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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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小津安二郎監督作品 「秋刀魚の味」

[CAM] 2015年11月16日 08:00

 

 本日(11月14日)、特派員オフ会が銀座の某居酒屋で開かれ、出席させていただきました。

 

 その席で、出席者の女性と岩下志麻さんの話題となり、私は記憶違いで、小津安二郎監督の「秋日和」といいう作品を挙げましたが、あらためて調べると岩下志麻さんがヒロインを演じているのは「秋刀魚の味」(1962年)でした。小津監督作品は、作品ごとに格別なストーリーがあるわけではないので、題名と内容が直ぐに結びついて出てこない。

 

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「秋刀魚の味」は、妻に先立たれた初老の父親と婚期を迎えた娘との関わりを、娘を嫁がせた父親の「老い」と「孤独」というテーマと共に描かれたものです。この作品を発表した翌年の1963年に小津監督が亡くなったため、この作品が遺作となったものです。

 

 森永の球体宣伝塔が1ショットだけ出てくるのは、登場するバー、小料理屋が銀座界隈に存在することを示すためでしょうが、それならば、もう少し銀座の景観を写しこむべきだと思うのですが、どうでしょうか。

 

「秋日和」(1960年)では、原節子と司葉子さんがヒロインです。岩下志麻さんは端役で登場していますが、本作で小津に見出されて「秋刀魚の味」のヒロインに抜擢されたようです。清洲橋のカットが2回出てきます。瞬間でしかも部分ですが、全景を入れてほしかったですね。「秋刀魚の味」における銀座と同じく、場面の地理的背景を明確に写しこまないのは小津監督の主義でしょうか。私には疑問に思えます。

 

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 「秋刀魚の味」(1962年)における岩下志麻さんも美しいですが、両作品に登場する岡田茉莉子さんも若くてチャーミング。

 

 

「江戸」、「江戸っ子」

[CAM] 2015年11月14日 18:00

 先日の「まるごとミュージアム」で、バスルートのガイドを勤めた際、「古くは、神田も芝も、江戸ではなかった。もちろん、浅草も江戸の外だった」と話したら、「本当ですか?」と問われました。

 

 この点については、以前に投稿したのですが、あらためて投稿しておきます。

 

 池田弥三郎氏は、以下のように述べておられる。

 

>歴史的には、江戸っ子とは、もし、将軍のおひざもとの江戸の町の出生者ということになれば、今の中央区の、旧日本橋、京橋区内の人々が、その中心をなしていて、ごく古くは、神田も芝も、江戸ではなかった。もちろん、浅草も江戸の外だ。しかし、時代とともに、芝で生まれて神田で育った者も、江戸っ子となって来たし、川向うの本所深川も、江戸の中にはいってきた。(『日本橋私記』88

 

>元来の江戸っ子とは、今の中央区の中の、旧日本橋区、京橋区の主として商家に働く人々のことであったはずであり、最狭義では、「擬宝珠と擬宝珠との間」の地に生まれ育った者になるかもしれない。その後、徐々に、神田、芝、本所深川に生まれ住んだ人間まで含まれるようになってきたのである。

 

>江戸の「本町」の商家の旦那衆に加えて、職人階級に属する人々が増加し、江戸っ子を形成していったということになる。だから、金銭についての気質を説くにしても、江戸の本町を中心にした、商人の階級に属する人々を対象にした時には、宵越しの銭は使わないどころか、堂々と貯めた人々の気質をみつけなければならない。講釈や落語の世界に出没する概念の江戸っ子から気質をひき出すことは、危険が多いのである。(『日本橋私記』88

 

池田弥三郎(1914-1982)。東京都京橋区銀座に誕生。京橋区立泰明小学校、慶應義塾大学文学部国文科卒。NHKTV番組に出演、タレント教授のはしりとしても知られた。

 

 

 

銀座八丁神社めぐり(4)(朝日稲荷神社)

[CAM] 2015年11月14日 14:00

 先に投稿した中で、朝日稲荷神社(銀座3-8-12)の写真がUPされていなかったので、あらためて独立して挙げます。

 朝日稲荷神社については、ものしり百科で51頁で説明されているように、地上の拝殿への参拝はパイプを通じてビル屋上の本殿に届くように工夫されているというおもしろい神社です。

