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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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「日本橋かるた展」開催中です

[古参人] 2012年12月20日 14:00

日本橋図書館5階展示コーナーで「日本橋かるた展」が、2013年1月23日(水)まで開催
されています。

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「日本橋かるた」をご存知ですか?

私もこれまで全く知らなかったのですが、この度たまたま会場を訪れて、このかるたを知ることが出来ました。


「日本橋かるた」とは、2010年に日本橋で誕生した「郷土かるた」です。
日本橋に住む人、働く人、子供たちをはじめ、地域外の方にも、日本橋地域の歴史や伝統、ゆかりのある人物など、かるたを通して楽しみながら学んでいただき、歴史ある日本橋のことを、かるたにのせて、ずっと伝えていきたいという思いから、「日本橋地域ルネサンス100年計画委員会」により作られたかるたです。

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このかるたの特徴その①

詠み句47句は一般より募集され、全国の894名から、総数4,114句も寄せられたそうです。

例) ・ いつの世も 道の起点は 日本橋(写真)
   ・ みな笑顔 橋を洗うや 日本橋
   ・ 谷崎も 黒塀見たか 人形町


特徴その②
絵札のデザインは新進気鋭の浮世絵師、六代目歌川國政氏がご担当され、江戸情緒あふれる絵札です。 例)写真


47句と47絵札の「日本橋かるた」に接し、日本橋地域の理解をより深めましょう!!

是非お立ち寄りなさってみてください!!

 

 

◆中央区 ここに歴史あり(48) 江戸の元祖「木場」に、紅葉が彩る ~「江戸・もみじ通り」~

[巻渕彰/写楽さい] 2012年12月11日 08:30

師走に入り、暦の上では「大雪」、七十二候の127日~11日頃は「閉塞成冬」(そらさむくふゆとなる)。今冬は寒さが厳しいようだ。秋はあっという間にとおり過ぎた感があるが、ようやく!? 紅葉がはじまった場所がある。

 

0913_48_121210momijidoori.jpg日本橋郵便局東側の日本橋一丁目から八重洲通りに突き当たる日本橋三丁目まで南北約1kmにわたる昭和通りと首都高速道に挟まれた、「江戸・もみじ通り」である。

 

ここに「イロハモミジ」が街路樹として植えられている。葉が「いろはにほへと」と7裂ほどの掌状になることからの由来で、「いろは楓」「高尾楓」とも呼ばれるそうだ。

 

東側の首都高速道は東京オリンピックにあわせ開通したが、それ以前は楓川(もみじがわ)と呼ばれた堀割であった。

 

江戸初期の絵図をみると、現在の八重洲通りには堀割があり、これが「紅葉川」といわれたという。それに並行して数本の舟入堀が掘られ、楓川に接していた。

 

現「江戸・もみじ通り」辺りに相当する楓川西側の河岸は本材木町として木材物資集積の一大拠点であった。これが現在の「木場」の原点である。その後は、現在の千代田橋と新場橋の間に「新魚場」と呼ばれた日本橋魚市場と肩を並べる魚市場が設けられた。これが「新場」であった。

 

江戸初期からの歴史をもとに、この道路を「江戸・もみじ通り」と名付けられたのだろうか。紅葉川とか楓川の命名は、江戸城内の紅葉山に因むものともいわれている。紅葉川の名称は、現在の中央警察署の地に、かつて都立紅葉川高校があったことなど地元には親しまれた呼び名であった。●巻渕彰

 

 

 

玉三郎さん25年ぶりの「日本橋」と西河岸地蔵寺教会

[滅紫] 2012年12月10日 08:34

100_0925.JPG坂東玉三郎さんが久しぶりに「日本橋」に出演するという話題の舞台。「高野聖」「海神別荘」「天守物語」等、鏡花ものには定評のある玉三郎さん演じる久々の「お孝」。大正の初めの日本橋が舞台でもう1人の芸者清葉は高橋恵子さんが演じます。「春の朧の一石橋」のたもとにあでやかな芸者姿の玉三郎さんが登場するとあまりの美しさに場内は一瞬シーン、大拍手です。今回大抜擢と評判のお千世役の斉藤菜月さんも初々しくていい感じです。

