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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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"佃島盆踊保存会" 主催「佃島の盆踊り」

[サム] 2018年8月14日 18:00

DSC07025ELS'.jpgDSC07032RS'G.jpg 例年7月13~15日実施されてきた「佃島盆踊保存会」主催 東京都指定無形民俗文化財(民族芸能)の「佃島の盆踊」が、今年は諸般の事情で1ヵ月遅れの8月13~15日、開催されています。

江戸時代以来佃の地では七月の盂蘭盆の頃、河岸の欄干場に提灯を連ね、老若男女が踊り明かして先祖の霊を慰め、また江戸市中を踊り回って浄財を集めた歴史を持つとされ、江戸名残の郷土芸能として、昭和51年に「東京都指定無形民俗文化財」に指定。

薄明りの提灯の下、「秋の七草」をはじめ、独自の歌詞と独特の節回し、単調な櫓太鼓のリズムに合わせて、櫓の周りを左回りに行きつ戻りつを繰り返す趣深い踊りに、哀愁と無常感が漂います。隅田川畔に据えられた「精霊棚」は川面からやってくる無縁仏を迎えるための設え。周囲の景色は一変ながら今に継承される盆踊り。今年も第一人者飯田恒雄氏の味のある声が響き渡ります。

 

 

「東京花火大会 ~EDOMODE~」

[サム] 2018年8月13日 18:00

P8111703ELS'.jpgP8111683'RSG.jpg 8月11日、お台場海浜公園にて、「東京花火大会 ~EDOMODE~」が初開催されました。19:10~20:30

「東京湾大華火祭」に代わる、エリアの新たな夏の風物詩としての一大花火大会。

「江戸モード」をテーマに、伝統的な江戸文化と最先端の東京を象徴する、芸能・芸術・音楽・食・テクノロジー等の様々なコンテンツをフュージョンした新たな大花火大会を謳い、国内有数の花火師が集結し、約12,000発の花火が打ち上げられました。

子どもがデザイン&プロミングした花火や、アクアシティ屋上の特設舞台では、市川海老蔵が江戸を代表する花火師に化けた石川五右衛門の新作歌舞伎舞踊「玉屋 清七」を披露。

晴海大橋から、豊洲大橋、ライトアップされたレインボーブリッジ越しに、大音響と共に夜空を彩る鮮やかな大輪の花が広がり、次々と光のショーが展開されました。

 

 

◆ 橋の日・夏の隅田川で夜景を撮る

[隅田の花火] 2018年8月10日 18:00

8月4日土曜日の夕刻、隅田川テラスの「中央大橋」のところに来ています。近くの住吉神社では祭礼が催され、家族連れや子供達で賑わっていましたが、とにかく『暑い!』。涼を求めて川面の風に当たりに来ました。

 

中央大橋は、東京とパリ市の友好関係を象徴する橋です。パリ市から贈られたメッセンジャー像が立っていたり、橋の袂にはパリ広場があったり。

そんなパリのイメージで写真を撮ってみました。

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中央大橋の「白」と遠くの永代橋の「青」。それに屋形船の「赤」を組合わせて、フランス国旗のトリコロール3色で決めてみたかったのですが、ちょっと船がピンク色すぎたかな。

 

今日8月4日は「橋の日」だそうです。特に当ても無くここに来たので、久しぶりに隅田川の橋の夜景でも撮ってみようかと、中央大橋から上流のほうに向かってみました。

 

中央大橋から見える1つ上流の青いアーチが「永代橋」です。奥に見えるのは、スカイツリーで今日は紫色。永代橋の色と合わせて、少し涼しげな印象を与えてくれています。

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永代橋は関東大震災の復興の時に架けられた歴史ある橋。最近、街路照明の形が建設当時のデザインに変わりました。

 

永代橋はその外観から「男性的」な橋と言われますが、照明器具は意外と可愛らしい大きさ。「俺には飾りは必要はない」といった感じなのでしょうか。

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この橋には親柱も無く、華美な装飾も施されていません。この男は、そのずっしりとしたアーチの形だけで美を追求しているのです。

 

永代橋のすぐ上流は日本橋川との合流点。そこに架かる「豊海橋」は工事中です。脇に架けられた仮設橋で日本橋川を渡りましたが、いつもと違うアングルで豊海橋を見ることができます。

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橋好きな私は、「橋の底ってこうなっていたのかぁ」と、仮設橋の上から豊海橋を眺め続けたわけですが、結構この豊海橋ってゴツいんだなぁ、というのが印象。日本では稀少な橋梁形式で「フィーレンデール橋」といいます。

 

少し歩いて隅田川の上流に見えてきたのは「隅田川大橋」。夜景の撮り方がわからなかった頃、ここに何回か練習で通った記憶があります。確か、特派員になってから。その頃が懐かしいです。ここは、じっくりと夜景を撮ることができるお勧めスポットです。

