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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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◆ 信玄公と團十郎ロマン

[隅田の花火] 2017年6月22日 12:00

東日本にお住まいの方であればおそらくご存知、天乃屋さんの歌舞伎揚です。

s_hanabi48-1.jpgこの個包装の裏を見てみると、

「このおせんべいは丸い形と四角い形があります」と書いてあります。

 

歌舞伎揚は、丸形や四角形の歌舞伎の定紋をデザインした生地を揚げているのだとか。時代とともにやわらかく揚げるようになり、模様が見えなくなったのだそうです。個包装に付されている四角形が歌舞伎の定紋のひとつで、「三升(みます)」といいます。

 

 

一方こちらは、お饅頭で有名な中央区明石町の老舗・塩瀬総本家の「袖ヶ浦最中」。

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この袖ヶ浦最中は一風変わっていて、最中の皮とあんこが別々。食べるときにワクワクしながら合体させ、サクサクした食感が味わえる、という一品。明治期の9代目市川團十郎が考案したそうで、別名は「團十郎最中」。パッケージの「三升」は、市川團十郎家の定紋なのであります。

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9代目團十郎と言えば、私が2月に「昭和7年の冊子」を通して書いた記事 の歌舞伎役者。表紙が「三升」の定紋のデザインになっているこの冊子は、昭和7年・歌舞伎座での9代目團十郎30年追遠興行の時のものです。

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昭和7年。この年は市川宗家にとって転機になった年と思われます。当時の市川三升(さんしょう・没後に10代目團十郎の名が贈られる)によって、市川團十郎家の発祥が解明された年だからです。

 

冊子にはその團十郎家の発祥が載せられています。それは、團十郎の先祖は戦国時代に甲斐の武田家配下に仕える侍だった、という甲州説。

 

市川團十郎家の発祥は今もさまざまな説があります。甲州説は昔からあったようなのですが、それを裏付ける家系図が発見されたのが昭和7年でした。

 

その市川團十郎の発祥の地は、山梨県の市川三郷町なのだとか。そこに「歌舞伎文化公園」があるということを知り、4月の花見で山梨県を訪ねた際に立ち寄ってみました。

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「歌舞伎文化公園」は甲府盆地を見下ろす景色の素晴らしい高台にあり、戦国時代には武田家の重臣だった一条信龍(信玄公の弟)のお城がありました。團十郎家の先祖はこの人に取り立てられていたようです。

 

この公園には資料館、そして市川團十郎発祥之地記念碑があります。1980年代、当時の海老蔵が12代目團十郎を襲名するにあたりこの記念碑が建てられました。ずっと果たせなかった10代・11代目團十郎の願いがこの時に叶えられたのだそうです。

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せっかくなので昭和7年の冊子の内容と資料館で得た情報を合わせてみると、初代團十郎までの甲州説は、

 

市川家の祖先は甲斐国武田家の侍である堀越十郎だった。

三増峠の戦いで武功を上げ、一条信龍の城の近くに知行地が与えられた。

武田家没落の後、一族が信仰していた不動明王を頼りに成田不動尊に救いを求め、下総国埴生郡幡谷村(成田山の近く)に移り百姓となった。

その孫は江戸に出て和泉町(現在の中央区人形町付近)に住み、幡谷十蔵と名乗った。

十蔵は一人の男子を儲け、その子は海老蔵と名付けられた。

和泉町の隣町に中村座と市村座があったので芝居に没頭するようになり、市川段十郎と名乗る役者となった。

隈取りや見得(みえ)などの誇張的表現を用いながら見せる「荒事」の演技様式を創始し、名を團十郎と改め、江戸歌舞伎をリードしていく存在となっていく。

 

という流れなのですが、ここに来て面白かったのは、「三升」の定紋について書かれている説明板。三升の定紋についても様々な説があるようなのです。

 

昭和7年の冊子には、

「初代團十郎が不破判左衛門を勤めた折に、稲妻と三升を縫い伏した衣装を用いた時から、定紋が三升と改められた。」

と書いてあるのですが、公園の説明板には違うことが書かれています。

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三升の紋は、大・中・小の3つの「升(枡)」を入れ子にしたデザインですが、

 真ん中の枡は・・・1升分の「京枡」(お米の1升=10合)、

 小さい枡は ・・・5合分の京枡(半枡)、

 大きい枡は ・・・3升分に値する「信玄枡」

なのだそう。

 

