皆さんこんにちは!
猫とお酒と落語を愛する(頭が)ちょいワルおやじの酔生(すいしょう)です。
突然ですが、地図を眺めるのは好きですか?
酔生は大好きです。とくに東京都心部の古い地図を眺めてると、時の経つのも忘れてしまいます。
地図出版大手のゼンリンに所蔵された資料の一部がネット上に公開されていて、1946年の京橋区と日本橋区の地図が見られます。
ご存知のように現在の中央区は、昔の東京35区がこの翌年(1947年)に23区に再編された際、京橋区と日本橋区が合併して誕生しました。
下のリンクをクリックし、トップページから「公開地図一覧」→「昭和中期」→「日本図」と辿って探してみてください。
ZENRIN Virtual Museum
1946年の地図は、東京が戦争で焼け野原になった後なので、町割りは現在とほとんど変わりません。
それでいて、今はもう埋め立てられてしまった外堀、築地川、京橋川、桜川(八丁堀)、楓川、新川、汐留川、三十間堀(これに架かる代表的な橋が三原橋)なんかの川筋がよくわかります。さすがに鉤の手に曲がった西堀留川(堀)は既に無いですが・・・。
酔生が以前記事にした幻の首都高晴海線(作りかけ)も、築地川を埋め立てた後に計画されたことが一目瞭然です。
諸先輩からは「当ったりめぇだろ!」って言われっちゃいそうですが、「平成通り」って名前が付いている通りって、昔は電車通りだったんですね。
築地と錦糸町を結ぶ都電36番が走ってたみたいです。その名残でしょうか、現在も都バスがまったく同じ区間を運行しています。
個人的には、仕事でいつも使ってる京橋通郵便局というさほど大きくない郵便局が、この時代から今と同じ場所にあるってことにびっくりしました。
なお、地図をご覧になる際にはブラウザの利用環境に要注意。IE(インターネットエクスプローラー)なら10以上推奨で、酔生が普段使っているIE8じゃダメでした。
【おまけ】 東京23区トリビア。35区が再編されて23区になったって書きましたが、正確にはいったん35区から22区に再編された後、やっぱ板橋区広すぎじゃね?ってことで、その西半分を練馬区として分離した結果、現在の東京23区になりました。
つまり練馬区だけは他の22区よりちょっとだけ歴史が新しいんです。
へぇへぇへぇへぇへぇへぇへぇへぇへぇへぇ