にゃんボク

あるエッセイと日本橋のデパート

一時期、仕事の関係で石川県金沢市を訪れる機会が多くありました。

かつては金沢への移動と言えば、飛行機とバスを乗り継いでいったものが、北陸新幹線が開通してからは新幹線がメインとなり、東京発で始発に乗ると、9時半頃からの金沢での打合せに間に合う(間に合ってしまう)ようになり、金沢への出張がほぼ日帰りで完結することになりました。金沢も旅情を感じながら移動していく場所ではなく、効率的にビジネスを行える都市の一つになったと感じられ、移動自体の便利さと引き換えに、ちょっとしたものが失われたような気分を味わいました。

その北陸新幹線では車内誌「トランヴェール」が各席に配置されており、(不朽の名作『深夜特急』の著者)沢木耕太郎さんのエッセイ「旅のつばくろ」の連載もありました。新幹線に乗るたびに読んでいたなかで、ある日のエッセイが印象に残りました。

その内容はおおむね、こんな流れでした。

”(沢木さんは)日本橋のあるデパートで繁忙期に「特選品」(高級品売り場)のアルバイトを4年続けていた。その売り場では大物政治家の家族や大会社の社長夫人などの顧客が担当の店員を引き連れ、あれ、これと指をさしながら買い物をしていく。買ったものを顧客は自分で持って帰らず、担当の店員がタクシーでお届けに上がる。お届けに上がると、「上流階級」といってもアルバイト学生の接し方には雲泥の差があることを知る。ある夏、その顧客でもある「上流階級」の息子がふとしたきっかけで同じアルバイトに入ることになり、接点を持つことになるのだが、バイトの最終日にその彼から「軽井沢の別荘に一緒に行かないか」と誘われた。(沢木さんは)悩みながらも予定があったため断わることになる。彼は「またの機会に」といったものの、その「またの機会」は無かった。彼がアルバイトに来たのはそのシーズンだけだったからだ。”

”長い年月を経て軽井沢に(沢木さんが)降り立った際、静寂に包まれる軽井沢の別荘地にて、不思議な感覚に包まれることになった。かつて彼が誘ってきた別荘はここと地続きのはず。もし、あの時の彼の誘いを受けていたら・・・その世界に深く足を踏み入れていたら「ありえたかもしれない別の人生」があったかもしれない。誘いに乗っていたら、逆に「今の私が手に入れている世界は持ちえなかったはず」・・・”

といった内容でした。

なぜ、このエッセイが私にとって印象深かったのか。

このエッセイを読んだ時よりも少し前、私が約5年間の大阪勤務から東京に戻り、ある日、日本橋の三越本店の天女像の前に立った時、ちょうどパイプオルガンが優雅な音を奏で荘厳な雰囲気がいよいよ増すのを感じました。その時、私は音と空間から不思議な感覚に包まれるとともに、「あぁ、東京(中央区)に戻ってきたのだな」とここで感じ入ることになります。既に東京に戻って日数が経過していたのに、ここで、この場所で、”戻ってきた”との感覚に包まれたのです。

他の都市に転勤したが故に、少し背筋が伸びるような特別な場所が貴重になっていることを感じ、それを東京と結び付けて意識することになったこと。また、ふとしたきっかけ(偶発的なこと)での転勤が(沢木さんのエッセイで言うところの)「ありえたかもしれない別の人生」の側を歩んだのではないか?との思いに捉われたこと。

(エッセイでの舞台がたまたま同じ日本橋のデパートだったことも、印象深さにつながったのは言うまでもありません。)

昨日(2月23日)、日本橋三越の天女像の前に立ち、そのことを思い出しました。今は不思議な感覚に包まれることは無くなってしまいました。
でも、特別な場所であるとの思いはむしろ強まっているような気がしています。