三升枡や甲州枡とも言われる信玄枡と、2つの京枡を合わせると、綺麗な「三升」の紋になるという説明です。これは、團十郎の発祥が甲州であることを裏付けるものだといいます。

 

その他にも、

「三升家紋の四角が團十郎の團という字に似ているから」

「ますます繁盛(枡枡半升)とあやかった」
と、いろいろ書かれており、ネットで探してみても、

「團十郎の先祖が武功を上げた三増峠の戦いの名に由来」

なんていうのも出てきます。

s_hanabi48-8.jpg「成田山に向かったのは信玄公が不動明王を信仰していたことにも通じている。」

「荒事の荒々しさは、甲州弁から生まれた。」

「海老蔵の名は、 武田の赤備えの甲冑が赤く殻を被っている海老に似ているところから生まれた。」

と、信玄公に関連する團十郎ロマンは探してみるといろいろと出てくるのであります。

 

 

團十郎が信玄公に関わりがあることは驚きでしたが、謎が多いゆえに、これまでに生み出されてきた歴史ロマンの多さにも驚きました。

 

元々信玄公にある戦国時代の大きなロマンに、團十郎のロマンが重なって、さらにロマンが広がったのだろうと思いますが、こうしていろいろな人が研究したり想像したりしてきたことを見聞きすることは、歴史の楽しみのひとつなのだと感じました。

 

 

 

東京タワー消灯 <100万人のキャンドルナイト2017>

[サム] 2017年6月19日 12:00

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DSC_0530RS'G.jpg 「でんきを消して、スローな夜を」を合言葉に、2003年に「大地を守る会」が呼びかけスタートした、「100万人のキャンドルナイト」。

6月17日、今年15年目を迎える「100万人のキャンドルナイト2017」が浄土宗大本山増上寺にて開催されました。

キャンドルナイトステージ、オーガニックマルシェ、オーガニックフードフォレスト、MOTTAINAI手づくり市 等が繰り広げられる中、午後8時、いよいよ恒例の、増上寺に隣接する東京タワー消灯カウントダウン開始。

消灯時間 20:00~22:00

「いつもとは違う、ゆったりとした時間が流れる中で、ひとりひとりが思い思いに過ごし、ちょっと立ち止まって考えてみる。考えることは、例えば、環境、平和、震災からの復興、食など、ひとりひとりの自由。ゆるやかにつながって "くらやみのウェーブ" を地球上にひろげていきませんか」そんな思いが込められていると聞きます。

勝どきの隅田川テラスから築地市場越しに、いつもと違う、静寂な暗闇に包まれた東京タワーが望めます。

 

 

ネジバナの花の季節

[ジミニー☆クリケット] 2017年6月17日 14:00

今年も、中央区の公園に、ネジバナ捩花)がピンク色を咲かせています

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ネジバナは、ラン科ネジバナ属小型の多年草で、別名はモジズリ綟摺)です

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見ての通りが花茎の周りに螺旋状に並んで咲く「ねじれた花序」が和名の由来です

ネジレバナ」、「ネジリバナ」、「ねじり草」と呼ばれる事もあるそうです

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学名の Spiranthesスピランセス)も、ギリシャ語の 「speira螺旋らせん))+ anthos)」に由来します

右巻き左巻きの両方があるそうです確かに

花色もピンクだけでなく、もあるそうですよ

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2014年6月のネジバナのHPはこちら ⇒

http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2014/06/post-2066.html

 

 

ハナショウブ見頃

[サム] 2017年6月14日 14:00

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ハナショウブRSG.jpg 浜離宮恩賜庭園の花木園、延遼館跡、中の御門付近の3個所で約1000株と聞く、ハナショウブが見頃を迎えています。

ハナショウブは初夏、梅雨の中でも、しっとりとした風情に包まれ咲き誇ります。

野生のノハナショウブをもとに、交配され、改良され、数多くの品種が育成されてきた古典園芸植物のひとつとされます。

一般的には、原種の特徴を強く残す長井古種の他、江戸系、伊勢系、肥後系に大別され、花色も、白、桃、紫、青、黄と豊富で、絞りや覆輪など濃淡や模様の入り方も多彩で変化に富みます。

尚、アヤメやカキツバタと似ていますが、ハナショウブは花弁の基部に黄色の目形の模様があり、白色の目形の模様があるカキツバタや、網目模様があるアヤメと区別できます。

 

 

担ぎ手1000人の大獅子、進発!