 

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100_0928.JPG大正4年本郷座での初演に際し、この役を切望した当時はまだ駆け出しだった花柳章太郎が祈願に訪れたという「西河岸地蔵寺教会」を回ってみました。お芝居の中でも「縁結びの西河岸地蔵尊」というせりふが度々出てきます。地元の方にとても親しまれてきたお地蔵様なのですね。石段の隣の説明板によると「享保3年(1718)年、西河岸町の中ほどに堂宇を建立し天台宗の僧天海の持物と伝わる地蔵菩薩を安置したのが始まり」とのこと。地蔵菩薩は日を限って至心に祈願すると霊験あらたかであることから「日限地蔵」と称され寿命を延ばし福利を授ける延命の祈願寺として信仰を集めてきたそうです。

こちらにある「お千世の図額」はこの花柳章太郎がめでたくお千世の役に起用され、2回目のお千世役となった明治座での上演に際し、小村雪岱に描かせ奉納したものとのことです。

100_0930.JPGお芝居を見てその舞台となった場所を訪れるのは楽しみが倍加します。勿論当時そのままの景色はありませんが、「雛祭りのあとのさざえと蛤を川に放ったのはこのあたりか?」「お孝の家は?」とか想像しながら歩いてみるのはなかなか楽しいものです。仕上げは「願い事のかなう」「縁結び」の地蔵尊にお参りしましょう。

勘三郎さんの訃報の翌日だったので幕間では早すぎたご逝去を悼む声があちこちから聞こえてきました。南座顔見世では勘九郎さんの襲名口上で泣いてしまいそうで今から不安になっています。ご冥福をお祈りします。

西河岸地蔵寺教会」八重洲1-2-5

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パソコンで中央エフエムを聴く!

[銀造] 2012年12月 6日 08:30

 中央区の情報と素敵な音楽notesを提供してくれている「中央エフエム」は、短波の周波数 84.0でラジオを聴取できますが、何と eyesign01 パソコンでも同時間に放送してくれています。 

中央区観光協会特派員のコーナーは, Hello Radio City、月曜日のコーナーで毎週月曜日の12:30頃から約15分間、 再放送は17:30頃からです。

下記のURLで、中央エフエムを選び、PCでもお楽しみ下さい。 特に、出張先などでも聴くことができるのが、嬉しいですね happy01 http://fm840.jp/

「二人の銀座notes」が大好きな銀造でした。

 

 

 

日本銀行 見学ツアー

[Mr.Chuo-ku] 2012年12月 3日 08:25

中央区日本橋本石町には日本銀行、貨幣博物館がありますが、日本銀行本館(重要文化財)、貨幣博物館を見学できるツアーがあるのをご存知でしょうか。


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見学内容:
旧地下金庫、旧営業場、日本銀行関連の多様な史料を展示した史料展示室など
日本銀行の仕事や建物、貨幣の歴史などをテーマにしたレクチャー付見学も定期的に開催
(事前予約制、人数制限あり、無料)

  

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本館ツアーのお土産↑

(古くなったお札の裁断片(3万円分相当))


公式サイト
http://www.boj.or.jp/about/services/kengaku.htm/

 

バーチャル見学ツアー入口
http://www.boj.or.jp/z/tour/b/index.htm


 

 

 

区内寺社巡礼~第5番『兜神社/日枝神社日本橋摂社』

[下町トム] 2012年12月 1日 09:00

区内の神社仏閣を訪ねて一句献上するシリーズの第5回です。今回は兜町・茅場町界隈に出かけます。

鎧橋2_R.JPG          鎧橋_R.JPG 

 

今年も木枯らしが吹く季節になりました。時々肌寒い日もありますが、逆に温かく柔らかい日差しに包まれる日もあります。天気の良い日には秋から冬への移ろいを楽しみながら区内を散歩してみましょう。shoe 