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この橋からは、大都会東京を象徴するような永代橋の風景を望むことができます。なので夜景を撮る人が結構います。だいたいの人はきちんとした三脚を構え、良い一眼レフカメラで。

 

一方、私が隅田川で夜景を撮るスタイルは、ストラップを首にかけ、100円ショップで買った手のひらサイズの三脚を着けて、橋やテラスの手すりに置いて撮ります。カメラは7年くらい前のコンデジ。周りを見てしまうと少し劣等感を感じてしまいますが、たくさん歩き回って写真を撮りたい私は、手軽に撮れるこのスタイルがお気に入りです。

 

ブログに上げるぐらいであれば多分この程度で十分です。でも人様に見ていただく訳ですから、自分なりに手を抜かないようにしていますが、ちょっと暗すぎたかな。

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ここでなんと、1枚撮ったら不覚にも、カメラの電池が切れてしまいました。。。

 

鞄の中を探したら、スマホに取り付ける100円ショップで買った三脚が奇跡的に入っていたので、スマホで撮ってみることに。4、5年前のSONYエクスペリアのスマホですが、それなりに撮れてしまいます。

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デジカメでもスマホでも、夜景の撮り方の基本は変わりありません。少し撮り方をご紹介してみます。

 

風景の写真は、水平であるはずのものをきちんと「水平に撮る」ことが重要。水平でないと写真を見ていただいた人に違和感を与えてしまいます。そして、夜景の場合は「手振れさせない」ことが重要です。

 

この2つを解決するためには

 ・三脚を使う

 ・2、3秒のセルフタイマーを使う

だけで十分。フラッシュは不要です。

 

あとは、多くの光を集める為に「長時間露光」でシャッタースピードを遅くしてみたり、

「ISO感度」を上げ下げして好きな明るさに調整する方法がありますが、このあたりはカメラの機能に依存してしまいます。

 

私のスマホには「ISO感度」と「ホワイトバランス」調整の機能があったので試してみました。

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ホワイトバランスの設定で色味を変えることができます。見た目を涼しめにしたり、暖かめにしたり。夏なので涼しめの方が良いですかね。

 

そして、写真をSNSにあげる時など、写真に文章を添えることができるのであれば、3、4行の文章を添えてみることをお勧めします。

 

写真一枚一枚に文章を添えることで、ありふれた写真でも意味を持った写真になり、命が吹き込まれます。同じ写真でもより美しく見えたり、楽しく見えたり、すごく悲しく見えたり。添えられた文章で写真の印象はガラリと変わってしまうものです。

 

 

以上、グダグダと歩いてきた隅田川ですが、都会を縫うように流れているので、夜になれば多くの光に溢れています。夜景を眺めるだけでも十分かもしれませんが、夜景撮影は、ひと手間を覚えてしまうと案外簡単なもの。夜は写って欲しくないものが闇に消え、美しい明かりだけが残るので、誰でも美しい写真が撮れてしまいます。

 

もしご興味があるようでしたら、是非この隅田川で挑戦していただけたらと思います。

 

 

 

月島に「海水浴場」があった

[yaz] 2018年8月10日 12:00

月島地区をテーマに書くブログ最終回です。約100年前の東京のウォータフロント"月島地区"に海水浴場がありました。明治期に海水浴流行のきっかけをつくったのは、陸軍軍医総監の松本順(良順)で、医療とレクリエーションをかねて海水浴を奨励しました。

明治24年(1891年)大森海水浴場が、明治35年(1902年)には穴守海水浴場が、明治42年(1909年)には羽田海水浴場が開設されました。砂風呂などが人気を取り、大いに賑わったといわれます。大正時代に入ると「海水浴場」が都心を越えて月島・深川地区に波及し、大正2年(1913年)に完了した三号地の埋立(勝どき5~6丁目)と共に開設された月島海水浴場には、料理屋や宿泊施設・海の家が整備され大いに繁栄しました。下の地図では(三号地)の左側(西側)に海水浴場が見られます。

海水浴の様子を示す写真を見ると、今からは考えられない「ふんどし」姿の人が数多くみられます。

月島海水浴場(三号埋立地横).jpg 月島海水浴場の様子.jpg

1930(昭和5年)年代になると、「海水浴場」は衰退し始めます。埋め立て・海水汚染のためです。

第二次世界大戦後、高度経済成長期を迎えたこともあり、東京に海水浴場がよみがえることはありませんでした。月島も然りです。今日の東京の海は海水浴には不適当な状況にありますが、人工海浜や親水護岸などの整 備も進んでおり、さらに水質の改善が進行することによって、将来再びそのにぎわいを取 り戻すことに大きな期待が寄せられている。

