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日本のマンハッタン、佃・月島・勝どき

[坂の上のねこ] 2010年8月31日 10:00

 まずは下の2枚の地図をご覧下さい。なんだか形が似ていると思いませんか?

さて、それぞれどこの地図でしょうか。

 

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左は米国ニューヨーク市のマンハッタン地区、右はご中央区佃・月島・勝どきエリアです。

(形と大きさを揃えて比較するために、マンハッタン島の地図を南北逆にして、

サイズを縦横ともに8分の1としました)

 

4年前、左のマンハッタン島から右の佃島に引越してきた私が感じたのは両者の共通点。

*両側を川に囲まれた島で、先端が湾に面している

*縦横のまっすぐな通りで区切られていて、道がわかりやすい

*17世紀前半、マンハッタン島にはヨーロッパ人、佃島には攝津国から来た人が住み始めた

*水上交通を利用して交易が行われ、商業・文化の発信地となった

 

人種のるつぼと呼ばれるニューヨーク市マンハッタンにはおよびませんが、 最近は、

佃・月島・勝どきエリアも外国人居住者・旅行者が増えていますし、高層集合住宅のビルも

次々と建てられ、マンハッタンの風景に近づきつつあります。

 

佃・月島・勝どきがマンハッタンに自慢できるのは、治安とサービスのよさ。

あとは、どこかにセントラルパークのような広い公園ができれば嬉しいなあ・・。

 

 

長谷川時雨『旧聞日本橋』を歩く

[与太朗] 2010年8月31日 10:00

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  「明治に一葉あり。昭和に時雨あり。」 その長谷川時雨が、主宰する『女人藝術』の埋草に書いたという名著『旧聞日本橋』。日本橋通油町に生まれた時雨が「アンポンタン」とあだ名された少女時代を回想したこの作品を読むと、明治初年の生家周辺の街の佇まいや周囲の人びとが生き生きと蘇えり、まるでタイムマシンに乗せられたような気がします。。今日は岩波文庫を片手に、ここに描かれたいくつかの舞台の跡を歩いてみました。

【写真上】は大伝馬本町通り。大門通りから緑橋方面を見る。工事中のスカイツリーが見える。

 

生家・・・日本橋通油町一番地

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 長谷川時雨は明治12年10月1日、日本橋区通油町一番地(現・中央区日本橋大伝馬町14)で官許代言人(弁護士)長谷川深造の長女として生まれました。通油町の真ん中を貫く本町通りは日本橋から浅草橋へ向かう江戸時代からの幹線。本町、大伝馬町、通旅籠町、通油町、通塩町と連なる問屋筋の多い街で、平行する石町通り(現・江戸通り)に比べ、当時街の位はずっと高かった。通油町は大門通りから浜町川緑橋までの本町通りの両側で、生家は本町通りを背中にして一つ小伝馬町寄りの小路に面していた。この小路は「うまや新道」と呼ばれ、向かいの小伝馬町側に馬車を扱う

IMG_0272.JPG 大きな運送店があった。この店の前身は伝馬町牢屋敷御用、罪人引廻しの馬舎でした。

 通油町の中央あたりに加賀吉という眼鏡・硝子問屋の大店があり、憲法発布の時は町内演説会の会場になった。弁者は明治十二年官許代言人、12人しかなかった最初の仲間の一人、当時の新智識と目された時雨の父でした。加賀吉は紅葉門下の小説家・書家である山岸荷葉の生家です。

 ところで、通油町といえば江戸時代では一流版元の桧舞台だった所。鶴屋喜右衛門らが店をかまえ、蔦屋重三郎も吉原五十間道から進出、為永春水ものち書肆を通油町に持っています。蔦重の店

IMG_0271.JPG には馬琴や一九も働いていました。『旧聞日本橋』にはこの辺について何も触れていませんが、この地のDNAが本好きのアンポンタンに遺伝したのではと空想しています。

【写真右上】はうまや新道の生家あたり。

【写真右中】は大門通り。人形町方面を望む。

【写真右下】は緑橋跡。マンホールが見える。

 

大丸呉服店
大門通りの向こう側は大丸呉服店があった所。(現・中央区日本橋大伝馬町10) 広重の『名所江戸百景』にも描かれ、明治に入ってからも 「その当時の日本橋文化、繁昌地中心点」。大土蔵造りの有名な呉服店でした。元旦には近所の子供らにも振舞がありました。

