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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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築地波除神社 七草神事・七草粥振る舞い

[サム] 2018年1月 9日 16:00

DSC01703ELS'.jpgDSC_0509RS'R'G.jpg 1月7日は人日(じんじつ)の節句。

築地波除稲荷神社では、11:00より新春恒例の「七草神事」の祭典が執り行なわれ、その後、境内では「七草粥」が振る舞われました。

正月7日は正月行事の節目に当たり、この日の朝に、大地から芽生えた春の七草(せり、なずな、ごきょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ)を入れた七草粥を食し、無病息災を願う年中行事。

7日といえば、松の内の最後の日に当たり、正月の馳走に疲れた胃腸を労り、青菜が不足しがちな冬場の栄養補給の一面もあり、理に適った習わしといえます。

ご神饌田の米、築地場外市場 藤本商店奉納の七草を使い、長生庵により調製された七草粥。

あっさりと仕上げたお粥は、少し濃い味のおせち料理が続いた後では、新鮮な味わいで、寒空の下、温もりと優しさが伝わってくるもてなしです。

 

 

築地でお正月のお買い物!~玉子焼き専門店「本玉小島」さん~

[えだまめ] 2018年1月 9日 09:00

子連れ特派員のえだまめです

あけましておめでとうございます!

本年もよろしくお願いいたします!


さて、年末には築地でお正月に向けてのお買い物をしてきました。

美味しいお刺身昆布海老・蟹など、見てるだけでもワクワクするのが築地。

その中でも、本日のお目当ては「玉子焼き」。

2歳半のくいしんぼう・娘あずきは玉子焼きが大好物。

それならばせっかくのお正月。美味しい玉子焼きをお正月に準備しようと思ったわけです。


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訪れたのは12月28日。

30日なんかに行ったら大混雑で

ベビーカー利用の子連れじゃあ大変だろう・・・と思ったのですが

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・・・十分混雑してます。

普通の土曜日よりも人が多い気がしましたよ。

やっぱり年の瀬の賑わい、なのですね。


そして、お目当ての玉子焼き屋さんはこちら。

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「本玉 小島(ほんぎょく こじま)」さんです。

メインはデパートやお寿司屋さんなどへの卸売りなのですが

一般のお客様向けに小売りもしてくださっているのです。

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最近は色々な具入りの玉子焼きをあつかうお店も多いですが、

こちらはシンプルなプレーンなもの一種類のみ(サイズは色々ありますが)。

本当の玉子の美味しさ、出汁の美味しさを充分に引き出した逸品です。

そして、こちらの玉子焼き、すべて職人さんの手焼きなのです。

機械で焼いているお店も増えている中、これは貴重なのではと思います。

お店に伺ったところ、ちょうどこれから配達に行く3代目の常務、

お店を守る2代目の社長と娘さんは大忙し。

一年で一番の書き入れ時ですものね。


で、買い物を終えて帰宅して。

「たまごやき♪たまごやき♪」あずきがせがむので・・・

お昼ごはんに少し食べちゃいました。

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買ってきたのは「本小(本玉 小サイズ)」550円です。

初めて食べた時には思わず

「あれ、玉子焼きってこんなにおいしかったっけ?」

って思ってしまいました。

出汁の良い香りが口の中でふんわり。

甘すぎず、でも本当の卵の美味しさが広がって。

幸せになりますね。

・・・そして、あずきのお皿に用意した玉子焼きは一瞬でなくなってしまうのでした。

ま。いいか。美味しく食べてくれたっていうことで。

そして迎えたお正月。

実家にお持たせとして持っていったのですが、

母にも「美味しいねぇ。このお味でそのお値段ならかなりお買い得ねぇ。」と。

確かにデパートなどで買うと、さらにもう一回りお高めかもしれないですしね。

卸売りをしているお店で買える、というのはお買い得です。確かに。


お正月に限らず、ちょっと贅沢したいときや

ちょっとしたお持たせにもいいかもしれませんね。

またお世話になると思います。

よろしくお願いいたします



つきじ手焼玉子焼き専門店 本玉小島

住所:東京都中央区築地6-23-12

店舗電話番号:03-3543-2293

営業時間:朝4時半~午前11時半(土曜日は12時半まで)

休業日:日曜・祝日 水曜不定休(築地場内市場の休場日と同じ)

http://www.hongyoku.co.jp/

 

 

