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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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つきじ獅子祭で船渡御が再び! (波除稲荷神社)

[GPP] 2018年5月31日 09:00

 2018年6月6日(水)~10日(日)、つきじ獅子祭の3年に1度の本祭が開催されます。

 宮神輿、雄獅子・雌獅子の御巡行が楽しみな本祭ですが、2018年は更に特別なイベントを見ることができ、大変盛り上がります!

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雄獅子

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雌獅子

 なんと! 江戸時代に行われて、今まで途絶えていた「宮神輿の船渡御」が復興!するんです。

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あの、築地大橋の下を渡御するところ...観たいですね....

 宮神輿を船に乗せての船渡御は6月8日(金)午後。

 御巡行スケジュール・ルートが特設ホームページに掲載されていますので是非。

  特設ホームページ(http://www.namiyoke.or.jp/shishimaturitokusetsu.html)

 テレビ放送も予定されているそうです。

  東京ベイネットワーク(http://www.baynet.ne.jp/)

 

 

立葵(たちあおい)咲く〔鉄砲洲通り〕

[ジミニー☆クリケット] 2018年5月30日 18:00

梅雨入り間近快晴の日、鉄砲洲通り沿いの植栽スペースタチアオイが咲いています

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タチアオイ立葵)は、アオイ科多年草で、属名の語源であるギリシア語althaia」は「althaino」(治療)と関連しているそうで、古来、タチアオイ薬草として用いられてきたそうです

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日本にも、古くから薬用として渡来したといわれています

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咲いていたのは、ピンクの花で、特にピンクの花は大きかったです

園芸用に様々な品種改良がされているそうです

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ちょうど梅雨入りの頃に咲き始めて、梅雨明けと共に花期が終わることになぞらえて、「ツユアオイ梅雨葵)」という別名もあるそうですよ

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北海道の一部ではコケコッコー花、青森県の一部ではコケラッコ花などと呼ばれているそうで、これは、花弁の根元が粘着質で、引き抜いた花弁を顔などに付けてニワトリを真似て遊ぶことができる()ことに因るそうです

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いよいよ梅雨入りですね

 

 

◆ 汐留川と築地川・建築ロマン街道

[隅田の花火] 2018年5月30日 12:00

築地にある波除神社の「つきじ獅子祭り」。今年は3年に1回の本祭りで、6月8日には江戸時代に行われていた「船渡御」が復興される。築地市場から隅田川に出て水鎮祭を行ったあと、浜離宮と築地市場の間を流れる「築地川」を進み、浜離宮の大手門橋まで渡御するのだそうだ。

 

大手門橋の真上にある、カレッタ汐留46階の無料展望スペース。右に浜離宮、左に築地市場、上に隅田川、そして真ん中には神輿が渡御する築地川を見下ろすことができた。

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46階から浜離宮の「大手門橋」まで下りて来た。築地川をまたぐこの橋は、「南門橋」ともいう。ここは昔、築地川と汐留川が接するような形で流れていたものの、それぞれの川の上流は埋め立てられてしまっている。水をたたえているのはこの浜離宮の周りだけなので、昔の名残が残る貴重な場所なのである。

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埋め立てられ、今は高速道路が走っているところには、どのような風景が広がっていたのだろうか。昔の川沿いを少し歩いてみて、かつての水辺付近にあった風景に思いを馳せてみることにする。

 

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【昔の汐留川沿い】
昔の鉄道の踏切信号機が残されている辺り(①)。ここの町名は銀座だが、昔は木挽町と呼ばれていた。現在、銀座郵便局があるこの場所には、明治から大正にかけて「逓信省」のルネサンス様式の大建築があった。

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汐留川に面し、新橋の方向を向いていたようで、建物の中には逓信博物館もあった。残念ながら関東大震災で焼失してしまったが、今の殺風景な高速道路沿いからは想像もできないような水辺の風景が、この時代にはあった。

 

 

 

【築地川の千代橋(せんだいばし)】
明治大正の時代には無かった橋のようで、関東大震災後に復興橋梁として架けられた。江戸時代に「仙台橋」という橋がこの辺りに架けられていたので、その名を踏襲して名付けられたのだろう。

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形は復興局が編み出した「復興局型橋梁」と言われる橋で、近隣の川にもいくつか架けられたタイプの橋だった。それらの中でもこの千代橋は特に美しかったのだろうと、残っている親柱や高欄を見ると感じられてしまう。実際、そうだったらしい。

今は残念ながら橋の両外側に公園のスペースができてしまい、それがアダとなってかつての千代橋の外観を眺めることができない。

 

なぜこの橋が特に美しく架けられたのかについては、またいつか考えてみたい。

 

 

 

【築地川跡の采女橋と万年橋の辺り】

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万年橋際の築地川銀座公園にある「名犬チロリ」の像。チロリが向いている「万年橋」と「采女(うねめ)橋」の方向には、絵になる建築風景が多く存在していた。築地の外国人居留地と銀座の煉瓦街に挟まれた辺りだったので、和洋混合の街並みが形成されたのだという。時代別に見てみたい。

