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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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2018「佃島の盆踊り」開幕

[サム] 2018年7月16日 18:00

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DSC06809RSR'G.jpg 毎年7月13~15日の3日間に亘り、佃1丁目の渡船場(佃の渡し)跡から佃小橋に通じる道路の中央に組まれた櫓の周りで開催される、夏の風物詩「佃島の盆踊り」。

初日の13日、大人の部に先立ち、18:00頃から可愛らしい浴衣姿の子供たちが、先達のリードのもと、元気な掛け声で踊り始めますが、櫓の周りの提灯をはじめ設えも例年と若干雰囲気を異にします。

今回の主催者は、新たに地元住民有志が設立した「歴史と伝統を守る 佃島盆踊りの会(盆踊りの会)」。

これまで長年運営に携わってきた「佃島盆踊保存会(保存会)」と主催権を巡る対立が顕在化し、区の仲介も力及ばず、纏まらず、"保存会" 側は来月同じ場所で別途開催する予定と聞きます。

参加者の数も心做しか少な目で、賑わいを再興し、古き良き伝統文化の健全な継承の観点からも、早期の事態収拾が望まれます。

 

 

映画「勝鬨橋」

[wienerhorn] 2018年7月16日 09:00

勝鬨橋は、隅田川に架かる、築地と勝どきを結ぶ橋です。「勝鬨の渡し」に代わる交通手段として1940年に完成しました。船の航行の妨げとならぬように中央部分が跳ね上がる構造で、「東洋一の可動橋」と呼ばれました。「勝鬨」の名前は、日露戦争における旅順陥落祝勝記念としてつけられたものです。航行する大型船舶がなくなったことや交通量の増大により、1970年を最後に開閉は停止されています。

この勝鬨橋に関する映画「勝鬨橋」を観てきました。この映画はいわゆる娯楽映画ではなく、記録映画です(企画:東京都、制作:公益社団法人土木学会・土木技術映像委員会)。橋の形式の比較検討の経緯、跳ね上がるメカニズムなどが詳細に解説されていました。この映画の元となった映像は、1940年に土木学会土木文化映画委員会が企画・制作した536秒の無声映画です。

最近は「インフラツーリズム」が脚光を浴びるようになってきました。私たちの身近にあって生活を支えているインフラについて、今回のような貴重な映像資料が残されていることは、もっと社会的に注目されてもいいのではと感じました。
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豊海おさかなミュージアム 豊海センタービル内、レストランもあります。

[銀造] 2018年7月14日 09:00

 今度の夏休みに孫と何処へ行こうかと考えて、「豊海おさかなミュージアム」に行くことにしました。

東京駅丸の内側南口2番乗り場、もしくは晴海通りの都営バス乗り場で、「都4、豊海水産埠頭行き」に乗車します。

豊海水産埠頭が終点です。バスから下車した地点、豊海センタービルの2階にあります。

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「豊海おさかなミュージアム」では、

色んなお魚の映像で、産卵から成長、漁獲までの過程を学ぶことが出来ます。

また、魚へんの漢字を沢山学ぶことも出来ますよ。 「魚と弱いと書いて、何と読むかな?」

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おさかな探検のコーナーでは、パソコンで調べよう・学ぼう、お魚の事を!

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大変勉強になります。 次回の展示予告がありました。「うなぎ」です。鰻の生態について、勉強しませんか。

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 お隣の部屋では、精緻に描かれた、お魚や蟹(カニ)の絵が展示されていました。

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これらの絵は、「ウルトラマン」シリーズのキャラクターデザインを担当された、杉浦千里氏(故人)の作品です。(合掌)

ワタリガニとバルタン星人らしき怪獣のイラストと比較するのも楽しいと思います。

豊海おさかなミュージアムの詳細は、こちらでご覧下さい。http://www.suisan-shinkou.or.jp/museum/

 豊海センタービル内には、「レストラン・ゴトウ」があります。

この週の日替わり定食は、「ざるそばと親子丼」、「鶏の唐揚げと刺身(まぐろの中落ち)盛り合わせ」、「ポークソテーとエビフライ盛り合わせ」、「ヒレカツと焼魚(アジの開き)盛り合わせでした。 価格は、税込み750円とのことです。(2018年7月10日現在。)

 

 

じゃぶじゃぶ池の季節、始まります!

[えだまめ] 2018年7月13日 09:00

子連れ特派員のえだまめです

去年もこの時期にこんな記事を書いた気もしますが・・・

http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2017/07/post-4470.html

今年も7月6日(金)から、中央区各所にある「じゃぶじゃぶ池」がスタートしました!
 

しつこいかもしれませんが、もう一度解説しますと

「じゃぶじゃぶ池」は「未就学児向けの水遊びの場」。

詳しくは区のHPを・・・ですが

http://www.city.chuo.lg.jp/sisetugaido/koento/zyabuzyabuike.html

おむつが取れていない子(うちの3歳児・娘あずきも含む)も

「ほっとプラザはるみ」以外では「水遊び用おむつ」の着用をすれば入れます。

利用料もありませんし、夏の暑い日の遊び場としてはとても大切な場所なのです。
 

初日の金曜日はあいにくの天気でしたので行きませんでしたが、

週明けの月曜日、あずきを連れて行ってまいりました!
 

水着(去年着てたもの)と水遊び用おむつ(去年の残り)と

タオルおもちゃ(名前は必ず書いておきましょう)、

帰りに履く普通のおむつ、帽子、水筒をカバンに詰めて。

娘あずきは着替えやすいようにサラッと着られるワンピース

母えだまめ膝丈までのスカートで。

(親は規則で水着にはなれませんが、一緒に水にはいる必要があるのです。

 水深は膝くらいなので、濡れないようにまくり上げるか

 そもそも濡れない丈のものを着ることになります。)

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やってきました!久松児童公園のじゃぶじゃぶ池です!!

