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日本茶の魅力再発見!@第72回全国お茶まつり(2)

[Hanes] 2018年12月23日 09:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
今回は第72回全国お茶まつりレポートの続きです。

11時少し前まで手もみ茶体験や試飲をした後は、お待ちかねの基調講演へ
「和文化と日本茶」をテーマに、静岡文化芸術大学前学長である熊倉功夫先生
知れば知るほど面白いお茶の歴史について、分かりやすく話してくださいました。
ここではその一部を簡単にご紹介します

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■日本におけるお茶の歴史
嵯峨天皇の時代に中国から伝わった。
・815年の『日本後紀』には、「嵯峨天皇に大僧都永忠が近江の梵釈寺において茶を煎じて奉った」とあり、これが国の歴史書における日本茶の最初の記述である。
・平安時代初期には既に茶の栽培が行われており、「平安京大内裏図」の右上には「茶園」の文字が見て取れる。右上、つまり東北の鬼門に位置することから、お茶には災いを打ち払う等の意味があったのではないかと思われる。お墓にお茶を植えたという記述もある。

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明庵栄西『喫茶養生記』では、「茶は養生の仙薬なり。延齢の妙術なり」と書かれている。
・お茶は日本人の健康のためではなく、禅宗の儀式(茶礼)のためにもたらされた。禅宗は武士に影響があり、茶は武士経由で庶民へと広がった。
・15世紀初め、京都に煎じ茶を売る茶売りが出てきた。
・「高雄観楓図屏風」では、酒(男、辛)と茶(女、甘)が比較して描かれている。

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・山の中にある茶室(入口が狭い)は、山中他界観から別世界への入口、または胎内くぐりと同様の考え方から生まれ変わる入口としても考えられた。
・黒船来航時の狂歌「泰平の眠りを覚ます上喜撰たった四はいで夜も寝られず」には裏の意味がある。それは、宇治の上等のお茶「上喜撰」を4杯飲んだ結果、カフェインにより夜も眠れなかったというもの。
シーボルトが収集した20種以上の茶がオランダのライデン国立民族学博物館にあり、その中にその「上喜撰」がある。

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・幕末からはお茶の輸出が盛んになった。海外に輸出できる農作物があるか否かで、近代化(外貨を獲得し、海外の情報や技術を入手)できるかが決まる。日本には絹と茶(ピーク時は25,000トン(総輸出の25%))があった。
・近年、醤油(江戸時代の2分の1の消費量)の国内需要が低迷する一方、海外で需要が高まっている。

ここまで簡単に箇条書きにしてみましたが、黒船来航→上喜撰→シーボルトというまさかの中央区との繋がりもありましたね
そういった思いがけない発見による感動が冷めやらぬうちに、残りのブースへ!

■美濃いび茶振興会

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■JA静岡経済連

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■(株)タマヤ

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■(株)鈴木長十商店

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■福岡県茶業振興推進協議会

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■そのぎ茶振興協議会、全農こうち農産販売課内 土佐茶販売対策協議会

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こちらは出展ブースの一部ではありますが、茶葉からティーバッグにマドラーのついた便利なタイプのお茶まで、
お茶を使ったスイーツのご紹介から淹れ方講座までと、実に充実しているのが伝わりますでしょうか?
しかし、お茶フェスはこれでは終わりません!
五感でお茶の魅力が体験できたブース(一部)は次の記事でご紹介します

■推薦図書
角山栄『茶の世界史 改版 緑茶の文化と紅茶の社会』(中公新書、2017年).
松下智『日本の茶』(風媒社、1969年).

■参考ウェブサイト
熊倉功夫「茶と日本人」、日本医史学雑誌第45巻第2号(1999)、pp. 155-157.
http://jsmh.umin.jp/journal/45-2/155-157.pdf