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【写真左上】大丸呉服店の跡。

【写真左下】お竹大日如来の井戸。うまや新道から二丁ばかり行くと、アンポンタンが通った源泉小学校。その少し先にある。


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牢屋の原

 維新直後には牢屋敷の一角を無償でくれるというのを父が断った話がありました。伝馬町の大牢は明治8年まで存在し、明治15年ごろから寺院が建立されますが、立揃わないうちは努めて土地の不浄を払おうとしたのか、小屋がけ見世物で賑わったそうです。祖母は毎晩のようにアンポンタンをお供に、牢屋の原にできた弘法さま(大安楽寺)にお参りします。

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【写真左】大安楽寺。処刑場跡に建立された。

佃島の住まい

  父・深造は晩年佃島の相生橋畔に隠遁します。時雨は明治37年、夫と別居し父母の家に同居します。京橋区新佃西町三丁目5番地(現・中央区佃二丁目)。ここで女流作家の第一人者になっていきます。相生橋は木橋で、橋を渡る人は少なかった。永代橋の際から門前に着く渡し船があり、門の柳が渡し場の目印でした。時雨は佃の渡しで築地居留地の女子語学校(現・雙葉学園)に通ったようです。明治43年9月、佃島は津波で大被害を被りますが、父が丹精した松がしっかり根を固めたせいか防波堤は無事でした。

【写真下】相生橋から佃二丁目を見る。門の柳・防波堤の松はもちろん今は無く、見事な桜並木が続いている。

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  長谷川時雨は昭和16年8月23日に亡くなりました。冒頭の「明治に一葉あり・・・」は吉川英治の弔辞にある称賛です。また、『女人藝術』から多くの女性作家を世に送り出した大功労者で、野上弥生子は「鴎外や漱石のような不世出の人」と追悼しています。現在あまりポピュラーな存在ではありませんが、中央区内には時雨に関する碑や説明板など見当たらないようですね。(そういえば、中央区観光検定のテキストにも彼女の名前は無かったような。) とても残念な気がしてならないのですが。

 

 「夏の下町の風情は大川から夕風が上潮と一緒に押上げてくる」。猛暑の一日でしたが、夕方近くには昔と同じ涼風が感じられました。

 

 

◆中央区 ここに歴史あり<23> ~八丁堀地蔵橋 今も信仰の「おしろい地蔵」~

[巻渕彰/写楽さい] 2010年8月30日 08:30

町奉行所・八丁堀与力同心組屋敷のランドマーク的な場所が「八丁堀地蔵橋」であった。拝領地のほぼ中央に位置し、亀島川から西に向かっての堀割り(大下水)は地蔵橋(図上左=切絵図赤丸部)で南へ直角に曲がっていた。現在地は日本橋茅場町二丁目と三丁目の丁界でさくら通りとすずらん通りの交差点辺りである。

 

0913_23_100622osiroijizo.jpgこの付近には、与力で賀茂真淵門人の加藤枝直・千蔭父子や村田春海などの名が古地図に載っている。そして阿波藩の能役者・斎藤十郎兵衛の居宅もあって謎の浮世絵師・東洲斎写楽だったのでは、といわれている。八丁堀の七不思議にも「地獄の中の地蔵橋」「地蔵の像なくして地蔵橋」などと引き合いに出されている。

 

幕末の与力・佐久間長敬(おさひろ=1839-1923、原胤昭の実兄)は『嘉永日記抄』で次のように記している。「組屋敷内に石の橋があった。旧与力・多賀仁蔵の門前に、すべて自分普請で架けた石橋で、『仁蔵橋』と称していたが、その家が潰れたあと、与力の共有にして「地蔵橋」と改称した。また昔、橋の際に小さな石地蔵があったが、大火のために焼き崩れた、ともいう」。

 

明治40年(1907)の地図には暗渠らしい形跡になっているので、すでに橋は撤去されていたようだ。永井荷風『断腸亭日乗』昭和10年(1935)の条に「近年埋立られし市中の溝渠・・・八丁堀地蔵橋の辺」とある。

 

この地蔵橋とゆかりの寺が港区三田にある。曹洞宗・梧棲山玉鳳寺(ぎょくほうじ)で、国道1号線・魚籃坂下から幽霊坂(写真下左=坂上からの眺め)を上る途中にある。坂名のごとく今でも周囲には寺があり、急坂の狭い道である。山門の左脇に地蔵堂(写真下右)があり、港区民俗文化財の化粧延命地蔵、通称「おしろい地蔵(写真上右)が祀られている。堂内に入ると甘ったるい香りが漂い、白く塗られた地蔵が鎮座する。奉納帳には「何が何でもきれいになりたい・・・」と女性たちの真剣な(?)書き込みがあった。

