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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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中央区観光検定 再々受験

[ジミニー☆クリケット] 2016年9月26日 14:00

完全に忘れておりました

中央区掲示板が思い出させてくれました

今年は、中央区観光特派員である私が、来年特派員を続けたい場合、中央区観光検定を受け直さなくてはならないでした

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今回は、第九回とのこと

思い起こせば、初めて受けたのが第三回、再受験した第六回大雪の日で、確か試験開始時間を遅らせる配慮がされた年でした

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そして、3回目の受験が、今回の第九回

試験日は、平成29年2月18日(土)とのこと

第九回のテーマは「京橋エリア」で、中央区の京橋・八重洲周辺に関する問題が100問中10問程度出題されるそうです

テキストも、タイミングよく、一部改訂した中央区観光検定テキスト歩いてわかる中央区ものしり百科」が、受験申し込み開始日と同じ10月1日(土)に発売される予定だそうで、さっそく買って勉強します

中央区観光検定公式HPはこちら ⇒

http://www.chuoku-kentei.jp/license/index.html

 

 

ツーリズムEXPOジャパン2016 JAPAN NIGHT

[銀造] 2016年9月26日 12:00

 ツーリズムEXPOジャパン2016 JAPAN NIGHT が、9月22日(秋分の日。祝日)に開催されました。

主催は、日本政府観光局(JNTO)、公益社団法人 日本観光振興協会、一般社団法人 日本旅行業協会、そして後援が国土交通省、総務省、外務省などで、

一般社団法人 中央区観光協会も名を連ねています。

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舞台は、日本国内の起点となる日本橋が舞台でした。コレド日本橋前から名橋 日本橋 上に設置された特設会場にパレードして、伝統芸能、日頃鍛えた技を披露してくれました。

司会の挨拶で、矢田中央区長、日本橋の名士のお歴々、来賓の方々のご挨拶があり、続いて、

「江戸消防記念会」による、江戸火消し木遣り、纏振りが披露され、

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日頃稽古を重ねてた、勇ましい梯子乗りが披露されました。 格好いい! これで、彼の株も大分上がったことでしょう。

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その見事な技の数々に、会場の皆様は大きな歓声を上げていらっしゃいました。

 そして、各地から参加した団体をご紹介します。

「鹿沼彫刻屋台」は、日光東照宮の技を受け継ぎ、全面(まわりすべて)を彫刻で飾る、栃木県鹿沼市の屋台と言うか、あまりに立派すぎて、通常の「山車」なんていう表現はできません。私は、「動く陽明門」だと感じました。パレードに出かける前に、接写しました。

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 そうです、これは「国指定重要無形民俗文化財」に指定されており、現在、ユネスコ無形文化遺産委登録申請中なのだそうです。 いざ、出発!

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そして、そんな立派な「鹿沼彫刻屋台」が27基も揃う、「鹿沼今宮神社祭りの屋台行司」が、10月8日、9日(日)に開催されるそうです。

詳しくは、鹿沼市観光物産協会のHPでご覧下さい。http://www.buttsuke.com

 そして、リオ・オリンピック、パラリンピックで素晴らしい活躍をしてくれた日本選手団の記憶が甦ります。ブラジル人と日本人による小太鼓とサンバのリズムでパレード。

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その熱気が、伝わって来るでしょ! Eu gosto muito de Brasil ! 次は、東京2020ですね。

 そして、小雨がぱらつく中、紙製の提灯が濡れるのを心配しながら待機されていた、「秋田竿燈まつり」の皆さんの登場です。

コレド日本橋の壁面の「さぁ、次は東京だ!」が、元気を与えてくれましたね。

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 会場から、「待ってました!」の声が沢山聞こえました。

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会場でお目にかかった、公益社団法人 日本観光振興協会東北支部の方々も応援に力が入っていましたよ。

 最後は、くまもんが先導する、熊本県天草市牛深いの、「牛深ハイヤ踊り」です。

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なんでも、牛深では、地元住民の方々の9割以上の方々が、この踊りを踊ることができ、地元に愛される伝統文化ということです。この元気で、熊本の皆さんがお元気に復興されることを願っています。 がんばろう、熊本! 頑張ろう、日本!

