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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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オランダ館

[yaz] 2017年4月26日 12:00

江戸時代三代将軍家光の時代から鎖国を断行しましたが、長崎の出島を唯一の窓口としてオランダや中国に門戸を開いていたことは有名な話です。しかし長崎だけが外国との窓口ではありませんでした。それがお江戸日本橋にありました。オランダの商館長(カピタン)は自分たちの権限を将軍に認めてもらいそれを更新するために、当初は毎年・江戸後期になると4年に一度大量のお土産を持参して江戸参府をしていました。日本橋本石町三丁目に居を構え唐人参座を経営していた江原源右衛門(屋号:長崎屋)は参府の際の定宿として「オランダ館」を江戸末期まで提供しました。

 

海外からのインバウンドの増加が著しい現在、200年前~400年前の外国との接点が日本橋に発見されたことは事実であり、非常に興味深く思っています。オランダ館に関わる資料としては、葛飾北斎の「画本東都遊」が有名ですがそれ以外は非常に少ないのが現状です。現時点で提供されている資料を基に長崎屋・オランダ館を分析してみたいと思います。第一回ブログでは、オランダ館の地理的位置と想像で作成した建物内部構造をお知らせしたいと思います。オランダ館に関わる資料は非常に限られていますが、殆どが文章で視覚化されていないので想像することができません。今回のブログでは鎖国時代の外国への窓口を"視覚化"してみました。

 

カピタンの江戸参府は桜の花が綻び始める頃ですから、3月末(新暦)に長崎を出立し海路・陸路を経て江戸に約2週間かけて到着しました。長崎からの一行は50人余でしたが、江戸で面倒を見る人を含めると100人以上となり非常に大きな宿舎が必要でした。本石町三丁目にあった唐人参問屋(長崎屋)の離れのオランダ館だけでは収容できず、近くの旅館にも収容しました。カピタンの江戸参府により日本橋地域には多くの金が落ちたことは間違いありません。江戸滞在は約2週間、長崎を出てから帰還まで約2ケ月余の旅でした。

 

鎖国の時代ですから、セキュリティは非常に厳しく「画本東都遊」に描かれているような江戸一般庶民との交流が行われたとは想像できません。これは北斎の想像の産物と考えられます。江戸では殆ど軟禁状態でしたが、平賀源内や桂川甫周など知識人・医者・科学者などがオランダ館を訪問し、海外の先端技術を吸収したといわれています。

 

本石町三丁目の長崎屋の別館であるオランダ館は、三丁目と隣り合った岩付町との小道"鐘撞堂新道"(本石町三丁目新道)を挟んで江戸で最も古い「時の鐘」と接しています。長崎屋の敷地は三丁目の一角を占め、居屋敷に倉庫を建て並べていた大きな構えでした。セキュリティの面からオランダ館は本石町三丁目新道側に入り口を設け、表通りの「本石町三丁目通り」側に長崎屋があったと想像されます。明治6年の沽券図(不動産登記簿)で長崎屋を示していますが、江戸後期に経営が悪化し近隣に不動産を売却したため小さくなっていますが、それでも400坪を有しています。当初は本石町三丁目の一角を占めていたといわれます。(長崎屋は江戸時代末期に経営が悪化し、土地を売却し後の築地外人居留地に移転しましたがその後廃業しています)

 

長崎屋・オランダ館沽券図.jpg

ブロムホルツというオランダ人がカピタンの時代には長崎屋の娘との交流があったことが知られていますので、内部で交流があったと考えられます。長崎屋は別棟ですがオランダ館とは内部でつながっていました。新道側の入り口には警備員がいて、厳しいセキュリティが保たれており滞在中も外部との交信ができないような構造となっていたと考えられます。警備員横の入口扉を開けると左に階段(14段?)があり、カピタン一行は2階に滞在します。1階には台所・食堂・待合室があったでしょう。台所の竈の煙が2階に上って煙く苦労したという資料が残っていますので、下図のような配置であったと予想されます。

 

画本東都遊 長崎屋.jpg平賀源内など日本人との交流の資料が残っていますので、その資料を利用して2階のレイアウトを想像してみました。2階は客間・カピタンの執務室・医師/書記官の室・風呂などが並んでいました。それらが長屋風に並んでおり、室の前には廊下がありました。就寝はベッドなのか、布団なのかは不明です。医師/書記官の室にはスタンドや顕微鏡が机の上に置かれた絵が残っていますので、それらを利用して日本の知識人や蘭学者・蘭方医と交流したと想像されます。

