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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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◆「健康福祉まつり2013」秋晴れのもとに開催される。

[巻渕彰/写楽さい] 2013年10月28日 09:00

恒例の「中央区健康福祉まつり2013」が10月27日(日)午前10時から午後3時まで、台風一過の青天のもと明石町のあかつき公園(写真左)や中央区保健所、福祉センター、教育センター、タイムドーム明石などを会場として開かれた。

 

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毎年秋の人気イベントで、ことしも参加団体が80団体を超えたという。屋外会場では野外ステージを中心にふれあい食堂が設けられ、食を楽しむ家族連れなどで賑わった。ガス・水道・電気などの消費生活展ブースも併設される。屋内会場では施設全域にわたり展示ブースを回る来場者で混み合った。

  

中央区の歴史観光まち歩きボランティアガイド団体「中央区文化財サポーター協会」は毎年参加している。ことしも5階教育センターの多目的ホールにブースを開設して、中央区の歴史文化資料の展示やまち歩き活動紹介などを行った(写真右)。スタンプラリーのチェックポイントにも参加したので、子ども連れの来訪者が多く見られた。@巻渕彰

 

 

 

◆郷土天文館「こどもの絵本、おとなの漫画~永井保原画展~」 12月23日まで開催中!

[巻渕彰/写楽さい] 2013年10月22日 14:00

中央区立郷土天文館(タイムドーム明石)で第16回特別展「こどもの絵本、おとなの漫画~永井保原画展~」がはじまった。日本橋生まれの永井保は、昭和初期から平成期まで漫画、挿絵、水彩画、エッセイなどの作品で活躍した。4千点余に及ぶ遺品の寄贈を受けた中から、選りすぐりの作品が展示されている。会期は12月23日まで、月曜休館。入場無料、図録(A4判カラー刷、48ページ)は有償頒布(200円)。

                       

0913_552_131019nagaitamotu.jpg永井保は大正4年(1915)、本小田原町(現日本橋本町辺り)の荷扱(仲買)業の家に生まれ、十思小学校へ通う。幼少のころから絵に興味を持って学び、23歳の頃、扉絵が雑誌に採用される。27歳で陸軍宣伝班として南方戦場に従軍した。「漫画集団」同人で、『絵本キンダーブック』挿絵掲載など漫画界で活躍する。『銀座百点』や『月刊日本橋』に絵入りエッセイなども連載した。平成16年(2004)、88歳で逝去。

 

絵画・イラストでは風景スケッチのうち約1割が中央区を取り上げて描かれているそうだ。日本橋の思い出として、魚河岸や本小田原町のありし日の風景が遺されている。従軍中の作品には兵隊が出発する情景を描いた水彩画などの戦争画が並ぶ。戦場から帰国し、終戦直後の昭和20年(1945)9月、彼岸の中日に家族に送った絵入りの手紙はまさに絵巻物のようだ。

 

戦後再編された「漫画集団」は、永井が理事となって務め、やがて横山泰三、加藤芳郎、小島功、手塚治虫などの著名漫画家が加わったそうだ。永井が記録した同集団の活動や動向の資料は貴重なものという。4コマ漫画や風刺画などでも活動したほか、子ども向け絵本や雑誌にも多くの作品を残している。なかでも『キンダーブック』(フレーベル館刊行)には昭和20年代から手がけ、その色彩豊かで、楽しい絵柄の原画が展示されている。

 

タウン誌『銀座百点』で昭和42年(1967)-同44年に連載された「銀座ばやし」と、『月刊日本橋』で昭和54年(1979)-同62年まで連載の「にほんばし思い出帖」に興味が沸く。「銀座-」では戦前の銀座風俗が活写されている。「にほんばし-」には昔日の日本橋の正月風景や町並みが描かれている。

 

この特別展はひとりの漫画家という枠を超え、永井保の視点と感性が捉えた時代や社会への鋭い眼差しが伝わってくるようだ。堅苦しい歴史話とは趣を異にし、戦前・戦後を体験した表現者としての本展は一見の鑑賞価値がある。@巻渕彰

 

◇郷土天文館特別展のHPは、こちら>>

 

 

 

◆観光協会主催「まち歩きツアー 産業コース・老舗(3)」 ~大伝馬町界隈の名店を訪ねる~

[巻渕彰/写楽さい] 2013年10月 1日 14:00

好評の中央区観光協会主催「まち歩きツアー」は秋の到来に合わせ佳境に入ってきた。9月26日、「産業コース・老舗(3)」は旧日光街道に面した江戸屋さんと小津和紙さん、日本橋小舟町の伊場仙さんをお訪ねした。いずれも江戸期からの老舗中の老舗で、今日までそののれんを受け継いでいる名店である。

 

0913_551_130926siniseedoya.jpg東京メトロ日比谷線「小伝馬町駅」からえびす通りを越え、旧日光街道の大伝馬本町通りを西に向かうと、刷毛ブラシの看板がかかる「江戸屋さん」(写真上)がある。店内にはいろんな形をした商品が天井から吊り下げられて壮観だ。用途に合わせた素材・形状でできた品数は3千種に及ぶという。

 

昭和通りの手前には「小津和紙さん」(写真中央)のビルがある。現在工事中なので売店は2階で営業している。同じ階の小津史料館で由来や商品解説を受ける。伊勢松坂出身の老舗で、江戸初期から旧大伝馬町一丁目(現在地)で盛業し、大店に発展していった歴史を物語る貴重な古文書・資料が展示されている。

 

江戸橋方面へ東に行くと「伊場仙さん」(写真下)がある。1階エントランスには江戸団扇(うちわ)の銘品が飾られている。浮世絵師・歌川豊国などの板元として絵柄が映える。店内には色とりどりの団扇、扇子が並び、広重の絵にドラえもんが登場する特製団扇は逸品。外国人女性が団扇を買い求める姿もあった。@巻渕彰

