中央区観光協会オフィシャルブログ

中央区観光協会特派員ブログ

中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

執筆者一覧

>>このブログについて

最近のブログ記事

京都からのラーメン店〔ますたにラーメン 日本橋本店〕

[ジミニー☆クリケット] 2016年3月18日 09:00

日本橋1丁目、「たいめいけん」の向かい側に「京都銀閣寺ますたにラーメン日本橋本店」があります

下の地図、赤○の場所、COREDO日本橋地下鉄日本橋駅からもすぐで

masut00.jpg 

京都銀閣寺ますたにラーメン日本橋本店」は、京都銀閣寺の近くで60年以上の歴史をもつ「京都ますたに総本店」から、のれんわけされたお店です

masut01.JPG 

定番のラーメンです

すっきり、しかもこってりでおいしいです

masut03.JPG 

鶏ガラ醤油味ストレート細麺です

こちらは好みで、「麺のかたさ」、「九条ネギ」「チャーシュー」「背脂」の量、「辛さ」等の指定ができます

masut04.JPG 

お店の人の対応がいつも気持ちいいです

masut02.JPG 

ますたにラーメン」のHPはこちら ⇒

http://motoyoshi-fs.net/index.html

 

 

 

三島由紀夫の小説「幸福號出帆」

[CAM] 2016年3月17日 18:00

 三島由紀夫の小説「幸福號出帆」は、昭和30年(1955)6月から11月にかけて読売新聞に連載され、昭和31年(1956)に単行本が刊行された。主人公の兄妹(実際は血がつながっていないことが最後に明かされるのだが)は、月島の古い借家で育ち、妹は銀座のデパートに勤めているという設定であることから、月島、勝鬨橋が作中にしばしば登場する。
 
 作中では、東京湾、隅田川一帯における密輸が描かれるが、当時の日本は完全な保護貿易主義の下にあり、輸入品には高率の関税が課されていたことから、当時の密輸品には時計などの品物が多く、主として船により行われていた。
 
 作品の冒頭部分に次のような記述がある。
 
>望遠鏡をのぞく。
 右方に濱離宮公園のムクムクした苔のやうな緑と、そのかなたの海の沖にならんでゐる船が見える。水平線はぼんやり曇ってゐる。
 彼女は角度を左に變へた。
 錯雑したビルが、一枚の押絵のやうに見えた。T温泉ビル、そのずっとむかうのT劇場、さらにむかうの築地本願寺の圓屋根の緑いろの側面、それらが、平たい絵を次々と貼り重ねたやうに見える。高くそびえたT温泉の大煙突の稀薄な煙が、かげろふのやうに、遠い港の風景を歪ませてゐる。耳に入るものは、ビルの谷間のあちこちに反響して昇ってくる自動車の警笛だけである。
 ふとレンズの焦點は、魚河岸をつなぐ橋に固定して、橋の袂の柳や自轉車のゆきかひを鮮明に見せる。しかし彼女の見たいのはそれではない。ほんの一寸レンズを左に向ける。魚河岸の屋根の外れに、勝鬨橋の對岸の、保税倉庫のつらなりが、やつと見えた。(8-352)
 
 Nデパート屋上とあるが、松屋か三越か松坂屋か不明。 松坂屋は工事中であるので、現在の松屋、三越両百貨店の屋上部からの見晴らしを検証してみた。
 
 松屋の屋上から隅田川方面を見ても、下記のようにほとんど眺望はきかない。かろうじて、聖路加タワーの上部が見えるのみである。

IMG_2797.JPG

  

 三越12階からは、東劇ビルは見えるが、浜離宮や築地本願寺は見えない。

IMG_2799.JPG 

 

 

小舟町八雲神社

[橘] 2016年3月17日 14:00

「小舟町八雲神社」が日本橋小舟町の何処にあるかご存知の方はいらっしゃいますか?

