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東京水上尋常小学校(月島)

[yaz] 2018年7月10日 09:00

注*: 前月以前のブログを参照してください。

「勝どき・晴海は月島だった」

http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2018/05/post-5168.html

「水上生活者(月島地区)」

http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2018/06/post-5158.html

 

 

水上生活者の増加に伴い、福祉厚生を考える必要が出てきました。福祉向上のため東京尋常小学校が1930年(昭和5年)月島8丁目(中央区勝どき1-11)に開校しました。隣が月島小学校の分校(現月島第二小学校=現勝どき1丁目にあるにも拘わらず、月島名がついています*)です。この分校は2号地(勝どき地区)の子供たちのために作られた小学校で、隣が日本倉庫で、斜め正面に鉄骨試験所がある行き止まりの通りの奥にありました。開校当時はまだ晴海通りも勝鬨橋もありませんでした。

      水上小学校のロケーション.png 

開校時の間取りは、教室3ケ、寝室2ケ、事務室・食堂・寮母室・炊事室・洗面所などで構成され小さくまとまっていました。

開校時の生徒数は32人、教員は3人と校長・寮母1人、炊事婦2人という所帯でした。学級は1~2年ひとクラス、3年以上がひとクラスでした。翌年1931年(昭和6年)からは低中高の三クラス制になりました。

 水上小学校舎平面図.png  

 水上小学校教室内風景.png 

東京水上小学校は、開校後しばらくして東京市立水上小学校となり学童の数も少しずつ増加し、校舎も改築を重ねました。1941年第二次世界大戦の開戦と同時に、水上国民学校となりました。軍国主義に湧く世情の変化を受けて、子女の教育ではなく兵士育成のための場となり、同時に銃後を支えるための奉仕の場となりました。水上国民学校もまた、戦争遂行のための海員育成の場に変えられていきました。

 水上小学校の軍隊化.png 

1943年(昭和18年)4月1日、江東区深川浜園町に分校ができました。(昭和43年4月1日、浜園町は住居表示制度の実施に伴い、浜園町と塩崎町の名から「塩浜」となり、現在に至っています)戦争の悪化に伴い学童は茨城県新治郡に疎開しましたが、1945年10月25日には学校は再開されました。

水上生活者が暮らす船はセージと呼ばれる部屋が船底にあり、その大きさは2畳(6.6㎡)から3畳(10㎡)程で、家族があれば親子数人がここに寝泊まりしていました。ダルマ船は仕事場が転々と変わるので、子供たちは就学が難しく未就学児も多かったし、戸籍を持たない子さえいたという話です。

水上生活者の出身は千葉県が多く、戸籍を千葉房総に置いたまま船内で暮らすために、現住所がなく子息の就学もままならないこともあったようです。水上小学校の設置はこのような状況を解決するために設置されたともいえるでしょう。

水上小学校は全寮制ですが、子供たちは週末だけ船に帰りました。週末、子供たちにとって悲劇が起こることがありました。「自分のなつかしい家(船)がみつからない」停留している場所にセージが見つからないことがありました。そのようなときには、子供は憔悴して学校に戻ったということです。しょげかえった子供達の様子が目に浮かぶようです。

 

 

月島草市 2018

[サム] 2018年7月 9日 09:00

DSC06763ELS'.jpgDSC06732'RSG.jpg 7月7~8日両日、月島の夏の風物詩「月島草市」開催。

かつては盆の直前に立つ「草市( 別名盆市)」 で、"苧殻(おがら)" "焙烙(ほうろく)" "ほおずき" 等の仏壇に供える飾り物や供え物を賄い、先祖霊を迎えたとされますが、時代と共に、仏事の簡略化、生活様式・流通チャネルの変化等により、その殆どが役割を終え、「月島草市」は「草市」の名を留める貴重な存在と聞きます。

今日、月島西仲通り500mの通り全体に、地元商店街の他、町会等も加わり、100を超える露店・屋台が立ち並び、お盆関連商品に代わり、飲食物はもとより、昔ながらの輪投げ、型抜き、ヨーヨー釣り、スーパーボール / 金魚すくいといった遊びに至るまで、様々な出店が揃い、大勢の来街者で賑わいを見せています。

浴衣姿の女児も数多く散見され、下町ならではの風情を感じる、夏を代表する催事です。

 

 

◆ 夏の月島・アミダくじで歩く路地裏

[隅田の花火] 2018年7月 3日 09:00

6月30日の土曜日。

前日、記録的な早さで梅雨が明け、隅田川の勝鬨橋から見える空は、すっかり夏空となってしまいました。

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お昼時なので「何か食べようかなぁ」と、築地から月島のほうに歩いています。

勝鬨橋を渡って次の信号を左に曲がり、月島川を渡りました。ここが「月島」です。

この道は「西仲通り」という、それほど広くはない通り。でも「もんじゃストリート」とか「もんじゃ通り」と呼ばれている、月島の観光では幹になっている通りです。

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これからの季節、月島や佃ではいろいろなイベントが目白押し。「月島は夏」と言っても良いくらい、楽しみな季節です。