 

◇中央区観光協会「まち歩きツアー」は12月まで予定されています。これからでも間に合う文化コースや産業コースもありますので、詳しくは観光協会HPをご覧ください。>>こちら

 

 

 

◆中央区 ここに歴史あり(55) 煙草王・村井吉兵衛~日本橋に旧村井銀行の遺構

[巻渕彰/写楽さい] 2013年8月10日 09:00

日本橋の南側に三菱東京UFJ銀行日本橋中央支店が入る日本橋御幸ビルがある。その北東側、野村證券ビルに向かって古い出入り口が残されている。これはこの場所にあった旧村井銀行の出入り口跡である(写真上)

                                                   

0913_55_130808muraibank.jpg村井銀行は京都出身の村井吉兵衛〔文久4年(1864)-大正15年(1926)〕が設立した。明治期に村井は煙草民営化で「東洋の煙草王」と称され、わが国初の両切り煙草「サンライズ」を製造販売して巨富を築いた。東京銀座・岩谷松平の「天狗煙草」と宣伝を競ったという。

 

煙草が専売制になった明治37年(1904)に莫大な賠償金を得て、村井銀行を創設し、京都を中心に東京にも進出した。当初の支店は大伝馬町一丁目だったが大正2年(1913)、ここ日本橋の三角地にルネサンス様式で日本最初の鉄筋コンクリート構造の新社屋に移転した。金融恐慌で昭和2年(1927)破綻・倒産した。ほかにも村井汽船、村井鉱業、帝国製紙などを設立した。

 

村井吉兵衛の邸宅は現在の千代田区永田町、日枝神社近くの都立日比谷高校敷地にあった。大正元年(1912)約5千坪のこの地に移り、大正8年(1919)竣工の建物は「輪奐〔りんかん=建物の広大、壮麗なこと〕の美を極めた純日本式の屋宇」で「山王荘」と呼ばれたそうだ。倒産後は延暦寺の書院として移築された。

 

村井は大正15年(1926)に急死し、昭和2年(1927)の銀行倒産で邸地は東京府に売却されて、昭和4年(1929)府立一中(現日比谷高校)が西日比谷から移転した。旧邸の門柱が今も校舎正門として使われている(写真中央)。メキシコ大使館側の新坂(遅刻坂との俗称)に面した旧美術品倉庫も資料館として整備され、現存している(写真下)

 

ちなみに、日比谷高校は東京府尋常中学校として明治20年(1887)6月、京橋区築地3-15(現東劇ビル辺り)に移転し、明治32年(1899)東京府中学校と改称したその年の3月まで、12年間ほどは築地に置かれていた。その跡地には明治40年(1907)4月、府立工芸学校(現都立工芸高校)が開校した。@巻渕彰

 

 

◆中央区 ここに歴史あり(54) 建築家・前川國男の代表作品~旧日本相互銀行ビルの遺構

[巻渕彰/写楽さい] 2013年7月25日 09:00

外堀通りと永代通りに面した呉服橋交差点の東南角に三井住友銀行呉服橋ビルがある。その正面に「時をつなぐ」と題したモニュメントが設置されている(写真)。これは建築家・前川國男が設計した代表作である旧日本相互銀行本店ビルの部材の一部で、日本初の鉄骨造全溶接工法など先駆的な技術を伝えている。

 

0913_54_130724maekawa.JPG前川國男(明治38年(1905)-昭和61年(1986))は新潟市で生まれ、東京帝大卒業後、パリのル・コルビュジェ事務所に入る。日本建築家協会会長など歴任。主な作品は東京文化会館、東京海上火災ビル本館、東京都美術館など。アントニン・レーモンドのもとでも学び、戦後の近代建築界をリードしたという。上野の東京文化会館はル・コルビュジェが設計した国立西洋美術館と並び建ち、師弟対決建物として知られている。

 

日本建築学会賞作品賞を受賞した旧日本相互銀行本店ビルは昭和27年(1952)に建築された。軽量化を図るため、2階までを鉄骨鉄筋コンクリート造、3階から9階までを鉄骨造全溶接工法とし、外壁に当時高価であった特注アルミサッシュと軽量コンクリートパネルを採用したのはいずれも日本初であった。

 

戦後の間もない時代に、カーテンウォールなど新技術の導入と徹底した工業化に挑んだ革新的な建物として特筆すべきものとされた。旧ビルの歴史的価値を伝える史料展示室が現ビルの1階にある。旧ビルは平成20年(2008)に解体、現ビルに建て替えられた。@巻渕彰

 

 

◆第12回ブーケ祭り ~開館20周年「二十歳のブーケ」、にぎわう~

[巻渕彰/写楽さい] 2013年6月25日 09:00

中央区立女性センター「ブーケ21」で6月21・22日の両日、第12回中央区ブーケ祭りが開かれた(写真左) 。ことしは同センターが開館20周年を迎えたことから、「二十歳のブーケ ~共に創り、共に歩む~」をテーマに、30以上の登録団体が参加した。

詳しくは、中央区ホームページ 2013/6/19付 >>こちら

 

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今回は1階ホールが「発表の広場」となり、「金子みすゞ いのちへのまなざし」と題したひとり舞台や各参加団体が活動などを紹介する発表会が催された。同館の1階から4階までの会場を使ったこの祭りには、近くの小学校の児童をはじめ、区民が来場してにぎわった。

 

中央区の歴史・観光ボランティアガイド団体の中央区文化財サポーター協会も初めて参加し、ブース出展や発表会でまち歩き活動のプレゼンを行った(写真右)。@巻渕彰

 

 

 
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