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薬研堀 雑記

[昔宝町] 2012年4月27日 08:30

薬研堀現在の東日本橋二丁目界隈


その1薬研堀りの由来

薬研堀りは両国橋西詰め近くにあった掘割で、その堀の形が、薬研に似ている事から名づけられた

薬研とは 薬種を細かく砕く舟形の器具(新明解国語辞典より)


その2 薬研堀りと唐辛子

初代からし屋徳右ェ門が此の地で七味唐辛子を創製したのが始まりで、それが当時の江戸っ子の嗜好に叶い 以来続いている。

薬研堀不動院の階段を上がった右手に説明版があります。現在は浜町河岸通りに面した 「大木とうがらし」一軒が 残っているようです 他にあったらゴメンナサイ!

大木とうがらしさんに お尋ねしたところ、浅草方面の唐辛子屋さんが商品名「薬研堀」で売ったのが 超有名になった云っていました江戸時代の唐辛子の産地は主に亀戸、内藤新宿だったそうで そこから舟で運び 薬研堀りに荷揚げしたそです。
現在はそのおもかげは まったくありません。


その3 薬研堀不動院

薬研堀不動院は今年建立420年だそうで、薬研堀不動院は、その昔天正13年(1585)豊臣秀吉勢の兵火に会った 根来寺の大印僧都が尊像を守護して葛籠に納め、それを 背負い東国に逃れ、隅田川の辺に堂宇を建立したのがはじまり。

後に本所弥勒寺の分院 明治25年(1892) 川崎大師 平間寺の東京分院となった不動院住職(落語家 三遊亭円歌 師匠似)さんが面白く教えてくれました。江戸時代は両国広小路に隣接し 又柳橋の花柳界にも 近いので大変賑わったそうです。根来寺から弥勒寺、平間寺への変遷はこの場では書ききれませんのであしからず。

因みに不動院の住職さんは 実際は川崎大師平間寺住職であり 不動院住職さんは分かり易く云うと東京支店長 と云う立場になるそうです。

その他 不動院 境内には 順天堂大学発祥地碑  講談発祥記念の碑等の石碑もあり、毎月28日の不動様の ご縁日に講談協会の方々によって 奉納講談が 行われています。聴講無料 (不動院 パンフレットより)


その4 その他

薬研堀り不動院の向かい側あたりは昔米沢町といって 柳橋界隈の料亭街に出向く芸者さんが多く住んでいたそうで かなり白粉の 匂い漂う街だったようです。


 ざっくりとこんな街だったようです今はビルが立ち並び昔の江戸を忍ぶなんて事はできませんが、ちょっと中の細い路地に入ると所々にお店があり、散策するには小生 個人的には好きなんですがね。


今回はこれくらいで

 

 

銀座のメガネ専門店「和真」

[阿舒庵亭主] 2012年4月11日 08:30

10年ほど前に、浜松から東京に転勤となった。引っ越し準備の最中にメガネの片方のレンズを割ってしまった。急いで世話になっていた浜松駅近くのデパートにあるメガネ屋さんに行ったが時間が無くて修理が出来ないと言われた。しかし「銀座の本店に行っていただければ修理できるように連絡しておきます。」と言われた。翌日上京してすぐに、教えられた銀座の本店に行った。

そこで手際よく修理してもらって以来、家族のメガネを含め何度もお世話になっている。

特に気にいっているのはメガネのツルが切れたり、鼻あての部分が折れた時もちゃんと修理してもらえることだ。


最初、銀座八丁目の和真本店に行った時は、高級店のイメージがして気後れした。

しかし必ずしも高価なものだけではなくサラリーマンが安心して買える品揃えがしてある。

最近は老眼も進んできて一二年毎の調整時だけでなく近くまで行った時にはメガネの様子を見てもらったりクリーニングをしてもらったりするために頻繁に出入りする店となっている。

子供の頃から使っているメガネはこれからも使い続けねばならず、和真さんとも長いお付き合いになりそうだ。  

  Washin.JPG

 

 
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