兜神社_R.JPG 

前回訪ねた『水天宮』から新大橋通りを築地方面に進み、『銀杏八幡宮』の前を過ぎると、やがて三叉路に出逢います。ここを右に進むと、これが〔平成通り〕です。ここから築地まで続いています。

通りを進んで日本橋川を渡ります。ここに架かっているのが〔鎧橋〕です。なんとも勇ましい名前ではありませんか。〔鎧橋〕の名は、もともとこの地にあった〝鎧の渡し〟に因んでいますが、往古に源義家が東国遠征に出かける際に嵐に出逢い、それを鎮めるために自らの鎧を水中の龍神に献じたのが由来とか・・・。

かつてここには市電(都電)が走っていました。そのことを示す説明板が橋のたもとに設置されています。memo 

兜岩_R.JPG〔鎧橋〕を渡ったところが〔兜町〕です。言わずと知れた日本の株取引の中心街であり、証券会社の集積地であります。〔鎧橋〕は高速道路に押さえつけられるようになって窮屈そうですが、その向こうに〔東京証券取引所〕の建物が見えます。橋を渡って左に曲がったところに、ここの町名の由来となった〔兜神社〕があります。ここも源義家に縁があり、前述の〝鎧〟とあわせて武勇の香りがする名前です。境内には〝兜岩〟があってその伝説を今に残しています。

 

山王社_R.JPG

平成通りに戻ってさらに南下すると、まもなく左手のビルの谷間に由緒ある神社がうかがえます。赤坂にある〔日枝神社〕の日本橋摂社であり、江戸三大祭りのひとつ〝山王祭り〟のゆかりの深い社です。もともとは〝御旅所〟(祭礼の際に巡幸先で一時的に鎮座する社のこと。神幸=神様が鎮座する本社を離れて巡幸すること。)として創建されたものです。かつては赤坂からこの地まで神輿が巡行したそうです。現在は祭礼の際に〝下町連合渡御〟で賑わうお宮です。up 

明治初期に〝神仏分離令〟が出るまでは、日本では長く神仏習合の慣わしが続きました。日枝神社(日吉神社)はそもそも〝山王権現〟と呼ばれ、古く最澄開創の天台宗の信仰とともに全国に広がったものです。日枝神社の〝日枝〟はもちろん〝比叡〟に基づくものであり、天台宗総本山の延暦寺に源を発します。延暦寺においても神仏分離後は日吉神社が独立し、全国の総本宮となっています。赤坂にある日枝神社は古く大田道灌が勧請したと伝わり、徳川将軍家により江戸の総鎮守として篤く信仰を受けました。

そんなわけで、茅場町の〝山王様〟にはもともとは仏様もあわせて祀られており、〔智泉院〕が山王様の〝別当寺〟(神仏分離以前は必ず神社を管理する寺院が別当寺として定められていました)として今に続いています。同寺に祀られていた薬師如来に対する信仰は篤く、江戸の一大霊場として栄えたそうです。明治になって神仏が分離された後は、薬師如来はへ他所に遷され、〔智泉院〕はやや小じんまりとなったものの、今日も日枝神社の裏手に存在しています。そこには慈悲深い眼差しの観音像が祀られています。confident 

観音様の脇には、江戸期から残っている〝天水鉢〟が迫力ある姿で目に映ってきます。地元〔坂本町〕から奉納されたもので、地元の方々の心意気と誇りが伝わってくるようです。ちなみに〔坂本町〕という名は、総本宮・日吉神社の所在地である近江の国・坂本庄(現・滋賀県大津市坂本)に因んでいます。

天水鉢_R.JPGそれにしても、源義家の伝説といい、徳川家康の江戸開府の頃の活気といい、後の町民の心意気といい、なんとも溌剌としたエピソードに包まれた地域です。少々の苦難があっても乗り越えていく勇気を授かったような気がします。ぼくなりの〝パワースポット〟として大事にしてみようと思いました。upwardright 

 

冬の嵐が来ようとも、冷たい雨に打たれようとも、胸を張って前へ進む気持ちを持ちたいものです。

・・・・・ 木枯らしは吹けど矜持の鎧橋