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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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◆中央区民がつくるテレビ番組「中央区発 こちらみんなの情報局」 ~12月号放送中!

[巻渕彰/写楽さい] 2017年12月 3日 14:00

中央区の話題を映像で伝える、区民がつくるテレビ情報番組「中央区発 こちらみんなの情報局」は、毎日3回、1回10分間の番組で放送しています。

インターネット動画サイト"YouTube"でもご覧いただけます。

区民制作の身近な地域情報番組を、お楽しみください。

  

0913_00_logo_small250.jpg2017年12月号の作品タイトル

   

 ①岸田劉生「新古細句銀座通」(その9)

 ②まちかど展示館

  「DaiichiSankyo くすりミュージアム」

  

●制作

 中央区区民メディアリポーターの会会員

●放送日時

 毎日3回 10:20、12:20、20:20

●放送時間 各回10分間

●テレビ局  CATV「東京ベイネット」111ch

●番組更新 毎月1日

●ネット配信は"YouTube"から当会名で検索してください。

@巻渕彰

 

 

木下杢太郎と八重洲橋

[yaz] 2017年12月 3日 09:00

 先日静岡県伊東市に用事があり一泊したので、翌日伊東駅から徒歩5分程度の距離にある木下杢太郎館を何らの知識もなしに訪問した。入館してみて中央区とのかかわりが非常に強いことに吃驚したので報告させて頂きます。

木下杢太郎記念館.jpg

〔記念館所在地〕414-0002 伊東市湯川二丁目11番5号

私が訪問した日がたまたま入館無料だったようです。

 

木下杢太郎家系図.jpg

太田家の家計図です
 

 

<理由>

* 杢太郎自身は菊池寛などと共に作ったパンの会のメンバーとして中央区日本橋小網町にあった「メゾン鴻ノ巣」(日本最初のカフェーと言われる説あり)及びその後開かれた「カエー プランタン」などの銀座のカフェーを足しげく訪れていた。

* 医者・文士であるにも拘わらず東京駅前に明治時代に架かっていた八重洲橋を設計した。その上、4歳年上の兄「太田圓三」は関東大震災後に帝都復興院土木局長に就任し、後藤新平の下で

* 昭和通り・靖国通り等の復興道路の建設計画を立案

* 永代橋・清洲橋などの橋梁の架橋計画・施工を担当

など近代都市・東京をデザインし、その基礎を築いた。

 

兄弟はこのように中央区と強い縁を持つことを知ったので、これから3ケ月に亘って背景を調査しブログとして連載する予定です。

1回目(12月): 木下杢太郎と八重洲橋

2回目(1月):  太田圓三の生涯

3回目(2月):  木下杢太郎とカフェー

 

中央区とは直接の関わりはありませんが、三女「たけ」と樋口一葉が一緒に移った写真が記念館に飾られているので紹介します。一葉の髪をさげた珍しい姿です。太田たけが大柄なのか、樋口一葉が非常に小柄ですね。

太田たけ&樋口一葉.jpg

 

1) (第一回)木下杢太郎と八重洲橋

1)-1 木下杢太郎のプロフィール

1885年(明治18年)静岡県賀茂郡(現在の伊東市湯川)に、右上の写真のように父・惣五郎、母・いとの末子として生まれた。父は米惣という雑貨問屋を営んでいた。兄は太田圓三、甥には動物学者の太田嘉四夫(北海道大学教授)がいます。家業は「米惣」という雑貨問屋であった。

米惣.jpg 

当時の米惣の「暖簾」です

 

1906年(明治39年)、東京帝国大学医科大学へ進むと翌年(1907年)には与謝野鉄幹の新詩社の機関誌「明星」の同人となりました。これから中央区との強いかかわりが始まるのですが、1908年(明治41年)には北原白秋・吉井勇らと『パンの会』を立ち上げます。定期的に集まる場所を探していた当会にとって、メゾン鴻ノ巣の開店はグッドタイミングでした。「メゾン鴻ノ巣」があった日本橋小網町の日本橋川にパリのセーヌ川の雰囲気を見出したからです。3年半に亘って、頻繁にこの集いは開催され、鉄幹、永井荷風、小山内薫、高村幸太郎、武者小路実篤、谷崎潤一郎、岡本一平らも顔を出しました。

