中央区観光協会オフィシャルブログ

中央区観光協会特派員ブログ

中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

執筆者一覧

>>このブログについて

最近のブログ記事


築地市場(来年は豊洲へ)の年末

[kimitaku] 2015年12月31日 13:03

 

                                        

20151231_01-1.jpg 20151231_02-1.jpg 

                                                                                                                                                                                   

年末の築地市場朝の風景です。

 タンタンとけたたましく動き回るターレーも20151231_03-1.jpg

前進あるのみ先を急ぐ輸送車も

積み荷の陰から聞こえる値決めの掛け声も

のんびりと荷積みを待つ「潮待茶屋」

買い求めた魚を運ぶ料理屋の主人の急ぎ足も

来年の年末はもう見られません。

築地市場は来年11月に江東区豊洲に全面移転します。

みなさん 年末最後の風景をご覧ください。

「築地中央卸売市場」は昭和10年日本橋から移転開設以来平成28年

80年の歴史に幕を下ろします。

DSC_1405-1.jpg

 

 

 

 

 

鉄砲洲稲荷神社~新年の準備~

[之乎者也] 2015年12月31日 09:00

12月3日付ブログ記事(http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2015/12/post-2910.html)にてお知らせの通り、鉄砲洲稲荷神社では11月から平成の大改修(社務所の建替えなど)のための工事が進行中です。境内にはダンプや建機が入り白いボードで囲まれていたので、このままでは初詣も行けないのではと心配していましたが、先週来、一時工事が中断され正門からの出入りもできるようになりました。TeppozuNE1.jpg本殿前には大晦日の大祓い(おおはらえ)のための茅の輪(ちのわ)も既に準備され、社務所があった部分は白いボードで囲まれたままではありますが、例年通りこの正月も無事にお参りができそうです。TeppozuNE2.jpg

ブログ読者の皆様にもご心配のことかと思いましたので、取り急ぎお知らせ致します。

 

追記:1月10日(日)の寒中禊(寒中水浴大会)は、午前11時から、鉄砲洲公園にて行われるようです。TeppozuNE3.jpg【鉄砲洲稲荷神社】

所在地:〒104-0043 中央区湊1丁目6-7

電話:03-3551-2647

交通:都バス「東15」・江戸バス「南循環」鉄砲洲停留所下車目の前。中央区コミュニティサイクル「B01鉄砲洲児童公園」サイクルポートそば。

 

 

震災復興記念塔 北村西望『燈臺』をめぐって

[与太朗] 2015年12月30日 17:00

ck1014_1213.JPG 数寄屋橋公園という目抜きの場所にありながら、あまり注目されないのが、震災復興記念の銅造彫刻、北村西望 (1884-1987) 作『燈臺』ですね。ジャンボ宝くじを求める長蛇の列もすぐ脇にあるこの記念塔は目に入らないとみえます。この彫刻は西望45歳、当時東京美術学校教授だった彼が、昭和6年(1931) 第12回帝展に出品した作品を、共同募金により関東大震災満十年となる昭和8年(1933) 9月1日に震災記念碑として設置したものです。

 炬火をかかげる兜をかぶった青年の足元には百獣の王、獅子が控えています。西望お得意の力強い男性像で、たくましく復興する帝都東京を象徴したものでしょうか。台座の設計も西望で、懸賞募集された標語「不意の地震に不断の用意」の西望自筆銘板がつけられています。

 「天災は忘れたころにやってくる」といわれますが、近頃では「忘れる間もなくやってくる」といったほうがいいかもしれません。有楽町方面に出かけた際はよくこの銅像に立ち寄り、日ごろの備えを怠らぬよう肝に銘じることにしています。新しい年は災害のない穏やかな年であってほしいものですね。

ck1014_1209.JPG 【つけたり】

 北村西望は長崎県出身、友人朝倉文夫、建畠大夢という天才二人を目標に研鑚を積み、好きな言葉「たゆまざる歩みおそろし蝸牛」を身をもって体現した努力の人。東京では井の頭自然文化園内の彫刻園で多数の西望作品を見ることができます。昭和33年(1958) 彫刻では朝倉文夫に次ぎ二人目の文化勲章、昭和55年(1980) 東京都名誉都民、長崎県名誉県民。昭和62年(1987) 、102歳で永眠。畢生の代表作『長崎平和祈念像』は数多の困難・誹謗・妨害のなか五年がかりで昭和30年(1955) に完成、今に戦争犠牲者の冥福と世界の平和を祈っています。

