地下鉄有楽町線、新富町駅から上がってすぐの「入船橋」交差点の東詰めのビルにITOKI東京ショールームが入っており、ショールーム入口脇の植え込みの中に、「靴業発祥の地」碑が建っています。下の地図の赤〇のところです
碑文では、明治3年(1870年)3月15日、西村勝三が、伊勢勝・造靴場を創建したのが旧築地入船町5丁目1番のこの地であったとのこと。勝三は、佐倉藩の開明進取の風土に育ち、時の兵部大輔大村益次郎の勧めと、藩主堀田正倫並びに渋澤栄一の支援を得て、靴工業を創成し、これを大成したとのことです
こうしてこの地が日本における製靴産業の原点となったのも、築地の明石町一帯が、明治初期、外国人居留地に指定され、 多くの外国人が居住することになって靴の需要が高まったことにもよるそうです
現在、3月15日が「靴の記念日」となっているのは、この靴工場が創業を開始した日にちなむものです
〔靴の記念日について〕
(前略)1870年(明治3年)3月15日千葉県佐倉の藩士西村勝三が大村益次郎から奨められ、日本で始めての西洋式の靴の工場を築地の入船町に創設したのです。この日が「靴の記念日」となっています。(後略)
(日本靴卸団体連合会のHPより)
また、西村は、築地の工場とともに、佐倉(現・千葉県佐倉市)に士族授産の靴工場「相済社」を開き、佐倉藩士を伝習生として靴の製造を行ったそうで、相済社は明治30年代に解散しますが、伝習生の一人であった大塚岩次郎は、学んだ製造技術を生かして大塚製靴(現・大塚製靴株式会社)を興しました
大塚製靴株式会社のHP上の「オーツカの沿革」には、
「1871年(明治4年)佐倉藩士 大塚隊之丞、横浜弁天通に靴の小売店を営む。
1872年(明治5年)隊之丞の子、岩次郎、2月4日東京・新橋の露月町に大塚商店を創業。 手縫による革靴の製造販売を始める。」と記載されています。
一方、伊勢勝・造靴場は、明治17年に「佐倉」から名前をとって桜組製靴と改称し、明治35年に日本製靴株式会社(現・リーガル・コーポレーション)になりました
株式会社リーガルコーポレーションのHP上の会社の沿革に、
「1902年(明治35年)1月、合名会社大倉組皮革製造所、合資会社桜組、福島合名会社及び東京製皮合資会社の各製靴部門を統合、各種靴の製造、販売を目的とし、東京市京橋区鎗屋町(現 東京都中央区銀座)に日本製靴(株)を設立。」と記載されています。
上の写真は、REGAL SHOES八重洲店(紳士靴専門店)、単独店舗第1号店です
ちなみに、題字の「靴業発祥の地」を揮毫されたのは、「堀田正久」氏となっており、調べてみると、この方は、佐倉藩主堀田正倫の孫に当たられる方で、昭和34年(1959年)に佐倉市長に当選後、昭和50年(1975年)まで4期に亘って、佐倉市の開発に貢献された方だとのこと
滋賀県彦根市長の井伊()直愛氏とともに「殿様市長」と言われた方だそうです
大塚製靴株式会社のHPはこちら ⇒
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