 

同寺は慶長4年(1599)に八丁堀に開創された寺院で、江戸城拡張工事に伴い三田が寺町として指定されたため、寛永12年(1635)に移転した。山門左手にある地蔵堂に安置されたこの地蔵は、寺伝では、寺が移転する前の寛永年間に八丁堀の地蔵橋畔に捨てられたものを、当時の住職格翁宗逸和尚が修復し、白粉を塗って祀ったところ、和尚の顔面の痣(あざ)がきれいに消えたので、人々が自分の体で病気のあるところと同じ部分に、白粉を塗って祈願するようになった、といわれる。今も病気平癒の祈願のために白粉を塗る参詣者があり、信仰が続いている。

 

 

 

第21回中央区大江戸まつり盆おどり大会 ~老いも若きも盆ダンス~

[O傘] 2010年8月30日 08:30

今年も「大江戸まつり盆おどり大会」が827日(金)、28日(土)の二日間、区立浜町公園で盛大に開催されました。夕方といってもまだ暑さが残る中、初日に行ってきましたのでご紹介します。

 

IMG_4778tcomp.jpg【会場の様子】

「大江戸まつり盆おどり大会」の江戸風大門をくぐってまっすぐ公園を進むと「友好・交流都市コーナー」の広場があり、それぞれの都市のテントでは物産・食品などの特産品を販売していました。


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友好・交流都市は、石川町、桧原村、富士河口湖町、東根市、玉野市、栃木市です。 

また、門をくぐってすぐ左側の小道には、区民施設(ヴィラ本栖、伊豆高原荘)PRのテントにつづいて、

中央区にあるアンテナショップ(北海道、新潟、群馬、青森、山梨、福島、奈良、山形)のテントが並んで特産品などを販売しています。 

 

IMG_4780tcomp.jpg「大江戸まつり盆踊り大会」の門をくぐってすぐ左手には、「大江戸切り絵図」のパネルが目に飛び込んできました。「御曲輪内 大名小路絵図」、「神田浜町 日本橋北の図」、「本所絵図」、「内藤新宿 千駄ヶ谷辺の図」、「東都下谷絵図」など幕末の嘉永年間に作成した貴重な尾張屋版の切り絵11枚(「歳の市保存会」会長 渡辺氏寄贈)が展示してあり、江戸の昔を思い起こさせてくれます。

 

IMG_4839comp.JPGグランドは盆踊り会場です。 中央に櫓(やぐら)があり、午後4時から「日本の音頭」と題して民謡歌手の皆さん(藤山進さん、志摩ゆり子さん、福田昭三さん)による音頭が櫓の上から披露されて、民謡連盟の人たちがすでに踊りを始めていました。


IMG_4812comp.JPG周辺には、チケット販売所、各町会(月島連合、新川二丁目越一・越二、新富、日本橋三・五・七の部連合、京橋七の部八丁堀山王、勝どき豊海地区)のテント、
また心身障害児・者の進路と生活を考える会、実扇会、女性海外研修者の会のテントもあり、縁日の焼きそば、焼きとおもろこし、フランクフルト、かき氷、綿あめ、お団子などの食べ物や生ビールやソフトドリンクなどの飲み物を販売していました。


IMG_4822comp.JPGこのほか、グランドには、久松交通母の会、着くずれ御直しコーナー、ゲームコーナー(有馬小学校、日本橋小学校PTA)、救護所などが設けられていました。

IMG_4845tcomp.jpgさらに、先日、人形町で開催されました「せともの市」、そしてこれから開催されます「べったら市」、薬研堀(やげんぼり)の納めの「歳の市(としのいち)」のテントも小規模ながらありました。

【オープニング・パレード】

IMG_4904comp.JPG午後530分、お囃子の車(浜町囃子山車)と2台の白バイに先導されて、パレードが始まりました。


IMG_4912comp.JPG横断幕は日本橋中学の女子生徒がもち、つづいて江戸消防記念会第一区のメンバーによる木遣り(きやり)と纏(まとい)振りの集団、そして中央区観光大使ミス中央の3人。


日本橋小・有馬小comp.jpgその後に元気な掛け声の子供神輿(みこし)・子供風船組(日本橋小、有馬小、久松小、常盤小)が続きます。神輿はそれぞれの小学校の手作りです。