オランダ館2F内部.jpg

2階の上には火の見櫓のような台があったようです。江戸の町をそこから見ることができたでしょうし、また江戸の火事の延焼の様子を見ることもできたことでしょう。

 

参考文献:

城内誠一: 江戸最初の時の鐘物語(流通経済大出版会)

城内誠一: 江戸のオランダ人定宿「長崎屋物語」(流通経済大出版会)

片桐一男: 江戸のオランダ人(中公新書)

片桐一男:それでも江戸は鎖国だったのか(吉川弘文館)

東京都中央区教育委員会: 中央区沿革図集(日本橋編)

 

 

木の香りが伝わるコンセプトショップ ~ GINZA HAKKO 木の香 ~

[rosemary sea] 2017年4月26日 09:00

『ギフト、そして自分も楽しむ』をリンケージして取材します、 rosemary sea です。

 

DSC02235a.jpgDSC02231b.jpgGINZA HAKKO 木の香(きのか)さん、銀座の情報誌「銀座百点」4月号に掲載の広告を拝見してお伺いしました。

加藤店長と、デザイナーの毛塚さんにお話を伺いしました。

木の香さんはウッドバーニング(後述)に必要な道具・白木素材やロシアのマトリョーシカなど様々な木工芸品・雑貨を販売されています。

※ウッドバーニングとは...

 電気ペンを使い、木を焦がして、絵や模様・文字を描く技法。

1階は木工芸品の展示販売、地下1階は企画展示や教室を開催するイベントスペースです。

実は木の香さん、はんだごてメーカーの、大阪市浪速区の本社があります白光(はっこう)株式会社さんの一部署です。

会社としてウッドバーニングの技法を広めるために、10年ほど前にこのお店は開かれたそうです。

当初は千葉そごうさんの一角で営業、それからこの銀座に移られて4年目とのこと。

最初はウッドバーニングの機械と作品を販売されていましたが、何かコンセプトを、面白いものを、ということでマトリョーシカを販売されるようになったそうです。

それでは商品をご説明いたします。

DSC02238a.jpg

マトリョーシカ

マトリョーシカの品揃えは国内最大とのこと。

結婚式用や誕生日用、縁起物ですね。こちらのスタッフさんがデザインをして、それをロシアで製造されているものです。

こちらの品は一点ものではなく、常時販売されています。絵入れは手書きなので微妙に顔が違ったりします。

そのハンドメイド感が収集されるかたの好みに合うようです。

ギフトにも最適かと。

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地球儀のマトリョーシカ

ちょっと変わり種のマトリョーシカ。それぞれの国の民族衣装が描かれています。

下に降ろしてあります4つの左から2番目、手前先頭が日本の人形とのこと。

ロシアの人の感覚には少し違和感?それも趣きの1つです。

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くるみ割り人形

ドイツのコーナーとなっております。

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木のおもちゃ(キッコロ)

日本の作家さんの作品です。

お祝い用に、記念日や名入れの無料サービスもあります。電気ペンで手書きされます。

詳しくはお店にご確認ください。

DSC02221a.jpg DSC02220a.jpg

こけし

主に福島や山形のものです。

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卯三郎(うさぶろう)こけし

群馬産ですので、近くの群馬県アンテナショップ「ぐんまちゃん家(ち)」にも作品があるようです。

ウルトラマン他、キャラクターのこけしも可愛いですね。「銀座百点」4月号にも載っていました。

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アクセサリー

ロシアで造られたものです。

上部中央の猫のものは絵の具で下地を塗り、その上にラメを塗ったものに絵をつけています。

ロシアテイストのギフトにもなりそうです。

地下1階の教室・イベントスペースにつきましては改めまして後日の稿にてご紹介させていただきます。

DSC02233a.jpgGINZA HAKKO 木の香

銀座7-10-5 ランディック第3銀座ビル1F・B1F

行き方を、今話題のGINZA SIX(4月20日オープン)のエントランスから説明します。

中央通り(銀座通り)を新橋方面へ。GINZA SIXとビヤホールライオンの間を左折。

GINZA SIXとニコン銀座プラザの角を右折すると、右手に看板があります。

GINZA SIXに寄られたら、徒歩数分の近くですから併せてお店を覗いてみませんか?

03-5537-3107

営業時間 11:00~20:00 不定休

GINZA HAKKO 木の香さんのホームページはこちら ⇒ https://kinoka.woodburning.jp/

 

 

 

もうすぐ銀座柳まつり!

