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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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◆中央区民がつくるテレビ番組「中央区発 こちらみんなの情報局」 ~9月号放送中!

[巻渕彰/写楽さい] 2017年9月 5日 12:00

中央区の話題を映像で伝える、区民がつくるテレビ情報番組「中央区発 こちらみんなの情報局」は、毎日3回、1回10分間の番組で放送しています。

インターネット動画サイト"YouTube"でもご覧いただけます。

区民制作の身近な地域情報番組を、お楽しみください。

   

0913_00_logo_small250.jpg2017年9月号の作品タイトル

    

 ①現代に生きる職人

  ~紋章上絵師・波戸場承龍さん(再)

 ②江戸バス散歩

  ~浜町界隈~

  

●制作

 中央区区民メディアリポーターの会会員

●放送日時

 毎日3回 10:20、12:20、20:20

 中央区広報番組「こんにちは中央区です」

 の放送終了5分後から放送開始です。

●放送時間 各回10分間

●テレビ局  CATV「東京ベイネット」111ch

●番組更新 毎月1日

●ネット視聴は"YouTube"から当会名で検索してください。

@巻渕彰

 

 

日本橋クルーズ

[達磨] 2017年9月 5日 09:00

IMGP0223.jpg

異常気象が毎日の夏休み、歴史好きの6年生の孫と日本橋川~隅田川~神田川の船旅です。家康の開拓した足跡を巡ります。

日本橋魚河岸跡のトイレを使い、架橋100周年(2011年)を機に造られた「日本橋船着場 双十郎河岸」から出航です。

 

日本橋川】・・・天井に手が届きそうな距離で迫ってくる「江戸橋」―1872年創架「兜橋」―「茅場橋」―日本橋水門―「湊橋」  ~墨田川に注ぐ河口部に架かる1698年創架「豊海橋」をくぐると、下流近くに創架1698年筋骨隆々「永代橋」です。

日本橋水門.JPG 豊海橋.JPG

 

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隅田川】・・・スカイツリーを水面正面に水辺の景観を愉しみながら運河船が進みます。
上流の1979年架橋「隅田川大橋」-1928年竣工「清澄橋」-右手小名木川-1693年創架「新大橋」-1659年架橋当時大橋の呼び名の「両国橋」・・・

 

1698年創架「柳橋」をくぐって【神田川】に入りました。屋形船が並び、江戸の舟遊びの賑やかさに触れました。

柳橋神田川.JPG

 

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旧平川水路の【神田川】を名橋「聖橋」「万世橋」「御茶ノ水橋」・・・と千代田区、文京区の街中を進みます。
後楽園先を折れて、-明治期には掘り直しで外濠川と呼ばれた日本橋川を進むと「雉橋」「一ツ橋」「錦橋」、この間の城側岸には江戸城の藩の刻印がある石垣が残っていました。

 

常盤橋.JPG


下流中央区、都内最古の石橋・・・
「常磐橋」は、老朽化と東日本大震災により、落橋の危険性があるために、改修工事中。「一石橋」-「西河岸橋」を進んで、飾灯柱にライトが灯る日本橋船着場に戻ってきました。

 

日本橋獅子1.JPG


日本橋には橋(8×4)にちなんで、
32頭の獅子像が配置されているとか・・・

橋上からは見えない獅子のお迎えでした。

 

 

「日本橋」、「江戸」そして「江戸っ子」 (1)

[CAM] 2017年9月 4日 18:00

学生時代にお世話になったある会の会誌に、これまでのブログへの投稿をまとめて寄稿しました。

 あらためて、本ブログにも出させて下さい。     

 

一.旧日本橋区と大阪

 
(1)旧日本橋区と私との出会い

私は、大学に入学して東京へ来て以来、西部地域に居住することが多かったから、日本橋地区についてはほとんど馴染みがなかった。そして、この十数年、東京都中央区(その辺境地帯であるが)に居住するようになってからも、銀座・京橋側から日本橋川を渡った地域へ出かけることはほとんどなかった。ところが、数年前の正月、たまたま三越百貨店が主催した「日本橋七福神めぐり」なる行事に参加し、旧日本橋区の市街を歩きまわってみて、不思議ななつかしさを感じたのであった。その町並みは、私が幼少期を過ごした地域を想起させるものであった。

