夏の夜の闇の向こう側
ポケモンのモンスターボールに似ているね。
でも、ちょっと違うんだな。
異常な暑さの夏。
寝苦しい夜は、たまらない。
夜更けにふと目が覚めて、眠れぬままに手を伸ばしたのは怪談本だった。
異界のおどろおどろしい気配が、寝床の周りに立ちのぼってきた。
日本の怪談話の中で、最も恐ろしい姿で現われる最強の怨霊であり、最も広く知られている怪異は、「東海道四谷怪談」の『お岩様』ではないだろうか。
私がお岩様に遭ったのは、まだ幼い頃だった。
母は、泣いてぐずる私を背負いあやしながら、深夜でも明かりが灯っている駅前通りを歩いていた。
駅前には映画館が2軒並んでいる。
当時の映画館は、上映の内容を絵看板で表わしていた。
上映に備えて、職人さん達が巨大な絵看板を掛け替えていた。
見てしまった。
工事用の裸電球に浮かび上がったのは、顔が半面崩れ、髪を振り乱す、泥絵具を塗り固めた『お岩様』だった。
私は母の背に顔を擦り付け、身を硬くしてしがみついた。
若い母は、夢中で走ってその場を離れた。
それからしばらく、駅前に近づくことさえ嫌だった。
中央区新川
新川二丁目に、「於岩稲荷田宮神社」が建つ。
「東海道四谷怪談」は、四代目鶴屋南北の筆による歌舞伎作品である。
四代目市川右団次は大阪浪花座での興行を記念し、怪異が起こらず安全に千穐楽を迎えられるように、興行が大入りとなる様に、お百度石を奉納している。
大正3年(1914年)のことで、区内で最も古いといわれている。
台座の上にある丸石は、陰陽勾玉巴の田宮家の家紋である。
興行中の怪異とは、観客からしても興味をそそる。
因縁話が加わると、物語がいやがうえにも真実味を帯びてくる。
薄暗い舞台裏や、真っ暗な奈落で複数の人が動けば、思いがけない事故やトラブルも発生する。
座組一同で安全祈願するのも、気を引き締める意味から必要なことだったのであろう。
神社には、街の喧騒を忘れさせる、涼やかな風が吹いていた。
新宿区四谷左門町
四谷怪談にまつわる神社といえば、新宿区の四谷左門町の閑静な住宅地に「於岩稲荷田宮神社」がある。
元ネタとなった田宮家の屋敷があった地である。
四谷左門町の火事で社殿が焼失した折に中央区新川に移転し、新川の社殿が戦災で焼失した際に四谷左門町にも復活している。
二つの神社は、ともに共通の神社といえる。
「仮名手本忠臣蔵」は、赤穂事件を題材にして人形浄瑠璃、歌舞伎、講談、落語から、演劇、テレビ、映画と様々な分野で取り上げられ、時代ごとに親しまれてきた作品である。
「東海道四谷怪談」は、夏場に合わせた忠臣蔵の外伝、スピンオフ版として生まれた。
忠臣蔵の忠義に対するように、四谷怪談は不義の極みを表わす。
一説には、武士階級の忠義の表づらを、痛烈にこき下ろした作品ともいわれる。
最恐の怨霊である『お岩様』が出現するためには、引き金となる極悪な人物、凶悪な事件が発生しなければならない。
それを担うのが、民谷伊右衛門である。
赤穂浪士でありながら、主君の敵討ちを忘れ、身重の妻お岩様を邪険に扱い、不義を働き、己の欲のままに次々に人を殺めていく。
夜の暗さの楽しみを知った頃から、なぜか伊右衛門に惹かれる様になった。
極悪の要素を身につけながら、若い娘をも一目で虜にしてしまう、危険な色気を持ち合わせている。
なまじのやさ男では務まらない。お岩様の恐怖を生み出すことは出来ない。
闇の中にじっと潜む伊右衛門の、目の配り、声の色、身のこなし。
いつしか舞台や映画を見るたびに、伊右衛門の姿を追っていた。
お岩様由縁の井戸がある、四谷左門町の長照山陽運寺。お寺カフェもある。
縁切り・縁結びの霊験あらたかな寺院として、丁寧にお参りする参詣者が多い。
お岩様の怖さを演出するために、歌舞伎では様々な仕掛けや工夫を繰り出してくる。
髪を櫛で梳くたびに抜け落ちる「髪梳き(かみすき)」
穏忘堀の場の「戸板返し」
蛇山庵室(へびやまあんじつ)の場の、燃え落ちた提灯から姿を現す「提灯抜け」
仏壇の中に人を引きずり込む「仏壇返し」
壁の中に消える「壁抜け」
霊力の化身である大ネズミの群れ。
薄暗い舞台上で次々に展開される仕掛けは、まさに時代劇アトラクションである。
豊島区西巣鴨
西巣鴨を歩いていた時のこと。
ふと、雨が降り出しそうな空を見上げると、街灯に「お岩通り商店会」との文字。
えっ、二度見してしまった。
物語から飛び出してきたネーミングではないか。
通りの名前がすでに、「Oiwa-Dori」
都電荒川線の線路に沿って、新庚申塚駅と西ヶ原四丁目駅を結ぶ道路の愛称である。
かつて、荒川区南千住を歩いていた時に目にした「コツ通り商店会」
小塚原から来ている名前なのだろうが、そのシュールさに固まってしまったものだ。
「お岩通り」は、それ以来の衝撃だった。
いやいや、通りの名前になるくらいに、お岩様は、悪縁を切り、良縁を結ぶ霊験あらたかな神として、庶民の心の拠り所となっていったのだろう。
荒川線の線路を渡ったところにあるのが、長徳山妙行寺。
四谷怪談の舞台となったのは、雑司ヶ谷四ッ谷町。
雑司ヶ谷には田宮家の墓所があり、碑面によれば、明治42年に雑司ヶ谷から移されたという。
妙行寺には浅野家の墓所が有り、浅野内匠頭夫人の瑤泉院のお墓もある。
お岩様のお墓は、ちょうど浅野家の奥にあり、まるで「忠臣蔵」と「四谷怪談」の表裏を表わしているかのようだった。
追記
撮影の途中、急にスマホが熱を帯び、操作できなくなってしまった。
すぐにカバーを外し、電源を切って熱を放出させた。
猛暑日の午後であったが、背中に冷たいものが流れた。