 

久松小・常盤小comp.jpgパレードは人形町通りと甘酒横丁交差点を出発して甘酒横丁を通り、清洲通りを渡って浜町公園の会場に入りました。

 

【オープニング・セレモニー】

(江戸消防記念会の演技)

IMG_4955tcomp.jpg午後6時過ぎ、ご祝儀にと、江戸消防記念会第一区(主に中央区、江戸時代の火消し一番組、二番組に管轄に相当)の皆さんが「木遣り(きやり)」を歌って入場し、2本の「纏(まとい)の振り込み」、それに梯子(はしご)一基を使って3名の会員がそれぞれ「梯子(はしご)乗り」の技(わざ)を披露してくれました。


IMG_4963comp.JPG梯子乗りの技(わざ)では、「遠見(とおみ)」、「八艘(はっそう)」、「邯鄲(かんたん)」、「腹亀(はらがめ)」、「背亀(せがめ)」、「鯱(しゃち)」「肝潰し(きもつぶし)」そして途中技(とちゅうわざ)で「麻の葉」、「象鼻(ぞうばな)」、「腕溜め(うでだめ)」、「吹き流し」などを見せてくれました。観客から「かっこいい」、「うぉーすごい」のことばと惜しみない拍手が送られていました。

写真は腹亀です。

 

 

最後に、江戸消防記念会会長 鹿島靖幸氏による「一本締め(いっぽんじめ)」の手締めが行われました。


IMG_4947tcomp.jpg(主催者の挨拶)

最初に大江戸まつり実行委員会会長の小堀章三氏(日本橋5の部連合会会長)の挨拶がありました。お子様からお年寄りまで大いに踊って楽しんでください・・・とのご挨拶がありました。つづいて、中央区長の矢田美英氏と区議会議長の中嶋ひろあき氏からご挨拶がありました。

(下の写真は、左から小堀会長、矢田区長、中嶋議長の順)

 

VIP3人挨拶comp.jpgお招きした来賓は中央区選出の都議 岡田まりこ氏、久松警察署所長 阿部氏、日本橋消防署 原氏で、町会出身の大江戸まつり実行委員会副会長も一緒にずらりと櫓の上に並びました。

 

IMG_4991tcomp.jpgオープニングセレモニーに同席した第28代中央区観光大使・ミス中央の澤田知美(さわだ ともみ)さん、三上真奈(みかみ まな)さん、高城あずさ(たき あずさ)さんにグランドでお会いしました。(写真は、左から三上さん、澤田さん、高城さんの順) 


これが最後のお仕事でしょうか(?)9月には次の第29代ミス中央が決まるんですよね。

1年間、ご苦労さまでした。これからもよろしくお願いします。

 

 

  【盆おどり大会】

IMG_4998comp.JPGオープニング・セレモニーが終わり、午後6時40分頃からいよいよ盆おどり大会です。

 

東京音頭などおなじみの盆おどりの曲、そして中央区オリジナル音頭「これがお江戸の盆ダンス」に合わせて櫓(やぐら)の周りに、民謡連盟や町会などのおどりチームを中心に踊りの輪ができました。


これがお江戸の盆ダンス(歌詞).jpg「これがお江戸の盆ダンス」は、曲の題や、歌詞に一部英語が入っているのを見ますと若い人しか踊れないのでは・・・と引いてしまう人もいるかもしれませんが、歌っている歌手も民謡歌手、そしてメロディーもやっぱり盆踊りの曲で、普通の盆踊りの曲としてとっても親しみやすいです。

ご存知の方も多いと思いますが、ご参考までに「これがお江戸の盆ダンス」の歌詞を載せます。(「東京中央ネット」のサイトから引用しました。)

 

IMG_5001tcomp.jpg大人から子供まで皆さん良く盆踊りをご存じで、身振り手振りよろしく、夜が更けていくに従い、大勢の人で盆踊り会場が一杯になり、次第に大きな渦になって踊っていました。


恒例になった「大江戸まつり盆おどり大会」、中央区の人口も増えていますので、「ふれあい」と「絆(きづな)」を深める故郷(ふるさと)中央区の大切なイベントの一つとして、これからもますます発展していくでしょう。 

来年も楽しみですね。


 

 

2010年まち歩きツアー★日本橋老舗めぐりコース

[まぴ★] 2010年8月18日 09:15

7月21日の老舗巡りコース(まち歩きツアー産業コース)の引率をさせて頂きました。
10時スタートで、本日は9名の方が参加されました。

①かつおぶしの「にんべん」
まず最初にかつおぶしの「にんべん」さんにお邪魔しました。

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地下の涼しいところで椅子に座ってお話をきかせて頂き、
鰹の「かいたいくん」を使って、鰹節の作り方など、面白いお話ばかりでした。

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 (解体くんは3990円で販売されてます!)