日本橋で生まれ育ち、「ふるさとは田舎侍にあらされて昔の江戸のおもかげもなし」と詠んだ谷崎潤一郎は、次のように述べている。

「関西の都市の街路を歩くと、自分の少年時代を想ひ出してしみじみなつかしい。・・・・大阪の谷町、高津、下寺町辺へ行くと、『あゝ東京も昔はこんなだったなぁ』と思ひ、忘れてゐた故郷を見付けたやうな気がする。」(「私の見た大阪及び大阪人」初出1932年)

大阪市中心部で育った者が、渋谷、本郷等の市街について感じる違和感は、坂が多いこと、街路が碁盤目となっていないことである(大阪市中心部である船場、島之内地域などの区画は秀吉が造成したままが残っており、区画はほぼ碁盤目になっている)。大阪市内では、(淀川から流れ出た土砂の沖積によってできたのであるから当然のことであるが)上町台地への坂を除けば、市街中心地に坂はない。そして、東京都中央区内にも(大部分は埋立によって造成されたのであるから当然のことであるが)坂はない。

  ところで、私が通った小学校、中学校(大阪市中央区)は、御堂筋と心斎橋筋に面した大丸百貨店に対してその東西に位置していた。したがって、私にとって、「大丸」とは百貨店の代表的存在であり、東京駅八重洲口に東京店を開設した(1954年)のは、戦後になってからの東京への「(初)進出」だと思い込んでいた。

しかしながら、日本橋で生まれ育った長谷川時雨の、「最も多く出てくる街の基点に大丸という名詞がある。これは丁度現今三越呉服店を指さすように、その当時の日本橋文化、繁昌地中心点であったからでもあるが、通油町の向う側の角、大門通りを仲にはさんで四ツ辻に、毅然と聳えていた大土蔵造りの有名な呉服店だった。」(『旧聞日本橋』初版1935年)という記述を読み、その東京店は、かつては日本橋を代表するような存在であったことを知った。

サイデンステッカーは、次のように述べている。

「(路面)電車の影響はさらに大きかった。呉服屋の大丸などその典型である。現在のデパートの中には、かつての呉服屋から発展した例がめずらしくないが、大丸もその一つで、18世紀に日本橋で開業し、明治の中頃には三越などより繁昌していた。長谷川時雨も書いているように、大丸は『丁度現在三越呉服店を指すように、其当時の日本橋文化、繁昌地中心点であった』。けれども大丸はほかの店とちがって、銀座から上野へ抜ける電車通りに面していなかった。そこで次第に客足が遠のき、明治の末には東京の店をたたんで関西に撤退せざるをえなくなった。東京に帰ってきたのは第二次大戦後のことで、ただし今度は交通の便から外れまいと、東京駅の駅ビルの中に店を構えたわけである。」(『東京下町山の手(LOW CITY, HIGH CITY)』原書1983年)

 
(2)東京日本橋地区と大阪

こうしたことを知ったことがきっかけとなり、中央区内(日本橋・銀座・築地・明石町など)を、その歴史などを考えながら散策するようになった。これにより、旧京橋区内も、(私が育った頃の大阪市中心部と同様に)かつては三十間堀、築地川などが流れる「水の都」であったことを、あらためて知った。成瀬己喜男監督映画に描かれた昭和30年代の銀座、築地川周辺の風情には、同時期の大阪市中心部と共通するものを感じる(当時の大阪の経済力は、東京と比べてそれほどの遜色はなかったと思う。私鉄王国関西出身者にとっては、当時の井ノ頭線などは田舎電車としか思えなかったし、地下鉄御堂筋線を見慣れた大阪人にとっては、銀座線、丸ノ内線などという当時の東京地下鉄はかなり貧弱に感じられた)。