 

今日は、そんな夏の月島の「路地裏」を歩いてみようと思い立ちました。

月島の街並みは「路地裏」が良いと言われます。

確かに魅力的な道が多いのですが、歩く時は、つい自分で道を選んでしまうもの。歩いたことのない道はたくさんあります。そこで、以前からやってみたかった歩き方がありました。それは、

 

『アミダくじのように歩いてみる。』

 

自分では道を選べません。テキトーであるようで、規則的でもある、運任せな歩き方。「今日しかないだろう」と、この歩き方を試してみました。

歩いてみた後に地図を見てみたら、下のような道を辿っていました。行きたい方向に進めない歯がゆさがあったものの、新たな発見のあった道もあり、面白い歩き方だったと思います。

s_hanabi62-3.jpg路地裏の道は生活道路でもあるので、紹介しづらいところがあるのですが、☆印を中心に、歩いたところを取り上げてみます。

 

月島川を渡って右に曲がり、くねくねと歩いていきます。自然と、明石家さんまの「アミダばばぁの唄」が鼻歌に。

すると早速現れたのが「マイカイキッチン」という路地裏のお店(1つ目の☆)。初めて知りました。中を覗いてみると、お昼時なので、お客さんがいっぱいです。

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テイクアウト専門店で、ポキなどのハワイ料理のお惣菜やお弁当を扱っています。なんだか美味しそうなので、定番そうな「ポキ丼」を今日の昼飯にすることにしました。

このお店のあるところは、道がクランク状になっていて、「この先、続いているのか?」と、少しワクワクする路地裏でした。

 

もんじゃ通りに戻ると、行き止まりの道にも遭遇しましたが、曲がり角に現れたのが「猫屋」の看板(2つ目の☆)。猫好きなので、このお店には何度か行ったことがあります。

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猫関連のグッズが揃っているお店ですが、ポイントが高いのは猫が現れそうな路地裏にあるところ。

お店の中は、グッズの良さもさることながら、ディスプレイのされ方が、とても綺麗。でも私が良いと思うのは、路地裏に似合ったウッドテイストのお店の外観。広めのウインドウから中を覗いてみるのが、とても好きなのであります。

 

そして、一度は隅田川に近い通りに出たものの、またもんじゃ通りに。

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もんじゃ通りに建つ建物は、商店建築なので、見上げてみるのがオススメ。西仲通りが、もんじゃ焼きで名を馳せる前の時代を感じることができます。

月島の路地裏の特徴は、軒先にならぶ「鉢植え」の多さではないでしょうか。月島が夏に似合う理由は、たぶんここにあります。緑の多さが、気持ちを涼しくさせてくれるのです。

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無秩序なようで、実は綺麗に整えられている月島の路地裏空間。月島の道が作り出したひとつの生活文化なのではないでしょうか。

 

もんじゃ通りの「月島警察署 西仲通地域安全センター」が見えてきました(3つ目の☆)。ここに勤務されているのは、警察官OBの「地域安全サポーター」です。

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関東大震災後の1926年に建てられた鉄筋コンクリート製の交番建築で、今年で92年。現役では東京最古の交番建築だそうです。路面電車のような、ほのぼのとした形がたまりません。

この交番建築の斜め向かいは、現在大規模な高層ビルが建築中。

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特にこの辺りは趣のある商店建築が建ち並らび、路地裏の道もありました。今までの生活文化が無くなってしまったという意味では少し寂しいです。

路地裏の軒下には、石仏までありました。少しビックリ。手を合わせましょう。

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「東京メロンパン」というお店(4つ目の☆)で店員のお姉さんの笑顔に負け、メロンパンを購入。その先の道は大規模な建物が建ち並び、路地裏がなく、サラッと月島駅にたどり着いてしまいました。

 

ここから先は「佃」地区。ここまで来たら、「佃島の住吉神社まで行ってみたい」。もしかしたらアミダくじで辿り着けるのではないかと思い、続けてみることに。

佃の路地裏も月島に負けず、鉢植えが見事です。

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残念ながら、佃島のほうには近づけそうにないアミダくじ。でも、あのお店に行けるのでは、と期待を寄せていたら、奇跡的に辿り着きました。

「佃もち」で有名な「二葉家」さんです(5つ目の☆)。

s_hanabi62-12.jpg初めての方は、戸を開けるのに勇気が必要かもしれません。でもこういう年季の入った引戸のお店には、なかなか出会えませんので、歴史の重さを引戸で堪能してしまいましょう。

 

佃もちを買いました。これからの季節は冷やしても美味しいですよと、店主からのお言葉です。

さらに進むと、あの「肉のたかさご」ではありませんか(6つ目の☆)。

s_hanabi62-13.jpgやき豚が気になったけれど、もうすでに買いすぎなので、我慢してコロッケだけにしておきました。

30度をはるかに越える気温に、この空腹。さすがに疲れてきた。さて、どこで食べようか。

 