あっと言うまの2時間でした。これからも、中央区でツーリズムEXPOジャパンを開催して欲しい、そして2020年に向けて、益々、日本の観光業が発展していくことを祈念致しました。銀造

追伸:ツーリズムEXPOジャパン2016のURLは、こちらです。http://www.t-expo.jp/

 

 

お知らせがあります ~榮太樓總本鋪~

[rosemary sea] 2016年9月26日 09:00

『ギフト、そして自分も楽しむ』をスローガンとして取材します、rosemary sea です。

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今回も榮太樓總本鋪さんにお邪魔しました。

日本橋本店 斎藤店長、広報室 石倉室長にお伺いしました。

素敵なお知らせ、2件ご紹介します。

 

お知らせその1

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和菓子作り体験教室のお知らせです。

榮太樓さんの現役職人さんが直に教えてくださいます。

10月1日(土) 午後3時~午後4時30分

開催場所は榮太樓さん日本橋本店 併設の喫茶室『雪月花』です。

お申込みは直接日本橋本店まで申込書を提出願います。

お申込みはお早めに、残りわずかとなっています。

詳しくは写真をクリック拡大してご覧ください。

 

お知らせその2

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外国の方20名、日本の方20名の交流会のお知らせです。

中央区文化・国際交流振興協会(CCIEA) の主催で、やはり榮太樓さんの職人さんがいらっしゃいます。

10月15日(土) 午後1時30分~午後3時30分

開催場所は中央区湊1-1-1 女性センターです。

お申込みは中央区文化・国際交流振興協会へFAXまたはEmailで。

こちら詳しくは写真をクリック拡大してご覧ください。

 

日本橋1-2-5

03-3271-7785

営業時間 9:30~18:00 (月~土)

定休日 日曜・祝日

榮太樓總本鋪さんのホームページはこちら ⇒ http://www.eitaro.com

 

 

まち歩き、江戸和菓子と出会う(日本橋編)

[達磨] 2016年9月25日 12:00

慶長8年(1603)創架、5街道の起点となった「日本橋」。歌川広重「名所江戸百景、日本橋雪晴」安政3-5年には物資拠点の日本橋の賑わいが見えます。現在の日本橋は明治44年(1911)完成。この日本橋の袂にある和菓子老舗店のご紹介です。

 

榮太樓總本鋪』 安政4年(1857)の頃から変わらずに日本橋の袂で営業。この安政時代、日本橋にささやかな屋台で「金鍔」を焼いて売り出したのが榮太樓のはじまりとのこと(HPから)。日本橋南詰西側にある「日本橋由来記」の碑からお店の紺藍染めの日よけのれんが見えます。おすすめは「金鍔」をはじめ、「せっかちな江戸っ子に食べやすく」と、歯切れの良い餅が特徴の「黒豆大福」、元祖である「甘名納糖」、「玉だれ」「どらやき」。幕末から明治期に開花した庶民の江戸和菓子...この発展に榮太樓さんの影響度を感じます...。店舗内、喫茶室では「あんみつ、みつ豆の甘味や赤飯弁当など」が楽しめます。

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日本橋1丁目『うさぎや 大正2年創業「上野うさぎや」の初代三男さんが戦後に現在のコレド日本橋の向かいで創業。間口の小さいお店には朝から夕方まで「どらやき」を求めるお客で溢れる超人気店。どらやきは一目一口で何処のお店かが分かる、五感を刺激する和菓子だと思いますが、うさぎやのどらやきは人気通りにトップをかける美味しさです。

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うさぎや

 

以上。

 

 

九番目の義士 間新六が見せた壮烈な切腹(2)

[CAM] 2016年9月25日 09:00

> 間新六も父や兄と隔たれ、同志9名とともに、麻布日が窪にあった長府藩上屋敷へ収容された。・・・・・・厳戒の中、穏やかな年末年始を過ごした新六らは、2月4日に切腹を申しつけられた。