戦後の残土処理などを目的として三十間堀が埋立てられたことにより、旧木挽町あたりが銀座との境界がなくなったこと、こうしたことにより、一帯の地名が、銀座西・銀座東からさらに(銀座の東側を含む)銀座1~8丁目に変わり、"銀座"と称する地域が広く拡大されていることも、大阪長堀川埋立により船場と島の内の境界がなくなったこと、大阪心斎橋筋の東西にあるかなり広い地域が東心斎橋・西心斎橋というような地名を称するようになったことと同様である。

こうして現中央区の歴史などを調べるにしたがって、中央区成立の際(1947年)、歴史と伝統を誇る旧日本橋区が、新興地区である旧京橋区との統合に最後まで抵抗したという事実(旧日本橋区地名の頭に日本橋が冠されているのは、こうした経緯による)も知った。そこには、経済力においてさえ"新興"地域である東京への集中に圧倒されつつある関西人の心情と共振するところがある。

サイデンステッカーは次のように述べている。

「日本橋は今日でも東京の、さらには日本全体の金融の中心と呼べるかもしれない。日本銀行も証券取引所も日本橋にある。けれども大企業は、ほとんど日本橋からほかの土地に出ていった。三井銀行や第一国立銀行も...本店はもう日本橋にはない」(『東京下町山の手』)。

「昭和4年に東京の盛り場を調査した記録があるが、・・・・この調査で名前が挙がっているのは銀座、新宿、上野、浅草、渋谷、それに人形町と神楽坂だが、今なら東京の代表的な盛り場として、人形町や神楽坂を挙げる人はまずあるまい。・・・・・・・

人形町は、明治期には大いに活気があったが、震災後は、今日に至るまで衰退を続けている。昔の日本橋区の大半は、かつては自他共に認める江戸町人文化の中心だったけれども、みな同様の運命をたどった。人形町にしても、昔日の下町の面影を探訪するには格好のところではあるが、人が集まるという点では、新宿のようなところとは比較にもならない。」(『立ち上がる東京 (Rising Tokyo) 』原書1990年)

矢田中央区長は、「日本橋から大企業の本社機能の転出が始まったのは昭和50年代前半のことである。流通機構の変化が叫ばれ、日本橋に集積していたさまざまな問屋に陰りが感じられるようになったのは50年代後半である。・・・・そして平成10年以降には、バブル経済の崩壊や金融再編の流れの中で日本銀行の周辺から地方銀行など金融機関が消えていった。・・・・・・このような変遷と・・・変化によって、いつのころか誰言うともなく『日本橋の地盤沈下』がささやかれるようになったのである」(「日本橋ルネッサンス」2007年)と述べている。 この矢田区長の叙述など、「日本橋」の部分を「大阪市(中央区)」に入れ替えてもそのまま通用するのではないか。

その東京日本橋地区であるが、最近は再開発計画が次々に出来て、再興への動きが著しいことは喜ばしい。また、東京・日本橋の老舗商店の有志がロンドン屈指の商業地・メイフェアと連携して販路開拓や観光客誘致で共同事業を展開しているというような動きも聞く。金融街兜町近辺再開発の機運も高まってきたようである。中央区は外資系を含む金融関連企業などの誘致に向け、新たな計画を策定するという。最大の象徴的事業は、日本橋をまたいで景観を破壊している高速道路の地中化であろうが、なんとか立派に実現して欲しいものである。

それにひきかえ、大阪経済の地盤沈下が一向に止まらないどころか、加速さえしているように思えることは、悲しく寂しい。再度の万国博が実現したとしても、これを中長期的な再興に繋げていけるのだろうか。

(続く)

 

 

椙森神社「富塚祈願祭」

[クラさん] 2017年9月 4日 14:00

9月2日は、語呂合わせ(「くじ」)で、「宝くじの日」です。

 

椙森神社では、くじの日に当たる9月2日(土)の10時3分(「「とみ」」)から「富塚祈願祭」が行われました。

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富塚は、大正9(1920)年に建立されましたが、関東大震災によって倒壊しました。その後、氏子の人々は有志を募り昭和28(1953)年に再建されたのが、今の富塚です。この富塚は他に類を見ないと言われ、日本で唯一のものだそうです。祈願祭は昨年から始まったそうですが、雨の中を氏子の方々を始め、多数の人々が参拝しました。富塚での祈願と共に、本殿前では御神酒をいただきました。