参考文献:

1. 平成17年度日本大学理工学部 学術講演会論文集「東京のウォータフロントにおける余暇文化の変遷に関する研究」

2. 中央区沿革図集(月島編)

 

 

住吉神社例祭 Aug.2018

[銀造] 2018年8月 9日 12:00

 奉祝天皇陛下ご即位30年、明治150年記念 住吉神社例祭が8月3日から8月6日迄開催されました。私は、8月6日(月)に出かけました。

月島西仲通りを若人により威勢よく担がれた神輿。 景気づけと熱中症対策にに水が掛けられていました。

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地元の子供たちによる山車(だし)、微笑ましく、太鼓のお囃子が和やかな雰囲気でした。

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佃に移動して、普段は見る事のない、木製鳥居を潜って、

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佃小橋から聖路加タワーが見える場所で立てられた幟旗。

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周辺の幟の総数は、六本だとか。

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  佃の歴史については、摂津国西成郡佃村(大阪)の漁師は、徳川家康が住吉神社を参詣した折とか、大阪の陣などで家康の為に種々の便宜を図った。これに恩義を感じていた家康は天下を取ると、漁師たち36名を江戸へ呼び寄せ、水産物の漁獲の許可を与えて住まわせた。彼らは、最初は日本橋付近の魚河岸に住んでいたが、後に隅田川河口の寄り洲を与えられたので、ここに島を造成して移り住み、自分たちの生国の名前を取って、この島を「佃島」と名付けた。 (この佃島の築造年は、「中央区ものしり百科によれば、正保元年、西暦1644年です) ~中略~ そして、自分たちの島が出来上がると、郷土の産土神(うぶすなかみ)であり、海上の守護神であった住吉神社を勧請して、この島に住吉神社を建立したのが正保三年、西暦1646年との事です。(現在の地名に島は付かず、佃何丁目という表示です)

 

 この大きな幟旗は、広重の名所江戸百景、夏の景、「佃しま住吉の祭」に描かれているので、前々から見たかった物の一つです。

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 銅鳥居から建替えられた赤鳥居に、幟旗がたなびいていて、風情が伝わってきました。 

 

佃まちかど展示館周辺には、東都一大きいと言われている千貫神輿、

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虎の獅子頭とお供え物

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龍虎の獅子頭

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他にも多数の文化財が展示披露されていて、歴史と文化を感じることができました。

中央区まちかど展示館と佃まちかど展示館の詳細はこちらです。

http://chuoku-machikadotenjikan.jp/tenjikan/

龍虎の獅子頭などに関する説明は、中央区民文化財の説明が大変に参考になります。

http://www.city.chuo.lg.jp/kusei/syokai/tyuobunkazai/ryukonoshishigashira.html

 

 

中央区の歩道っておもしろい!11 【続佃1・2丁目】

[湊っ子ちゃん] 2018年8月 9日 09:00

佃島を歩いていますと、三角形の空間と出会うことがよくあります。

それに沿うように、歩道も三角形をしています。

三角形の空間ができた理由は、"町並みの向き"にあるようなのです。
 

♪ 佃島と新佃島

地図を眺めていると、佃島の町並みは、江戸側とほぼ揃っているのに対し、新佃島は、月島と同じ向きをしています。

その昔、摂津国西成郡佃村(現在の大阪府西淀川区)の漁師たちは、家康に招かれ江戸入りし、白魚献上の御用を務めました。その後、正保元年(1644)に、佃島を築造しました。

そのとき、佃島は江戸城を向くように造られたそうです。そのため、佃島は江戸の町と向きが揃っているようです。

 
一方、新佃島は明治29年(1896)に誕生しました。月島地区と同じ時期に埋め立てられ、築地や深川と向きが同じだということです。なるほど、深川との間には相生橋があり、まっすぐな道でつながっていますものね。
そこで、三角形の空間ができたのですね。

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佃島を黒線で囲みました。

左、赤枠は新佃島。右、間にできた三角形の空間。

(中央区立京橋図書館「郷土室だより」付録地図をもとに作成/明治44年)
 

 
♪ 佃島と佃大橋

sankakutukoo.jpg◀ 春の佃大橋

昭和39年(1964)開通

佃大橋と新月陸橋の軌道も、三角形を作っているようです。
佃大橋は、隅田川を渡ったところで、大きく軌道を変えています。道路の向き、ないしは町の向きが違うからですね。


三角形の空間は、公園になっています。

歴史のある町というのは、地形や道に表情があって面白いですね。

歩くたびに新しい発見がある、そんな中央区がやっぱり好きです。

 

中央区観光特派員 湊っ子ちゃん

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第18号 平成30年6月22日

 

 
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