Hanes

芥川龍之介の生誕地「耕牧舎」の謎に迫る


こんにちは。アクティブ特派員のHanes(ハネス)です。
先日、先輩特派員の方と「(現・明石町の)耕牧舎で乳牛は飼育されていたのか」という話になりました。
街中の案内板や文献を見ても少々解説に揺れがあり、気になったので少し掘り下げて調べてみました。

耕牧舎とは

中央区観光検定公式テキスト『歩いてわかる中央区ものしり百科』によると、明治時代に京橋区入船町8丁目(現・明石町)にあった耕牧舎は、新原敏三が経営する牛乳販売会社でした。
そんな彼の長男があの芥川龍之介で、耕牧舎は龍之介の生誕地としても知られています。

さらに調べてみると、耕牧舎自体は、1879年に渋沢栄一が仲間と共に箱根の仙石原で興した牧場が始まりだということが分かります。
中央区と渋沢栄一の関係は、思った以上に深いようです。
(東京都における渋沢栄一ゆかりの地についてはこちらから。)

 芥川龍之介の生誕地「耕牧舎」の謎に迫る


しかし現地の案内板には、耕牧舎は乳牛の牧場と書かれています。
果たして築地居留地の中に牧場があったのでしょうか?
以下、京橋図書館郷土資料室およびオンラインで閲覧した文献・論文・ウェブサイトにおける耕牧舎関連の記載を比較し、簡単に考察してみたいと思います。

耕牧舎考察

神奈川近代文学館『芥川龍之介展 生誕100年』(神奈川文学振興会、1992年)
こちらの展示会資料には、横浜開港資料館が提供した当時の築地居留地(耕牧舎を含む)の絵が掲載され、以下の解説がついています。
「西洋人の住宅やホテルが並び、日本人で住んでいたのはわずか3軒に過ぎなかった。その1軒が新原家で、牛乳販売業(耕牧舎)を経営していた。」(p. 8)

東京都中央区立京橋図書館『中央区年間 明治文化篇』(八重洲印刷株式会社、初版1966年、改版1991年)
「明治25年3月1日 芥川龍之介が入船町八ノ一で新原敏三の長男として生まれる。父は16年からここに牧場を持ち、牛乳搾取販売業耕牧舎を営んでいた。」(p. 110)

川崎晴朗「芥川龍之介の誕生地」、『文学』2004年3・4月号(岩波書店、2004年)
論文の執筆者川崎は、芥川龍之介の生誕地を調査している際に、新原敏三が住み、耕牧舎を経営していた建物を示す図面を外務省外交史料館において発見。
外務省外交史料館所蔵『東京外国人居留地取拡一件』(3.12.2.22)と題されたファイルに含まれている図面の中には、1888年7月7日付で東京府の高崎五六知事が大隈重信外務大臣及び山県有朋内務大臣にあてた伺に添付されているものがあったといいます。
そこには新栄町七丁目及び入船町八丁目が描かれている図面もあり、以下のように記されています。
「新原敏三の土地、建物は入船八丁目の北東隅にあった。おそらく、敷地の東端、新栄町七丁目の境界にある小さい建物が新原の住居(すなわち芥川龍之介の生家)、そして敷地の西側にある大きな建物が耕牧舎で、新原はここで乳牛を飼い、牛乳やバターを製造・販売していたのであろう。」(p. 186)

※川崎晴朗「芥川龍之介の生誕地をめぐってー耕牧舎の跡地は、いまどこにあるのかー」Net Pinus 62号、『築地外国人居留地』補遺(雄松堂出版、2008年)にも同記述あり。

 芥川龍之介の生誕地「耕牧舎」の謎に迫る


関口安義『芥川龍之介のとその時代』(筑摩書房、1999年)
「新原は渋沢栄一らがはじめた箱根仙石原の畊牧舎牧場で働いていたが、1883年に本店を置く牛乳販売店耕牧舎の支配人となり、芥川龍之介が生まれたころ(すなわち1892年ころ)には支店も中根岸、芝、四谷とふえ、1893年には本店を芝区新銭座十六番地に移し、やがてその土地・建物のほか、内藤新宿二丁目の牧場も渋沢栄一から譲り受けた。」(p. 5)

その他、新原の隣人が1890年に開業した帝国ホテルのトップマネージメントに加わった横山孫一郎で、ホテルオープン後、耕牧舎は同ホテルにも牛乳を収めたこと、耕牧舎ができた1883年当時、新栄町七丁目及び入船町八丁目には日本人はあまり住んでいなかったことも記されています。

 芥川龍之介の生誕地「耕牧舎」の謎に迫る


北川千秋『築地明石町今昔』(聖路加国際病院礼拝堂委員会、1986年)
「この区域は野草の生えるにまかせた原っぱで、日本人の家屋が三軒ほどあった。耕牧舎の他に車屋があって、(居留地に住む)外国人が非常に重宝していた。」「耕牧舎は1893年まで続き、59・60番地は米国聖公会の手に渡り、立教関係の建物になったとされる。」(pp. 157-158)

矢澤 好幸「明治期の東京に於ける牛乳事業の発展と経過の考察」(日本酪農乳業史研究会、2013年)
明治21年(1888年)の農務局畜産掛の調査による「民間輸入牛一覧」には、明治21年に京橋区築地の新原敏三がアメリカよりジェルシー種の牝2頭、ホールスチン(ホルスタイン)種の牝15頭、牡2頭を輸入したことが記されています。(p. 66)

新宿大通商店街振興組合「新宿大通りの歴史ー第二章:明治・大正 明治の新宿大通り」
「明治20年代後半に耕牧舎ができた」という解説とともに当時の写真が掲載されています。

ここで一旦時系列順に整理してみましょう。
1883年(明治16年):入船町8丁目に耕牧舎設立
1888年(明治21年):新原敏三、牛をアメリカから輸入
1892年(明治25年):芥川龍之介誕生
1892年~1896年(明治20年代後半):新宿に耕牧舎牧場ができる
1893年(明治26年):新原敏三、入船町8丁目の耕牧舎を手放し、本店を芝区新銭座十六番地に移す

牛を輸入したのは新宿に牧場ができる前ということ、設立当時の耕牧舎周辺は野草が生えた原っぱだったということを念頭に置くと、築地居留地内で乳牛を飼い、牛乳を搾取し、販売していた可能性が高くなります。
耕牧舎の牛を収めた当時の写真があれば断言できるのですが、今回は可能性が高いという表現にとどめておきます。
本件については調査を継続するものとし、新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかかり、より安心して外出できるようになった際には、箱根・仙石原の耕牧舎跡も訪問してみたいと思います。