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社務所前には、御朱印や御守護・富久當籤入れ等を求める人の行列ができていました。

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椙森神社は遠く一千年の昔、江戸が武蔵野の原と言われた時代の創建だそうです。江戸時代には江戸三森の一つであり、江戸三富の一つにも数えられる程の数多くの富籤が興業された事が、記録に残されています。また、五代目 柳家小さん師匠の噺『宿屋の富』では、この椙森神社や宿屋の場所が馬喰町である事が語られています(湯島天神を舞台とする噺もある)。 今日では宝くじの元祖として当神社の「富塚」を、多くの人々が心中祈願をしているようです。

 

 

 

東京タワー ダイヤモンドヴェール<プラネットグリーン>

[サム] 2017年9月 4日 12:00

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DSC00672RS'G.jpg イベントや記念日に加え、基本的に毎土曜日の20:00~22:00の2時間限定で実施されている東京タワーの特別ライトアップ「ダイヤモンドヴェール」。

躯体から外に向かって輝く総ライト数は276とされ、17段ある光の階層がそれぞれ、7色に可変で、色ごとにメッセージが込められていると聞きます。

9月2日(土)、「プラネットグリーン」が点灯。

「地球の大地の緑」に因むという、青みがかったグリーンのライティングです。

「地球・平和」というメッセージが込められている由。

勝どきの隅田川テラスから築地市場越しに、安らぎを覚える印象の、ダイヤモンドヴェール・プラネットグリーンが輝いています。

 

 

店舗リニューアル だし・かつおせんべい 試食・試飲からどうぞ  ~ 八木長本店 ~

[rosemary sea] 2017年9月 4日 09:00

『ギフト、そして自分も楽しむ』をエピグラフとして取材します、 rosemary sea です。

 

DSC02779a.jpg八木長本店(やぎちょうほんてん)さんは江戸・日本橋の地に創業して280年の鰹節・乾物の老舗です。

元文二年(1737年)八代将軍徳川吉宗さんの頃に始まり、素材の持つ味を大切にしつつ、本当の意味で贅沢な味を追求されてきました。

日本橋室町の本店はこの度店舗リニューアルされたばかりのお店です。

鰹節・しいたけ・昆布・煮干し等々、日本料理の基礎となる各種だしの材料をはじめ、豆・乾麺・高野どうふ等の乾物、各種ふりかけなどの最上のお品を厳選し、販売されています。

どれも皆からだに優しいものばかり。

試飲・試食できるものもあります。

 

DSC02780a.jpg八木長本店 九代目主人であられます株式会社八木長本店 西山麻実子(にしやま まみこ)社長にお話を伺いました。

 

社長のバックの看板は山崎節堂(やまざきせつどう:1896-1976)先生の書。

日展の重鎮、日本芸術院賞受賞者、そしてこの中央区書道連盟の創設者でもあるそうです。

また、日本橋の鰹節問屋「中弥」さんの七代目でもあったそうです。

昨年12月3日の記事「三原堂本店」さんの看板も節堂先生の書とのこと。

 

それでは商品のご紹介です。

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画像左:鰹削り節

「釣り物、いわゆる一本釣りのかつおにこだわった削り節です。

 網物に比べて雑味がなく美味しいですね。」

画像右:まぐろ血合い抜き糸削り

「料理人はまぐろ節の糸削りをよく使いますね。」

 

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画像左:かつおせんべい

焼津産の厳選された鰹節を使用し、1枚1枚丁寧に焼き上げてあります。

軽くて香ばしい一品。

このままビールなどの飲み物と一緒に、またチーズ等お好みのものをのせても。

「鰹節をたくさん練り込んであります。

 だしも入っています。

 13、4年くらい前にできましたが、すごく人気があります。」

ここで2か月ぶり、ロズマリ食リポ隊、全員招集です。

「味がしっかりして、おいしかったです。」S枝さん。

「塩加減が丁度良かったです。」I倉さん。

「香ばしく唐辛子がピリッときいてビールに合いそうです。」F川さん。

「サクサク軽い食感とかつおぶしの香りが口の中でハーモニー。」T山さん3号。

「ピリッと程よく唐辛子がきいている。そのままだとパリッとしていて、おだしと一緒に食べるとふわっとした食感に変わり、2度楽しめて美味しい。」S山さん。

「ピリッとした唐辛子の味とかつおの風味が調和していて美味でした。」F雄さん。

「かつおぶしの味が大変おいしいせんべいでした。」T山さん2号。

「かつおの香りと食べ進んでいくとピリッとして辛さが味に幅を持たせてくれる。」K子さん。

「酒のつまみに最適!」Oさん。

「軽くて何枚でも食べれそう!」S井さん。

 

