Hanes

家紋?社章?月島の街角に残る謎のマークに迫る


こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
中央区に引っ越してきて5年が経ちましたが、中央区はいつでも新たな発見に満ちています。
中央区観光協会特派員になってからは、それまで以上に「気になったらすぐに調べる!」をモットーに中央区立京橋図書館の地域資料室を利用しながら街中の謎を解き明かすべく活動してきました。
しかし、十分な情報やまとまった調査時間が確保できず、長年保留にされてきた謎がいくつもあります。
今回はその中から、機が熟し、ようやく答えに辿りつくことのできた謎のマークについてご紹介したいと思います。

そのマークを発見したのは4年ほど前。
月島にある下町の底力スーパー「フジマート」に買い物に行った時のことでした。
スーパーの入口のそばに大きな石が意図的に配されており、その石にはお城の石垣に見られる矢穴のようなものがあり、家紋のようなマークが刻まれています。
石そのものはどちらかというと新しく、その石は月島のどんな歴史を物語るのかずっと知りたいと思っていました。

 家紋?社章?月島の街角に残る謎のマークに迫る


月島第一号埋立地が完成したのは1892年と明治時代のこと。
江戸時代に中央区内にあった大名屋敷関連の家紋ではないと理解しながらも、ひとまず日本の家紋事典を開いてみました。
予想通り同じ家紋は見つからず、社章である可能性で調査を進めることにしました。

何か情報が得られるのではないかとフジマートの店員さんに石についてお伺いしたところ、「いちかわビルから来たものだと聞いている」との回答がありました。
いちかわビルとはフジマートが入居するビルのことで、その場でGoogle mapで検索してみたところ、周辺に「いちかわビル2」、「第4いちかわビル」が確認できました。
さすがに不動産会社に唐突に連絡をすることは気が引けたので、中央区立京橋図書館の地域資料室で詳しい情報収集にあたりました。

 家紋?社章?月島の街角に残る謎のマークに迫る


すると、地域資料室の方々の素晴らしいご協力のおかげで、佃月島新聞にこの石の正体が掲載されていることが判明!(本当にありがとうございます!)
本新聞から分かったことの概要は以下の通りです。

令和3年(2021年)3月1日 36号
・昭和28年の商工地図では「三和銀行月島支店」、昭和33年の住宅地図では「市川鉄工所」
・「元祖もんじゃ近どう」のご主人によると、勝どきよりにあった市川鉄工所がこの場所に移転し、さらにその工場が移転した後にフジマートになった
・市川鉄工所は廃業し、銀座不動産業を営んでいる
・フジマート上部に「いちかわ」の看板があり、フジマートが入居しているビルは市川鉄工所の不動産ではないか

 家紋?社章?月島の街角に残る謎のマークに迫る


残念ながら、2022年7月末時点では既に「いちかわ」の看板は取り外されていましたが、月島の街角に残る謎のマークの正体が「市川鐵工所」の社章であることが分かりました!
丸の中に刻まれているのは、「市川鐵工所」の「市」だったのですね。

そんな発見に嬉しさを感じる一方、佃月島新聞の紙面が充実していることを知りました。
ウェブ版もあるので、今後は欠かさずに読みたいと思います♪

令和3年(2021年)4月1日 37号
・フジマートの向かい側のビルに今は取り壊された「いちかわ3」のビルがあった
・「いちかわ2」は月島2丁目に、「いちかわ4」はフジマートの隣にある

前述の通り、2022年7月末時点でGoogle map上では「いちかわ2」「第4いちかわビル」の表示が確認でき、現地を訪れてみたところ、前者は下の写真の通り。
しかし同時点で、Google mapの特定の角度からのみ電線の陰に隠れて少しだけ見えるビル上部の「いちかわ」の文字と社章は塗りつぶされており、実際に確認することはかないませんでした。

 家紋?社章?月島の街角に残る謎のマークに迫る


後者については、Google map上で「第4いちかわビル」と表示されているフジマートの西側のビルに「いちかわ」の名は確認できませんでしたが、佃月島新聞に掲載されている写真の通り、フジマートの北側のビルの上部には「No 4」の文字が確認できました。

少し掘り下げて調べてみたところ、昭和33年の住宅地図でフジマートと同じ清澄通り沿いの1ブロック南に「市川鉄工KK車庫」があり、昭和51年と昭和53年の住宅地図では「いちかわビル4」に変わっています。
しかし昭和54年の住宅地図では、車庫の跡地に建った「いちかわビル4」に加え、フジマートと同じブロックの南西端(Google map上で現在「第4いちかわビル」と表示されているビル)に「井野ビル」や他の企業名とともに「いちかわビル4号」と書かれています。

元々は両方とも市川鐵工所の土地であったことから不動産オーナーは同じと推測されますが、どうやら「いちかわビル4(号)」は2つあったようです。
フジマートの北側にある「No 4」のビルと「いちかわビル」の関係については詳しく分かりませんでしたが、佃月島新聞で紹介されている通り、「いちかわビル4」に関係している可能性はありそうです!

