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知れば知るほど面白い!江戸時代に大流行した富くじとは

[Hanes] 2019年2月27日 12:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
先日、2月24日(日)まで貨幣博物館にて開催されていた企画展 江戸の宝くじ「富」-一攫千金、庶民の夢-へ行ってきました。
内部は撮影禁止のため写真は掲載できませんが、
展示物が気になる方は、上記のリンク先よりご確認ください。

DSC_3714.JPG

さて、中央区観光検定を受験された方にはおなじみの富くじですが、
どのようなものだったのか、『歩いてわかる中央区ものしり百科』をもとに確認してみましょう

■江戸の富くじ興行とは
宝永年間(1704~1711)に大流行
・目的は、神社仏閣の改修費用にすること
・1842年、水野忠邦による改革で禁止された

「富くじ」というだけあって、宝くじのような賭け事なのではと漠然と思っており、
それ以上深掘りすることはありませんでしたが、
今回の企画展を見たのを機に、気になったことをはじめ少し調べてみました

■「へ」組がなかった!?
今回の展示物の一つに、「富番数控帳」というものがありました。
こちらは、1862年に相模国足柄上郡谷ヶ村(やがむら)で開催された富くじ興行にて
発行された富札の組名と番号を控えた帳簿です

解説には、「いろは順に『い』から『る』(『へ』を欠く)の10組で、各組100枚・合計1,000枚の富札が発行された」と書かれており、
「なぜ『へ』を欠くのだろう?」と気になりました。
その際にまず思いついたのが、以前ご紹介した江戸町火消の組。
こちらではへ・ら・ひ・ん組がなく、順に「屁」に通じる、隠語、「火」に通じる、語呂が悪いといった理由から
それらの組はなかったと言われています。

Hikeshi.jpg

この件について、文献にこれといった記述は見つかりませんでしたが、
参考文献(記事の最後に掲載)に、「松竹梅や鶴亀、七福神などの吉字が組の印(札印)に充てられている」(p. 340)といった解説はありました。
よって、町火消の組と同様の連想によりおめでたく聞こえないことから、
「へ」は省かれたのかもしれませんね(※あくまでも私の推測です。)

■実はワールドワイド!?
参考文献に、「『富くじ』は都市型賭博の一形態として、すでにヨーロッパでは中世から近世にかけて行われていた。一五二一年にドイツのオスナブリュックで町営の『富くじ』が発売され、一五三〇年にイタリアのローレンスで売られた『富くじ』には賞金がついていたと言われる」(p. 59)と書かれています。
(本来の引用元:『夢は世につれ・・・・・・富くじ三〇年のあゆみ』(第一勧業銀行宝くじ部、1975年)、p. 10)

世界史では、ルターの宗教改革の少し前に、メディチ家出身の教皇レオ10世が、
サン=ピエトロ大聖堂の改築資金を調達するため、贖宥状(免罪符)を販売したと習いました
改築資金の調達のためという点では富くじと似ていますが、
贖宥状は、「買うと現世の罪が贖われ、天国にいける」というように
より宗教色が強いという点で富くじとは異なります

しかし、日本の「富くじ」に相当するものがヨーロッパに存在していたことは
今回初めて知ることになり、どのような方法で行われていたのか、
江戸同様に何らかのタイミングで禁止されたのかといったことも気になりました!
ここでは詳しく書きませんが、気になった方はぜひ図書館へ

■富塚の碑を訪ねて
日本橋堀留町にある椙森神社には、かつて盛大に行われた富くじ興行を記念した「富塚の碑」があります。
今日見られる碑は、関東大震災後再建されたもので、区民有形民俗文化財に登録されています

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宝くじ購入の際は、こちらで当選祈願をする方もいらっしゃるそうです。
一攫千金を夢見るのは、江戸時代も今も変わらないようです

〈余談〉春の訪れ
椙森神社を訪れた際、手水舎に先客がいました!
それが、可愛い2羽のメジロ

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綺麗な色の羽をふるわせて水浴びをし、水を飲んでいました。
春はもうそこまで来ているようですね

【参考文献】
滝口正哉『江戸の社会と御免富ー富くじ・寺社・庶民ー』(岩田書院、2009年)