 

杢太郎は、1911年(明治44年)東京帝国大学医科大学を卒業し、森鴎外の勧めで皮膚科の土肥慶蔵教授の下でライ病の研究を志しました。留学の後、1937年(昭和12年)、東京帝国大学医学部教授となりました。皮膚科・伝染病の研究を継続しライ病の世界的な権威と言われるようになりました。

木下杢太郎_写真.jpg 木下杢太郎_植物画.jpg

また、絵画にも目覚め872枚の植物写生画も残しています。その一部は木下杢太郎記念館に展示されています。

1945年(昭和20年)胃幽門の癌のため亡くなりました。

 

1)-2 八重洲橋

「八重洲橋」は明治初頭から戦後までの約60年間に、以下のように架橋・撤去を繰り返した珍しい橋です。

① 明治17年(1884)に呉服橋と鍛冶橋の間に架橋

② 大正3年(1914)に東京駅の開業で撤去。

③ 大正14年に東京駅入口として再び架橋。

④ 昭和22年の外濠川埋め立てで再び撤去。

八重洲橋(2).jpg 

写真上部は丸の内側から見た東京駅と「八重洲地域」です。右には八重洲橋が外堀に架かっていますし、左端には呉服橋、丸の内側には関東大震災で被災する以前の堂々とした東京駅が存在しています。

 

明治中期の以下の地図には八重洲橋が架かっていますし、現丸の内にも「八重洲」・「永楽」という旧町名が見られます。

八重洲橋拡大地図.jpg

 

八重洲橋(1).jpg 

八重洲橋全景

 

野田宇太郎著『改稿東京文学散』の「丸の内」の章では、外濠川の埋め立て、詩人・木下杢太郎設計の「八重洲橋」が壊される愚策を涙ながらに記していました。

 

「ステーション・ホテルが東京の代表的ホテルとして出現して間もなく大正七年八月のこと、詩人木下杢太郎がその七十一号室に泊まった」と書き出す。満州赴任で遅れていた処女詩集『食後の唄』の序文を書くためだったが、彼は序文にこの二年間の東京の様変わりに抑えきれぬ腹立たしさを記せずにはいられなかったと記す。そして・・・

 悲しき運命をたどった八重洲橋

八重洲橋が木下杢太郎により設計されたことを知る人が少ないのは非常に残念です。木下杢太郎が「八重洲橋」を設計できたのは、永代橋を設計した建築家 兄「太田圓三」の存在が大きかったと思います。

 

 

 

鞍掛橋の紹介 小伝馬町にあります

[銀造] 2017年12月 2日 18:00

 街歩きをしていて、夏の暑い時に「竹森神社」からの帰途、

そして最近は、すき焼きで有名な小伝馬町の「伊勢重」さんの近くを通った時、

「鞍掛橋」という信号のある交差点に出ました。 きっと、馬がいて、そこに鞍を掛けたら、元気になったとか、風雨が治まったとかの言い伝えがある所だろうと思っていましたが、違いました

 親切な人がいて、その交差点近くの植栽の中に説明を置いていて下さいました。

それによると、鞍掛橋の名前の由来は、

「『江戸のはじめ伝馬町は、伝馬駅逓を司るところとして俗に大伝馬町は荷物の駅、小伝馬町は人間の駅として有無相通して両町は伝統と繁栄をきづいてきました。鞍掛橋を境に、馬喰町へ通ずるかなめでした。 この橋は伝馬の馬と博労の鞍ということが多いところであったため、この名前がつけられたと考えられます。

