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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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第10回観光検定試験問題・問52

[CAM] 2019年1月20日 12:00

ひさしぶりに観光検定を受けようかと、『ものしり百科』の最新版を購入し、綴込みの第10回観光検定試験問題をながめると、問.52 は「中央区役所別館横には、江戸時代末期、築地一・二丁目近辺に土佐藩の藩邸があったことを示す説明版があります。幕末の志士・坂本龍馬は、この藩邸に寝泊まりしながら、ある剣術家の道場に通ったといわれます。この剣術家は次のうち誰でしょう。」です。

 

 たしかに、『ものしり百科』の69頁には「幕末の志士・坂本龍馬は、この藩邸に寄宿しながら千葉定吉の道場に通っていたといわれる。」と述べられていますから、この部分を正確に記憶していれば、容易に正答を出せるわけですが、ここまで細かく読み込むのは、少し難しいでしょうね。とは言え、あまり容易な問題ばかりでは高得点者続出になってしまうし、出題者も、なかなか工夫していることが感じとれます。

 このことについては、昨年11月25日に、私が投稿している通り、『竜馬がゆく』を読んで居れば、極めて容易に正答が導き出されます。

http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2018/11/post-5839.html

 

 もう一度、『竜馬がゆく』の該当部分を引用します(司馬遼太郎氏は「千葉貞吉」と表記しています)。

 「竜馬は、鍜治橋の藩邸から築地の藩邸に移されていた。竜馬だけでなく、わかい藩士のほとんどが、築地、品川の二つの下屋敷に移されたのである。これは黒船の江戸湾侵入に備えての土佐藩の防備態勢のひとつで、この二つの海沿いの屋敷に人数を常駐させる一方、幕府の許可をえて品川に台場を築きつつあった。」(文春文庫一巻;169頁)

 「『寄らば大樹のかげ、と申す。やはり、大成するためには、大流儀を学ぶがよろしかろう。それには北辰一刀流がよろしい』『ああ、千葉周作先生であられまするな』 ・・・・・。千葉の玄武館は、京橋アサリ河岸の桃井春蔵、麹町の斎藤弥九郎とならんで江戸の三大道場といわれ、天下の剣を三分していた。『・・・・周作先生に学ぶのがいちばんよろしいが、先生はすでに老境であられるゆえ、京橋桶町に道場をもつ令弟の貞吉先生につかれるとよい。貞吉先生の道場は、お玉ケ池の大千葉に対し、小千葉とよばれています』」(文春文庫一巻;18頁)

 

 

中橋東側は下がっていた

[yaz] 2019年1月20日 09:00

現在の八重洲通りは、慶長17年(1612年)江戸城建設のための資材運搬用運河として掘られた紅葉川を埋め立てたものです。この運河(舟入堀)は、首都高速道路の江戸橋ジャンクションから京橋ランプの間の海岸線に10本掘られました。このうち8本は元禄3年(1690年)に埋め立てられました。八重洲通りの運河(紅葉川)は鍛冶橋~呉服橋間の外堀に連絡していました。延宝年間(1673年~80年)には、西半分つまり中央通りから外堀側の紅葉川(西側)は埋め立てられ延焼防止用の火除地となり、安永3年には京橋交差点から久安橋まで(紅葉川の東側)が埋め立てられて、それまでの火除地に「中橋広小路」という細長い町が出来ました。

中橋広小路の街並みを示す絵が、江戸名所図会に出ています。2つの道(中央通りとそれに直角に通る道)が描かれていますが、どちらが中央通りでしょうか?右から左に走る道が恐らく「中央通り」だと推測できますが、断定出来ますか?

中橋広小路(江戸名所図会).jpg

太い道には町人が多いですから日本橋・銀座の商業地をせわしなく歩いているのでしょう。左上から右下にクロスする道には武家・その使用人が歩いていますが、恐らく城中に向かうのでしょう。この推測を"正"とすれば、左右に向かう道は中央通りということになります。この状況証拠に基づく推測が正しいかどうかを分析してみましょう。

現存する沽券図で最も古い「宝永7寅年(南伝馬町図)」を見ると通町(現在の中央通り沿いのブロックです)の道幅は下図のようになっていました。宝永7寅9月書上担.jpg

  A=田舎間10間 B=京間6間 C=横丁・新道 京間3~4間(京間の1間は約2m、田舎間(江戸間)の1間は1.83mです) 