 

《采女橋・関東大震災前》

築地側から采女橋越しに銀座(木挽町)側を眺めてみる。左にある建物は以前、日産自動車の本社が入っていた銀座六丁目スクエアビル(②)。そして、みゆき通りを挟んだ右側は時事通信ビル(③)で、以前には銀座東急ホテルの建物があった。

s_hanabi60-7.jpg大正時代、ここには「農商務省」の大きな庁舎(②)、そして右隣には「築地精養軒」が立ち並び(③)、築地川沿いは大正ロマンの様相を呈していた。

 

「農商務省」はフランス古典様式と言われる西洋建築で、1891(明治24)年の新家孝正の設計。建物の中には、農・工・商業を奨励する目的で見本品などを並べる商品陳列所もあったといい、殖産興業政策や官民協力の場としての役割を果たしている。

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一方、隣の築地精養軒の建っていた場所は当時「采女町」と言った。精養軒の歴史は古く、1872(明治5)年に皇居前の馬場先門で開業した。しかしその開業当日に「銀座大火」で類焼を受けたため、木挽町に移転。そして翌年に隣の采女町のこの地に新しい建物を建てて本格的にホテル・レストランの営業を開始したのだという。

 

築地精養軒は、本格的な西洋料理を提供する店として明治初年の文明開化に大きく貢献。その後の西洋料理の普及にも繋がったことを考えると、その歴史的意義は大きかった。

s_hanabi60-9.jpg建物はチェコのヤン・レッツェル(ヤン・レツル)の設計により、1909(明治42)年に建替られ、築地川沿いを華やかにした。この人は原爆ドームとなった「広島県物産陳列館」の設計者としても知られている。

 

残念ながら隣の「農商務省」とともに関東大震災により焼失する運命となってしまった。

 

 

 

《万年橋・関東大震災後》

万年橋際には、震災後の1930(昭和5)年に東京劇場が開業した。その重厚な姿は、この辺りでも威容を誇っていたという(④)。

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すぐ近くの歌舞伎座が太平洋戦争で焼失してしまったため、被災を免れたこの東劇が戦後に歌舞伎の中心地となった時代もあったが、1975(昭和50)に現在の建物に改築されている。

 

 

 

《采女橋・関東大震災後》

震災後、采女橋の隣には木挽町の新橋演舞場が1925(大正14)年に完成している(⑤)。

s_hanabi60-11.jpg震災前に着工したが、震災が影響して完成が延びてしまった。この場所は築地川がクランク状に屈折していたところで、建てられる前は鬱蒼とした木々が繁っていたという。こけら落としは、第1回の「東をどり」だったそうだ。

 

設計は、銀座ライオンの設計者としても知られている菅原栄蔵。外壁には震災復興期に流行ったテラコッタ装飾(やき物装飾)があり、この建物の特徴のひとつだった。

 

1982(昭和57)年に現在の建物に再建。正面入口からロビーに入ると、四角形の木製装飾壁に出迎えられる。これはテラコッタの文様を写して作られたものである。5月下旬は毎年「東をどり」の季節となっており、今年で94回目を迎えた。

 

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このように汐留川や築地川沿いには、当時の人々が絵葉書にしたいと思うような建築のある水辺風景が広がっていた。しかし現在はその風景を想像するしかない、というのが実に残念である。

 

今、築地川にはかつての川底を縫うように首都高速が走っているが、その上に蓋をして大きな公園にするという構想があるのだという。蓋をしてしまうと、僅かに残っている水辺の面影が無くなってしまうかもしれない。

 

しかし今よりも、後世の人に良い風景を残してあげられるのだとすれば、良いことなのだと前向きに考えたい。

 

 

 

中央区の歩道っておもしろい!7 【テラスのお花編】

[湊っ子ちゃん] 2018年5月28日 14:00

隅田川テラスの遊歩道には、たくさんの花が植えられています。この花たちは、地元の町会の方々やボランティアさんによってお世話されています。公益財団法人東京都公園協会では、この活動を「花守さん」と呼び、苗の提供や技術講習などで支援しています。

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♪ 隅田川テラスに設置された 「水辺テラス情報掲示板」より

今日は、湊・明石町・築地7丁目までの、約800mの遊歩道を歩きたいと思います。佃大橋をくぐり、聖路加タワーを見上げ、東京水辺ライン(明石町・聖路加ガーデン前発着場)を横目に、隅田川を行く遊覧船に手を振りながら、やがて勝鬨橋に出会います。ここでは、5つの団体さんによるかわいい花たちが、道行く人を出迎えてくれました。

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♪鉄砲洲ガーデンの会のみなさん(1
♪中央区立さつき会のみなさん(2
♪中央区立福祉センターのみなさん(3

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♪中央区立明石町保育園のみなさん(4

♪中央区立明石幼稚園のみなさん(5


まだ桜の咲かない寒い頃から、花守さんたちのお花はテラスを彩ってくれていました。春先はチューリップが見ごろを迎え、今は植替えの時期です。花はいつ見ても、きれいに整えられています。きっと、毎日お花を訪ね、面倒をみていらっしゃるのでしょう。お世話は大変と思いますが、花守さんたちに、感謝ですね。

♪ 次はどんなお花に出会えるのでしょう、楽しみですね!