とくに鰹節が世界で一番硬い食べ物であるということや、
鰹の腹肉でつくった鰹節を雌節、背肉で作った鰹節を雄節といい、
結婚のお祝いや引出物に鰹節が使われるにはそういう由縁があるというお話

特に興味深かったです。

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また私は削る前の丸ごとの鰹節をこんなに近くで見るのは初めてでしたし、
その場で削った鰹節も食べることが出来、とても勉強になりました。

ご参加の皆さんも、たくさんの質問をされていて、滞在時間を少しオーバーするほど盛況でした。

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店長さんに、本店限定のものはどれですかとお聞きして買ったのがコレ。
江戸レッシングと鰹でゴー!
どちらもネーミングが面白いです。
鰹でゴーは帰省のお土産用にたくさん買いました。

お店の中では、鰻や鯛飯などの試食もあり、どれも美味しかったです。
参加者全員にお土産にダシを頂きました(*^^*)

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にんべんのホームページ

②山本海苔
次は山本海苔店さんです。入ると左手に椅子とテレビが置いてあり、
山本陽子さんの若い頃からのパネルが飾ってありました。
こちらの椅子に座って、店長さんのお話を聞かせて頂きました。

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焼く前の海苔、焼いた後の海苔の試食やお茶を頂きながら、
みなさん熱心に店長さんのお話を聞かれていました。
山本海苔さんで使われている丸梅のロゴマークは、
海苔が梅と同じように香りを大切にし、梅の咲く寒中に上質の海苔
が採れたことにちなんでつけられた
とか。
また味附海苔を生み出したのも山本海苔店さんだそうです。

ちなみに山本陽子さんは山本海苔店のイメージタレントを42年続けているそうで、
専属モデル契約年数世界最長としてギネス記録に認定されたそうです。
ギネス認定証のパネルも飾ってありました。

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本日は海苔の焼き職人さんがお休みとかで実演は見れませんでしたが、
こちらの実演仕上げののりは日本橋限定ですので、
これも帰省のお土産にたくさん買いました。

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それとこちらのキティちゃんとのコラボ海苔。
以前にキティちゃんの缶入りの海苔チップスを知り合いから頂いたことがあって
海苔チップスも大変美味しかったのですが、これは日本全国のデパートで購入できます。

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このパック入りのものは、おにぎりに巻くような大きさの海苔の上に
めんたいこや梅が散りばめられていて、今のところ本店でしか売られていない
そうです。

海苔の嫌いな人は見かけたことがないので、お土産にはいいですね!

店内のテレビでは山本海苔のCMが放映されているのですが、
店を出てから「♪海苔は、やまっもっと~、やっまっもっと、の~りっ」
という歌がしばらく頭から離れませんでした(笑)

山本海苔のホームページ

③榮太樓總本鋪
次は、日本橋を渡って榮太樓總本鋪さんへ行きました。
榮太樓といえば飴で有名ですが、こちらの本店は和菓子やかりんとうなど、
商品の種類も豊富で、喫茶室もあり甘味やお食事も楽しめる
ようになっております。

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店先には大きなのれんがかかっていますが、
京・大阪のお菓子やののれんは白地に墨字が多く、
江戸・日本橋では紺のれんに商標が一般的なんだそうです。

赤玉石や御影石もおいてあり、その石の由来のお話、
また丸くて赤い缶で知られる梅ぼ志飴や金鍔の由来のお話もして頂きました。
梅ぼ志飴を初めて食べたときは、梅干し味じゃないことにびっくりでした(笑)
本紅を使っているので、その当時の女の人は唇にこの飴をグロスのように
塗ったりしていたそうで、面白い知恵ですね。