「宝永7寅年(南伝馬町図)」によると、中橋広小路の東側は中央通りから"XーA"間だけ下がっているのが判ります。これを理解した上で、江戸名所図を見てみましょう。中央通りと推測される街並みの庇を南北それぞれつないでみると(赤線)となり、東側が予想通り数間下がっているのが判ります。この考察から名所図会の左右に通る道は「中央通り」であることが判ります。ただXが幾つかは不明です。

 

 

 

【遠足シリーズ第11弾】友好都市・東根市の魅力とは

[Hanes] 2019年1月19日 18:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
お正月休みを利用して、中央区の友好都市である山形県東根市に行ってきました。
東根市といったらやはり「雪」と「さくらんぼ」ですよね!
今回はその2つに焦点を当てて、中央区と東根市の交流をご紹介します。

IMG_3908.JPG

この2市の交流のきっかけは、昭和63年に遡ります。
東根市は中央区で行ったさくらんぼの展示会で、当区が緑化を進めていることを知り、
6月14日、赤い実をたわわにつけたさくらんぼの若木を寄贈しました。

当日は、快晴の中、矢田区長・那須東根市長を始め、区議会代表・さくらんぼ娘(ミス東根)・地元町会関係者・京橋幼稚園の園児ら多数出席のもと、
亀井橋公園(区役所西側高速道路上)で植樹式が行われ、式の後には、さくらんぼ娘から園児や植樹を見守っていた人たちにとりたてのさくらんぼが手渡されたといい、
その時の様子は、中央区役所のYouTubeチャンネルで見ることができます


(16分56秒~:亀井橋公園での「さくらんぼ寄贈式」の様子が収録されています。)

東根市からは15本のさくらんぼの木を寄贈していただいたということで、
そのお礼に平成元年には、中央区が銀座2丁目の歩道にあった6mにもなる柳を含め、25本の柳を贈りました

その銀座の柳は今、東根市役所の「市役所庁舎前」に6本、隣接する「市民の広場」に13本現存しています。

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(影で見る銀座の柳も風情がありますね。)

そのうちの1本がこちらです!
冬は必ず積雪のある東根市でも、たくましく成長していました

IMG_3859_.jpg

根元を見てみると、雪に埋もれた碑を発見!
そこには、「銀座の柳 庁舎落成記念植樹 寄贈 東京都 中央区 平成元年8月18日」と刻まれています。
東根市にわたって30年...故郷を離れても元気な銀座の柳の姿を見ると、不思議と元気がもらえます

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青々とした葉をつけ、涼しそうに風になびく時期にまた会いに行きたいです。

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また、写真を見てもお気づきの通り、東根市では結構雪が積もります。
中央区は雪とはあまり縁がありませんが、2年に1度東根市から雪が運ばれてきて、
「中央区雪まつり」が開催されています

東根市長の今年の新春メッセージには、「本年2月に開催される『中央区雪まつり』には、200トンの雪のプレゼントに併せて、いも煮や玉こんにゃくなどの本市の冬の味覚を準備いたします」とあり、
今から非常にワクワクしてしまいます
この雪を通した交流が始まった平成元年、大型トラック10台分の雪がプレゼントされて行われた「日本橋雪まつり」には、
なんと約1300人もの子どもたちが集まったといいます
そのため、「中央区雪まつり」は、特にお子さんのいる方には見逃せない冬のイベントではないでしょうか?

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そして、6月には恒例の「さくらんぼ種飛ばし大会」も開催されており、
東根市の特徴や良さは、交流を深めるとともにより多くの人に知られるようになってきたのではないかと思います。

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その他、中央区で開催されるイベントで東根市の特産品が販売されることもあり、
今年も東根市との交流から目が離せません

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雪の季節でもさくらんぼの季節でも楽しめる東根市、一度訪れてみてはいかがでしょうか

【参考文献・ウェブサイト】
勝又康雄著、田中見世子編『銀座の柳物語』(銀座の柳物語政策委員会、2003年)
東京国道事務所「銀座の柳」http://www.ktr.mlit.go.jp/toukoku/info/ginza/
東京都中央区『中央区政年鑑 平成元年版』(東京都中央区、1989年)
東京都中央区企画部広報課『中央区広報誌 区のお知らせ 縮刷版』昭和60年4月~平成2年3月(第462号~第581号)(東京都中央区企画部広報課、1990年)

【関連記事】
にゃんボクさん「銀座二世の柳との出会い」「銀座の柳」
Hanes「【遠足シリーズ第4弾】銀座の柳二世がとりもつ縁」

 

 

新春に国宝を!