[ジミニー☆クリケット] 2017年4月25日 18:00

今年も恒例の「銀座柳まつり」が第十一回目として開催されます

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開催日は、「こどもの日」の5月5日金・祝)で、これは、2006年から毎年この日に行われているものです

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会場となる西銀座通りは、1年の内でこの日だけ歩行者天国となります

このお祭り、毎年、パレードが盛大に行われ、イベントも盛りだくさんです

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今年も、1丁目から8丁目の歩行者天国を使って行われる「交通安全ゴールデンパレード」、数寄屋橋公園での「コンサートの森」、「レトロ遊び広場」、歩行者天国でのふるさと観光PRキャンペーンの「伝統舞踊広場」、「体験イベント広場」や「観光クイズ広場」、「東京スマートドライバーPRキャンペーン」や交通安全教室新橋芸者さんたちによる「東をどり」、「ヘブンアーティスト in 銀座」、「人力車クルーズ」、西銀座イベントスペースでの「銀座のみつばちフェスタ」などなどなど、これまた盛りだくさんです

キティちゃんペコちゃんご当地キャラも登場するとのこと

GW中お出かけは、やはりこれでしょう

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銀座柳まつりのHPはこちら ⇒

http://www.ginza.jp/topics/7439

 

 

晴海散歩  Walk Around Harumi Area

[HK] 2017年4月25日 14:00

 

久々の晴海散歩。 日々風景が変わっていくのを感じます。 

 

It's been a while since I last took a walk around Harumi area. You can feel that things are changing day by day. 

 

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これが豊洲大橋ですか。  

 

So this must be Toyosu Ohashi (Bridge).  

 

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晴海から日本橋に船が出ています。  週末だけのようですが。 

 

There seems to be a river boat from Harumi to Nihonbashi. Only operates on weekends. 

 

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そして晴海トリトンスクエアに到着。  土日でもショップ営業しているのでとても便利です。   

  

Arrived at Harumi Triton Square. The place is very convenient since the shops open even on weekends. 

 

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三十間堀ってなんだ~

[朱房の十手] 2017年4月25日 12:00

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三十間堀跡(ピンク色の矢印の場所です)

 

銀座から晴海通りを築地に向かい昭和通りの手前です。

 

下の古地図は、嘉永2(1849)年に発行されました(黒色の矢印の場所です)。

左右に藍色で、示されているのが堀川です。二つの矢印の場所は、ほぼ同じ場所です。この辺りを歩くと道路が盛り上がっています。

 

京橋川から汐留川を結んでいました、慶長17(1612)年徳川幕府の命により、舟運の便を図るため主に西国大名が開削しました。堀の幅が三十間(約55メートル)あったことからこの名前が付きました。文政11(1828)年には十九間に狭められました。昭和27(1952)年には太平洋戦争後の瓦礫の山を、処理する為に埋め立てられました。イラッイラッ

2DSCN0708 古地図.jpg

 

 

 

G SIX(GINZA SIX)屋上の靍護稲荷神社

[O'age] 2017年4月25日 09:00

GSIXの一角は中央通りの歩道から人が多く前の人に合わせて歩く状態で、もちろん建物の中も混雑でエスカレーターも2列で乗るような状態でした。6階からエレベーターで13階まで、そこからは階段で上がると、神社は屋上庭園の北東側にあり、御参りができました。

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靍護稲荷神社は銀座八丁神社めぐりの一社で、現地・神社の説明板には以下の記載があります。

 

 

靏護稲荷大明神由来記

 

抑も当靏護神社は今を去ること150年の昔、文化12年は如月の午の日、山城伏見の本宮より勧請して江戸の根岸の里に奉安す。爾来店主、店族は素より江戸市民の深き信仰を莧めて今日に至れり。 明治14年の或る夜神守の親爺は神殿付近に於いて白狐を認めたるがその跡に一巻の掛軸遺留しあるを発見し、怪しみて繙けば畏くも三州豊川稲荷神社の尊像にてありしかば直ちにその由を店主に告げて神霊と共に奉祀して今日に及べりと伝う。神社は霊験淘に顯にして特に火防の神として世々付近住民の難を救わせ玉減ること一再に止まらず近き例に徴するも去る大正12年9月関東大震災亦大正14年3月日暮里の大火に当り既に危うく見えたるにも係らず神域社殿は勿論松坂屋舎宅の凡て無事なるを得たるは今尚世人の耳目に新たなる所なり。 昭和4年己巳の春2月18日 2の午の吉辰をトし日枝神社宮司に請うて神霊を分霊し地上80尺の本館屋上に挙安して茲に遷座の式を行えり。 昭和40年4月15日誌 松坂屋 銀座店

 

横には松坂屋銀座店がここにあったんですよという説明板。そうかここにはもうないんだと思うと、一瞬寂しい感じも。

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