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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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日本橋中洲地区

[五月雨ジョージ] 2018年2月 6日 09:00

 日本橋中洲(にほんばしなかす)は、日本橋本町や日本橋人形町のように末尾に「町」は付きませんが、れっきとした東京都中央区の町名です。中州には「丁目」もありません。日本橋地区唯一の単独町名です。

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この中洲地域と、隅田川を挟んだ向こう岸(江東区)とはもともと「中洲の渡し」で行き来していたようです。現在は清洲橋で結ばれています。ちなみに「清洲橋」の名前は建設当時の両岸である深川区の深川清住町(現・江東区清澄)と日本橋区中洲町から付けられました。

 

 中洲はかつて文字通り隅田川の中洲でした。この一帯は「みつまた」(三ツ俣など)とも呼ばれましたが、どの流れを指してそう読んでいたかには諸説あるようです。いずれにしても隅田川、箱崎川、浜町川に囲まれた「中洲」であったことは間違いないようです。

 浜町川が隅田川に注ぐ付近は「浜町河岸」と呼ばれ、また、砂洲の埋め立てにより浜町と地続きになり、大川中洲新地が整備され、富永町と号し、江戸中期は花街のような賑わいを見せていた時期もあったようです。
 その後、度重なる洪水などから葦の生い茂る浅瀬に戻ったりしたようですが、明治になると再び埋め立て整備が行われ、真砂座が出来たりして料亭がひしめく娯楽街になっています。しかし、この繁栄は長く続かず、大正年間の頃には早くも衰退したと言います。

 

【江戸時代の中洲】
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 江戸時代の中洲の様子は、歌川広重の図絵で想像することができます。この絵は、江戸の名所を描いた広重の10冊の絵本の中の1枚。絵の右上にある詞書には

「新大橋より南の方、むかしこゝに茶坊ありて、その賑ひ、はんかたなし。今とり払ひて洲となれど、猶月雪の風景よし」

と紹介しています。

 
【金刀比羅宮】
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 清洲橋北西の袂には金刀比羅宮があります。境内を取り巻く玉垣には、歓楽街だったことを忍ばせる料亭の名がたくさん刻まれています。

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【真砂座】
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 真砂座の劇場跡の石碑は、マンションのエントランス脇の植栽の中に、ひっそりと佇んでいます。この真砂座は、夏目漱石の『吾輩は猫デアル』が小山内薫によって脚色され演劇「猫」として上演された劇場としても知られています。「真砂座跡」の石碑の横には碑文には以下のように書かれた石板があります。

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  夏目漱石の『吾輩ハ猫デアル』は、
  小山内薫によって脚色された。
  伊井蓉蜂らが出演し、
  日本橋区中洲の真砂座跡で、
  明治三十九(一九〇六)年
  十一月三日から三十日にかけて
  上演された。
  平成十五年十月吉日
   早稲田大学第十四代総長
      奥島 孝康 識

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【女橋】
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 中洲の町と隣の浜町との間にあった箱崎川。昭和46年(1971)埋め立てられて、現在は頭上を首都高が走っていますので、水路跡の面影が確認できます。
 その箱崎川には男橋と女橋、二つの橋が架かっていました。
 マンションの入口に埋め込まれた記念プレートには、以下のように刻まれています。

 

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おんなはし

     由来

           おんなはし
    女橋伊井を見むとてそのむかし
            幾たび渡りい往きける子ぞ
    真砂座の幟の音に誘はれて
            君もかへらぬわれもかへらぬ
    かにかくに中洲風流は
            おもしろし声舟もたまたま来て
    宵ながら闇ふかき夜は男橋
            君とわたりてゆくへ知らず
                吉井 勇「大川端」より
                        昭和二年

 

 日本橋中洲は明治四十年版「東京安寧」によれば「浜町三丁目
東南の大川中に築立たる市街地。安永元年一旦填築して三町余の
地を得、三股富永町と称せしが寛政元年之を撤し、後漸次洲渚と
なし、?葦叢生の地たりしが、明治十九年再び埋築して、今の町
名を加ふ」と記されている。
 当時、中洲は小さな島の町で、浜町との間には箱崎川をまたい
で、男橋と女橋の二橋が架せられていた。
 その後昭和の戦災で男橋は焼けおち女橋だけとなったが、箱崎
川埋立と高速道路の建設により姿を消した。
            女橋 明治三十四年十一月創架 木橋
               長さ二十一間 幅三-四間
            経費 六五九五円七〇銭
            その後昭和四年六月に架替
                 中洲青年部 吉田  尚
                       吉沢 伸明
                     贈   正志会一同

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じっと 眺めていると 大地が揺れる程の 大当たりが?

[朱房の十手] 2018年2月 5日 18:00

 DSCN0551 (3).JPG写真は、長崎市にある 平和記念像 と同じ作者が制作しました。

 

関東大震災10周年の記念塔として数寄屋橋公園にあります。

 

台座の銘板に「不意の地震に不断の用意」と書かれているそうです。

 

肝に銘じる言葉です!