[小江戸板橋] 2017年6月13日 18:00

いよーっ、シャシャシャン、シャシャシャン、シャシャシャン、シャン。

頭の拍子木に合わせて、一本締めが行われると、

ピーンと緊張感が周囲を包みます。

いよいよ、大獅子の繰り出しです。

 

築地波除稲荷神社の夏越し大祭、つきじ獅子祭。

獅子頭の渡御際は、6月11日日曜日に行われました。

青々とした枝垂れ銀杏を背景に、鳥居の下を進発する獅子頭は、勇壮そのもの。

錦の幟も見えています。

「疫病除 為朝公」の幟も高く翻ります。

 

先頭を進むのは、元宮の高張提灯。

三方に犬、猿、雉の幕を掛けた桃太郎人形の囃子屋台では、緩急をつけた築地囃子が奏でられます。

弁財天お歯黒獅子は、女性が担ぎ手です。

ソレソレソレ。手拍子に合わせて進みます。

手ぬぐい鉢巻、法被、地下足袋と担ぎ手ファッションに身を包んだ女の子が、ぴょんぴょん飛び跳ねています。

この娘は十数年後には、きっと担ぎ棒の先頭にしがみついて跳ねているでしょうね。

 

そして、厄除天井大獅子の進行です。

オイッサ、ヨイサ、オイッサ、ヨイサ。

笛と手拍子の勢いをうけて、担ぎ棒を含めると2トン近い重量が動きます。

見物人の肩にも、その重さが感じられるくらい。

いつも神社の拝殿に向かい右手の獅子殿に鎮まっている大獅子が、揃いの祭り半纏に身を固めた男たちのうねりに乗って、通りを揺れていきます。

前後、左右、上下に振れると、歓声がグォッと沸き起こります。

 

東京のど真ん中に位置する中央区。

意外にも四季折々に、祭りや年中行事が数多く伝わっています。

中でも「つきじ獅子祭」は、区民が誇りに思い、催行を楽しみにしている行事のひとつです。

理由をいくつか挙げてみましょう。

区内に鎮座する、築地・波除神社のお祭りであること。

災難除け、商売繁盛、工事安全などの御神徳があらたかであること。

獅子祭は、江戸時代から続く行事であること。

巨大な獅子頭を担ぎあげて、築地界隈を巡行すること。

地元築地をはじめとする担ぎ手の熱気と相まって、獅子の威容が益々高まり、見物する人々にも伝播して気分が高揚すること。

 

大祭期間中、神社境内の神輿庫は開かれており、江戸神輿の最高峰といわれる千貫神輿を間近に見ることができました。

築地場外で買い物、食べ歩きをしていた海外からの観光客も、しきりにカメラを向けて異国の祭りを楽しんでいました。

担ぎ手さえも、外国の方が何名もいましたよ。

梅雨に入った東京の雨雲を突き破り、陽射しを呼び込む勢いに満ちた光景でした。

 

 

つきじ獅子祭 渡御祭 <お歯黒獅子宮出し>

[サム] 2017年6月12日 12:00

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DSC_0503RS'G.jpg 6月9日から始まった波除稲荷神社 夏越し大祭「つきじ獅子祭」。

目玉となる6月11日の「渡御祭」では、5年ぶりに雌雄の大獅子(厄除天井大獅子、弁財天お歯黒獅子)が揃ってお目見えです。

通常、3年に1度の本祭りでは、神社千貫宮神輿と雌雄どちらかの獅子計2基が、陰祭りでは、神社千貫宮神輿、雄獅子、雌獅子のどれか1基が担がれ、本来、祭りで2つの獅子が揃って練ることはありません。

雌雄の獅子が再興されて以降、これまで揃い踏みは、雌獅子が完成した2002年、神社創建350年の2009年、大獅子再興作業最後の締めくくりとして龍虎の頭が復興した2012年で、今回は4度目。

大獅子の宮出しは11:00、宮入は15:30。

お歯黒獅子は宮出し、宮入りのみ女性限定にて担がれ、それ以外は台車に載せて、天井大獅子の巡行の列に加わります。

尚、大祭初日より、境内に夏越し大祓いの茅の輪が立ち、6月30日の納め神事の「夏越の大祓式」まで茅の輪めぐりができます。