「晴れ 一時雨」という変なお天気だったせいか、人は少なめ。

それでもやっぱり暑いので・・・

「水に足がつかってるだけでも気持ちいい!」というのが母たちの率直な感想でした。

 
個人的には・・・去年着ていた水着でも大丈夫だろうと思って持っていったら

思いのほか小さくなってしまっていて

やっぱり新しいのを買わなくちゃいけないかしら?と思いなおしたり、

2年前はじゃぶじゃぶ池におしりをぺたんと座ったら

完全に溺れるくらいの小ささだったのが

今は全然心配ないサイズになっている・・・ということに

しみじみと成長を感じたりしたのでした。
 

今年はどれくらい遊べるでしょう?

母子ともに楽しみたいと思います

 

 
中央区内のじゃぶじゃぶ池の一覧(住所横のかっこ内は週一回の清掃予定日)

7月6日(金)から9月9日(日)まで

利用時間は午前10時~午後4時となっています(12~13時は利用不可)

鉄砲洲児童公園内 湊一丁目5番1号 (木曜日の午後)
越前堀児童公園内 新川一丁目12番1号 (水曜日の午前)
久松児童公園内 日本橋富沢町16番6号 (金曜日の午後)
月島第二児童公園内 勝どき一丁目9番8号 (火曜日の午後)
ほっとプラザはるみ屋上 晴海五丁目2番3号 (毎日(利用時間外))

 

 

東京水上尋常小学校(月島)

[yaz] 2018年7月10日 09:00

注*: 前月以前のブログを参照してください。

「勝どき・晴海は月島だった」

http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2018/05/post-5168.html

「水上生活者(月島地区)」

http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2018/06/post-5158.html

 

 

水上生活者の増加に伴い、福祉厚生を考える必要が出てきました。福祉向上のため東京尋常小学校が1930年(昭和5年)月島8丁目(中央区勝どき1-11)に開校しました。隣が月島小学校の分校(現月島第二小学校=現勝どき1丁目にあるにも拘わらず、月島名がついています*)です。この分校は2号地(勝どき地区)の子供たちのために作られた小学校で、隣が日本倉庫で、斜め正面に鉄骨試験所がある行き止まりの通りの奥にありました。開校当時はまだ晴海通りも勝鬨橋もありませんでした。

      水上小学校のロケーション.png 

開校時の間取りは、教室3ケ、寝室2ケ、事務室・食堂・寮母室・炊事室・洗面所などで構成され小さくまとまっていました。

開校時の生徒数は32人、教員は3人と校長・寮母1人、炊事婦2人という所帯でした。学級は1~2年ひとクラス、3年以上がひとクラスでした。翌年1931年(昭和6年)からは低中高の三クラス制になりました。

 水上小学校舎平面図.png  

 水上小学校教室内風景.png 

東京水上小学校は、開校後しばらくして東京市立水上小学校となり学童の数も少しずつ増加し、校舎も改築を重ねました。1941年第二次世界大戦の開戦と同時に、水上国民学校となりました。軍国主義に湧く世情の変化を受けて、子女の教育ではなく兵士育成のための場となり、同時に銃後を支えるための奉仕の場となりました。水上国民学校もまた、戦争遂行のための海員育成の場に変えられていきました。

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1943年(昭和18年)4月1日、江東区深川浜園町に分校ができました。(昭和43年4月1日、浜園町は住居表示制度の実施に伴い、浜園町と塩崎町の名から「塩浜」となり、現在に至っています)戦争の悪化に伴い学童は茨城県新治郡に疎開しましたが、1945年10月25日には学校は再開されました。

水上生活者が暮らす船はセージと呼ばれる部屋が船底にあり、その大きさは2畳(6.6㎡)から3畳(10㎡)程で、家族があれば親子数人がここに寝泊まりしていました。ダルマ船は仕事場が転々と変わるので、子供たちは就学が難しく未就学児も多かったし、戸籍を持たない子さえいたという話です。

水上生活者の出身は千葉県が多く、戸籍を千葉房総に置いたまま船内で暮らすために、現住所がなく子息の就学もままならないこともあったようです。水上小学校の設置はこのような状況を解決するために設置されたともいえるでしょう。

水上小学校は全寮制ですが、子供たちは週末だけ船に帰りました。週末、子供たちにとって悲劇が起こることがありました。「自分のなつかしい家(船)がみつからない」停留している場所にセージが見つからないことがありました。そのようなときには、子供は憔悴して学校に戻ったということです。しょげかえった子供達の様子が目に浮かぶようです。

 

 

月島草市 2018

[サム] 2018年7月 9日 09:00

DSC06763ELS'.jpgDSC06732'RSG.jpg 7月7~8日両日、月島の夏の風物詩「月島草市」開催。

かつては盆の直前に立つ「草市( 別名盆市)」 で、"苧殻(おがら)" "焙烙(ほうろく)" "ほおずき" 等の仏壇に供える飾り物や供え物を賄い、先祖霊を迎えたとされますが、時代と共に、仏事の簡略化、生活様式・流通チャネルの変化等により、その殆どが役割を終え、「月島草市」は「草市」の名を留める貴重な存在と聞きます。

今日、月島西仲通り500mの通り全体に、地元商店街の他、町会等も加わり、100を超える露店・屋台が立ち並び、お盆関連商品に代わり、飲食物はもとより、昔ながらの輪投げ、型抜き、ヨーヨー釣り、スーパーボール / 金魚すくいといった遊びに至るまで、様々な出店が揃い、大勢の来街者で賑わいを見せています。

浴衣姿の女児も数多く散見され、下町ならではの風情を感じる、夏を代表する催事です。