つまり伝馬駅逓や交通の要衝であったところです。付近に旅籠が多かったのもこうした関係です。文:日本橋二之部町会史より』原文のまま。」

1511948268131(kurakake.jpg

 また一つ、街歩きの楽しみが増えました。 有難うございました。

 

 

 

TOKYO ILLUMILIA 2017-2018

[サム] 2017年12月 2日 14:00

DSC01452ELSB'.jpgDSC01458'RSG.jpg 11月29日、日本橋さくら通りに、年末恒例のイルミネーション「TOKYO ILLUMILIA 2017-2018」が点灯。

会期:11月29日~2018年2月14日 16:30~23:00

八重洲さくら通りでは、主にシャンパンゴールドのLED電球を使った桜の木のイルミネーション、八重洲仲通りでは、江戸切子のシンボルイルミネーションを展開。

八重洲センタービル前広場には、「絵巻・山王祭礼之図」から、当時の八重洲~日本橋地区の山車行列を抜粋して展示。民俗的にも貴重な資料でもあるこの絵巻には、現代と変わらない江戸っ子の「祭好き」な様子が描かれています。

「TOKYO ILLUMILIA 2017-2018」では、日本の伝統文化とイルミネーションが融合し、街全体を華やかに演出しています。

 

 

美しい"書"の個展〔ギャラリー銀座〕

[ジミニー☆クリケット] 2017年12月 2日 09:00

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銀座2丁目の画廊、ギャラリー銀座で、現在「大野 詠舟(おおの えいしゅう)個展 『知新』〜新シキヲ知ル〜」が開催されています

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期間は、11月28日)から12月4日)までです。

時間は、午前11時から午後7時までです。

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ギャラリー銀座2階にある展示スペースに入ると、「書道家/デザイン書道家」の肩書をもつ大野 詠舟氏の作品が数多く展示されています

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力強く躍動的な筆致の""、篆刻の刻みつけたような厳格な書体の""、美しく流れるような優美な筆使いの ""、作品ごとに全く表情の違う""が並びます

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『古(いにしえ)から脈々と続いてきた"書"-

その伝統的で形式的な表現や感覚は、時に斬新で現代的でもあります。

日本古来のことばや文字の美しさ、伝統的な素材や表現を活かしながら新しさを感じさせる、そんな"書"を目指しています。』

今回の個展に寄せられた大野氏のことばです

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展示されている作品は、金文からひらがな英語のアルファベットまでと幅広く、6歳から古典書道を学ばれたという大野氏のキャリアと才能に圧倒され、ただただ作品に見入るばかりです

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大野氏の中央区での個展開催は今回が初めてとのことで、クリスマスモード歳末モードで何かと慌ただしい銀座の一角で、心静かに、美しい""と対峙して、ひとときをすごすのもよろしいのではないでしょうか

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なお、ギャラリー内での写真撮影、取材につきましては、大野氏にご了解、ご協力をいただきました

ありがとうございます

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ギャラリー銀座のHPはこちら ⇒

https://www.gallery-ginza.com/

 

 

イロハカエデ紅葉 2017

[サム] 2017年12月 1日 18:00

DSC01363ELS'.jpgDSC01369RS'G.jpg 11月29日、東京管区気象台より、気象庁生物季節観測情報のひとつ、「イロハカエデ紅葉」が報じられました。

平年より2日遅く、昨年より1日早い由。

漸う紅葉の真打登場です。

浜離宮恩賜庭園でも、園内の樹木約6,000本の内、25本を数えると聞くイロハカエデが真っ赤に染まり、見頃を迎えています。

殊に逆光の、太陽の光を透かして見る真紅の葉は、鮮やかさが一層際立ちます。

芽吹きから初夏・秋にかけ、黄緑~緑~黄~赤と、多彩に移ろい、各々目を楽しませてくれますが、紅葉シーズンの色味は格別。

中島の御茶屋、松の御茶屋、燕の御茶屋を背景に、この時期ならではの大名庭園の色彩豊かな風情を醸し出しています。