 【もう一つつけたり】

 大相撲の東京本場所の優勝力士には東京都知事賞が授与されますが、賞品は北村西望作の『獅子奮迅』像です。昭和56年(1981) 五月場所で初めての授賞者となったのは、先日急逝した相撲協会理事長、当時の東横綱北の湖でした。

 

 

MMM~銀座で感じるヨーロッパの風~

[之乎者也] 2015年12月30日 14:00

この時期、ヨーロッパはクリスマスや新年を祝う飾付けできれいな季節。普段であれば年末にパリを訪れる方も少なくないかと思いますが、今年はちょっとテロも心配です。そんな方に今回は中央区のフランス探しのお話です。中央区にはプランタン銀座をはじめとして、フランスにゆかりのあるお店や施設なども少く無いですが、本日はその一つ、銀座にあるMMM(Maison des Musées du Monde(メゾン・デ・ミュゼ・デュ・モンド))を訪ねてみました。MMM5.jpg

こちらはDNP(大日本印刷)が文化活動として2003年から行っている、フランスのミュージアム(美術館・博物館)の情報提供や公式ミュージアム・グッズの展示・販売を行う文化施設です。2013年からは「世界のアートとデザインを暮らしに」をコンセプトに、フランスに限らず欧州・世界へ対象を拡充して活動を続けています。

MMM2.jpg

場所は中央通りの1本西側のスズラン通りと交詢社通りの交わる辺りです。近くには慶應義塾創設者の福澤諭吉が、1880年に日本最古の社交倶楽部として設立した交詢社があり、また食事処も多いおしゃれな雰囲気のエリアです。特派員のCAMさんが12月26日付「細雪シリーズ(7)(http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2015/12/post-2972.html」で紹介している関西割烹の「浜作」も隣にあります。

MMM6.jpg【交詢ビル】⇒交詢社のファサードが建物の一部として残されています。

 

ガラス張りの建物の入口には赤地にMMMの3文字が白抜きされたサインが映えるおしゃれなデザインです。MMM3.jpg中に入ります。1階と2階はミュージアムショップで、ルーヴル他フランスを中心とした欧州のミュージアムの情報提供と、ミュージアムグッズの展示・販売がされています。あまり大きなスペースではありませんが、ルーヴル(パリ)、オルセー(パリ)、ベルサイユ(パリ)、リュクサンブール美術館(パリ)、カルヴェ美術館(アヴィニョン)などのフランスのミュージアムのみならず、クレーセンター(ベルン)、大英博物館(ロンドン)、テート・ギャラリー(ロンドン)、ウィーン美術史美術館(ウィーン)、ゴッホ美術館(アムステルダム)などが紹介されておりプチ欧州旅行の気分を味わえます。

エレベーターで3階に昇ると、アートスペースということで美術館とは離れて、グラフィックアートやデザインをテーマとした企画展が行われています。ちょうど「クリスマステーブルグッズ特集」を開催中(12月25日まで)でした。こちらは写真撮影不可でしたので、ブログ読者の皆さんに様子をお伝えすることができないのは残念ですが、季節の雰囲気を反映したほっこりとする展示でした。

続いて地下1階のMMMライブラリに行ってみます。

MMM1.jpg

【MMM ライブラリー(地下1階)】⇒こちらの撮影はMMMから許可を頂いています。

 

ほかのスペースが展示・販売であるのに対して、こちらは世界各国のミュージアムの展覧会カタログ、MMMの収蔵するアート関連の資料が閲覧できるスペースとなっています。テーブルで資料をゆっくり見たり、パソコンを使ってマルチメディアソフトの閲覧など、実際にパリや欧州へでかける前に現地のアート情報を調べるのに役に立ちそうですね

隣接する交詢社通り沿いにはギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)がありますが、現在改装のため休館中で4月15日にオープンの予定だそうです。MMM4.jpgこちらはフランスなどの欧州に限らず、グラフィックデザインを発信する場ですが、再開の際にはMMMとも連携した活動も行われるようです。

