Hanes

天下統一から470年!
中央区で秀吉関連スポットを探して


こんにちは。アクティブな活動はしばらくお休み中のHanes(ハネス)です。
先日、今年は豊臣秀吉天下統一470年にあたると耳にしました。
そこで、以前「9月15日、中央区内で関ヶ原を感じる」を執筆したように、今回は中央区内で豊臣秀吉にまつわる場所を探し、まとめてみようと思い立ちました!
豊臣秀吉は大阪のイメージが強いと思いますが、中央区内に彼に関係のある場所はあるのでしょうか?

薬研堀不動院

最初にご紹介するのは、東日本橋にある薬研堀不動院
講談発祥の地順天堂大学発祥の地として知られていますが、何か秀吉との関係はあるのでしょうか?

1585年建立と秀吉の活躍した時代にかぶることから、まずはその時代背景に注目。
するとこの不動院の歴史に、「紀州の根来寺豊臣秀吉の軍勢に攻められた際、同寺の大印僧都が尊像を護るために東国に下り、隅田川のほとりに堂宇を建立した」(『歩いてわかる中央区ものしり百科』より)とあるではありませんか!

 天下統一から470年!中央区で秀吉関連スポットを探して

(奉納されているやげん堀七味唐辛子もお見逃しなく!)


そのような背景を持つ本尊の不動明王は、真言宗中興の祖と仰がれる覚鑁上人が根来寺に安置したものだと言われています。
間接的ではありますが、思いがけないところに秀吉との繋がりを見ることができました!

日本橋

続いて目をつけたのは日本橋
1603年に徳川家康によって架けられたとされていますが、舞台を大阪に移してみると、そこにも「日本橋(にっぽんばし)」という橋・地名があります。

 天下統一から470年!中央区で秀吉関連スポットを探して


大阪の日本橋は、紀州街道が道頓堀川を渡る所に架けられました。
秀吉の紀州遠征時から街道の整備は進んでいましたが、橋が完成したのは秀吉が亡くなってから。
大阪の日本橋は江戸時代に公儀橋に指定され、重要な橋梁として知られています。

秀吉との関連性は薄れますが、ここで簡単に東京の「日本橋(にほんばし)」の名の由来に迫ってみましょう♪
中央区内にあり馴染みのある日本橋は、江戸城築城の際に、川に二本の丸太を架けて仮設橋としていたことから、工事人夫達が「にほんばし」と呼び、それが橋名になったと言われています。
先輩特派員CAMさんが「「日本橋」名の由来(2)」で「日本橋」の名の由来を詳しく考察されているので、もっと知りたいという方はぜひご覧ください。

貨幣博物館

続いては、屋内で秀吉にゆかりのあるものを探してみます。
同じく日本橋にある貨幣博物館では、秀吉がつくらせた金貨(大判)の実物が展示されています。

 天下統一から470年!中央区で秀吉関連スポットを探して


貨幣博物館ー日本貨幣史「近世」によると、秀吉は、「諸国の鉱山を掌握し、天正大判などの基準となる貨幣をつくった」そうです。
戦国時代というと戦いやお城に注目しがちですが、政策から秀吉の治世を深堀りするのも面白そうですね♪

室町砂場

最後は、そば屋である室町砂場さんに焦点を当て、江戸ともゆかりのある食べ物から秀吉との関連性を探ってみます。
以前先輩特派員下町トムさんの記事「〝年越しそば〟はお好みのスタイルで・・・(^-^)」が、「『砂場』という屋号は、もともと大坂城築城の折に建築用の砂が置かれていた場所の近くに旨い蕎麦屋がありいつしか『砂場』と呼ばれるようになったのが発端」とご紹介している通り、実はこのお店のルーツは大阪にあるのです!

 天下統一から470年!中央区で秀吉関連スポットを探して


直接秀吉に関係があるわけではないのですが、今回は大阪城(大坂城)築城と言ったら秀吉ということで取り上げてみました♪
慶長年間(1596年~1615年)には既にそば切り(細く切ってゆでたそばの元祖)の手法が広まり、最盛期には江戸市中に4000軒近くのそば屋が立ち並んだと言われています。
私自身あまり外食をしない人なのですが、今回このような思いがけない事実を知り、いつか江戸の名残が残る中央区で大阪ルーツのそばを食べてみたいと思いました。

おわりに

今回は、秀吉に関するスポットとして、不動院、橋・地名、博物館、そば屋さんと複数ジャンルにわたってご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?
秀吉の本拠地が江戸ではないことから直接関連があるものはあまり見つかりませんでしたが、思いのほか彼に関するスポットがあるということに驚き!
今回は文献上のみではなく、日常生活の中に特定の歴史がどう息づいているかを調べてみることで、面白い発見がありました。