画像右:椀だし

4回のかび付けまでした丁寧な造りのかつお本枯節(ほんかれぶし)と、日高昆布をふんだんに使った最高級おだし。

お吸い物や茶わん蒸し、お鍋に。6倍ほどにお湯で薄めて。

「椀だしは元々、業務用でした。

 割烹料理店さんが " おだしの味が決まらないので何かないですか? " っていう話から始まったのです。

 お湯で割っただけでおいしいお椀ができるように、本枯節の鰹節と日本の昆布でだしを作りました。

 一般のお客様にも飲んでいただいて、美味しい美味しいっておっしゃるので、それではこれをこのまま商品化しちゃいましょうってことで商標をとりました。」

こちらもロズマリ食リポ隊の登場です。

「良い香りがして、料理が下手でも上品な味ができそう。」S枝さん。

「昆布の味が濃くて美味しい。」I倉さん。

「優しい味でした。」F川さん。

「かつおぶしが控えめに主張してる。」T山さん3号。

「鰹節の香りが鼻から抜け、おひたし等にもよく合いそう。」S山さん。

「かつおぶしの風味が口の中で広がる。日本の味。」F雄さん。

「昆布の味が濃厚で、高級な味が楽しめました。」T山さん2号。

「かつおぶしと昆布のだしのバランスが良い。そのままでも楽しめる味でした。」K子さん。

「正月の味。」Oさん。

「スッキリとした甘味があり、自然な味でした。」S井さん。

 

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そしてだしの試飲。

「12日のオープニングからは5種類のだしパックの味を試していただこうと。東のだし、西のだし、野菜だし、当店の鰹節のだし、それからまぐろか昆布のだしを用意しましょうか、と。」

・・・西山社長、お忙しいところ誠にありがとうございました。

※ 更なる社長インタビューは後日掲載させていただきます。乞うご期待、です。

 

DSC02778a.jpg【お知らせ1】

八木長本店さんでは9月12日(火)・13日(水)に、リニューアルオープンのセレモニーが催されます。

オープニングに合わせまして新商品「東のだし」「西のだし」「野菜だし」の3つのだしパックが発売となります。

日本橋から東・日本橋から西・それから野菜のだし、とのことです。

 

DSC02777a.jpg【お知らせ2】

中央区観光協会が主催するまち歩きツアー「わくわくツアー」の "まち歩き産業コース " にて9月28日(木)と11月6日(月)の2回、ツアー名『日本橋界隈と鰹節の「八木長本店」』が催されます。

題名のとおり、このツアーには八木長本店さんへの立ち寄りが含まれます。

当日はこちらのお店の歴史や商品についてのお話があります。

なお、このツアーのご案内特派員にはロズマリは参加しません。

参加費お一人様500円、定員各回10名、9月分は9月6日(水)の申込締切となっております。

詳細とお申込は右側のリンク集『中央区観光協会』をクリックし、 " わくわくツアー 参加募集 " の項をご覧ください。

皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。

また、他のツアーも見どころ聞きどころ満載です。ぜひご参加ください。

 

DSC02786a.jpg八木長本店

日本橋室町1-7-2

東京メトロ銀座線・半蔵門線 三越前駅 A1出口より徒歩1分です。

旧中山道の中央通りと按針通りの交わる角の赤茶色のビル1階。

日本橋三越本店さん新館の向かいになります。

03-3241-1211

営業時間  10:00~18:00

年中無休(1月1・2日のみお休みです。)

八木長本店さんのホームページはこちら

⇒ http://www.yagicho-honten.jp/

 

 

 
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