天王祭というお祭りは小舟町で行われますが、実は神社は神田明神の中にあります。

小舟町(堀留児童公園)には天王祭の時だけ御仮屋が建てられ原則4年に一度盛大に神輿渡御が行われます。
 

kobunaj.jpg

kobunaj2.jpg

上記の写真は神田明神内にある小舟町八雲神社です。

 

kobunat.jpg

これは、八雲神社の天水桶です。
奉納者は日本橋魚市場界隈で塩干肴や乾物を扱っていた"遠州屋新兵衛"他10名です。

小舟町八雲神社の当初の宮元は小伝馬町、その後魚問屋仲間が関与し、現在は小舟町の方々によって崇敬されています。

 

小舟町八雲神社は「牛頭天王三社」の三の宮に当たり、一の宮は「江戸神社」、二の宮は

「大伝馬町八雲神社」となっています。

この天王三社が奉っているのは「建速須佐之男命(タケハヤスサノヲノミコト)」-大黒様のお父さんに当たる神様です。

daikoku.jpg

神田明神にある大黒様の巨大な像です。

 

edoj.jpg

一の宮の「江戸神社」です。

 

odenmaj.jpg

二の宮の「大伝馬町八雲神社」です。

その天水桶です。

odenmajt.jpg

天水桶の奉納者は「太物問屋」仲間(日本橋界隈に軒を並べていた,反物等を扱っていた商人)ですが、その前は大伝馬町が宮元であったので、大伝馬町の名前も記されています。

「大伝馬町八雲神社」では、残念ながら現在は祭りは行われていません。
 

今年は「小舟町八雲神社」の神輿渡御が行われる年と言われているので、9月に行われるであろう神輿渡御を取材出来たら、又、ブログでご紹介したいと思っています。

 

 

銀座のお寿司★濤﨑(とざき)でお得ランチ

[まぴ★] 2016年3月17日 09:00

こちらも隠れ家的な銀座のお寿司屋さんです。

銀座8丁目のビルの二階にあります。

 

今回は一休限定ランチ

小鉢・お寿司8貫、巻物、お椀にスパークリングワインまでついて、

なんと2500円(サ・税込み)です。

 

鯛のこぶじめ、しらうお、しめさば、さわら、まぐろ、ぶり、いくら、エンガワ
の8貫にお吸い物、30品目のサラダ、玉子焼き、かんぴょう巻き、げそきゅう、
 

KIMG0980.JPG KIMG0981.JPG

 

KIMG0984.JPG KIMG0986.JPG

 

KIMG0987.JPG KIMG0989.JPG

特にぶりが少し炙ってあって、すごく美味しかった。
女将さんにそう言うと、時期的にいいぶりが入ってきてたそうで、
少し炙ることによって、コクが出て絶品でした。

 

KIMG0992.JPG KIMG0994.JPG

 

カウンターと個室があり、土曜日のお昼のせいか満席でした。

とっても大満足のランチでした★

 

銀座の寿司屋 寿司割烹 濤﨑(とざき)のホームページ

 

 

 

高級料亭「百川」と落語「百川」

[中央小太郎] 2016年3月15日 16:00

 日本橋室町の福徳神社の近くに、江戸屈指と言われながらも明治初期に姿を消した謎の
料亭「百川(ももかわ)」がありました。

 高級料亭は、江戸文化が成熟するにつれて登場した料理屋形態で、凝った料理、盛り付
け、器等を料理屋が競い合う中で、遊び心も加わりながら粋な江戸料理へと進化したそう
です。高級料亭は多くの文化人のサークルが形成され、江戸文化の発展に大きく貢献した
と言えます。
 江戸時代には今でいう「グルメガイド」のようなものも数多く発行され、「狂歌懐石料
理双六(きょうかかいせきりょうりすごろく)」(双六形式で有名店を紹介するもの)に
は、山谷の八百善、深川の平清(ひらせい)等の名だたる高級料亭と並んで、百川の名前
も見られます。

 百川は1760~70年代(明和~安永の頃)に創業し、文化文政(1804~30)の頃に最盛期
を誇ったようですが、明治の初めに忽然と姿を消しています。資料が少なく、どうした経
緯で店を閉めたのかは解りにくい点が謎めいていて興味をそそります。
浮世絵「百川繁栄の図」に描かれていたり、山東京山の随筆「蜘蛛の糸巻」では、通人が
遊ぶ四大料理茶屋のの一つにも挙げられており、文化人の会合という意味では、松平定信
などそうそうたる顔ぶれが集まり、文化サークルが形成されていったそうです。
 また、幕末にペリーが黒船で来航した際には(1854年の2度目の来航時)、横浜で一行
を持てなしたことでも有名です。この時の料理は最高級の懐石料理で300人前+200人前の
控え分が用意されたそうで、値段は千両とも2千両とも言われています。

 
 もう一つ「百川」と言えば、古典落語の「百川」も外せないと思います。
このブログを書くにあたり、三遊亭圓生の落語を聞きました。百川で奉公することになっ
た百兵衛(ひゃくべえ)さんと客(魚河岸の若い衆)が百川を舞台に「勘違い」を繰り広
げる話で、思わず笑ってしまいます。