アミダくじの終着地点は、青い空が感動的な隅田川の河畔でした。

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リバーシティの高層マンションが日陰を作ってくれて、座ると風がとても心地よい。ここが都会であるとは思えない風景です。

 

マイカイキッチンのポキ丼。これ、かなり美味しいと思います。特に気に入ったのは、マカロニのサラダ。やみつきになりました。

コロッケも普通に美味しい。メロンパンと佃もちは、お土産にすることにしました。

 

s_hanabi62-15.jpg近くには中央大橋。隅田川河畔には、こんな夏景色があったんですね。今日は、たくさんの発見があった実りある一日となりました。

 

<夏の月島と佃・主なイベント>

月島草市:7月7日(土)・8日(日)

佃島盆踊り:7月13日(金)~15日(日)

 

住吉神社例祭(本祭)

 大幟柱掘出:7月1日(日)

 大幟柱建て:7月29日(日)

 大幟旗揚げ:8月3日(金)

 獅子頭渡御:8月4日(土)

 宮御輿渡御:8月5日(日)~6日(月)

 

 

 

夏越 佃住吉の水無月祓

[あすなろ] 2018年7月 2日 18:00

6月の晦日は夏越の祓。

半年分の穢れを祓い、無事に過ごせたことに感謝し、

後半も無病息災を祈る行事です。

 住吉神社.jpg

神社の境内に作られた大きな茅の輪の中を

「思ふことみなつきねとて麻の葉を
        切りに切りても祓へつるかな」

「水無月の夏越の祓する人は
        千歳の命延ぶというふなり」

「宮川の清き流れに禊せば 
        祈れることの叶はぬはなし」

と唱えながら

8の字を書くようにくぐることで、

病気や災いを免れることができるとされています。

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 <花めぐりスタンプ 1月~6月の全6種類>

 住吉神社では、四季の美しい花々が楽しめます。

自然豊かな境内で、季節の風情を楽しんでみては

いかがでしょう。

◆佃・住吉神社
 東京都中央区佃1-1-14

 

 

住吉例大祭 「大幟柱・抱木」掘り出し

[サム] 2018年7月 2日 12:00

DSC06640ELS'.jpgDSC06644RS'G.jpg 8月3~6日は、住吉神社の3年に1度の "本祭り"。

例祭を仕切る氏子組織の「佃住吉講」が準備から片づけまでを担います。祭りが約1ヶ月後に迫った7月1日に行なわれた、佃小橋脇の舟入堀の泥中に埋められた「大幟の支柱(柱と抱木)」を掘り出す作業は、住吉神社例大祭の歴史と文化を味わえる情景のひとつ。

水洗いし、乾燥させた後、8月3日17:00に一斉に掲げられます。大幟は寛政10(1799)年に幕府から大祭で掲げることを許可されたと伝わり、初代歌川広重「名所江戸百景」にも描かれ、佃の祭りには欠かせません。

その他、佃島入口「黒木鳥居」、獅子頭を安置する「御仮屋」、「寄付板」設営等々、祭りの準備が着々と取り進められています。

 

 

中央区と江東区をつなぐ相生橋

[ジミニー☆クリケット] 2018年7月 1日 09:00

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用事があって、休日、相生橋を渡る機会があり、このブログで、これまでこののことがあまり出てなかったことに気づき、取り上げてみます

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相生橋は、隅田川派川に架かっているで、中央区江東区をつないで、清澄通り通しています

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相生」という名称は、このがはじめ長短二橋で構成されていたことから、「相生の松」に由来して採用されたそうです

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明治期に築造された月島は、当初、築地深川からの架橋もなく、「佃の渡し」と「月島の渡し」などの渡し船に頼るしかありませんでした

深川側の川幅は短かったこともあり、東京市は川途中にあった中之島を挟んで、長短2本架橋計画を立て、「相生大橋」と「相生小橋」の木橋)が開通したそうです

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ただ、その開通から数か月後に発生した関東大震災焼失

震災復興事業の最初のとして、鉄鋼ゲルバー橋再架橋

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その後、小橋下が埋め立てられて、中之島地続きとなり、交通量の増大と橋の老朽化が深刻になったため、平成10年に現在のに架け替えられました

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橋下にある江東区立中の島公園です

中の島公園は、隅田川唯一)の水上公園です

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小さな公園ですが、感潮池潮入りの池があり、満潮になると海水が入り込み、潮の満ち引きをはっきりと見ることができます

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中の島公園から大川端リバーシティ21の眺めです

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この公園では、釣りをすることができ、私が行った時も、の下でちょうどシーバスが釣り上げられていました

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この相生橋を渡ると、江東区側には東京海洋大学越中島キャンパスがあります

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