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 朝日稲荷神社御縁起
" 朝日稲荷神社は古来より当地に鎮座し、守護神として厚く奉斎され、遠近の崇敬を集めていた。 しかしながら、安政の大地震により社殿倒壊し、三十間堀に幽没して以来、社地は荒廃し浮浪の徒付近に散集して見るかげもなかった。
 大正6年、銀座を襲った大海嘯によって、三十間堀より霊体が顕れ、建築業館岡其が当地に奉安したが、関東大震災により転地を余儀なくされ、神社は銀座三丁目町会の奉斎するところとなった。町内崇敬者一同神威を畏み奉り、町内守護神として奉斎しようとしたが、当時社地は東京市有地に編入され、東京市の管理化にあった。三丁目崇敬者は時の東京市助役を訪ね、社地の下附を懇請したが叶わなかった。しかしながら、土地使用黙許の許可を得、社殿が建立され、社地は整えられた。初午が盛大に祝われ、縁日は四丁目の出世地蔵尊のそれと伍して多くの人々を集めた。こうした、町内守護神として広大な神徳を顕わすにいたったが、戦災のため社殿はことごとく烏有に帰した。
 戦後社殿を再建し、昭和27年宗教法人朝日稲荷神社となる。以後三丁目町内会によって厚く奉斎され、その神威はいや増して広大、信心する者にあまねく守護を及ぼしている。
 昭和58年、隣地の大広ビル改築にともない、共同ビルを建築するにいたった。ビル一部の1・2階を吹抜け拝殿とし、本殿を屋上に安置したが、パイプにより大地につながり、拝殿での参拝が本殿に届くよう工夫されている。時代に先駆ける銀座の地にふさわしい神社となった。
 毎年初午に盛大に祭を催し、また、大銀座まつりの際は銀座八丁神社巡りの札所として、銀座三丁目にとどまらず、多くの人々の崇敬を集めている。
 商業の神として商売繁盛はもとより、当地に鎮座して以来火災なく、また、縁結び、家内円満にもその神威はとどまるところを知らない。
昭和63年 銀座三丁目町会

 

 ビル屋上の本殿

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銀座八丁神社めぐり(3)

[CAM] 2015年11月14日 12:00

 今日(11月3日)は快晴。11月1日~3日に開かれる「銀座八丁神社めぐり2015」も最終日です。

 

 昨日残した5社をまわります。 まずは、三越屋上にある「銀座出世地蔵尊」(銀座4-6)。

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 「幸稲荷神社」(銀座1-5、並木通り1丁目)

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 銀座稲荷神社(銀座2-6、銀座ガス燈通り)

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 松屋屋上にある「龍光不動尊」(銀座3-6)

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 「朝日稲荷神社」(銀座3-8)

  

 

 

「銀座八丁神社めぐり」 (2)(宝童稲荷神社)

[CAM] 2015年11月14日 09:00

「宝童稲荷神社」(銀座4-3)は、傍らに掲示されていた由緒などがi記憶にとどまったので、特に、独立して紹介しておきます。

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宝童稲荷神社と煉瓦街時代の路地
 (現代に伝える街の歴史)
 宝童稲荷神社のある路地から
  銀座西四丁目銀友会では、銀座の新たな一面を知っていただくために、秋の催事の一つ「銀座八丁神社めぐり」にあわせ このたび「宝童稲荷神社と煉瓦時代の路地」というタイトル のパネルを設置いたしました。

 宝童稲荷神社と弥左衛門町
 宝童稲荷神社は、江戸時代から伝えられたものと言われ、主に子育の稲荷神社として知られるようになりました。銀座の稲荷神社の多くは、ビルの屋上に上げられてしまったケース が大半です。しかし、ここは周辺の方々がしっかりとお世話してきたこともあり、路地の中ほどの大地に鎮座しています

 江戸から近代へ、煉瓦街となった銀座
 銀座は、明治のはじめに西洋風の街並みがつくられ、繁華街に変貌します。その一方で、江戸の路地はかたちを変え、銀座独特の路地として江戸以来の庶民生活を支え続けてきました。銀座は、新しさとともに、江戸からの老舗の店があり、かっての生活空間の名残りが感じられます。活力としてきたのです。

 銀座サクセスストーリーの街、弥左衛門町
 明治中期の弥左衛門町は、次ぎの時代を切り開く近代の申し子たちが多く巣立ちます。弥左衛門町という小さな範囲のな かでは、サクセスストーリーの最初の舞台がつくられていた のです。銀座の先進性がここにうかがえます。

 路地をめぐり、銀座の稲荷神社を訪ねる
銀座には数多くの路地がまだ残っています。その幾つかでは訪れるに皆様を稲荷神社がお持ちしています。「銀ブラ」気分で、皆様が銀座の小さな旅を楽しんでいただければ幸いで す。

(編集 銀座西四丁目銀友会、文と図 岡本哲志)

 

 

 

「銀座八丁神社めぐり」

[CAM] 2015年11月13日 09:00

    11月1日(日)から11月3日(祝)まで、「銀座八丁神社めぐり」が行われていました。

 

「銀座八丁神社めぐり」については、「ものしり百科」50頁以下に説明されています。

 

 11月2日に少しのぞきましたが、時刻が少し遅くなっており、日が暮れていたため、一部の神社だけにとどめ、明日・祝日の日中にもう一度訪れることにしました。

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 まずは、豊岩稲荷神社(銀座7-8)。

 

   花椿通りの資生堂の販売店ビルの横に石の碑がおかれています。

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 続いて、資生堂銀座ビル(銀座7-5-5)1階に置かれている「成功稲荷神社」

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 「かく護稲荷神社」(銀座6-10-1)は、松坂屋銀座店屋上にあったが、現在同所が工事中のため、今年はお休みのよう。

 

 「あづま稲荷神社」(銀座5-9、あづま通り、三原小路)

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 「歌舞伎稲荷大明神」(銀座4-12-15、歌舞伎座正面右側)

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 路地の奥におかれていることが多く、日没後に探し出すことは簡単ではありませんでした。 路地裏探しの楽しみが病みつきになりそうです(笑)。