 

【MMM(Maison des Musées du Monde)】

所在地:〒104-0061 中央区銀座7‐7‐4(DNP銀座アネックス)

電話:03-3574-2380

営業時間:11:00~19:00(日祝休)

入場料:無料

 

 

2つのMIYUKI DORI

[之乎者也] 2015年12月29日 16:00

11月1日の日曜日。中央区ではまるごとミュージアム2015が開催され、今年が2回目の「之乎者也(ちーふーちゅ~いぇ)」を含む26名の中央区観光協会特派員は、無料巡回バスに乗務しマイクを片手に街の案内役を務めました。当日は、乗車人数の調整やら運行間隔の時間調整があったり、さらには銀座地区でのデモ行進による大渋滞等様々なハプニングもありましたが、「お客様に中央区の魅力を伝える」というタスクは我々特派員にとっては、普段の研鑽の成果を披露する絶好のチャンスです。

右回りの無料巡回バスに添乗中、浜町バス乗り場に向うため東日本橋のバス乗り場を出発し左に曲がったところで、お客様の一人から「みゆき(御幸)通りって女の人の名前ですか?」と素朴な疑問が寄せられます。Miyuki1.jpg窓の外の道路名称案内板には「御幸通り(MIYUKI DORI)」と書かれており、また女性の名前で「みゆき」という名前(字は美幸や美由紀などもありますが)もよく聞きます、人気漫画の主人公にもありましたね!

 

「御幸」という漢字を辞典で調べると「みゆき、ごこう、ぎょこう」と読み、源氏物語や歴史の教科書に出てくる「行幸」と同じ意味であると載っています。とすれば、こちらの「御幸通り」も天皇陛下がお通りになった通り?ということになりますが、丸の内にある皇居前広場から東京駅前まで結ぶ「行幸(ぎょうこう)通り」であれば、東京駅からお召し列車にご乗車になる時にお通りになったのだろうと察しがつきますが、東日本橋となると「ちょっと皇居からもちょっと遠いけど、どうして?」となります。

 

理由は東日本橋のバス乗り場横にある「臨幸記念碑」にありました。現在日本橋中学校が建っている場所には、戦前には千代田尋常小学校がありました(明治10年創立、昭和20年廃校)。Miyuki3.jpg

【昭和初期の千代田尋常小学校(中央区教育委員会説明版より)】

 

1923年東京は関東大震災に襲われ、千代田尋常小学校を含む多くの地域が焼け野原になりました。千代田尋常小学校は、その後震災復旧事業による復興小学校として鉄筋コンクリートの不燃化構造で1929年12月に竣工しましたが、翌年の1930年3月に天皇陛下が復興した帝都を巡幸した際、車を学校脇の現在「臨幸記念碑」がある辺りに停め、休憩を兼ねて学校を訪問したということが記念碑に記されており、どうやら、この時の「御幸」が道の名前となったようです。Miyuki2.jpg

【臨幸記念碑】

 

さて、中央区の「MIYUKI DORI」といえば、もう一つ有名な銀座の「みゆき通り」がありますね。こちらは東日本橋のMIYUKI DORIが漢字であるのに対し、平仮名で書かれますが、新橋演舞場と日比谷公園を結び、晴海通りに並行して銀座5~6丁目を貫くこちらの通りは、「みゆき族」の聖地として名を馳せました。東京オリンピックが始まる少し前の1964年、アイビールックをちょっと崩した格好の独自のファッションの若者がたむろし、みゆき通りを闊歩したという社会現象が「みゆき族」と言われました。現在はご覧の通りブランドショップが立ち並ぶ華やかな通りとして人気を集めています。Miyuki4.jpgもちろん銀座の「みゆき通り」も「行幸(=御幸)」から来ており、こちらについては、明治天皇が築地にあった海軍兵学校、海軍大学校、浜離宮などへ行幸される際に通られた道ということで「みゆき(御幸)通り」という名前になったようです。

 

【御幸通り】

 所在地:中央区東日本橋2-2から東日本橋2-10まで。

 