 家紋?社章?月島の街角に残る謎のマークに迫る


令和3年5月1日 38号
・明治後期に市川常五郎氏が創立した市川鐵工所の曾孫にあたるのが、足立区の「横引シャッター」の社長である市川慎次郎氏
・市川鐵工所は日本で初めて歩道橋を製造し、ゼロ戦のボルト製造も担当した
浅草寺の天水桶に「東京月島 創業明治44年 市川鐵工」と社紋が刻まれている

昼休みに佃月島新聞を読んでからというもの浅草寺の天水桶が気になってしまい、同日仕事が終わってから自転車に飛び乗り浅草寺まで!

 家紋?社章?月島の街角に残る謎のマークに迫る


浅草寺にはいくつもの天水桶がありますが、市川鐵工所の名が刻まれた天水桶は、本堂の西側階段の両脇にあります。
(ちなみに、本堂正面左側の天水桶には「東京築地魚市場仲買協同組合」の名が刻まれています。)
見たところとても新しそうな天水桶ですが、裏側を見てみると...

 家紋?社章?月島の街角に残る謎のマークに迫る


「昭和三十二年十月二十日 東京月島 創業明治四十四年 株式会社市川鐵工所 初代 市川常五郎」と刻まれているではありませんか!
その後には、東京深川での二代目、埼玉八潮での三代目、東京葛飾での「株式会社横引SR」としての四代目 市川慎太郎氏の名前が確認できました。
古い天水桶に刻まれていた社章(佃月島新聞 38号に写真あり)が見られなくて残念ではありましたが、最後には令和4年1月10日に改鋳したことも刻まれており、天水桶が新しい理由が分かってすっきり。

 家紋?社章?月島の街角に残る謎のマークに迫る


ここで気になるのは、今年で創業111年目を迎え、浅草寺に天水桶を奉納するほどの市川鐵工所とはどのような会社だったのか。
『月島発展史』でもう少し詳しく調べてみました。

同書の41~42ページには、「月島業界の新鋭 旭日昇天の市川鐵工所主」の見出しがあり、市川鐵工所の勢いが盛んであったことが読み取れます。
しかし、その地位を築くまでには色々な苦労もあったようです。
要点を以下にまとめてみました。

・明治35年 群馬県出身の市川常五郎氏を父とし、市川勇太郎氏が誕生
・明治44年 市川鐵工所初代の常五郎氏が家族とともに上京
・勇太郎氏が小学校卒業時に父と死別し、ボルト製造で知られた佃島の中川鐵工所の徒弟となり修行
・大正6年 勇太郎氏わずか17歳で月島西河岸通2丁目に工場を構え、独立
・勇太郎氏が適齢とともに軍隊生活に入ったため、除隊した令兄・文太郎氏に工場を任せる
・勇太郎氏も除隊後に工場の仕事に専念するも、大正14年の従業中に手を負傷し、銀巴里の商號の下で理髪業開業
・昭和元年 それまでに分店を開くほど順調に発展した市川鐵工所は銀座3丁目に市川機械部を置く
・文太郎氏は工場拡張のため深川に移転、勇太郎氏は月島市川鐵工所を存続すべく月島の地に工場店舗を新設
・ボルト界に重きを置き大口契約を取るまでになり、営業所に隣接する土地に第一工場を設立

 家紋?社章?月島の街角に残る謎のマークに迫る


前述の通り、2022年7月末時点でフジマートの上部に「いちかわ」の文字は確認できませんでしたが、店頭の壁には青字で書かれた市川鐵工所営業所の名残がかすかに見て取れます。
そしてその壁の上部には、とりわけ白い部分があります。
よくよく見てみると、あの石に刻まれた市川鐵工所の社章がうっすら確認できるのです!

かつて月島にあった市川鐵工所は現在株式会社横引SRに引き継がれましたが、月島にはまだ当時の面影が残っています。
街角に残る謎の石の正体の解明までに長い時間を要しましたが、久しぶりに郷土史調査の面白さと楽しさを味わうことができました。
中央区立京橋図書館の地域資料室の方々と佃月島新聞に心から感謝!
買い物途中に見つけた何気ないマークであっても、今後も突き詰めて調べてみようと思いました。
(本記事でカバーしきれなかった「どういう経緯で市川鐵工所が浅草寺に天水桶を奉納したのか」は、今後の調査課題とします。)

※本記事内に掲載している写真は、2022年7月31日、8月1日、8月3日に撮影したものです。
※会社名は、引用を除き「市川鐵工所」に統一しました。

参考文献・資料

【文献】
山本兼吉『月島発展史』京橋月島新聞社,1940年.

【新聞】
「佃月島新聞」令和3年(2021年)3月1日,36号.(ウェブ版
「佃月島新聞」令和3年(2021年)4月1日,37号.(ウェブ版
「佃月島新聞」令和3年(2021年)5月1日,38号.(ウェブ版

【地図】
小坂哲也 編「東京都商工区分地図 中央区版 昭和28年」日本商工出版社,1953年.
住宅協会 編「東京都全住宅案内図帳 中央区(北部・南部)昭和33年」住宅協会,1958年.
人文社 編「東京都全住宅案内図帳 中央区(南部)昭和38年改訂版」人文社,1963年.
「ゼンリンの住宅地図 中央区 昭和51年」日本住宅地図出版,1976年.
「ゼンリンの住宅地図 中央区 昭和54年」日本住宅地図出版,1979年.
「ゼンリンの住宅地図 中央区 平成元年」ゼンリン,1991年.

※いずれも中央区立京橋図書館の地域資料室で閲覧可能です。