 

宝くじ売り場のすぐそばです。宝くじを購入の際に是非ともご覧になってください。

 

中央区民有形文化財です。

 

作品名 燈臺   作者名 西村西望

 

 

小網町の三軒長屋 美味しくて良心的な昼食 「小料理 銭形」

[銀造] 2018年2月 5日 14:00

 以前、この特派員ブログでもご紹介した小網町の三軒長屋。 昭和初期に建設された大変趣のある看板建築です。いつか、食事に行こうと、ずっと思っていましたが、日本橋から水天宮にかかる手前で思い出し、昼食に行ってきました。 三軒長屋の二軒、そしてその隣のビルの一軒が営業中でした。 場所は、日本橋小網町13番地4、小網神社の近くです。

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向かって、左から「味の曙」は、天麩羅のお店。ランチ限定串揚げ定食は、8本ついて、800円。

そして右端のお店は、「せき亭」というお店で、ランチメニューは、お刺身、さば柚子醤油焼、豚生姜焼き、牛ときくらげ野菜炒め、カキフライ、海鮮丼、牛方ロースステーキ丼と沢山の品ぞろえ、全て1千円でおつりがくる値段設定です。

私は、ちょうど真ん中の、「小料理 銭形」へ入りました。刺身定食850円が一番高く、鮪中落ち丼750円、生姜焼定食750円、・・・とあります。(値段は、2018年2月1日現在です)

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 熱々の肉豆腐定食700円は、白味噌と、かつお出汁を使用した優しい味のお味噌汁で、冷えた心と体に優しく温かく、じわーっと効いてきました。 過去何年間で頂いた中で、一番美味しかった、人心地がついたお味噌汁でした。 味噌汁だけでも、食べにいく価値があります。(写真は、箸を付けましたので、2割減です) 

平日の昼食は、13:30頃までで、夕方は17時から再開です。 土曜日は、夕方からだけで、要予約です。「小料理 銭形」の電話番号は、03-3667-6743

建物については、中央区のHPで紹介されている、こちらをご参照下さい。

http://www.city.chuo.lg.jp/bunka/timedomeakashi/kindai_kentikubutu_tyousa/kindai36.html

 

 

2018 住吉神社 追儺祭・豆まき

[サム] 2018年2月 5日 12:00

P2030218ELS'.jpgP2030187RS''G.jpg 2月3日は節分。

住吉神社(佃1)では、追儺祭祭典斎行後、15:00より、恒例の「豆まき」が行なわれました。

節分とは、本来、季節の変わり目の、立春・立夏・立秋・立冬の前日という意味で、豆まきはこの日に行なう除災招福の神事儀礼のひとつ。

一般に節分というと、冬の節から春の節に移る立春の前日。一年の始まりとして、特に重んじられ、次第に節分と云えば春の節分を指すようになったとされます。

神楽殿より、豆とお菓子が撒かれる段になると、"福" を貰おうと、集まった子供たちが一斉に手を伸ばし、「こっち、こっちぃー」「おねがいしまぁーす」と喚声が上がります。

今年は土曜日ということもあり、境内は大勢の子供たちの熱気に包まれました。

 

 

中央区初、「変なホテル」オープン!

[ジミニー☆クリケット] 2018年2月 5日 09:00

2月1日、築地2丁目に、「変なホテル 東京 銀座」がオープンしました

中央区で初の「変なホテルオープンとなります

最先端のロボットがフロントでお出迎えしてくれる話題のホテルです

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オープン当日、会社帰りに立ち寄らせていただくと、エントランスには、オープンを祝うたくさんの胡蝶蘭

ホテルの方に許可をいただき、フロントを見せていただくと、本当に人型ロボットヒューマノイド2名がお出迎え

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さらに、全客室には、「ロボットクリーニングニオイ・しわ・ほこり・花粉をリフレッシュしてくれるクローゼット)」が完備されているとのことで、泊まってみたい気にさせる魅力あふれるホテルです

中央区に新しい名所がまた一つ増えた感じです

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東京都内の「変なホテル」は、第一号の西葛西に続き、このホテルが本日オープンし、この後、浜松町赤坂浅草橋羽田続々オープンが予定されているそうです

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変なホテル 東京 銀座」のHPはこちら ⇒

https://www.hennnahotel.com/ginza/

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「伝説の映画スター」写真展〔Art Gallery M84〕

[ジミニー☆クリケット] 2018年2月 3日 16:00

銀座4丁目、歌舞伎座のほぼ真裏にあたり、松屋通りに面して建つウインド銀座ビルの5階にある「Art Gallery M84」さんです

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ここで、現在、「写真展『伝説の映画スターたち、オードリー等』」が開催されています

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開催期間は、1月29日)から3月17日)までで、時間は、10時30分から20時まで。最終日は、17時までとなります。

日曜日休館日です。

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会場には、ゼラチンシルバープリントの作品が約40点展示されています

著名な写真家が、往年の映画スターを撮影したものばかりです

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今回、日本で初めて展示されるものとして、オードリー・ヘプバーン1950年頃メトロ・ゴールドウィン・メイヤー製作大スペクタクル映画クオ・ヴァディス」の王女リジア役の候補(結局はデボラ・カーに決定)としてスクリーンテストを受けた時に撮影した幻のプリントがあります(上の写真、左側)

ちなみに、「ローマの休日」が制作されたのは1953年ですから、その約3年前ということですね

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ずらりと並んだ「伝説の映画スターたち」は、オードリー・ヘプバーンの他、私の独断と偏見で挙げさせていただくと、アンソニー・パーキンスビョルン・アンドレセンブリジット・バルドーシャーロット・ランプリングダーク・ボガードグロリア・スワンソングレタ・ガルボイザベル・アジャーニジェームズ・ディーンジャン・ギャバンジョーン・クロフォードジョン・トラボルタマリリン・モンローマレーネ・ディートリヒ早川雪洲、等々々

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写真の美しさと、往年の映画スターの懐かしさ同時に堪能できる写真展です

是非、ご来場ください

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なお、今回も、会場での写真撮影について、特別にご了解をいただきました

ありがとうございます

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Art Gallery M84のHPはこちら ⇒

http://artgallery-m84.com/