七草 暦のある暮らし

[あすなろ] 2018年1月 8日 12:00


1月7日は、五節句の一つ「人日の節句」。

この日に七草粥を食べて、

1年の豊作と無病息災を願います。

「芹 薺 御行 繁縷 仏の座 菘 蘿蔔 これぞ七草」

 ご朱印.jpg

平安時代に中国の古い風習が伝わり、

江戸時代には幕府が公式行事として「人日」を祝日に

したことで、七草粥を食べる風習が一般の人々にも

定着していったようです。

江戸時代には、これに小松菜を加えたとも。

 七草粥.jpg

長い間、多くの人たちが利用してきた暦。そこには日本の

風土に合った生活、生き方の知恵や教えがあります。

正月疲れが出はじめた胃腸の回復にはよい食べものです。

そして、「人日」、人を大切にする日として、

その言葉の意味も噛みしめたいですね。

 

◆七草神事/波除神社
東京都中央区築地6-20-37
2018年1月7日 11時からの祭典後、
先着順に境内にて無料の七草粥が振る舞われました。

 

 

 

放鷹術実演 (浜離宮恩賜庭園 その1)

[GPP] 2018年1月 8日 09:00

 初夢で演技の良いものといえば「一富士、二鷹、三茄子」ですが、

 晴天の浜離宮にて、新春恒例のイベント「放鷹術(ほうようじゅつ)の実演」が行われました

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 鷹匠(たかしょう)さんの伝統の技が披露されました。

  1月2日 11時~/14時~、 1月3日 11時~/14時~

 鷹狩(野生の鳥獣を鷹で狩る猟法)の鷹を、飼育・訓練する方が鷹匠(たかしょう)さんです。

 写真は、鷹を水平に飛び立たせた直後の鷹匠さん。体重移動がダイナミックです...

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 渡り(樹上にいる鷹を拳に呼び戻す)、振替(別の鷹匠の拳へ鷹を飛び移らせる)など、数々の技など。

 

 鷹匠さん達の正装。格好よいです...

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太田圓三の生涯

[yaz] 2018年1月 7日 18:00

2017年11月のブログで『木下杢太郎記念館(伊東市)を訪問したこと、木下杢太郎の人となり』を紹介した。

/archive/2017/12/post-4762.html

 

今回は"永代橋"の架橋を担当したことで有名な木下杢太郎の4歳年上の実兄、「太田圓三」を紹介する。

学生時代には東京で同居もしていた仲の良い兄弟であった。

木下杢太郎_家系図.jpg 太田圓三_顔写真.jpg

 

太田家の次男「圓三」は、東京帝国大学土木工学科を卒業後、逓信省鉄道作業局に入局し、橋梁設計を振り出しに、房総線工事や上越清水トンネル工事などを担当した。工事の機械化や路線の図上選定法の導入など、幅広く鉄道技術の向上に貢献し、「鉄道始まって以来の天才技術者」と呼ばれた。

 

大正12年(1923年)、関東大震災によって壊滅的な被害を受けた東京を復興するため帝都復興院が設置されると、土木局長に任命され当初は未経験の分野のため辞退したが、親友十河信二(戦後、東海道新幹線建設起工時の国鉄総裁)の強い勧めにより就任した。交通網や衛生設備、安全性、景観などを備えた「文明的都市・東京」を目指した。

*車社会の到来を目越した道路などの拡張

*土地区画整理

*永代橋・清洲橋など震災で焼け落ちたものや新設など約150もの橋梁について、

 弟・杢太郎や芥川龍之介・木村荘八などの芸術家の意見を聞き景観に配慮した架橋を

 行った。

 

以下の図は、永代橋・清洲橋などの橋デザインを示している。全て奇抜なデザインのため採用されなかった。

隅田川復興橋デザイン群.jpg

 

*高速鉄道(地下鉄9の必要性を説き、鉄道網の具体化に尽力した。

(下図の鉄道網図は小さくて駅名が見えないかもしれませんが、都電・省線(JR山手線・中央線など)と共にメトロ銀座線・丸の内線など高速鉄道(地下鉄)など将来を見据えた鉄道網を示す。東西線・日比谷線らしきものも描かれている。)

高速鉄道網図.jpg

 

圓三は現代まで続く近代都市・東京をデザインし、その礎を築いたのである。

 

帝都復興に心血を注いだ圓三であったが、大正15年(1926年)3月21日、志半ばにして自殺した。区画整理に対する無理解・復興局疑獄事件(土地買収にからんだ汚職事件)の発覚などによる心労が積み重なり、突発的な事件であったと言われる。

