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「うな丼の発祥」と「土用丑の日」

[CAM] 2016年7月23日 09:00

 2016年7月 8日の投稿 『 「うな丼」の発祥 』に目をとめていただき、中央FMで少しお話する機会をあたえていただきました。 

 

 実は、この6月に、大学時代のクラスメート4人で、千葉県我孫子市手賀沼近辺を散歩し、山階鳥類研究所等を見学した後、当地の名物であるという鰻を食しました。その際に、古来、下総地方は良質の鰻を産するとされ、牛久沼付近が「うな丼」の発祥地とされているという話が出たのですが、『ものしり百科』の説明と少し異なるので、少し調べてみる気になったことがこの投稿のきっかけでした。 

 

茨城県のサイト「茨城で生まれた日本伝統の味『うな丼』」でも、龍ケ崎市のものとほぼ同様の説明をしています。うな丼の発案者とされる大久保今助は、江戸時代の実在の人物です。1757年(宝暦7年)に現在の茨城県常陸太田市で生まれ、江戸に出て商才を発揮。ひと財産を築いた立志伝中の人です。 

 

この大久保今助は江戸日本橋堺町中村座の金主(資金提供者)であったという人物で、うな丼を初めて売り出したのは、日本橋葺屋(ふきや)町の大野屋であったと言われており(『ものしり百科』; 156頁)、中央区は、たとえ、発祥地ではないとしても、中央区から広まっていったことには間違いがないと思われます。 

 

今年は7月30日にあたるようですが、何故『土用丑の日』に鰻を食べる習慣ができたのか? という由来については諸説ありますが、一番有名なものとしては、江戸時代、うなぎ屋がうなぎが売れないで困っていることを、平賀源内に相談したところ、「"本日丑の日"という張り紙を店に貼る」 ことを平賀源内が発案し、これが功を奏して、うなぎ屋は大繁盛になったという説が一般的であるようです。本来ウナギの旬は冬のため、 以前は夏にウナギはあまり売れなかったそうです。売れないウナギの販促のため、 旬ではない"夏"という時期にウナギを食べる風習を根付かせたという説が有力です。 

 

しかし、発案者は、平賀源内(1728~79)ではなくて大田南畝(蜀山人)(1749~1823)だという説もあります。『土用丑の日』が文献に登場するのは文政期(1818~29)頃からだと言われており、『ものしり百科』でも、葺屋町の大野屋からうなぎめしが売りだされたのは文化期(1804~1818)頃だとしています(156頁)。年代的には大田南畝(蜀山人)説が妥当であるように思えます。