そして、私はまたまた店長さんに、こちら限定のものをお尋ねしました。
限定商品は生ものでお土産には無理だったのですが、
かりんとう、ピーセン、日本橋饅頭などを帰省のお土産に購入。
榮太樓のお店は全国のデパ地下に入っていますが、
ほとんどが定番の飴などで、かりんとうなどは売ってないそうです。
実際大阪の知人にお土産として渡しましたが、
「榮太樓ってかりんとうやおまんじゅうもあるんや~飴だけかと思ってた~」
と、珍しがってもらえました(*^^*)
また日本橋饅頭はおばあちゃんへのお土産だったのですが
ものすごく美味しかったそうで、そのことでわざわざ電話もらったほどでした(笑)

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私は自分用にわらび餅と黒胡椒ピーセンを購入。
冷やして食べるとつるんとしてとても美味しかったです。

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参加者全員に、飴セットをお土産に頂きました。

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石、飴、金鍔の由来はこちらのホームページにも載っています。

榮太樓總本鋪のホームページ

この日は大変暑かったのですが、あっという間の2時間でした。
日本橋は老舗のお店がたくさんあり、短い移動距離で色んなお店を回ることができることもあり
老舗巡りコースは人気のコースだそうです。
次回は9月22日水曜日に同じコースのツアーがありますので、
みなさん是非ご参加ください~(*^^*)


 

 

 

住吉神社例祭 

[ゆりかもめ] 2010年8月 9日 20:21

 今年も8月6・7・8日と住吉神社例祭が行われました。

昨年は御神楽奉納を取材させて頂きましが今年は八角神輿の宮出しと宮入りを取材しました。

現在の八角神輿は製作以来170年の歴史の中で繰り返し修理が行われて来ました。

今年は陰祭りですが、その神輿が最後となり、西仲通りや佃の街々を巡りました。

現在は新しい神輿を製作中で来年の本祭りは天保時代に造られた八角神輿の形状を忠実に再現した新しい宮神輿が渡御いたします。

 

下記写真は神輿を担ぐ為に用意万全の若衆達です。

揃衣(そろい)(浴衣)を着ています。

若衆・・・白地に紺色   大若衆・・・薄水色に紺色   世話人・・・白地に緑色 

年齢と経験により揃衣の色が違います。

神輿、宮出し前の世話人の会話の中に昔の良き時代の近所や家族関係を感じました。

若衆・・・・神輿を担ぎたい人、若くて元気な方々です。最初は若衆から始まります。

大若衆・・・・・若衆を経験した方々です。

世話人・・・・若衆・大若衆を経験した年長の方々で、昔からこの例祭を支えている方です。

                2010_0808 神輿の担ぎ手 若衆.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

境内の中で神輿を担ぎ挙げました。 

 若衆達が一致して神輿を上に挙げる、この動きを美しいと感じました。

2010_0808 住吉神社 神輿を挙げる若衆の手0042.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

神輿が鳥居を潜る前ですが大若衆と世話人が後で見守っています。

昔の街並の中にも向こう側には背の高いビルが見えます。

2010_0808 住吉神社 これから鳥居を出る神輿0025.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上下2枚の写真は同じようですが少し角度が違いどちらも好きな写真です。

神輿が鳥居の左に寄った為に緑がバックになりました。

2010_0808 住吉神社 鳥居前で神輿を高く挙げた0016.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

街に出ました。神輿には途中で水も掛けられています。

先頭の数人が木遣節で先導していました。

      木遣節・・・祭礼の山車を引く時や祝儀等にも歌う。

氷の塊をビニール袋に入れた方が若衆達それぞれの口に氷を入れたりしていました。

2010_0808 住吉神社 佃の街を行く神輿のと若衆.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

街々を巡り帰って来た八角神輿です。

午後8時よりの遷霊祭(御霊を神社本殿へとお遷し致します)を待っています。

大役を果たした若衆(神輿を担いだ人)達は外で飲み物や食事で寛いでいました。

2010_0808 住吉神社 宮入手入れ完了0070.JPG 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八角神輿の テッペンで金色に輝く鳳凰です。 

  2010_0808 神輿の鳳凰.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

例祭は毎年8月6・7日に行われます。

来年の本祭りは土日を含む4日間になります。

本祭りには6本の幟が立てられその大幟と抱木(ダキ)は下記写真の水の中に保存されています。

水面には向こうのビルも映っています。

地元の方が「昔は佃島の大幟が江戸城から見えたんだよ・・・」と祖父が話していました。

・・・・・と教えて下さいました。 

2010_0808 住吉神社 大幟の保存.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八角御輿・・・・・中央区区民有形民俗文化財指定

獅子頭の宮出し・・・中央区区民無形民俗文化財

龍虎・黒駒の獅子頭・・・・中央区区民有形民俗文化財