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中央区アンダーグラウンド

[Hanes] 2018年4月24日 09:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
突然ですが、皆さんは東京の地下を見たことがありますか?
毎日地下鉄で通勤している方、百貨店の食料品コーナーに行かれる方にとっては、
地下は既に馴染みのある場所なのかもしれません。
しかし、そんな方もまだ知らないであろう地下を中央区では見ることができるのです!

その地下の正体は、共同溝と言います。
「共同溝って何?」という方のために、簡単にご説明いたしましょう。

共同溝とは、電話、電気、ガス、上・下水道等のライフラインを地下収容した施設で、
①スムーズな道路交通の確保(路上工事の縮減)
②安全なライフライン収容空間の確保
③都市景観の向上
④都市防災機能の向上
を主な目的としています。

そのような普段なかなかお目にかかれないインフラを、
中央区では以下の2ヶ所に設置されている見学窓から見ることができます

◼️日本橋のサービス管共同溝 銀座線日本橋駅B1出口付近

DSC_1668.JPG

少々わかりづらいのですが、地上に出られない左側の階段の先に窓があります
この共同溝は、1972年6月に日本橋室町3丁目から京橋3丁目までの国道両側歩道下に設けられました。
両側合わせて、2.7kmに及ぶそうです。

DSC_1669.JPG

覗いてみると、都市を支えるインフラがきれいに収容されていました!

IMG_7063.JPG

◼️銀座共同溝 銀座線銀座駅A13出口(松屋直結)付近

DSC_1641.JPG

1832年のコレラ大流行をきっかけに、下水処理対策として翌年パリで誕生した共同溝
日本では、関東大震災を受けた帝都復興事業の一環(1920年代半ば)として
八重洲通りを含む3ヶ所で試験的に導入されたものが初と言われています。

銀座のこの共同溝は、1968年10月に明治百年記念事業として
銀座通りの1丁目~8丁目の両側歩道下に設けられ、両側合わせて2kmに及びます。
このことで、銀座から電柱がなくなり、街路樹や街路灯が生まれ変わり、
柳並木が銀座の景観として印象付けられるようになりました
その変遷は、共同溝が整備される前の写真を見ると明らかです。

■1900年の銀座通りの様子

Ginza Dori.jpg

■1911年の銀座街道の様子

Ginza Dori 1911.jpg

柳のようなものが写っているにせよ、電柱や電線が目立ち、
今のすっきりとした銀座の景観には程遠いのではないでしょうか。

銀座に初めて柳が植えられたのは、1877年。
しかし、共同溝の歴史を念頭に置くと、
柳が銀座らしい景観として定着するまでには約1世紀を要したことが分かります。
今では当たり前になった銀座の景観ですが、
インフラが地下に収容されることで実現されたものだとは意外な発見でした

便利な世の中になった今、普段目につかないインフラのことは忘れがちですが、
中央区ではそれを身近に感じることができます。
通勤・通学、お散歩、ご旅行でお立ち寄りの際に、ちらっと窓から覗いてみてはいかがでしょうか?

【参考文献・ウェブサイト】
小池百合子・松原隆一郎(2015)『無電柱革命:街の景観が一新し、安全性が高まる』PHP研究所.
国土交通省 関東地方整備局 東京国道事務所「地下空間事業」http://www.ktr.mlit.go.jp/toukoku/chika/index.htm

【写真】
国立国会図書館「写真の中の明治・大正 ―国会図書館所蔵写真帳から―」http://ndl.go.jp/scenery_top/
いずれも国会図書館所蔵のデジタル画像で、著作権保護期間が満了しています。