45歳の若さでこの世を去った。

 

昭和6年(1931年)隅田川相生橋畔中之島公園に肖像レリーフが設置された。しかし震災で破壊されたため昭和30年(1955年)現在の神田橋公園に移築された。

「(圓三が)万難を排して立案計画せられたる復興事業は、どこを切っても故人の血が流れ魂が生き続けてゆくだろう」(元鉄道大臣 井上匡三郎)

太田圓三記念碑.jpg

 

兄圓三の死を悼む杢太郎の詩が雑誌「明星」第8巻4号(大正15年(1926年)6月)に掲載されている。

 

タイトル「永代橋工事」

過ぎし日の永代の木橋はまだ少年であったわたくしにどれほどの感激を与えたらう。

人生は悲しい、またなつかしい、面白いと、親、兄弟には隠した 酒あとのすずろ心で、伝奇的な江戸の幻想に足許危く眺めもし、佇みもした。

それを、ああ、あの大地震、いたましい諦念、帰らぬ愚痴。

それから前頭の白髪を気にしながら 橋に近い旗亭の窓から あの轟轟たる新橋建設の工事を うち眺め、考えた。

これも仕方がない、時勢は移る。

基礎はなるべく近世的科学的にして、建築様式には出来るだけ古典的な 荘重の趣味を取り入れて貰いたい。

などと空想して得心した。

それだのに同じ工事を見ながら 今は希望もなく、感激もなく、うはの空にあの轟轟たる響を聴き、ゆくりなくもさんさん涙ながれる。

あんなに好きであった東京、そして漫漫たる墨田のながれ。

人生は悲しい、ここは三界の火宅だと 

-ああ恐ろしい遺傳-多分江戸の時代に この橋の上で誰かが考えたに相違ない、それと同じ心持が今の私に湧く。

水はとこしへに動き、橋もまた百年の齢を重ねるだろう。

私の今の心持は ただ水の面にうつる雲の影だ。

 

行く水におくれて佇む木屑かな (大正15年5月)

 

 

いつの時代にも「基礎はなるべく近世的科学的にして、建築様式には出来るだけ古典的な 荘重の趣味を取り入れて貰いたい。」という意見が出るのは普遍的なものですね。同感です。

 

 

 

お正月 浜離宮で鷹狩の実演

[saru] 2018年1月 6日 09:00

お正月、1月2・3日に浜離宮で行われた諏訪流放鷹術の実演を観てきました。元々浜離宮の地は将軍家の鷹狩場でした。そこに屋敷が建てられ、6代将軍家宣の時に「浜御殿」として庭園などが整備改修が重ねられていったそうです。鷹狩は意外にも明治以降も政府の庇護を受け、戦後に浜離宮が都立公園になるまで続いていたとのこと。そんな縁の深い浜離宮で、毎年お正月に鷹狩の実演を行っています。昨年は鳥インフルエンザの影響で中止でした。実演は諏訪流放鷹術保存会の鷹匠の方々。2つあった将軍家お抱えの流派の一つで徳川将軍家、宮内庁へと伝えられてきたのが「諏訪流」です。実演にはハリスホーク、オオタカという鷹を使っていました。

 

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輪周り 鷹は神経質なので、周辺の環境に慣らすために鷹を添えて歩くという訓練。

 

  

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渡り・振替 戻って来させたり、人から人へ飛んで行かせたりする訓練

 

 

明治以降の伝統的な鷹匠衣装。ちなみにやはり鳥打帽・所謂ハンチング帽をかぶるんですね。

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メインイベントは、正面に立つビルの屋上から会場に急降下で降り立つ鷹の実演でしたが、会場上空には何処から来たのかたくさんの野生の鳶やカラスが。鳶は近年、隅田川や築地の市場の上でも空にくるくる円を描いているのが散見されます。ビルの谷間が生息地の峡谷に似ているから、との説もあるようですが。DSCN6711.JPGDSCN6716.JPG

鷹が飛ぶと、それら鳶が縄張りを荒らされたと思ったのか、一斉に追いまわし、鷹は近くの木に隠れてしまいましたが、しばらく後に無事戻ってきました。

 

最後には鷹匠にお客さんからいろいろ質問が出ていました。また、外国の方が多いのが目を引きました。日本の伝統芸?ということで関心も高いのでしょうか。日本人でもめったに見れないものが、中央区の身近な場所で観ることができ、よかったです。DSCN6735.JPG

コワい目に会った鷹さん、お疲れさまでした。

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