【臨幸記念碑】

所在地:〒103‐0004 中央区東日本橋1-10-1(日本橋中学校 浜町河岸通り側)

 

【みゆき通り】
 所在地:中央区銀座5-1から銀座6-4まで。

 

 

箱根駅伝と中央区

[之乎者也] 2015年12月29日 09:00

正月のメインイベント第92回箱根駅伝まであと1週間余りです。鍛冶橋通りには「交通規制のお知らせ」というサインが出て、新年の1月3日にこちらが箱根駅伝のコースとなることを教えてくれます。Ekiden1.jpg往路では大手町の読売新聞社本社前からスタート後、千代田区内の日比谷通りをまっすぐに南下しますが、復路1月3日のラストの第10区は中央区内を走ります。このように新春の大きなイベントである箱根駅伝ですが、一番盛り上がる最終区で中央区を走ることに加えて、このレース、実は中央区との縁も深いのです。

現在、スタート/ゴール地点は読売新聞社本社のある大手町となっていますが、戦後から1971年までは読売新聞社の本社が銀座(現在、プランタン銀座のある場所)あったこともあり、中央区の銀座がまさに箱根駅伝のスタート/ゴールでした。

さらには、今年参加の21チームの中には残念ながら中央区の大学の参加はありませんが、そのうち3校は歴史上中央区と縁の深い大学です。

一つは順天堂大学。こちらは現在は本郷や佐倉(千葉県)などにキャンパスがある大学ですが、1838年(天保9年)薬研堀(現、東日本橋)に佐藤泰然が蘭方医学を学ぶ和田塾を創立したことが起源です。Ekiden2.jpg

【薬研堀の「順天堂発祥の地」記念碑】

 

2校目は中央学院。こちらは現在は我孫子市(千葉県)が本部となっていますが、その起源は1900年に新川に設立された日本橋簡易商業夜学校。その後、日本橋簡易商業夜学校は、中央商業学校、中央商科短期大学となり、短大は2000年に廃止されましたが、その流れを汲むのが今回参加の中央学院大学です。Ekiden3.jpg

【新川公園内の「中央商業学校(中央学院)発祥の地」記念碑】

 

そして3校目は、昨年優勝の青山学院。こちらも現在の本部は渋谷にありますが、その起源は1878年にジュリアス・ソーバーにより築地明石町に設立された耕教学舎。耕教学舎は、その後、麻布の女子小学校(後に明石町に移転して海岸女学校となる)、横浜山手の美會神学校と合併し、東京英学校、東京英和学校を経て青山学院になりました。Ekiden4.jpg【明石町の「青山学院記念の地」碑】

 

1月3日の復路第10区、日比谷通りを上ってきたアンカーのランナーたちは馬場先門(千代田区丸の内)で右折して鍛冶橋通りに入ります。新幹線のガードと外堀通りを越えて中央区に入ると、東京スクエアガーデン前を左折して中央通りに入り、日本橋を渡って常盤橋まで一気に区内を駆け抜けます。実はこのコース17年前までは別のコースでした。平成11年に日本橋架橋88周年、箱根駅伝75回大会を記念して、京橋、日本橋を通るコースに変わりました。この沿線には明治生命館(千代田区丸の内)、三菱一号館美術館(丸の内)、第一生命相互館(京橋)、明治屋(京橋)、高島屋(日本橋)、三越(日本橋室町)、日本銀行(本石町)など、伝統のある美しい建物が多く立ち並び、各校アンカーのデットヒートが予想される最終区ですが絵になるコースです。応援とともに街並みを楽しむのにも良いコースですね!Ekiden5.jpg

なお、昨年の箱根駅伝の様子は特派員・江戸旅太郎さんが詳しく写真入りでレポートしていますhttp://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2015/01/post-2270.html)。

 

 

順天堂発祥の地 記念碑】

所在地:〒103‐0004 中央区東日本橋2-6-8(薬研堀不動院境内)

 

中央商業学校発祥の地 記念碑

所在地:〒104‐0033 中央区新川1-32(新川公園内

 

青山学院記念の地の

所在地:〒104-0044 中央区明石町6-26(ニチレイ明石町ビル目の前)

 

 
12345678