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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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「眼福」も「口福」も欲ばりの絶品スイーツー patissier hidemi sugino

[滅紫] 2015年7月 8日 09:00

杉野英実さんといえば日本を代表するパテイシエとして海外でも名前を知られていますが、その京橋にあるお店にお邪魔してきました。

お店は銀座一丁目に近い警察博物館とLIXILの間を入ったところにあります。伺ったのはウイークデイの15時過ぎ、店内に入ると目を引くのは中央の大きなショーケース。「う?」ケースの三分の二は空っぽです。伺うと開店時には22種のケーキが出来上がっているのだそうですが、「この時間になりますと・・」というお返事。お店を紹介してくれた食いしん坊の友人によれば「ずらっと並んでいるのは本当に壮観」とのこと。お店の奥にカフェがあり、ケーキをいただくことができます。店内限定のケーキというのも数種あり、伺ったときは6種類のうち3種のみ残っていました。その3種類をいただき、入手可能な数個をお土産用に包んでいただくことにして。

2組の方が席に案内され漸く私たちの番となりました。友人によると土曜日は1時間待ちだったとのこと。店内は撮影禁止ですが、許可をいただきテーブルの上だけ撮らせていただきました。写真の腕が悪いので「美しい」としかいいようのない形がおわかりいただけないのが残念です。『軽~い』食感でこれなら2個はいただけるか!カフェオレがまた素晴らしい。「要するにミルクコーヒーでしょ」という方に是非召し上がっていただきたい。目から鱗になること請け合いです。これならお店に伺ったとしてもお気に入りのケーキが購入できるかどうかはわからないというファンの嘆きも理解できます。600円以上するお値段はたかがケーキにとお考えのかたもあるでしょうが、この「美しさ」と「味」なら「納得」されることと思います。

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イデミスギノ中央区京橋1-6-17京橋大栄ビル1F TEL3538-6780

営業時間11:00=19:00 日月定休                                                                                                                                                                                     

 

 

築地川公園 珍しい草花との出会い ビロードモウズイカ

[銀造] 2015年7月 7日 18:00

 6月初旬、日刊スポーツと聖路加国際大学の間にある、築地川公園の公衆用トイレの横に、2m以上の大きな草が黄色い花を咲かせていました。

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近寄って見ると、今まで見たことの無い植物です。

1cmぐらいの黄色い可愛い花を沢山付けていました。 見頃は、7月15日ぐらいまででしょうか?

お花が大好きな方には、わざわざお越しいただける価値があるとおもいます。

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タバコの葉っぱに似ていたので、イワタバコ科の植物だと思ってインターネットで調べても、該当する物はありません。

FB友達に助けを求めると、夢の島熱帯植物園のボランティア・ガイドをなさっている方から情報を頂きました。

 

銀造さん、

ゴマノハグサ科の「ビロードモウズイカ」だと思います。

どこからか種子が飛んできたのでしょうか?都会の真ん中で突然あらわれたらびっくりですね。

 

ゴマノハグサ科

学名:Verbascum thapsus
 花期:夏

 葉や茎が灰白色の毛に覆われているので,見た目も触った感じもビロードのようです。

また,雄しべに毛が密生しているので「毛蕊花」という名前がついています。人の背丈くらいに伸びます。

なお、この様に漢字では書くのですね。

ビロードモウズイカ(天鵞絨毛蕊花)

 

 

 

谷崎潤一郎「東京をおもふ」(2)

[CAM] 2015年7月 7日 14:00

 食文化にも深いこだわりを示した谷崎の目からすると、永い伝統を有する関西の食文化に比べて、「東京名物」と言っても、塩せんべい、海苔、雀焼、たたみイワシなど、「なんと不思議に寒気のするような、あじきない物が多い」のであって、「見るからに侘しい、ヒネクレた、哀れな食ひ物(雀焼)」、「薄っぺらな、名も知れぬ雑魚を寄せ集めたやうなもの(たたみイワシ)」でしかない。

 

「上等な干菓子や生菓子があっての上なら兎も角も、羊羹一つ碌なものがなくて、塩煎餅が名物とはあんまり野蛮ではないか。尤もモナカや田舎饅頭にはいくらかうまいものがあるが、孰れにしても粗野で、貧弱で、殺風景なものばかりである」。

 

「元来オツなものと云われるような、ヒネクレた名物は東京に限ったことではない。・・・ところが東京では正式の料理に使ふ材料に何一つとしてうまいものがなく、仕方がなしにそう云ふ変なヒネクレたものを漁るのである。」

 

「私は実はそのオツと云う言葉を聞くと、一種のうすら寒い身ぶるひを感じ、その陰に隠されてゐる東京人の薄ッぺらさを考へて何とも云へず悲しくなる。」

 

 関西人にとっては小気味よいものの、こんなに東京を罵倒してもよいのかと思うほど。

 

 そして、谷崎は次のように云う。

 

「此の東京人の衣食住に纏はる変な淋しさは何処から来るのかと思ってみるのに、結局それは、東北人の影響ではないのか。・・・・・・東京の人は政治の中心に住んでゐるから、そこを地理的にも人文的にも日本の中心だと考へ易いが、しかしたまたま関西から出かけてみると、何となく東京が東北の玄関のやうに見え、此処から東北が始まるのだと云ふ感が深い。・・・・・・