[小江戸板橋] 2019年1月19日 12:00

『雪松図屏風(ゆきまつずびょうぶ)』

国宝である。作は円山応挙。

六曲一双の屏風は、日本橋室町2丁目の三井本館7階、三井記念美術館に収蔵されており、毎年新春に公開されるのが恒例となっている。

右隻に力強い幹を持つ老松、左隻の若木。

枝にしなるほどの雪が積もっている。

長寿・吉祥を表す松に、雪の白さがまぶしく映る。

金泥の空気の中に、昇りゆく朝の光が清々しい。

雪を描かず雪を描くという技法。

和紙の白地をそのまま塗り残して、やわらかに積もった雪を生み出している。

つい、引き込まれてしまう。

 

新春の行事も、小正月で区切りがつく。

孫の帰省。箱根駅伝。七福神めぐり。・・・。

意外にも、時が飛ぶように過ぎる。

そうした睦月の行事の中に、「国宝を見る」という行動を加えている。

今年は、三井記念美術館へ。

 

私は、35年ほど前に、国鉄で車掌として勤務していた。

宮城県の松島湾に沿って走る、仙石線。

冬の凍える始発の車窓から、雪に包まれた松島の風景を見ていた。

歌に詠まれた、雪の松島である。

島々を形づくる樹木や岩に積もる雪の、墨絵の世界。

まだ乗客はひとりも乗っていない。

この風景、ひとり占め。

体の芯まで凍える寒さの中にいても、ふるえながら笑みが浮かんでくる感動だった。

 

今、線路は、震災後に海辺から離れて敷設されている。

雪松図屏風は、勤務しながら新年を迎えていた、20代の自分を思い出させてくれた。

 

 

居並ぶユリカモメ

[サム] 2019年1月19日 09:00

DSC08400ELS'.jpgDSC08396RS'G.jpg 係留された屋形船を背景に、月島川沿いの水辺の緑道「月島川緑の散歩道」の手すりにずらりと並んで羽を休めている、「都民の鳥」ユリカモメ。

冬の柔らかな陽射しを浴びて、気持ちよさそうです。

一斉に同じ方向を向いて整列しており、一見どの個体も同じように見えますが、よく見ると、各々の顔立ち、体格、表情、しぐさは微妙に異なるようです。

ユリカモメは冬鳥として日本に渡来するカモメ類の大半を占めるとされます。

足と嘴は赤(嘴の先端は黒)、冬羽は頭部が白く、虹彩は黒で回りに白のアイリング、目の後方に黒っぽい斑点があるのが特徴で、黒目がくっきりとして、愛嬌のある顔をしています。

他のカモメ類と同様に、雑食性で、小魚類や水棲昆虫を摂食と聞きます。

 

 

春で、朧で、日本橋

[小猿] 2019年1月18日 18:00

文豪・泉鏡花の名作「日本橋」は、もともとは小説として書かれたものを、鏡花自ら戯曲化するほど思い入れが強い作品です。同じ男性に思いを寄せる清葉とお孝という2人の芸妓の姿を描きました。金沢出身の鏡花の江戸文化への憧れが色濃く出ている作品と言われ、明治当時の日本橋の空気が伝わって来ます。昨年自筆の原稿が見つかったことでも話題になりました。この「日本橋」が新春花形新派公演として三越劇場で25日まで上演されています。

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新派創始から130年の記念公演で、初演の際は花柳章太郎がお千世を演じて出世作となりました。日本橋西河岸地蔵寺教会には花柳章太郎が奉納した「板絵着色お千世の図額」が現存していて、区民有形文化財に登録されています。物語の舞台はこの西河岸橋から始まり、章太郎も祈願に訪れました。

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鏡花の本の装丁をしていたのは日本画家の小村雪岱で、図額も章太郎が雪岱に依頼した物です。この日はお寺が閉まっていて、図絵を見られませんでしたが、お寺の方がいて、お願いすれば見せて頂けるそうです。写真は雪岱の描いたお千世の絵馬です。意匠の天才と言われ、装幀や挿絵、舞台美術も手掛け、発足間もない資生堂意匠部にも在籍した「デザイナー」でもありました。

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                  「日本橋」の装幀

「日本橋」は三越劇場で、平成11年に日本橋架橋88周年記念、平成23年に架橋100周年記念としても上演されました。

三越劇場     中央区日本橋室町1-4-1   日本橋三越本館6階           

 

 
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