 長府藩側は、切腹を儀式的なものとみて、幕府役人らにある提案を行っている。

〔切腹の脇差の事、扇を紙にて包み、十本支度仕り置き・・・・・・・・〕(『毛利家記録』

 
 新六の切腹は九番目だった。藩士江良清吉が介錯刀を構える中、新六は周囲の意表を衝く行動に出た。

 
{間新六郎は肌を脱がず、前に三奉(宝)を置き、脇差をとり、腹に突き立てたると・・・・}(『毛利家記録』

 
 赤穂浪士たちが、直接腹部を切ることのない、扇腹に準ずる形で介錯を受けていくものと思っていたギャラリーにとって、新六の最期の姿は驚愕すべきものだったようだ。壮烈で激しい切腹を経て、間新六は24歳で散った。

 
 >・・・その夜のうちに、新六以外の九名の浪士の遺体は泉岳寺へ搬送されていった。・・・・・・

 ほどなく中堂夫婦(新六の姉夫婦)は、新六の遺体を、彼らの菩提寺でもあった築地本願寺の墓地に埋葬したとみられる。

 
>泉岳寺では、遺体を搬送された大石内蔵助ら45名と同様に、間新六にも戒名を授け、ともに墓碑を建てた・・・

 
>時は経て、昭和3年4月8日のこと、朝日新聞の片隅にこんな記事が小さく載った。

 
{義士の遺骨移葬

 東京市公園課では、築地本願寺の墓地にある赤穂義士間新六郎の墓を高輪泉岳寺に移すべく、東京府に向け、その許可申請をする事となった。すなわち現在間新六郎の墓は単に碑だけで、遺骨は築地本願寺に埋葬してあるのである}

 
>その後の顛末は、昭和4年12月15日の朝日新聞に詳しく紹介がなされていた。

 
{義士の遺骨が行方不明

 妙な因縁の間新六郎のため、討入りの日に慰霊

・・・・・

 昭和4年2月13日、区画整理のため本願寺の墓地が掘り返される事になり、・・・掘り返されたが、墓石の下から出たのは、若き勇士の骨とは似ても似つかぬ骨壺二つ、・・・

 ほかの同士の者は、遺志通り泉岳寺に葬られ、死後も永く亡君に奉仕できたのに、新六郎だけは遺骨のありかも知れないとあっては浮かばれまいというので、14日の慰霊祭となったのである。}

 
>現在ではわずかに残される旧状写真によってしか確認はできないものの、昭和初年当時の新六の墓は元禄期の埋葬位置から、離れてしまっていたのである。

 結局、間新六の遺骨は見つかることもないまま、その後、墓石は現在の位置へ移動されていった。

 だが、その墓と、土に帰った遺骨は、主君浅野長矩が生まれ、事件当時に上屋敷が存在していた地からは間近にある。たった一人の赤穂浪士は、同志たちとは異端の地で、久遠に藩邸と主君の侍衛の任に就き続けているのだろう。

 
 『ものしり百科』では、触れられていないが、本願寺境内の供養塔には、このようなドラマが秘められていたのである。

 

 

恒例の似顔絵展〔ギャラリー八重洲・東京〕

[ジミニー☆クリケット] 2016年9月24日 18:00

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八重洲地下街にある画廊「ギャラリー八重洲・東京」で、恒例の似顔絵展が開催されています

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似顔絵作家清つねおさんによる「似顔絵グランプリ」です

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今回で13回目)になる似顔絵愛好家公募展です

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清さんにうかがったところ、応募作品の3分の2が前回も応募された方で、3分の1は今回新たに応募された方とのこと

それにしても、驚くべきレベルの高さです

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この似顔絵展には、課題作品のコーナーがあり、今回のテーマは女優の綾瀬はるかさんです(前回は、錦織圭選手でした)

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課題作品以外にも、たくさんの作品が展示されており、作者ごとに違うとらえ方に感心したり、あまりのデフォルメに笑ってしまったりと楽しい時間がすごせました

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期間は、9月19日)から25日)までです。

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ギャラリー八重洲・東京の場所は、下の地図赤枠の部分です。

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なお、ギャラリー内での写真撮影については、清つねおさんにご了解をいただきました。ありがとうございました

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ギャラリー八重洲・東京のHPはこちら ⇒

http://www.yaechika.com/gallery.php

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芸術芸術芸術

 

 
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