 斯く東京を「東北地方に属するもの」として見る時、昔は「鳥が啼く東」と云った夷が住んでいた荒蕪の土地が権現様の御入府に依って政治的に、と云うのはつまり人為的に、繁華な町にさせられたものであると見る時、始めて今戸の煎餅や千住の鮒の雀焼や浅草海苔やタヽミイワシが名物であると云う理由が分る。」

 

 ただし、サイデンステッカーさんは、「『私の見た大阪及び大阪人について』を読むと、先生はしきりに、東京はだめだだめだと言い、大阪文化を持ち上げています。でもそれは、一種の文学的ポーズだったように思えます。先生は敢えて『反江戸っ子』というイメージを作っていたのです。」(「反江戸っ子の本音」ランティエ叢書『谷崎潤一郎東西味くらべ』、解説)と言う。

 

 

中央区の「坂」についての一考

[ジミニー☆クリケット] 2015年7月 6日 09:00

マニアックな内容です

中央区にあって東京都の他の区には無いものは、歴史的にも文化的にもたくさんあるのですが、逆に、他の区にあって中央区に無いものとして挙げられるのが、「地上の(電車の)駅」と「」だそうです。

ちなみに、港区には、80以上の末尾に「」のつく通り名があるそうです。下の写真の「芋洗」、「鳥居」、「暗闇」、「南部」なども港区の「」です。

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中央区地上の駅が無い」ことについては、以前、私がこのブログで取り上げました。

また、「中央区が無い」ことについても、やはりこのブログで、以前、他の執筆者が取り上げていたのですが、はたして中央区に「」は無いのか

確かに、「学会」()のHPを見ると、東京23区で、「」の無い区は、葛飾区、江戸川区、そして中央区となっています。なんと江東区ですら(失礼)、2つのの名前が記されています。

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「広辞苑」で「」を引くと、「一方は高く一方は低く、傾斜している道」とあります。

東京マラソン最後の難所、「『佃大橋』前の上りの道路」、あれは「」ではないですかね

少なくとも、会話では、「佃大橋」と言いますもんね

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ということで、私としては、中央区にも「」はあると言いたいのですが、いかがなもんでしょうか

中央区にたくさんある、そのにいたる道は多かれ少なかれ、「傾斜している道」ですよね。正式に、通りの名前として、「」と付いていないだけで。

神戸などは、南北に走る通りのほとんどが道であるため、道であっても地名、通り名に「」という名称を付けられていることは少ないと聞きました

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と、ふだん私が思っていることの、それこそ、ひとりごとの「つぶやき」でした、チャンチャン

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追記;いっそ名前を付けますか」(上と下の写真)、「かちどき」、「采女(うねめざか)」・・・いいですねぇ~

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谷崎潤一郎「東京をおもふ」

[CAM] 2015年7月 5日 18:00

 明治191886)年に日本橋蛎殻町に生まれた谷崎は、大震災後、関西に移住する。 関西移住後2,3年の間は、時々上京するたびに「帰ってきた」という気になったし、当初は関西の文化への嫌悪を述べていた。しかしながら、そのうちに東京に1週間もいると関西へ「帰り」たくなり、汽車が「逢坂山のトンネルを越え、山崎あたりを通り過ぎるとホッと息をつく」までになった。(「東京をおもふ」)

 

 サイデンステッカーは『立ち上がる東京』(原書1990年)で、次のように述べている。

 

「この時期の谷崎は、東京にかかわる物はほとんど何であれ好まなかった――少なくとも好きだとは認めようとしなかった」(54)。 

 

「震災後しばらく、日本最大の都会は大阪だったと言えるかもしれない。芸術家やインテリの中にも、関西に移った人々は相当の数に上った。ほとんどは、東京が都市機能を回復するにつれて帰京したが、谷崎は例外だった。大阪そのものに住んだことは一度もなかったけれども、その後の生涯の大半を大阪近郊で過ごしたからである」(59)。

 

 ふるさとは田舎侍にあらされて

   昔の江戸のおもかげもなし

 

 昭和371962)年に詠まれたという谷崎潤一郎(18861965)晩年の一首である。

 

 晩年に詠まれた谷崎の歌をもう一首。

 

 木挽町に団十郎菊五郎ありし日の

          明治よ東京よわが父よ母よ

 

 「東京をおもふ」は、大震災によって失われた明治の東京特に日本橋地区へ捧げる挽歌であったのだろう。昭和9年、「中央公論」誌に発表された。

 

 

 

「銀座の柳」のその後

[メニイブックス] 2015年7月 5日 14:00

5月5日の「銀座の柳まつり」で頂いた「銀座の柳」の苗木のその後です。

ベランダにだして水をあげていただけでしたが、かなり育ちました。

マニュアルによると「葉が枯れたら(夏過ぎ)土に植え替える」とのことなので

来月末頃マンションの庭に植えようと思っています。どうなるか楽しみです。

ほかの方たちの柳はいかがでしょうか?

 

左が 5月5日にいただいたもの 右が 6月29日の状態です。        

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