘナールは、激しい北風にあおられた火の粉が飛散していた様子をオランダ館の屋上から見たという話です。江戸火事図巻に明暦の大火の浮世絵が残っていますので、以下で紹介します。

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火は長崎屋にも迫ってきたので、荷物を蔵に入れ避難しました。一同が避難してから一時間ほどで焼け落ちたといわれます。翌19日、火は前日より猛威をふるい、正午ごろには江戸城にも火が入りました。

 

この大火により、江戸の町はほとんど壊滅し、市街の60%以上が焼け野原となりました。このような大火により、長崎屋も被害を受けました。1803年当時の丙寅の大火時の「長崎オランダ商館日記」によると、長崎屋再建の費用としてオランダ側は当時貴重であった砂糖を贈与し、再建費用としたようです。このようにオランダ側の補助を受け且つ幕府の助成を受けながらオランダ館は運営していましたが、過大な借財の負担に耐えられず、幕末にはこの土地を近隣の松沢孫八(江戸一の油問屋)に譲り中央通り角の間口5間程度の唐人参座だけを残し、移転しました。これに伴い200年余続いたオランダ館もなくなり、江戸参府もなくなりました。

 

11代長崎源右衛門は、蔓延2年(1861年)に鉄砲洲船松町二丁目の河岸地を幕府より拝領し、江戸長崎会所御用達に任ぜられ、貿易商として再起を図った。しかしビジネスは順調には推移しませんでした。

 

 

 
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