中央区観光特派員 湊っ子ちゃん

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第13号 平成30年5月23日

 

 

中央区の「川と掘割」の歴史がよくわかる本

[ジミニー☆クリケット] 2018年5月27日 18:00

中央区の「川と掘割」の歴史がよくわかる本に出会いました

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PHP新書の「川と掘割"20の跡"を辿る江戸東京歴史散歩」です

著者は、岡本 哲志氏、昨年の11月に出た本です

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銀杏八幡宮、銀杏稲荷神社(日本橋蛎殻町1-7-7、かつての土井堀稲荷堀(とうかんぼり)に囲まれていた)(71ページ)

江戸東京歴史散歩」とありますが、「川と掘割を辿る」となると、内容は、ほぼ中央区内のことになります

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明星稲荷神社(日本橋小網町4-9、かつての稲荷堀参道が平行してあった)(73ページ)

ほぼ中央区内のことなので、とても興味深くておもしろく、しかも目からうろこ連続状態で、あっという間に読み切ってしまいました

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木挽町仲通り(かつての三十間堀川の近く)(80ページ)

銀座築地日本橋八丁堀人形町・・・明治以降も、もっと言えば太平洋戦争が終わった後においても、中央区は川と掘割が縦横にめぐらされた「東洋のヴェネツィア」だったんですね

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新富稲荷神社(新富2-9-4、かつての入船川の近く)(96ページ)

川と掘割にとどまらず、町の来歴通りの由来神社仏閣の縁起、などが、豊富な古地図古写真とともに語られます

古写真と、同じアングルから撮った現在の写真の対比がわかりやすいです

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区立あかつき公園(築地7-19-1、かつて三角形をした明石堀のあったところ)(113ページ)

東京メトロや都営地下鉄の最寄駅・出口からの詳細な「街歩きガイド」も付いていて、散歩のお供にもなりますよ

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鉄砲洲通り(かつて鉄砲洲川の流れていたところ)(113ページ)

次回の中央区観光検定副読本にしてもいいくらいのものではないかと思っております(あくまで個人的な意見です)

ご一読をお勧めします

 

 

まぼろしの堺橋

[湊っ子ちゃん] 2018年5月27日 12:00

築地川公園の暁橋より下流側(本願寺方面)は、大規模な下水道工事をしている時期がありました。防音壁がとれたとき、草むらのなかに石っぽい何かをみつけました。よおく見ると、「さかいはし」と書かれています。
 

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中央区観光検定の勉強をはじめてから、「堺橋」は、明石堀と築地川の間に架かっていた橋だということを知りました。さらによく調べると、ほうぼうの資料のなかで、"現存しない橋"とされています。どうしてこんなところにあるのだろう...いてもたってもいられなくなりました。
 
sak02m.JPG▲親柱は「さかいはし」と「堺橋」(手前)の2基ありました

 
 
sak05m.jpg明石堀は、いまのあかつき公園一帯が、かつてのそれにあたります。三角形の形をしていて、鉄砲洲川への入り口に「新湊橋」、築地川からの入り口に「堺橋」があったのです。
三角形の途中、冒険広場との間に、居留地中央通りが横切りますが、ちょうどその辺りに、外国人居留地への入り口と呼ばれた「新栄橋」が架かっていたのでしょう。
 
明石堀は江戸時代から、船溜りとして利用されてきました。明暦の大火後、播州明石の漁民が移住し、対岸の佃島を淡路島に見立てたそうです。明石堀は、昭和45年(1930)に埋め立てられ、その後築地川も、昭和40年代より埋め立てが始まり、平成7年まで残っていた箇所もあるようです。
 

(上)鉄砲洲川への入り口「新湊橋」のあったところは、現在あかつき公園の入り口/(下)明石堀の途中に架かる「新栄橋」のあったところは、現在「居留地中央通り」
 


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また、暁橋の上流側(聖路加方面)には公衆トイレがあり、こちらは今年に入って新しくなりました。バリアフリーです。そして、新しい誕生記念樹も植えられました。
 
変化の激しい東京の街ですが、どうか「堺橋」の親柱を、このままそっと、この場所にいさせてあげてほしいです。または、銘板がつけば、もっといいと思います。いずれにしても、道行く人に大切にされてほしいです。
 
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▲築地川公園に来た白い鳩
 
 
中央区観光特派員 湊っ子ちゃん

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第12号 平成30年5月22日

 

 
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