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【遠足シリーズ第8弾】渋沢栄一の足跡をたどって...

[Hanes] 2018年11月22日 18:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
前回の遠足シリーズでは、深谷市の煉瓦に焦点を当てて中央区との関係性について取り上げましたが、
その際のキーパーソンとなったのが、近代日本経済の父と称される渋沢栄一でした。
今回は彼の生涯の一部をピックアップしながら、中央区との関係性をご紹介したいと思います。
 
■渋沢栄一の生涯:豪農の子から子爵へ
渋沢栄一は、1840年に現在の深谷市血洗島(ちあらいじま)に生まれました。
彼の生地に建つ「中の家(なかんち)」は、1895年に栄一の妹夫妻によって建てられたものですが、
一般開放されており、見学することができるようになっています。

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7歳からは、いとこの尾高惇忠から論語をはじめとする学問を学び、尊王攘夷思想の影響を受けました。
17歳では、いとこらとともに高崎城乗っ取りおよび横浜異人館焼き討ちを企てましたが、中止。

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(こちらの写真に写っている、尾高惇忠生家の2階でその計画を練ったと言われています。)

24歳では、徳川幕藩体制に疑問を抱き尊王攘夷運動に参加するも、
御三卿(将軍家、御三家に次ぐ高い位の家柄)のひとつであった一橋家および幕府に仕えるようになり、
1867年には15代将軍徳川慶喜の名代徳川昭武に随行してパリ万博へ。
尊王攘夷思想を覆すようなヨーロッパの進んだ思想・文化・社会を目の当たりにし、
帰国後は大隈重信の説得により明治新政府の大蔵省に仕えました。

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(渋沢栄一記念館にて撮影した記念館および渋沢栄一の像)

大久保利通らと財政運営で意見が合わず辞職した後、実業界の最高指導者に君臨
それ以降亡くなるまでに600以上の福祉事業にかかわり、国際親善にも貢献しました。

■中央区との関わり
彼は数々の企業や大学等の設立にも尽力しており、区内での代表的な貢献として、
第一国立銀行の総監役や聖路加国際病院の初代理事を務めたことが挙げられます。

そして、都内にいくつかあった彼の邸宅ですが、なんと日本橋兜町にもあり、

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跡地は現在、日証館(東京証券取引所の隣、日本橋川に面している)となっています。
古典様式風の三層構造やアーチ窓が美しいこちらの建物は、
日本政策銀行の不動産評価でゴールド評価を得ており、
重厚な外観の証券会社がたち並んだ当時の面影を今に伝えている建物の一つです

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こうしてみると、中央区内にも意外と渋沢栄一ゆかりの地がありますね
必ずしも目に見えるものばかりではありませんが、
こうして歴史に名を残した人物をテーマにまち歩きをするのも面白いかもしれません

※本記事に含まれる深谷市の文化財のお写真につきましては、深谷市文化振興課のご担当者様より掲載許可をいただいております。