 

今回は、百川をキーワードに、日本橋、人形町、堀留町あたりを散策しました。

まず、百川があった場所ですが、日本橋COREDO室町1とYUITOビルの間の道が浮世小路で、
この先に福徳神社がありますが、この界隈にあったようです。

ck1509_20160315 (4).jpg

( ↑ クリックすると大きく表示されます)

 

「浮世小路」ですが、このあたりには、加賀出身で町年寄の喜多村家の屋敷があり、加賀
では「小路」を「しょうじ」と読むことから「うきよしょうじ」と呼ぶそうです。また、
名前の由来は、ここに浮世風呂があり湯女のサービスが良かったとか、浮世ござを売る店
があったことからこう呼ばれたらしいです。

 

福徳神社は、9世紀頃からある非常に古い神社で、源義家、太田道灌等、武将の信仰が厚か
ったとのことです。徳川家康も数度も参詣しています。二代秀忠が参詣の際に鳥居に新芽が
出ていたのを見つけて、「芽吹神社(めぶきじんじゃ)」と命名し、それが別名ともなっ
ています。浮世小路の1本北側に福徳神社参道があり、「新浮世小路」と命名されていま
す。

釘型の西堀留川が福徳神社のすぐそばまで来ており、付近には塩河岸がありました。
川は明治の中頃に釘の部分が埋め立てられ、昭和初期に残りの部分も埋め立てられました。

ck1509_20160315 (6).jpg

ck1509_20160315 (5).jpg

 

 

また、落語「百川」には、浮世小路の他に芳町(よしちょう)、三光新道(さんこうじん
みち)の地名も出てきますので、それらについても散策してみました。

 

芳町は、今の人形町の一部を昔は芳町と言いました、「芳町花街」と言うように界隈は花
街としても有名です。落語では、百兵衛さんは芳町の千束屋(ちづかや)という桂庵(今
でいう職業紹介所)から百川を紹介された設定です。
芳町花街は東京6花街として現在も続いており、濱田屋という料亭が伝統を守っています。
また、大観音寺横にある「芸者新道」が花街の風情を最も残しているように思います。
※よし梅に代表される料理屋が並んでおり、良い雰囲気を出しています。
ck1509_20160315 (7).jpg

 

三光新道(さんこうじんみち)は、堀留町2丁目にある30メートル程の小道で、三光稲荷
の参道にもなっています。すぐ近くに梨園染で有名な「戸田屋商店」という老舗がありま
す。店の側面の壁に梨園染のサンプルを確認することができます。

ck1509_20160315 (3).jpg ck1509_20160315 (2).jpg

ck1509_20160315 (1).jpg

 
落語では、百兵衛さんが、ここに住む常磐津の「かめもじ」という人を呼んでくるように
百川の客に頼まれるのですが。。。。という内容で出てきます。

以上

【参考文献等】
・「江戸散歩・東京散歩」(成美堂出版)
・「消えた料亭「百川」を追う」日本経済新聞  2014/7/3
・「落語「百川」の舞台を歩く」(http://ginjo.fc2web.com/001momokawa/momokawa.htm)

 

 

 

「吉野山金峯山寺 山伏のひみつ展」〔奈良まほろば館〕

[ジミニー☆クリケット] 2016年3月15日 14:00

日本橋室町1丁目にある奈良まほろば館では、「~さくら開花間近日本最大秘仏本尊特別ご開帳記念~ 吉野山金峯山寺 山伏のひみつ展」と題して展示イベントが開催されています

kimps00.JPG 

期間は、3月10日)から3月23日)までです。

kimps01.JPG 

展示スペースでは、山伏が修行で使う道具法具)・装束などがわかりやすく展示・説明されていました

kimps02.JPG 

吉野山のは、修験道のご本尊金剛蔵王権現ご神木であり、古来よりたくさんの人々が祈りを込めて大切にしてきた、いわば信仰の証だそうです

kimps04.JPG 

吉野山では、3万本ともいわれる山桜が、約1か月にわたって全山に咲き誇るそうです

kimps03.JPG 

4月1日から5月8日までは、金峯山寺蔵王堂国宝)で、日本最大秘仏ご本尊金剛蔵王大権現3体重文)が国宝仁王門修理勧進のため特別にご開帳されます

kimps05.JPG 

奈良まほろば館」のHPはこちら ⇒

http://www.mahoroba-kan.jp/

 

 

 
<<前のページへ 1234567891011